始まり
十五歳の暴君として有名な第四王子オリビエート。
兄たちはそれぞれ側室の血であり、正室の息子は彼だけだったことから、王位継承権の第一位を国王陛下から賜っている。
彼の粗暴ぶりは、王族でも指折り数えられるほどやんちゃが過ぎていた。
王弟にあたり、ヤクザ大公とも称されるブラック大公の血が混じっているのではないか、と揶揄されるほどだ。
十六歳のある日、婚約者のアイネはちょっとしたことから、オリビエートの不興を買い、自宅で過ごすことを余儀なくされる。
いずれ、オリビエートの機嫌が直れば、彼はやってくるに違いない。
いつものようにちょっとした癇癪を起しただけで、自分を愛おしいと語り優しく接してくれる態度を、アイネは信じていたから、これほどの大事になるとは思ってもみなかった。
そして、破滅の始まりは、いきなりやってきた。
家族全員と家臣がそろった伯爵家の朝食の席。
妹のエルメスがサラダに辛めの味付けをしたドレッシングをかけたのを見て、アイネはちょっと驚いた。
「あら、エルメス。それ……辛いわよ」
自分もレモンなどの果汁を絞りかけることはあるが、辛いものは苦手だ。
妹はどちらかと言えば濃厚な味付けのドレッシングが好きだったと思っていたから、辛口のものは嫌いだろうと思い込んでいたからだ。
「それがどうかしたの、お姉様?」
「いえ、貴方が辛いものをかけるなんて意外だったから」
そう訊かれて、エルメスは手元を見「ああ、これね」と頷いた。
妹の瞳に、アイネの姿が映る。
後ろに赤毛の侍女を侍らせたアイネは、艶やかな亜麻色の髪をアップにまとめていて、瞳の色は薄い水色。
知的な雰囲気を醸しだした落ち着きのある大人の女性だった。
「知らないのは罪ですね」
「どういうこと……?」
妹の形の良い小さな卵型の顔が上下に動く。
白い透き通るような肌に深い緑の瞳、金色一色に混じり気のないブロンドが、彼女の胸元まで垂れていてこれから登校する学院の緑色の上着に、黄金の波をうねらせていた。
まだ十五歳と若いエルメスは、神から与えれた才能に溺れ、自身を特別だ、と考えている節がある。
その考えは態度にまで現れており、エルメスは傲慢な振る舞いをするとアイナは家人からよく耳にしていた。
今もそうだ。
「いえ、お姉様は世間疎いと思っただけです」
「やめなさい、エルメス」
「はい、お母様。お姉様があまりにも、世間知らずだから……ねえ、お姉様?」
エルメスは姉を見下すように見ると、口を閉じた。
辛いドレッシングをサラダにかける理由を思いつかないなんて、駄目な姉だわ、嘲るような口ぶりで。
姉としてはいつかは窘めなければならないと思いつつも、妹は母のお気に入りだ。
口を酸っぱくして言えば、こちらが母親から叱責を受けかねない。
そんなことを考えると、強気になれずにいた。
「まだ私の質問に答えてないわよ、エルメス」
「だからお姉様は鈍感……いいえ、それがどうかいたしまして?」
エルメスは豪奢な容姿の自分と違い、見た目もこれといって特徴がない姉に、どこか試すような態度をして見せた。
いつものことだ、とアイネは目を細める。
学年を飛び級して自分と同じ六年生に上がってきたその賢さは、他者に敬意を払えるまでには至らない。
妹は、有り余る才能に、振り回されて誰に対しても優越感を滲ませる。
「知らないのは罪、その下りの説明をなさい」
アイネは姉として、威厳も保つべく、妹をしかりつけるような態度で挑んだ。
それを仔犬が吠えているかのように受け流すと、面倒くさそうにしながらエルメスは説明する。
「ここ二週間ほど、よく口にするようになりました」
「そうだったかしら。どこで口にしたの」
「学院の食堂で、先月くらいから提供されるようになりましたよ。わたしも少し頂いて、それから好きになったのです。いつも食べているレモンなどをかけた物や、調味料を混ぜ合わせたドレッシングも美味しいですが、これもピリッとしていて好きになりました」
「へえ‥‥‥」
アイネは王太子の婚約者で、彼の使う王室専用の食堂に、赴くことがほとんどだった。
朝、夜と屋敷でとる食事の席は共にするが、昼間に学院でとる食事は身分の違いもあって別々になる。
その意味では、エルメスの言う世間は、「王族以外のすべて」に限定されることになる。
いま、アイネは寝る以外に日々の時間をほとんど、王太子と共に過ごしていた。
まるで行き来はするけれど、別々の家に住んでいるようなものだ。
他家の常識など、王族に近しいアイネが知るはずもない。
「お姉様はご存じありませんでした?」
「知らないわ。お昼は殿下と共にすることが多いし、食堂も貴族、平民とそれぞれ分かれているから。王族の食べる食堂は更に別だし」
「そういえば、そうでしたわね。殿下がお好きということで、一般貴族のメニューにも載るようになったと聞いています」
今度はアイネが思い出す目になった。
自分の婚約者。この国の王太子であるオルビエートも、同じような味付けが好きだったことを。
しかし、彼がそんな提案をしたと聞いたことは、これまで一度もなかった。