殿下の訃報
侍女たちを連れたまま、ブラックはその足で地下へとアイネを案内した。
数十メートルは上に魔石ランプが吊るされた、天然の天井が見える。そこは、屋敷の地下に広がる巨大な洞穴を利用して作られた、怪しい賭博場だった。
「あれが俺に兄上から与えられた旗だ」
「王国旗。でも、四方を彩る色が……」
「普通の王室旗はあれが青。国王陛下の持たれる王のみが掲げることのできる王旗は金色。俺のは銀色でその次だ。つまり、ここは王国でも国王の座する後宮と同格の場所だということだ」
「では、違法ではない、と?」
いいや、とブラックは首を振る。
王国ではカジノを経営するには特別な許可がいる。
それは商売や海運の神とされている女神を祀る神殿が発行する物で、神殿の特権を示すものの一つともなっている。同時に王国経済を裏から支配したい神殿にとって、ここの生み出す莫大な利益は無視できないものになっていた。
「違法だ。神殿の許可証がない。しかし、王族の従う王室法典には、賭場を経営しても関与してもならないとは、どこにも書いていない」
「……王室法典の盲点」
「そうだ。王族は神聖な存在。そんな存在が賭け事をするために、神殿がカジノを経営し提供している。品性方向な貴族のトップである王族が、それ以外に行くはずがない。とまあ、善人ばかりではないということだ。この世には悪人もいる」
「旦那様のような、本当にあくどいですね」
「気のせいか、お前の顔が輝いて見えるぞ」
それはオリビエートの痴態を眺められたから。
二年もの間、溜まっていた憎しみがスッと晴れたからだとアイネは思った。でもそれは一時的な物だろう。すぐにまた、負の感情は湧き上がる。
今度は愛していた者が、新たに愛する者を罵り、牙をむき、いがみ合い、戦うのを見て生きていくことになるのだから。
どちらかが倒れて消えることになるだろう。誰も傷つかない未来など、もう望めないところまで現実は来てしまっている。そしてアイネがどちらかに付くかも――。
アイネが大公家にやってきて、二ヵ月が経過した。
その合間、季節は秋を越え、冬への足並みを揃えていく。
その間に挙式を行い、壮麗な結婚式には近隣諸国の王家や皇帝家、有力諸侯から祝いの使者が数百と訪れた。
ブラックの持つ権力の大きさを目の当たりにして、これならば確かに。王家の人間もこんな辺境にブラックを閉じ込めたくなる……と呆れてしまった。
アイネにとっては初めての結婚式。
ブラックにとっては実に六度目の結婚式。
親子どころか、祖父と孫ほどに年の離れた二人の挙式の噂は、王都のみならず辺境の隅々にまで届いていた。
普段ならば国交も薄い大陸の果てから、魔王の使者まで訪れる程に。
そうして夫婦になった二人だが、アイネにとって今夜の来客は好ましい存在ではなかった。
月に数度開かれる地下のカジノが盛り上がるのをじっと今夜も見届けながら、アイネはほうっとため息を漏らす。
彼女は特別な招待客が座る席に同席していた。
分厚い壁と向こう側からは見えない特殊な魔石の透明な窓。
その内側にいるのは、大公とかつての神殿からの来客だった。
「新しい神官長殿がこうして見えられるとは。女神様も違法な場所には寛容になったと見える」
新任の神官長はセダンと名乗った。まだ若く、四十を越えたばかりだという。しかし、ブラックとセダンは初対面ではないように思えた。
「いやいや。女神様は聖女様を通じてこの世に言葉を届けられます。しかし、聖女様は悲しみで神殿の奥に籠もってしまわれた。しばらくは神官のみで神殿の経営をしなければなりません」
アイネは古い知己が親友に困りごとを相談しに来ているような感覚を持ってしまう。二人はそういう仲なのか? 肩で夫の腹をつつくと、いつものように「後で話す」と言われ終わってしまう。
ブラックは言葉通り、夜の床の中ではちゃんとすべてを話してくれて来たから、今回もそういうことね、とアイネは納得して彼らの歓談を聞いていた。
そんな中のことだった。アイネの手から器が滑り落ちて床に中身を零したのは。
オリビエートが殺された。話はわずかにそこに触れただけだったが、アイネの心を動揺させるのには十分だった。
「これは失礼」
「妻はまだ、あれと別れて時間が経っていない。気を付けろ、セダン」
「大丈夫。いいえ、大丈夫です。続きをどうぞ、神官長様。手が滑っただけです」
「そうですか、しかし、他人の生き死にを聞いても面白くはないでしょう。さっきのは単なる噂として、聞き逃していただけると助かりますな」
詳細を知りたい。アイネの心はそう言っていた。
裏切り者のことはどうでもよかったが、結婚式に実家の人間は誰もこなかった。
祝電を祝いの品を贈りつけてきただけだ。
実家とはそれで縁が切れたものだとばかり思っていた。ここは辺境、中央の情報はなかなか届かない。
新聞やそれに代わる魔導具通信もあったが、なぜか大公はそれらをアイネにあまり見せようとしなかった。
自分が知るべきことではないのだろうと、気にしないようにしていたのが、裏目にでてしまった。
まさか、こんな形で不意打ちのように、あの人の最後が襲ってくるなんて。
その刃は自分が力を付けたら放ちたいと思っていたのに――ある意味で、残念な報告だとアイネは思った。




