大公ブラック
去っていくロアーの背中がドアの向こうに消えると、部下の一人がそっと耳打ちする。
この賭場を管理する侍従長のフォビオだった。
このまま帰宅させてもよいかどうか、部下には迷いが見えた。
「閣下、宜しいのですか」
「構わん。今すぐでなくても、処分する機会はいつでもある。それよりも――」
「下手なことを口走らないようにすること、ですか」
「そうだ。殿下は毎年、国内の視察に回られる。王国の西側に当たるここには、数年に一度程度の視察になるだろう。それにしても、厄介だ」
「いかがいたしましょうか。あの男には妻と娘もおりますが」
そう部下に告げられて、大公は首を捻る。
女。
それは悪くない。
いつの時代も、娘や妻といった存在は、夫をうまく利用するために役立ってくれる。
「娘を手に入れろ。奴が文句を言えば債務を取り立てるとうまく言え。ああ、だが待て」
「なにか」
「何歳だ? あまりにも幼いのでは話にならん」
「今年、十六歳だとか」
「ほう」
大公の口元が結ばれた。
難しい考え事をしている時の、彼の癖だった。
彼は椅子に深く腰掛けると、侍従が用意した葉巻をくゆらせる。
その口から吐き出された紫煙は、ゆっくりとこの地下室の空へと上り、黒い闇に溶け込んでいった。
「その娘だが」
「はい、閣下」
「どんな素性だ」
「元、王女様の主催する少女騎士団の一員だとかで、いまは王都にいると」
「あれが……俺の妻がくるだろう。翌週になると聞いている」
「アイネ様、でしたか。そのように伺っております」
「元少女騎士団の女なら、礼儀作法も詳しいだろう。侍女として付けておけ‥‥‥なあ、フォビオ」
大公は再び葉巻をくゆらせると、侍従長の名を呼んだ。
彼より数歳上で六十を越えた黒髪の男性は、静かに腰を折り主人に向かって一礼する。
ブラックは何かを後悔ように、今先ほど出て行ったロアーのことを考えていた。
「お前は俺に仕えてどれくらいになる」
「もうかれこれ、半世紀は経過しましたかと」
「その間ろくでもないことばかりやってきた。妻など、家を任せるばかりで振り向いてやることもなかった」
「珍しいことをおっしゃいますね」
「……あのロアーの家族をさらうぞと脅した時の慌てぶり‥‥‥。あれを見て、俺のやってきたことで、これまでの妻たちに冷たく当たりすぎたかもしれん、と。ふと思った。夫とは、家族を第一に考えるものだな、としたたかに教えられたよ」
「皆様、既にお亡くなりになっていらっしゃいます。ご病気の方もいらっしゃいました。閣下のせいではないかと思われます」
「しかし現に、息子や娘たちには嫌われている。俺はそれほど酷い男か?」
「どうでしょうか。このフォビオも同じ道を歩んだ身。お返事ができかねます」
「そうか‥‥‥」
ブラックは三度葉巻を深く吸い込むと大量の白い塊を吐き出す。
そこには彼の後悔がたくさんたくさん籠っているように、執事長には見えた。




