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幸運の白い蜘蛛〜元ホームレスの俺は、虐げられ系令嬢にTS憑依して人生を謳歌する〜

連載物を書いている途中に、王道書きたい病にかかって書いた作品です。


目を覚ますとそこは、汚いが雨風凌げる屋根がある場所だった。


はっ? ここどこ?

さっきまで俺、確かゴミ漁ってたよな。


俺の困惑を無視するように、バタンと何の遠慮もなく扉が開けられた。そこには、正にメイドというような出立ちのコスプレ女が不服そうな顔をして突っ立っていた。

俺と女の目が合った時、失礼なことに女はきゃーと悲鳴をあげた。


「生き返った!」


コスプレメイド女の声に、ぞくぞくと大勢の人が集まってきた。皆一様に、目を丸くしている。その中から、一際派手で恰幅のいい中年が出てくる。俺のことを見て眉を顰めると、男は「化け物め」という非常に失礼な言葉だけを残して出て行ってしまった。

それを合図に、集まっていた人々は困惑しながらも解散したのだった。







それから、数分後、悲鳴を上げたコスプレメイド女が何事もなかったのかのように、お皿片手に再びやってきた。


「アンナお嬢様、朝ごはんの時間です」


そうぶっきらぼうに言って、今にも壊れそうな机の上にドカンと置かれた食べ物は、正体こそよくわからないが、量だけはあったので俺としては有難かった。


「あっ、いいんですか? ありがとうございますっ!」

「はっ?」


今まで馬鹿にしていたような顔をしていたコスプレメイド女が、今度は怪訝そうな顔になった。


「あの、すいません。スプーンとかは、無いんですかね?」


俺の言葉に、コスプレメイド女は再び意地悪そうに笑う。


「あら、アンナお嬢様にスプーンは必要ありませんでしょう。死人なのですから、手でお食べになれば?」

「あっ、そうですよね。流石にスプーンは贅沢ですね。そうします」


得体の知れない食事を手で、躊躇なく口に運んだ。すると、コスプレメイド女は信じられないものを見るように顔を歪めて部屋からさっさと出て行ってしまった。

それにしても、この食事‥‥‥美味い! 美味すぎる。なんか、高級な味がする。

金持ちの家の三角コーナーみたいな味がして、非常に美味い。

いやぁ、ゴミ漁っても無いのにこんなに美味い飯が食べれるなんて、俺の運も此処までだな。

夢中になって皿の端から端まで、舐め終わった時、漸くなんかおかしいなって思考になった。


そもそも、この場所を知らないし、さっき暴言を吐いてきた男のことだって知らない、それに気のせいかも知れないが今日は肌の調子も頗る良い。

はて? と首を傾げながら側に置いてあった鏡を見れば、なんとびっくり、そこには国をも傾けそうな十代後半くらいの美少女がいた。

金色の髪に青い瞳、桜のように真っ赤な唇、おまけにぷるっぷるの肌の美少女は、驚いた顔まで可憐だった。

思わず自分の顔を触る。すると、鏡の中の少女も同じ動きをした。目をパチパチと動かす。少女も動かす。


此処までくれば、如何に馬鹿な俺でもわかった。この少女、もしかして俺なのでは?


そう思った瞬間、頭にどっと大量の情報が流れ込んできた。


そうだ、俺はやっぱりゴミを漁ってたんだ。目覚める前、俺は食べ物を探すためにゴミを漁っていた。何故かって、それは俺が目覚める前ホームレスだったからだ。

目覚める前の俺は、高校生でひょんなことから不登校の引きこもりになったのだが、養ってくれていた両親が不慮の事故で他界。

その後、暫くは親の残してくれた貯金でやり過ごしてきたものの、軈て学費が払えなくなり、中退。住んでいたアパートも家賃が払えなくなると、出て行かざる終えなかった。元引きこもりの俺は家を失った後も、働く勇気が出ず、そのままホームレスになったのだ。

そして、これが一番重要なことなのだが、目覚める前の俺は、男だった。


この鏡に映る美少女──多分現在の俺の姿──は、もしかして所謂男の娘というやつで、性別は男なのだろうか。


一縷の望みを欠けて、俺はすまんと謝りながらボロ雑巾のように汚いワンピースの中に手を突っ込む。


──結論から言おう、無かった。


何がとは敢えて言わないが、察してくれ。無かったのだ。

ちょっと待て、これはもしかして引きこもり時代に散々読んだネット小説のトレンド設定、憑依というやつでは無いだろうか? 

もしかして、この美少女に憑依したのか?

