溜めていた思い
飛行船の旅はそんなに長くなく、せいぜい二時間程度のものだった。
合間に、ブラックと近い距離でどう話を進めたらいいのか、緊張感に包まれてしまい、うまく言葉が頭にでてこない。
主人がブラックの隣に座ってしまったものだから、侍女たちは着席するわけにもいかず、ただアイネから少し離れて佇むのみだった。
二人をこれから指導し、管理していくのがその隣。ブラックから遠くもなく近くもない距離を保って立つ、老齢の紳士だった。
執事長だというフォビオの紹介を受けエリーゼとセーラはそれぞれ、挨拶をした。
ロアー騎士長の策略で伯爵家を辞めたのではないか、などいろいろと誤解を受けていたセーラはともかく、まぎれもない裏切り者の娘であるエリーゼについて、フォビオは冷ややかな視線を向ける。
態度もよそよそしく、給湯室でお茶の代わりを用意していたエリーゼに、たまたまを装ってやってきた彼はこう言ったのだ。
「奥様の恩情にすがり、生き抜くなど騎士として恥ずかしい。潔くその身をもって潔白を証明すべきでは?」、と。
言われた言葉が刃先となって、エリーゼのプライドをずたずたにする。
しかし、これに負けていてはアイネに尽くすことを決めた信念に嘘をつくことになる。
アイネもエリーゼも、セーラだってまだ十代の少女だ。
アイネのように感情を仮面の奥に隠すのが当たり前な世界で生きてきた貴族令嬢と違い、エリーゼは騎士。それもどちらかといえば智謀に長けた軍師タイプではなく、戦場で功績を上げるほうの軍人気質。
フォビオと入れ替わりにそこにやってきたセーラに、心の動揺を一目で見抜かれてしまい、「しっかりしなさい」と窘められたのだった。そんなエリーゼのことは、つぶさにアイネの耳に入る。セーラとアイネは秘密の共有を速やかにおこなうことにかけては、人よりも素早い仲だった。
「困ったものね」
「すぐに戻ってまいりますから」
「ええ、そうね」
エリーゼより一足先に給湯室から戻ってきた侍女と女主人はなにやらこそこそと、秘密の語り合いをしている。
その前には執事もその場に行っていて、ブラックはフォビオを目線で呼んだ。
「はい、閣下」
「メイド服と侍従の服を用意してやれ」
「……男物になりますが」
「まだ若い。サイズが合うものがあるだろう」
「確認致します。しかし、宜しいので?」
「構わん。ついでに――帯刀も認めてやれ」
「閣下! あれは……」
「彼女の騎士だ。当然の権利だろう。騎士が剣を持たずに、いつ主人の役に立つ?」
フォビオはどことなく不満そうに茶器を用意してきたエリーゼを見やる。
その挑戦的な力強い視線に、「え?」、と思わずエリーゼは呟いてアイネの方を凝視した。
大公たちの会話を理解して、アイネが手を上げる。
セーラはエリーゼと協力して手早くお茶や菓子などをテーブルに広げると、戸惑うエリーゼの背を押し、フォビオを先にして部屋から出て行った。
「結婚前の男女が同じ椅子に座るのは、どうかと思うがな」
「あら。閣下は古い王国の常識にとらわれておいでですか?」
「……もう、五十代だ。古いか新しいかということが俺にはあまり関係がないよ。肝心なことは――」
「周りがどういう風に私たちを見て判断するか。そこでしょうか」
「分かっているなら、みなまで言わせないで、貰いたい。ところでその菓子は?」
ブラックがふと、テーブルの上に目を落とす。
そこには見慣れない、ゼリーのなかに果実の身を切ったりして固めて甘く味付けした物が、適度の厚さを持って切られ、盛りつけられていた。
室内の温度が空の上ということもあり、下がっているのも影響しているのか、その菓子からはうっすらと冷気が立ち昇っていた。
「冷凍菓子、か。珍しいな」
「王都を出る際、ちょっと手に入れまして」
「ほう。なるほど」
ちょっとではない。
アイネの脳裏に蘇るのは、これを注文したお店のことだ。
そこでアイネたちは襲撃を受け、セーラまで巻き込んで逃亡劇を開始したのだった。
あのお店にはあとからお詫びと相応の迷惑料を包まなくては……。これはそういった品だった。
会計前に用意されてきて、エリーゼのポシェットで眠っていたのだ。
いまさらこれを出そうとしたのも、ブラックがあまり王都の流行になじみがない、と聞いたためだ。
古い常識と新しい常識。
その間を埋めるものとして、こういった趣向もどうかとアイネは一興を講じたのだった。
「王室ではあまりお召し上がりになられない様子ですが」
「王族は炎の精霊と契約しているからな。水や氷に近い物は苦手なのだよ」
「お風呂も?」
きょとんとして質問するアイネに、ブラックは噴き出した。
さすがにそれはないだろう。それを言いだしたら、トイレはどうするのか。あれも水洗だ。もっとも、浄化槽には浄化魔法がかかっているから、水の精霊は自ら浄化されてはたまらないと、滅多に近づかないが。
「それは予想外の答えだな。この菓子はあいつが好きだったものか?」
「あいつ……オリビエート殿下ですか。いいえ、殿下は辛いものや冷たいもの、甘いものはお好きでない方ですから」
「そんなに好き嫌いが激しかったとは。一体何を食べてあいつは生きているんだ」
「焼きたてのパンや、蒸した鶏肉、季節の魚と旬の野菜を煮込んだもの……」
「そこまで細やかにあいつのことを知っているのに、そなたには申し訳ないことしたな」
申し訳ないこと、とはどういうことだろうか?
第一王子に関連する問題に巻き込んだことを暗に示しているのだろうか。
それとも、オリビエートの我が儘で婚約破棄をさせたことを言っているのだろうか。
該当する事柄が多すぎて、アイネは返事に詰まった。
「王族の気まぐれで、王太子妃になるための研鑽を積んでくれていたそなたの、努力やオリヴエートに対する信頼を無駄にさせてしまった。叔父として、一言、謝罪をさせて欲しい。大変申し訳なかった」
「そ、そんな……。それは、その! 殿下がお決めになったことで。その、国が認めたことですから」
アイネの言葉は消え入るように細く、ゆっくりと内容を選んで紡ぎ出される。
気の短いオリビエートはそんな彼女をいつも遅い、としかりつけた。しかし、ブラックはいつまでもずっと、飽きずにそこで待ってくれているような気がする。
そう思えると、アイネは心から力が沸いてくるようだった。
腹に力を込めて、伝えるべきことを大きく息を吸って、言葉と一緒に吐き出した。




