妹との決別
どうすればいいのか。
自分で決めることも許されない現実など、朽ち果ててしまえばいいのに。
アイネはそう願った。
新しい結婚相手は、記憶の片隅に留めているだけでも、ろくでもない男だと判別するには十分な程だ。
ローエン・ブラック。
前国王の王兄にして、第四位の王位継承権を持つ紛れもない王族。
ある意味、オリビエートよりも権力を持ち、老獪で、自由に生きることを望む。そんな男性。
彼については黒い噂しか耳に入ってこない。
アイネはほんのりと絶望の味がするスープを口に含んで、しゃべるのを止めていた。
その間だけは考えることが許されるから、どんな返事をすれば義理の父親が満足してくれるのか、と自分の心に問いかけてみた。
だけどそんなものはどこにも生まれてこない。
ただひとつだけ、自由と言っていいのかそれとも政治の道具として利用されていると言ったらいいのかそれはわからないけれど。
間違いなく確実な事が一つだけ。
もうこの家に戻ってこなくてもいい。
その事実だけは絶望の淵に飛び込もうとしていた自分の心を押しとどめていた。
「わかったのかわからないのか。どっちなんだ」
「……それが伯爵のためだと言うならばそういたします」
「それでいい」
父親との会話はそれだけだった。
ギリッと奥歯を噛んで悔しさを噛み締める。
表情にそれが出ないように気をつけていたら、視界の隅に妹の顔が写っていた。
「お姉様、今度は大公閣下の元にいらっしゃるのですね。殿下の側からいきなり違う男性の所に行くのって、ちょっと感心しませんわ」
「なんですって! お前という子はこの場でまだそんなことを口にするの!」
力強く熱い衝動が冷めていた心に炎を呼び戻した。
それは怒りという感情で、美しく醜くも変化することができる原始的な衝動。
アイネの視線に込められた怒りの感情は激しく、エルメスは姉の見せる珍しい反応に怯えるようにして目を見開く。
おどけるようにして視線を左右に振ると対抗するように睨み返した。
「何ですか? これからは私が王太子妃補なのに。お姉様には過ぎた男性だわ、殿下は」
「お前、それ以上言ったら私も怒るわよ……」
「おお怖い。殿下はお姉様の負けん気の強さが嫌いだとおっしゃっていましたが、よくわかりました」
「お前が、あの人は何を知っているというの。与えられたものに満足するだけで、王太子妃補にはなれないと思いなさい」
アイネのなかにある姉としての威厳が、妹から向けられた無作法な物言いを許すなと、言っていた。
泥棒猫にはそれ相応の罰を与えなければならないと思う。
もちろんそんなことは口にできない。
伯爵は、血のつながらない姉妹の争いを物悲しそうに見つめていた。
「もういいだろう。それくらいにしなさい。エルメス、お前は妹だ。アイネは姉。立場をわきまえろ」
「お父様、だって――そんな、血のつながらない女をいつまで‥‥‥」
たった三年間。
この屋敷の中で、アイネはエルメスよりもずっと上の立場にいた。
その間に妹は心の奥にずっとストレスを溜め込んできたらしい。
ようやくそのはけ口を見つけた、とエルメスは感じているようだ。
そのことがよく分かる言動だった。
エルメスの考えが分かってしまった今、もはや妹として扱う必要はないのだとアイネは自覚する。
伯爵がもう一度、いい加減にしろ、と怒鳴るとエルメスは不満を顔面一杯に表して、口を閉じた。
より多くの不満を瞳に溜めて、アイネを凄まじい形相で睨みつけると、それでも自分の方が立場は上だということを思い出したのだろう。
優越感に浸ったような顔とともに、蔑むような笑みを浮かべて、伯爵家の朝食は普段通りに戻った。