だとしたら、前の俺は死んだのだろうか。ごみ漁りながら死んだとしたら、可成り悲しい最期だぞ。

それとも、夢を見ているのだろうか?

ていうか、もしこれが夢じゃ無かったとしたら、俺はこの先女の子として生きていくのだろうか?

いやぁ〜ん、俺、どうなっちゃうの〜!


「はぁ」


自分のあまりの馬鹿さ加減に溜息が出る。


「嗚呼、もう駄目だ! 考えるのやめ! 寝よう」


折角、ベッドがあるのだ、寝ないでどうする!

横になったベッドは、軽いであろう俺の体重をかけるだけでギシリと歪んだ音を出したが、布団で寝ること自体が久々の俺にとってみたら天国のような寝心地であった。





───────────────────





人間とは、慣れるものである。


最初は、女の子ということに困惑した俺も、一ヶ月も経てば何の問題もなくなっていた。

いや、寧ろ、この家はなかなか住み心地がいい。

飯は相変わらず何かの残飯だし、部屋はいつ壊れても驚かないくらいの汚さだが、元ホームレスの俺にとっては豪華なくらい。


そして、この一ヶ月で俺は徐々に、この体の本来の持ち主であるアンナの記憶を思い出してきた。

この少女の記憶によると、信じられないがこの家は由緒正しき伯爵家の貴族らしい。そして、もっと信じられないのが、初日に暴言を吐いてきたデブ男、あれアンナの父らしいのだ。


お察しの通り、アンナは父とは違って美しく、聡明でお淑やかだったために侯爵家のご子息ウールとの婚約が母の紹介で早々に決まったらしい。だが、その婚約者、とんだクソ野郎だった。あろうことか、アンナの妹であるユリリンと浮気しやがったのだ。

そして、アンナとの婚約を一方的に破棄し、ユリリンと婚約すると宣言したのだ。両家の当主は、姉でも妹でも家としてのつながりは変わりはないからと、それ程反対もせずにウールとユリリンの婚約を認めたのだった。


そこまではまぁいい。寧ろアンナが浮気男なんかと結婚しなくてよかった。だが、問題はそこからだ。

何を思ったのかあのクソ親父、婚約破棄された令嬢など恥ずかしくて外に出せんとアンナを地下倉庫に監禁したのだ。それについては、本当に意味がわからない。

だって、婚約破棄を承諾したのは当主であるお前じゃん? 妹のユリリンとウールの婚約を認めたのもお前じゃん? なに今更、恥ずかしいとか言ってアンナのこと監禁してんの? 

情緒不安定なの?

とまぁ、こんな風に悪態をついてみたが、本当は監禁の理由なんて想像ついてる。恥ずかしいなんて表向きだ。

あのクソ親父、実の子でないアンナのことをずっと邪魔に思っていたのだ。実はアンナとクソ親父に血のつながりはない。アンナの実母は二回目の結婚だった。つまりアンナは連子なのだ。

アンナの実母は彼女のことをとても可愛がっていた。実母がアンナの婚約者を探したのも、アンナがこの先、幸せになれるようにとの計らいだ。

だが、クソ親父の方はアンナを虐げてばかりだった。そして、それは実の子ユリリンが出来ると更に酷くなっていったのだ。それでも、アンナが正気でいられたのは実の母という味方がいたからだ。しかし、その唯一の味方もいなくなってしまった。


