騎士長の意地
『新しい時代、女神様は古い精霊の復活を望んでおられない』
『本当かよ? 聖女様がそう言っていると聞いたことがないぞ』
『……ロアー。その聖女が弟と良い仲だ』
『殿下と、か?』
(これは驚いた新事実だ。まさか、オリビエートと聖女ができていたとは)
ブラックは息を潜めて怒りを押し殺した。
これは単なる他人の記憶にある過去なのだ。アイネが可哀想だったが、ここで何かしても記憶の闇に囚われて抜け出れなくなっては、元も子もない。いまは黙っていることが正義だった。
『驚いたな。それで殿下は正式に婚約者までいるじゃないか』
『だから、そこを利用するんだ』
(利用する。まるで過去の俺と国王陛下の様だ……)
現国王と王弟ブラックは、かつて正式な前国王の息子ではなかった。
隣国との戦いが起こり、紆余曲折を経て前線に送られた庶子の兄弟は、ある土地でたまたま眠っていた秘密と出会ったのだ。王族とかつて契約を結びながら、眠りについていた古代の精霊たち。
平和になった数世紀前の王国に、彼らの能力はあまりに強大で、逆に国を惑わすと忌み嫌われた。
国に尽くしてきたのに、そこまで不要だと言われるならば、こちらから去ってやろう。そう決めた精霊たちは、ある土地に身を隠した。
『オリビエートといまの婚約者を破談させる。あの女、アイネは養女だ。伯爵家と王家の結婚が約束だからな。追いだして、叔父に。ブラック大公に押し付ければいい。それもさっさと迅速にやる必要がある。国王陛下が全部を知ってからでは遅い』
『そうだ、ロアーよ。陛下が正式に大公閣下とアイネとの婚姻を認めたら、すべてが間に合わなくなる』
『どういう計画だよ?』
そして彼らは新たなる主と出会い契約して……いまがある。
血統が優れない国王がいまの王になれたのも、精霊たちの力添えがあったからこそ、だ。
だが、第一王子はいまの王の血筋に当たらない。
前々国王の孫にあたる。つまり、精霊の加護は受けられない。
『殿下と義妹を魔法で惑わせ、うまく利用する。心が乱れた上で、婚約破棄を持ち出させ、国が承認する前にブラックの元へ無理やり、押し付けるのだ。そうすれば』
『姦通罪でも適用しようってのか? だが、大公閣下とその令嬢との関係が明らかなったくらいで何が変わる?』
『世間が揺らぐ程度だろう。だが、大公は地下に違法な賭博場を経営している。そこで国が把握していない金貨だの出て来てみろ。それが旧王国時代……つまり、精霊達の勃興した時代に流通した金貨だったりすれば、その管理責任は……』
『神官長、人を陥れることにかけては天才的だな』
(女神まで裏にいるのか)
真実は現実よりも奇妙なものだ。
こんな大暴露が待っていようとは。ブラックはぎりっ、と奥歯を噛んだ。
先ほどの神官長の言葉にある通り、古き精霊たちの眠りに就いた後に広まった女神教と女神が、精霊達の存在を快く思わないなら、これは神による現世への干渉。代理戦争ということになる。
(そうなっては人の身では解決が図れない)
『いいかロアー。口先だけ達者なおまえを騎士長にしてやった恩を忘れるな? 王子様とわしの後ろ盾を無くしていまの地位は守れんぞ。なんとしても、令嬢を殿下に婚約破棄させた翌週には、ブラックの元に行かせるのだ。方法は任せる。しくじるなよ』
『俺はギャンブルで負けたことが無いんだよ』
ロアーが嘯く。
嘘つきめ、大公もそう失笑していた。
そろそろ時間だ――。
ブラックは他人の記憶から現実へとゆっくりと帰還した。
「……閣下、閣下。ブラック? 旦那様!」
遠くでアイネの声が響いてくる。
人を癒してくれる、優しい声の音色だった。
ブラックは数秒だけだが、ロアーの記憶と現実を、精霊に力を借りて意識だけで往復していたのだ。
自分の腕に縋り、心配そうに瞳を振るわせるアイネが途方もなく愛おしい。守らなければ、と気分を新たにした。
「その呼び方はまだ早い。誤解を招く」
「ああ、よかった! いきなり黙り込んでしまうから」
「考え事をしていただけだ」
「たまに大公閣下にはあることなのです」
と、フォビオが合いの手を入れてくれる。
ブラックはこの能力のことを誰にも教えていなかった。腹心の執事にすらも。それは彼がこれまで臆病なほどに他人を信じず、あらゆる事に細心の注意を払って生きてきた証だった。
だが、落ち着きをなくした飼い犬のように焦ってしまっているアイネを目の当たりにし、少しは自分のことを話てもいいかなと頭のどこかで思い始めていた。
掴んでいたロアーを手放し、汚れた手を自らの浄化魔法で綺麗にすると、意識が混濁している騎士長へと大公自ら、回復魔法をほどこしてやる。
ぐふっ、と呻き、喉の奥から血の塊を吐きだして、ロアーは回復し意識を取り戻す。
「ここは……?」彼が辺りを確認する前に、娘の拳の一撃が頬に飛び、ロアーは自分の立場を悟ったようだった。
ブラックはフォビオに命じてアイネたちを下がらせる。
部下数名と彼ら、そして牢屋の中で瀕死になっているロアーの部下たちだけになると、ブラックはフォビオに提案する。
「部下を救いたいか。それとも、大義を尽くしたいか。どれがいい?」
「……部下だ。もはや破れて大義もあるか!」
「ならば、交換条件をしないか、王国騎士長」
「交換条件……? 俺の命でもやれば解放してくれるってのか?」
「いや、もっといい条件だ。お前も、娘も、部下も。お前の地位や名誉も守られる」
ロアーは大公を睨みつけ、背後で伏せている部下たちを交互に見て、しばらく無言で悩んでいた。
地位や名誉まで守られるとは、いったいどういうことだ? 大公とアイネが結婚すると国王陛下が知っているいま、俺は王族に反旗を翻した反逆者なのに。
「言っておくが、第一王子を――」
「裏切る必要はない。向こうがすでに裏切っている。神殿の告解室は広かったか?」
「なぜ、それを!」
ぎょっとした目で、ロアーは信じられないとブラックを見つめていた。
あの場所は三人だけの秘密の場所だったはずだ。
「裏の世界では情報は命だ。俺はこの王国の裏世界を取り仕切る顔役の一人だぞ。知らないとでも思ったのか?」
「……話を訊こうか。決めるかどうかはそれからだ」
部下を守り、名誉と地位も守れるのか。
ロアーの顔は、貧相で臆病な襲撃者から、王国騎士のそれへと変わり始めていた。




