炎の幻
金貨と余計な武器が一つ増えたから、辻馬車でも使おうかしら? 中央駅に着いたら、父親と母親、そして弟たちに叱られないように、ごまかすためのお土産は買わないといけないかな。
そんな事を思いつつ、セーラは道の途中で辻馬車を拾い、王都の中心部にある魔導列車の中央駅ビルへとたどり着いた。
駅ビルは十階建ての近代的な建物で、中には様々な店が入っている。
ホテルギャザリックを経営する帝国発の店が多く、昨今の流行はすべて帝国から始まっている。
家に戻れば、どうして侍女を辞めたのか、家族にしつこく問い詰められることは予想済みだ。何か粗相をしたのではないかと疑われることは間違いない。
古い田舎町であるレターニアは礼儀作法にはとにかくうるさい風習が残っている。
奉公先をいきなり辞めたとか聞いたら、厳格な父親は泡を吹いて倒れるかもしれない。
それはそれで面白いが、いや面白くないけれど。働きが良かったために契約期間を短縮したという内容の、伯爵様から手紙をいただいてるし、それ相応の退職金もいただいた。あとは都会の土産を持って帰れば、両親はそれほどうるさくは言わないだろう。
「……アイネお嬢様と同じように、どこかの年老いた大金持ちの愛人になるか。家も継げない商人の三男でも婿養子にして店を継ぐか、それとも……あら?」
列車の出発までまだ少し時間がある。
どれにしようか。あれでもない、これでもないと土産を選んでいたら、いつのまにか通路の端にまで来てしまった。
だいたい欲しい物の目星はついたから、あとは戻って買うだけ――と、いうところで、何かが視界の端で動いた。
特に興味はなかったのに、何故か視線がそちらに向いてしまう。
見慣れたなにか。いつも当たり前にそこにあった誰か。息をするかのように互いのことをわかっていたあの人が……アイネが、見知らぬ金髪の令嬢と、まるで一般人のような格好をして、手をつなぎ、通路の端を駆け抜けていく。
「アイネ様? え、まさか。ええ?」
間違えた? いや、そんな。十数年仕えた主人を見間違えるはずがない。
でもあの恰好は一体どういうこと? 先ほどの女性は、もしかしたらホテルで大公様が雇われたと言う新しいメイドかもしれない。
大公様に渡すプレゼントを探しに、デパートに足を運んだ?
でもそれにしてもは、なぜ一般人の格好を?
セーラの脳裏に、大量の疑念が沸いた。
何より人目を忍んで歩くような生き方を、アイネが好んですることはないと、元メイドは知っていた。
「アイネ様。一体、なにが?」
そう考えてる間にも、一般人に扮したエリーゼとアイネが足早に通路の向こうへと消えていく。
片手に持っていた土産をその場に置き直すと、自分でも気づかないうちに、セーラもその後を追いかけて走り出す。
先を行く二人に追いつくべく、底の高いヒールで床を掻き鳴らしながら走ると、周囲の金持ちそうな女性たちから、軽蔑の眼差しが送られてくるのが、なんとも言い訳をしたくなるが、いまは我慢するしかない。
そう割り切ってほぼ全力で駆けること、数分。
ようやくアイネの後ろ姿を見つけた! ……と、思ったら金髪の少女がどこにもいない。見当たらない。
「あれ? 見間違い? アイネ様!」
アイネ様、セーラですよ! アイネ様! と大声で叫んでみても、前を行く亜麻色の髪を短くひっ詰めた少女は、駆けるスピードを緩めるどころか、より早く走ろうとして速度を上げていた。
「あーあ、そんなに無理したら、息が持たない」
心配なのは、自分ではない。アイネの体力だ。
普段から側に仕えていたセーラは知っていた。アイネの体力が、老いたヨボヨボの老犬並みに、衰えていることを。
デパートと駅の合間に渡された連絡路を渡り、三階へと続く階段を駆け上がるその背中は、アイネのようであれ? とよくよく見ると、何かがブレて見える。
おかしい、これはもしかして……、と気付いた頃には、見事に人気のない四階の奥まった通路の奥へと、誘い出されてしまった。
「アイネ様ではー……ない、わね。どなたかしら? そのお姿を使うなんて、王室に対する反逆行為ですわよ?」
「貴方もご存じですか、この姿の持ち主を!」
アイネと思しき少女が叫んだ瞬間、その輪郭がぐにゃり、と崩れて別人のものと入れ変わる。
セーラはその技に見覚えがあった。炎の系統に属する、幻炎の魔法だ。ゆらゆらと揺らめく残り火が虚空へと消えて、ようやく本体が明らかになる。
金髪に碧眼の細剣を手にする少女を、セーラは見知らなかった。
ただ相手がそれなりの技量を持つ剣士であることだけは、肌間隔で理解できる。
「参ったなー……。土産に持たされたこれが役に立つなんて……。ご存知というよりも、つい今朝までその御方の侍女でしたが、何か!」
「は? え? 私が侍女なのですが」
「どういうこと? アイネ様はどこですか!」
セーラの叫びに応えて、ポシェットに入っていたアイネが「待って、待ってセーラ! これ間違いだから!」と叫び、慌てて自分を中から出すように、エリーゼに命じる。
エリーゼの手はポシェットに触れると、中からアイネが飛び出してきた。
「あら、あら、あわわっ」
勢いよく現れたのはいいものの、そこは支えも何もない空中だ。
生まれながらにして運動神経に恵まれていないアイネは、浮かび上がった途端、バランスを崩して床に崩れ落ちた。