一ヶ月程前、その母が病死したからだ。


そのせいでアンナは正気を保てなくなったのだろう。この首についた赤黒い縄の跡が、いやでもアンナの決断を教えてきた。

胸糞の悪い話だ‥‥‥。

その時、ドカンといつかと同じように扉が躊躇なく開けられる。

そこには、思った通り妹のユリリンが立っていた。


「姉さん、今日も相談に来ちゃった! ねぇ、ウエディングドレスこれとこれならどっちがいいと思う?」


妹のユリリンは、一週間に一度は俺の元に来て、結婚式の相談をしてくる。嫌がらせのためにわざわざこんなところまで来るなんて、ある意味努力家だ。

まぁ、それはそれとして、ムカつくからドレスは一番ダサいのを選んでやろう。


「これとか、いいんじゃない?」

「へぇー、姉さんにしてはいい趣味してるわね」

「‥‥‥」


マジか。

このド派手、ゴテゴテ、虹色の黄金虫みたいなデザイン、この妹は好きなのか。まぁ、あれだな、人の趣味は色々だな。


「それにしても、ウール様との結婚式、ユリリンすっごく楽しみだわ。姉さんも、その日だけはそんな汚い格好しないでよね。ウール様に幻滅されちゃうんだから」

「‥‥‥うん、気をつけるね」

「って言っても、姉さんにはその服以外無いけどね! あはははっ」


全くこの妹は‥‥‥。

何でもいいから、早く出ていってくれ。俺の引きこもりライフの唯一のストレスは、飯が残飯なことでも部屋が汚いことでもなく、間違いなくこの妹だ。

そんな風に思っていると、俺と妹の間に白い塊が垂れてきた。何かと思ってよく見てみると、それは白くて小さな蜘蛛だった。

妹も気がついたのか、上機嫌だった顔が、みるみるうちに青ざめていく。


「きゃー! 蜘蛛だわ!」


大騒ぎしながら、部屋を出て行った隙に蜘蛛をそっと手の中に隠した。蜘蛛は警戒して手から出ようと動き回っていたが、そっと手で包んで逃げないようにした。

数分もしないうちにユリリンが、思った通り護衛騎士を伴って帰ってきた。


「蜘蛛よ! 我が屋敷に蜘蛛が出るなんて許されることではないわ! すぐに始末なさい!」


この国で、蜘蛛は地獄の使いと言われており、見つけたら即刻始末しなければ、その家に不幸が齎されると言う言い伝えがある。

前の世界では、蜘蛛がいてもなるべく殺さない方がいいみたいな言い伝えがあったから、俺からすると何だか不思議な感じだ。

この国はその言い伝えを信じる人がかなり多く、お察しの通り義父も義妹も、その言い伝えを熱心に信じていた。

例え、出没したのが俺の部屋でも、ユリリンは始末しないと気が済まないらしい。

お陰で蜘蛛が出る度に屋敷は大騒ぎだ。


「ユリリンお嬢様、蜘蛛はどちらに?」

「姉さんの前あたりよ! よく見なさい!」


護衛騎士は、私の方へ近づくとキョロキョロと辺りを見回した。だが、暫くすると不思議そうな顔をしてユリリンに目を向けた。


「ユリリンお嬢様、見当たらないのですが‥‥‥」

「はっ? そんなはずないでしょう!」


いなくて当たり前だ。

だって、蜘蛛は俺の手の中にいるんだから。

そんな事情を知らないユリリンは、不服そうな顔をして護衛騎士の元までドカドカと来ると、辺りを見回した。


「姉さん、蜘蛛は何処へ行ったの?」

「そういえば、さっき、二人が来た時にその扉から、小さい埃みたいな物が出て行ったような‥‥‥」

「なんですって! この部屋から出た!? すぐに見つけて始末するわよ‥‥‥ちょっと、何ボヤッとしているの。すぐに屋敷の者を全員集めて、捜索なさいよ! 本当に気が利かないのだから!」


ユリリンの叱責に護衛騎士は、慌てて部屋から出て行った。その背中をユリリンもゆっくりと着いて行く。漸く出て行ったと一息つくと、それを見越したようにユリリンは振り向いて、蔑んだ目で睨みつけてくる。


「蜘蛛が出たというのに、顔色ひとつ変えないなんて、姉さんって本当に気持ち悪い」

「‥‥‥」


ユリリンは、それだけ言うと今度こそ出て行った。

本当に嫌味な奴で困る。

ふと鏡に目をやると、その中には憂いを帯びた表情の美少女がいた。


「気持ち悪いなら、放っておいてくれればいいのにな」


そうすれば、俺だって、学校に行けたかもしれない‥‥‥手の擽ったさで、中の存在を思い出す。

手の中にいた蜘蛛を窓からそっと出してやる。蜘蛛はピョンと飛んで、壁にへばり付いた。早く何処かへ行けばいいのに、壁に張り付いたまま俺の近くまでモソモソと寄ってきた。その様子が無性に可愛く見えて、指でつつくとそれに応えるようにゴニョゴニョと蜘蛛特有の前足を動かした。


