侍女エリーゼ
誰……!
視線を彷徨わせると、黒いスカートから伸びる、形の良い太ももがアイネの視界に入ってくる。
女性、と理解するより早く、相手は足を引き寄せると、威嚇するように両手を握り構えを取った。
まだ残っている他の男たちへの牽制をする勇ましい少女は、アイネと同じ年頃に見える。
アイネのブルネットの髪色とは対照的な、混じり気のない金色のそれは見覚えがない。
その下にある凛々しい顔立ちにも、アイネは心当たりがなかった。
数人いたはずの男たちが、突然現れた少女の剣幕に恐れをなしたのか、最初に蹴られて動かなくなった男を室内に引っ張り込むと、めいめいがあっという間に出てきた扉の内側に消えた。
「ご無事でしたか」
「……貴女は、どなた?」
乱れた衣類を直しながら、アイネが不思議そうに顔を傾けると、相手はきょとんとした顔つきになる。
それから何かに気づいたらしい。
辺りから危険が去ったのを確認してから、腰を曲げ、膝を降り、スカートの裾を持ち上げて、一礼する。
その所作の正しさに、アイネは彼女がこの階に住む無法者たちとは違う、自分と同じ世界に住む人間だと悟った。
しかし、あんなことが起きたその直後だ。
心の動揺が落ち着かず、アイネは混乱してしまい、いまどうするのが正しいことなのかの、洗濯ができないでいた。
息を荒くする彼女に向かい、少女は膝をついて手を差し伸べる。
「初めまして、私はエリーゼと申します。王国騎士ロアーの娘でございます。お目にかかれて光栄でございます、シュヴァルト伯令嬢アイネ様。以後、お見知りおき下さい。侍女として仕えさせていただきます」
「あー、ああ……貴女なの……ね。閣下……旦那様からここで落ち合うように連絡のあった、新しいメイドというのは」
「はい。父より本日よりお側にお仕えするようにと命じられました。ああ、それよりは……」
簡単な挨拶を済ませると、ついさっきまでの乱闘が嘘だったかのように静まり返った廊下を、エリーゼはひとにらみする。
まだ油断ができる状況ではないし、ここにいること自体に危険性が伴うことは、自明の理だった。
主人を安全な場所に移動させることをエリーゼは選択し、先にアイネをあの薄汚い部屋に入らせると、後ろ手に旅行箪笥の持ち手を引いて、後に続いた。
自分があれほど頑張っても少ししか動かなかった荷物が、さっさと室内に運び込まれてしまい、アイネは暴漢に襲われたことも相まって二重、三重に驚きを隠せない。
しかし、連日続いた裏切りや友との別れはこれよりも、ある意味、もっと手酷いものだった。
「エリーゼは強いのね……」
「たまたまです。そのように生きるよう、父に仕込まれましたので」
助かったという安堵感。安全な場所に移動できた安心感。
普通なら心が落ち着いて安らかになるはずなのに不思議とアイネの思いは違った。
どんな辛い目にあっても、どんな凄惨な感覚を味わわされても、心がズキリと痛むことがない。
心無い行為に接すれば接するほど、アイネの世界の風景が、モノクロへと。
ただの白と黒へと変わっていく。
金色に見えたはずのエリーゼはいまでは白く輝く豊かな髪をした、凛々しい少女に見えた。
彼女の瞳の色は、多分――青だったはず。
しかし今ではそれも色褪せて見えた。
心が痛い。
狭い室内にたったひとつだけある瑣末なベッドに座り込むと、アイネは自分でも知らないうちに一筋の涙溢れさせていた。




