無慈悲なる暴君
エルバスの大公家から専用の飛行船が飛び立ったのは、月曜日の昼過ぎだった。
領内を抜け、レターニアを経由して、それから王都に向かう予定をブラックの乗り込んだ飛行船は立てていた。
国内はもとより、航空路は世界的に統一された機構が管理しており、その管制官が立てた飛行プランを守ることが、何よりも求められたからだ。
飛行船の経路には必ずと言っていいほど、魔導列車の駅があり、そこで乗客の乗り降りや、必要な物資の提供を行うことは、日常的に行われる。
ブラックもその経路について文句を言えないし、先に王都や王国各地に向けてアイネ探索の手を広げていた彼は、移動する司令塔の役割を果たせばいいと考えていた。
だから偶然だったのだ。
結納品として収めた品々の反応が、レターニアのホテルギャザリックに近づいた途端に、復活したのは。
「閣下!」
「いい。あれがここに来ていたのか」
操舵室で王国各地の報告を待っていたブラックに向かい、反応を示した魔道具を持ったフォビオがそれを見て、驚きの声を上げる。
ブラックの眼下、数百メートルの地上ではちょうど、魔導列車が走行を始めた所だった。
あの中ではないな。アイネたちは異空間を走る魔導列車で、ここまで逃げてきた。もしくは連れられてきたのだろう。
「ロアーめ、裏切ってなかったか」
「どうでしょうか」
飛行船に搭載された望遠カメラを、駅の方へと向ける。
地上にはもう陽は届かず、薄暗いレールの上にまばらに誰かがいることしか、画像には映らなかった。
「処理をしろ。より鮮明にして中央画面に映し出せ」
「いや、それはいいぞ。フォビオ」
見える。
風の精霊をそこに走らせて、ブラックは精霊の瞳から見えた光景を、目の当たりにしていた。
見覚えある顔が一つ。
ここ数日、消息が不明になり、安否を確認できないまま見続けた写真の少女が、十数人の男たちに囲まれてそこにいた。
男たちは全員が手に武器を持ち、明らかにアイネが不利な状況だ。
傍には、これまた見覚えのあるロアーの娘、金髪のエリーゼが剣を構えてアイネを守っていた。
その向こうには、槍を持つ背の高い女性がいる。
ようやく画像の処理が終わり、中央のモニターに出た三人を確認して「伯爵家の元メイドです」と報告した。
「面白い。俺の一番、得意な場面だ」
かけていた老眼鏡を執事に渡すと、ブラックは部下たちが退避した壁際に歩を進めた。
上から緑色の魔力が照射され、ブラックのいる一部の空間が、操舵室と隔絶される。それは防風壁代わりに使われる装置の一種で、飛行船の壁に穴が空いた時、防壁となって外部から操舵室を守るものだった。
トントン、とブラックが足元を踵でノックする。
隔絶された空間に、執事の声が響いた。
「行かれますか」
「ああ。落とせ」
そこだけ色違いになった床は突然左右にスライドして、足場が消失する。
ブラックは命令通り、自分を操舵室から放り出させたのだった。
大気に躍り出た主人を歓迎するように、風の精霊が姿を表してその周りを踊る。
緑色の肌をした美しい半裸の乙女たちが、ブラックの周囲を舞い祝福した。
オレンジ色の夕陽の欠片から、炎の精霊がひょいっと顔を出す。
燃え盛るたてがみを持つ、豹だった。豹は恭しく頭を垂れ、主人を背に乗せて空中を疾駆する。
「あそこだ。見えるか? 光を落とせ」
炎の表は無言でうなづき、ブラックの意志が示す場所へと、眩い光の球を打ち込んだ。
それ自体にはなんの殺傷力もない光の球は、先に地面に触れると白銀の閃光を放って散った。
同時にその半分が丸い大きな球体となって、アイネ、セーラ、エリーゼの三人を取り込む。
続いて、空から炎の榴弾が降り注ぎ、男たちを焼いていく。
風の精霊が適度にそれを吹き消して、男たちは火傷を負い、地面に倒れ伏していく。
ブラックはそれを見届けて満足そうに微笑むと、精霊達を従えて、大地へと舞い降りた。
「お嬢様!」
「セーラっ」
主人が光の球体に呑み込まれたのを防げなかった侍女たちは、男たちと新たに空から飛来してくる未知の存在に対処しなければならなかった。
しかし、上を見上げる間もなく、二人もまたアイネと同じようにして、光に呑み込まれる。
抵抗は虚しく、どんなに刃先でその輝く繭を切り裂こうと試みても、無駄なあがきだった。
自分たちを取り囲むが敵勢力が、空からやってきた何者かによってあっという間に無効化されていく。
その事実は三人の逃亡者に心のゆとりを与えた。
声すらもアイネには届かない。
十数人の男たちが火だるまになって倒れこんで行く。
凄まじい戦闘力。
無慈悲な暴君に抗えず、誰もが降り注ぐ炎の前では、赤ん坊同然だった。
これがもし新たなる敵だとしたら……私たちに抵抗する術はない。
セーラは本能的にそう悟り、エリーゼや、戦いの経験がないアイネもまた、同じような無力感を味わう。
そして空から、風の乙女と、炎の猛獣を率いて、一人の男が颯爽と降りてくる。
敵か味方か。唯一アイネだけが、その男性を味方だと見分けることができた。