人懐っこい奴だなぁ。


「お前、もうこの家に来るんじゃねぇよ」


俺は蜘蛛から指を離すと、窓を閉めた。





───────────────────





「ったく、もう来るなって言ったはずだがな」


俺の目の前には、いつかのようにまた白くて小さな蜘蛛が垂れ下がっていた。


「お前、あの時と同じ蜘蛛か?」


俺がそう言うと、蜘蛛はまるで答えるようにぶら下がりながらユラユラと揺れた。


「全く‥‥‥言っとくが、俺がお前を助けたのは、ただの気まぐれだからな。同じ状況になったって、今度は助けてあげねぇかもしれないからな」


俺の言葉なんてどうでもいいと言わんばかりに、蜘蛛はぶら下がりながらクルクルと回っている。唐突に蜘蛛に対して真剣に話していた自分が、阿呆らしく感じた。

はぁ、と溜息をひとつついた時、バタンとまた無遠慮に扉が開けられる。俺は、反射的に蜘蛛を掴むとポイっとベッドの方へ投げた。

メイドは特に何も言うこともなく、嫌そうな顔をしながら机の上に食事を置いて出て行った。


ベッドの方を見ると、蜘蛛は何を血迷ったのか巣を張ろうと口から糸を出しているではないか。


「お前な、言っとくが、この家だけはやめとけ。みんながみんな、俺みたいに優しいわけじゃねぇんだぞ」


俺は、蜘蛛を捕まえると窓から外へ出した。

が、蜘蛛は俺が窓を閉める前に、ピョンと部屋へ入ってきてしまう。

その攻防戦を十数回は繰り返した。


「‥‥‥お前、しつこいって言われたことないか?」

「‥‥‥」


当たり前だが、蜘蛛は何も話さなかった。


「ったく‥‥‥蜘蛛の巣作るなら、目立たないようにベッドの裏とかにしとけよ」


そう言った瞬間、蜘蛛はピョンピョンとスキップするみたいに飛び跳ねて、ベッドの裏へと入って行った。


「彼奴、人の言葉でもわかんのか‥‥‥まぁ、偶然か」


こうして、引きこもりの俺に同居蜘蛛ができたのだった。





───────────────────





蜘蛛と暮らし始めてから、暫く経った。いつまでも、お前と呼ぶのも何か失礼なので、俺は蜘蛛に「蜘蛛之助(くものすけ)」と名付けることにした。

安易だなんて言わないでくれ、俺が一番わかってるから。

それでも、蜘蛛本人(?)はこの名前を気に入ってくれたらしく、呼べば何かしらの反応を返してくれた。


「蜘蛛之助、ご飯だぞ〜」


そう呼び掛ければ、ピョンとどこともなく現れた。前から思っていたが、蜘蛛之助は人の言葉を理解しているような行動をとる。

俺が思っている以上に、この世界の蜘蛛は頭がいいのかもしれないな。

今日も出された残飯のような食事を貪る。指に少しだけつけて、蜘蛛之助にも差し出した。すると、慣れたように俺の指に乗って前足をこしょこしょと動かして食べ始めた。食べる様子は、此奴の可愛い仕草のひとつだ。思わず笑顔になってしまう。

最初はこんなべちょべちょした物食べれるのか? と思っていたが、蜘蛛之助は驚くほど器用に食べた。

蜘蛛之助に食べさせながら、もう片方の手で自分も食べる。


「そういえば、聞いてくれよ、蜘蛛之助」


俺は食べながら蜘蛛之助の方を見る。

元々多かった独り言は、蜘蛛之助の存在で更に多くなった。


「俺が憑依前はホームレス男だったって話はしたよな」


蜘蛛之助は、頷くようにピョンと跳ねる。


「その時、風呂とかも満足に入れなくて、公園の水飲み場とかで体とか洗ってたんだけどさ、もう肌とか荒れたり、垢とか付いたり、臭いとかも取れなくて大変だったんだ。でも、今の俺を見てくれよ」


俺は、蜘蛛之助に対してふふんっと胸を張った。今の俺は、風呂事情に関しては偶に水で拭くくらいと、ホームレス時代とあまり変わらない。だが、肌の調子は全く違った。

まず、この美少女、体に垢が貯まらないし、水でしか拭いていないと言うのに体臭も気にならない。そして、何より肌が全く荒れない。

ぷるっぷるのツヤッツヤだ。へたしたら、引きこもり時代の毎日風呂に入っていた頃より、調子がいい。


「俺さ、引きこもりん時、ネット小説とか漫画で虐げられ系ヒロインの話とかよく読んでたんだよな。そういうヒロイン、大体皆んな美人でさ、汚い環境で風呂も碌に入ってなさそうなのに肌とかも全然荒れてねぇんだよ。ホームレスになった時にそういうヒロイン思い出して、不思議に思ったもんだよ。

でも、今ならわかる。虐げられ美少女ヒロインの毛穴からは、多分自動で化粧水とかが噴出しているんだな」


俺は、半ば本気でそう思っている。

そうでないと、この肌質はあり得ない。

この乾燥を全くしない潤った肌。だからといって、油ぎっているわけではない、艶やかとそう表すしかない肌。

そしておまけに、透明感があって、霞んでもない色白ときている。


「この肌は、全人類にとって理想だよな。本当、俺、こんな美少女に憑依出来てよかったよ」


今俺は、最高に幸せだ。

働かなくとも出てくる食事、汚い環境でも美しい自分、蜘蛛之助という此方の世界で出会った可愛い同居蜘蛛。


だからこそ、罪悪感がある。


この体の本当の持ち主は、どうしているのだろうかと、幸せを感じる度に思い出すのだ。


鏡の中の美少女と目が合う。

眉を下げた情けない顔も、アンナがすると美しかった。

実母を無くして絶望したアンナにも、今ならこの蜘蛛之助っていう同居蜘蛛が付いてるぞ。此奴はしつこい所もあるが、賢くて可愛い奴だ。きっと、お前の味方になってくれるはずさ。


「アンナ、戻りたくなったら、いつでも戻って来いよ」


食事を終えたらしい蜘蛛之助が、ピョンと跳ねて鏡へくっ付いた。





───────────────────





その日は、ユリリンとウールの結婚式当日だった。流石のクソ親父も、俺をこんな汚いままで参列させるのは不味いと思ったのか、今俺は久しぶりに風呂に入れられている。

婚約破棄された相手を結婚式に呼ぶなとまず思うが、まぁ、風呂は嬉しい。

久しぶりの風呂をたっぷりと堪能した俺は、脱衣所で服を着ようと籠の中を見る。

そこには、いつも着ている汚いワンピースしか入ってなかった。


「おかしいなぁ。結婚式用のドレスを置いとくって話だったんだけど」


もしかして、騙された? 

結婚式にこんな汚いワンピースで参列したら、この家が恥をかくもんだと思っていたから、クソ親父の言葉でも信じたんだが‥‥‥。


「あのクソ親父、家の面子よりも俺への嫌がらせを選んだのか?」


彼奴ならあり得そうだな。


俺は、渋々、いつもの汚いワンピースに身を包んだ。折角、洗ったのに、これじゃあ台無しだ。

そう思いながらも、いつもの地下倉庫へ戻ると、扉の前に溢れんばかりの人だかりがあった。俺は、驚きつつも人混みをかきわけて、部屋に入ろうとした。

その時、護衛騎士たちに羽交い締めにされて動けなくなる。


「ちょ、ちょっと、離してください」

「何人たりともこの部屋へ入れるなとのことだ」

「そんな此処は、私の部屋ですよ。一体誰がそんな勝手なこと‥‥‥」

「ユリリンよ、姉さん」


声のした方向を見ると、虹色の黄金虫みたいなウエディングドレス姿のユリリンがいた。彼女の姿を認めると、大勢いた使用人たちは恭しく俺に続く道を開けていく。ユリリンはその道を優雅に歩いてきた。

隣には、ユリリンのウエディングドレスに合わせたクソダサい格好のウールもいる。彼はと言えば、元婚約者が羽交い締めされているのにも関わらず、薄ら笑いを浮かべていた。


「ユリリン、どうしてこんなことを?」

「あら、これは我が家のためよ。あの日、姉さんの部屋で見た蜘蛛。彼奴、家中何処を探してもいなかったわ。まぁ、他の蜘蛛が何匹かいたから、始末させておいたけど、あの気味の悪い白い蜘蛛は何処にもいなかったのよ。

あと探してないのは此処、姉さんの部屋だけ」

「し、白い蜘蛛」


それは、確実に蜘蛛之助のことだ!


「此処にもいないよ。蜘蛛なんて、外に逃げたんだよ」


俺は、なるべく冷静な声を出した。焦れば悟られてしまうかもしれないと思ったから。

だが、ユリリンは俺を一瞥すると護衛騎士たちに指示を出した。


「端から端まで探しなさい! ユリリンの結婚式ですもの。蜘蛛なんて縁起の悪い物は、処分よ!」

「ユリリン、蜘蛛なんていない、いないから、探すのは辞めさせてよ」


ユリリンは、俺を無視することに決めたらしい。何を言っても、嫌味の一つも言わなくなった。その間にも、護衛騎士たちは部屋の隅々まで探し回っていた。

これでは、ベッドを動かすのも時間の問題だ。

俺は、今の自分が出せる最大の力を使って、羽交い締めしている騎士に抵抗した。だが、ビクともしなかった。


くそっ! 俺はなんて非力なんだ。


そして、遂にその時がやってきてしまった。

ベッドが動かされてしまったのだ。

俺はより一層暴れる。


「やめろ! やめてくれ!」

「そのベッドよ。そこを徹底的に調べなさい」

「ユリリンお嬢様、蜘蛛の巣がありました‥‥‥いました、ベッドの下に張り付いていました」


ひとりの護衛騎士がそう呟いた時、ベッドの下から白い塊がピョンと跳ねた。


「蜘蛛之助!」


蜘蛛之助は見つかっても尚、必死に逃げていた。ピョンピョンと俺の元へ向かって、飛び跳ねてくる。俺を羽交い締めしていた護衛騎士が、蜘蛛に怯えて一瞬力を緩めた。

俺は、その隙に拘束を解き蜘蛛之助に向かって手を伸ばす。

だが、無情にも蜘蛛之助は俺の目の前で、捕まった。蜘蛛之助を最初に見つけた護衛騎士が、麻袋の中に閉じ込めてしまったのだ。


「蜘蛛之助‥‥‥」

「ユリリンお嬢様、捕獲いたしました」

「よくやったわ。なら、その気色悪い蜘蛛は、処分なさい」

「畏まりました」

「頼む、頼むから、蜘蛛之助を殺さないでくれ! 其奴は、悪い奴じゃないんだ。殺さなくたって、逃してやればいいだろう!」


俺は、騎士に縋りついた。みっともなくても構わなかった。


「まぁ、姉さんたっら蜘蛛に名前をつけて可愛がるだなんて、正気の沙汰じゃないわね。それとも、化け物同士、傷の舐め合いでもしていたのかしら‥‥‥ふふっ、本当に気持ち悪い。

こんなのが、義理とは言え姉だなんて信じられないわ」

「頼む、彼奴を逃してやってくれ」

「まだそんなこと言うの? 蜘蛛を匿うなんて、お父様が知ったら大変ね」

「その通りだ」


ユリリンの言葉に反応するように、クソ親父がやってきた。クソ親父は、心底軽蔑した目を俺に向けてくる。


「まぁ、お父様、来てくださったのですね」

「嗚呼、騒がしかったからな。それで来てみたら、この有様だ。アンナ、今回のことでほとほと愛想が尽きた。お前とは、今この瞬間、親子の縁を切る。二度と私の前に現れるな。

直ちに出て行け!」

「‥‥‥わかった、出て行く。だから、蜘蛛之助は俺に返してくれ」


この引きこもる家を失うのは痛いが、蜘蛛之助に比べればマシだ。家なんて、また探せばいい。だけど、蜘蛛之助の代わりは何処にもいないんだ。

また家族を失うなんて、絶対に嫌だ!


「本当に俺はどうなってもいい。だけど、蜘蛛之助だけは助けてやってくれ」

「‥‥‥ふんっ、言葉まで醜くなりおって。何故、私がお前の頼みを聞かなければならんのだ。その薄汚い蜘蛛を、即刻潰せ!」

「やめろ、やめてくれ、頼む、やめてくれよ!」


蜘蛛之助を持った護衛騎士が、麻袋の上から潰すように手を動かした。俺は、止めようと騎士の腕に掴みかかったが、美少女のか弱い体では何をすることもできなかった。


「やめろ! 本当に死んじまうよ!」


瞳から一粒涙がこぼれ落ちた時、騎士の持っていた麻袋が夥しい光を放った。思わず目を背けると、次の瞬間、部屋は静寂に満たされていた。

そっと目を開けると、そこには不思議な光景が広がっていた。

俺以外の周りにいた人たちが、全員床で眠るように倒れていたのだ。それだけでも不思議だが、俺を更に困惑させたのは汚部屋の中心に立っている見慣れない青年の存在だった。

俺の視線に気がついたのか、青年は此方を振り向いた。

白く長い髪を一本に纏めた青年は、男の俺の目から見てもとんでもない美形だった。そしてその髪が、窓から差し込む日の光を浴びて、キラキラと光っており、更に青年の美形度を上げていた。

陳腐な例えだが、絵の中から出てきたような芸術的な美形だ。

燃えるように赤い瞳と目が合う。

その瞳が、何故だか優しげに細められて、俺は居た堪れなくなった。


「お、おい、蜘蛛之助を何処へやったんだ」

「ふふっ、此処にいるじゃないか」


美青年は、面白そうに笑いながら自分自身を指差した。


「はっ? 嗚呼、もう良い。突然現れたお前に聞いてもわかるはずないよな。自分で探すわ」


美青年の足元に落ちていた麻袋の中を覗き込んだが、そこには何もいなかった。


「ねぇ、アンナ。今の私を見てくれよ」

「はっ?」

「私、とても美しいだろう」


なんだ此奴、顔の良さを理解している系美形か。


「あのさ、悪いけど、俺、今マジで急いでるんだわ」


俺は、男の言葉を流して蜘蛛之助を、また探した。何処にもいない。

賢い奴だったから、この騒ぎに乗じて逃げてくれただろうか。


「君の言った通り、美しい者の毛穴からは常に化粧水が湧き出ているのかもしれないね。私は、この二年間、蜘蛛として生き、殆ど風呂など入っていなかったのに、肌は全く荒れていない。ふふっ、確かにこの肌は全人類の理想かもしれない」


その言葉を聞いた瞬間、俺は美青年の方へ振り返った。だって、その話は蜘蛛之助にしか話したことがなかったから。


「嘘、だろ‥‥‥」

「こんなくだらない事で嘘はつかないさ。これでも、私は多忙でね」

「本当に蜘蛛之助、なのか?」

「嗚呼、君の蜘蛛之助だよ」


青年の広げた腕に思い切り飛び込む。見た目よりもガッチリとした体は、俺が飛び込んでも問題なく受け止めてくれた。


「よかった! 蜘蛛之助が生きててくれて、本当によかった」

「‥‥‥心配かけたようだね」

「当たり前だろ。お前が潰されちまったのかと思って、俺がどれだけ焦ったか。蜘蛛之助がいない生活なんて‥‥‥俺、もう考えられねぇよ」


頭上から「ふふっ」と笑う声がして、見上げれば青年がニコニコと楽しそうに笑っていた。此方は生きた心地がしなかったというのに、なんで此奴はこんなに楽しそうなんだ。


「もう、何笑ってんだよ‥‥‥あれ?」

「どうかしたのかい?」

「いや、お前、人間に戻れんなら、どうして今まで戻らなかったんだよ」

「戻りたくても、戻れなかったのだよ」

「はぁ? どういうことだよ。お前、何者だ?」


俺の言葉に青年は苦笑いを浮かべると、俺をそっと離して佇まいを整えた。


「これは失礼した、アンナ嬢。名乗りもせずに触れたこと心より謝罪する。申し訳ない」

「いや、別にそんなことはどうでも良いけどさ、なんか、今更って感じだし」

「寛大な心に感謝しよう。私の名は、アリステア・スレニット。二年前に失踪したこの国の第二王子といえば、わかってもらえるかな?」

「第二王子!? ってか、お前‥‥‥いや、スレニット様、二年前に失踪してたのか?」

「アリステアで構わないよ。そうか、君はつい二ヶ月前にアンナに憑依したから、わからないのか」


アリステアのその問いかけに、俺は首を縦に振った。アンナ自身のことは、ほぼ思い出せているが、この国の細かい事情まではまだよくわかっていない。


「そんなに不安な顔しないでくれ。大丈夫、私が教えてあげるからね。端的にいえば、私は二年前、視察の帰りに王家に反感を持つ者から誘拐されたのだよ」

「誘拐!? そりゃあ、また物騒な話だな」

「恨まれることも多い立場だからね。当時は、大騒ぎで捜索してくれていたみたいだが、今日まで見つからなかった。私が蜘蛛にされていたとは、誰も思わなかったようだね」

「そりゃあ、誰も思わないだろうな。話を聞いてる俺でも、訳分からん」

「信じられない話だと思うが、私を誘拐した者の中に魔女がいたのだよ。そして、私はその魔女に呪いをかけられた。この国で忌み嫌われている蜘蛛に変身する、呪いをね。恐らく、それで私を失脚させようとしたのだろう」

「‥‥‥王族って、大変なんだな」

「有り余る権力や地位には、苦労が伴うものだよ‥‥‥まぁ、それはいいとして、その呪いというのが中々に厄介なものでね。呪いを受けた対象者が、一番難しいと思っていることを成し得た時、呪いが解けるという仕組みになっているのだよ」


まるでユリリンの如く、嫌らしい呪いだ。


「因みにアリステアは、何が呪いを解く条件だったんだ?」

「嗚呼、私の場合はね‥‥‥人を助けたいと思う感情を抱く、ということだった。王族の私には、人のことを考える余裕なんて、とてもなかったのだよ。本来、国民のことを第一に考えねばならないのにね。勢力争いで何度も命を狙われた私にとって、人を助けたいなんて感情、邪魔でしかなかった。そんな甘い考えでは、殺されてしまうからね」

「アリステア‥‥‥」

「私のその思いは、蜘蛛になったことによってより悪化したよ。なんせ、今まで擦り寄ってきた連中も、蜘蛛の私にはまるで違う対応だったからね‥‥‥でも、アンナ、君だけは違った。君だけは、最初から私のことを助けてくれたね」

「‥‥‥前にも言ったろう。ただの気まぐれだよ。偶々だ」

「それでも、有り難かったよ。だから、この家に住むって決めたのさ。最初は、私の命を狙わないから都合がいいと思っていただけだったけど、段々と君と過ごす日々が楽しくなってきてしまってね。君と過ごせるのなら、別に蜘蛛のままでも良いとまで、思うようになったのだよ」


穏やかに笑うアリステアは、つい先ほどまで物騒な話をしていたとは思えないほどだった。


「なら、どうして呪いは解けたんだ?」


アリステアの言っていることが本当だとしたら、彼は誰かを助けたいと思ったということになる。なにか、きっかけがあったと思うが、全く見当がつかない。

小首を傾げる俺を、アリステアは信じられないくらい優しい目で見つめてきた。

その視線は、なんか、説明出来ないけど恥ずかしくなるからやめて欲しい。


「‥‥‥君だよ。君を助けたいと思ってしまったのだよ」

「はっ? 俺?」

「私は、蜘蛛のまま君とこの汚い部屋で、残飯を食べて一生を過ごしても、一向に構わなかったよ。だけど、君が、自分の危機というのに私の方を優先するようなことを言うから、思わず助けてしまいたくなったんじゃないか」

「えぇ‥‥‥俺なんか、責められてる?」

「感謝しているのだよ。君は命の恩人だ。ありがとう」


深々と頭を下げる姿に俺は、何ともいえない気持ちになる。


「命の恩人なんかじゃねぇよ‥‥‥今回だって俺は何にもしてねぇ。俺はお前が、蜘蛛之助が殺されそうになっても、何もできなかった。お前が人間に戻れたのだって、お前の感情のおかげだろう。結局、お前を救ったのは、お前自身だよ」

「その感情を引き出したのは、他でもない君だ。君の心優しさが、私を動かしたのだから」

「俺はさ、お前が言うような出来た人間なんかじゃねぇよ‥‥‥俺は、自分のことすら満足に出来ねぇのに、人にお節介を焼いちまう。人のことに首を突っ込むなら、自分をどうにかしろって感じだよな。本当は、俺だってわかってるよ。

でも、いざ働こうとか外に出ようとか、そう思うと怖くてよ。人と関わって、また前みたいになったらどうしようって‥‥‥怖くて怖くて仕方ねぇんだわ。それで、結局、現状維持になっちまうんだ。

俺みたいな奴のことをクズって言うんだと思う‥‥‥自分で何もしようとしないだなんて、本当にどうしようもないな」


憑依前のアンナのことは、記憶の中でしか知らないが、俺よりもっと積極的だった。静かでお淑やかな令嬢だったが、その分芯の強さがあった。義妹に虐げられながらも、いつかこの家を実母と一緒に出ていくんだという意志がしっかり備わっていた。

実母が亡くなったことで、おかしくなってしまったが、本来アンナは俺とは違って、ひとりで生きていく力を持った女性だった。


「‥‥‥確かに君は世間一般的にクズと呼ばれる部類かもしれないね」


あまりにも明け透けな言葉に、俺は呆気に取られる。否定して欲しいとは思ってなかったが、なんか‥‥‥他人に言われると腹立つな。


「働きたくもない、家から出たくもない。だから、この家の劣悪な環境を受け入れて生活する。耐え忍ぶという言葉は、聞こえはいいかもしれないが、それは自分で改善することを諦めたという意味と同義だよ」

「‥‥‥俺が言ったことだけど、そこまで言うか」


やめてくれ、俺の体力はもうゼロよ!


「だが、君は、その代わりに他人のために行動できる人だよ。圧倒的不利に立たされていても、自分を顧みず他人のために動く。それに救われる人もいると思うよ‥‥‥蜘蛛(わたし)のようにね。それは、誰にだも出来ることではない。君の長所だ」


また、優しい目で見られて呆気に取られる。


なんだよ、それ。何で急に、そんな優しい声で、俺のこと肯定するようなこと言うんだよ。

否定されることには慣れてるけど、肯定されることには、全然慣れてねぇんだよ。


高校の頃、友だちが何かのきっかけでクラスメイトから嫌がらせを受けていた時、俺は庇った。そしたら、次の日から今度は俺が嫌がらせのターゲットになったんだ。

毎日毎日、気持ち悪いと暴言を吐かれて、殴られたりもした。俺を庇ってくれる人なんて、誰もいなかった。そんな俺を見て、嫌がらせをしてくる奴等は言ったよ。弱いくせに人のことを助けようとするから、こうなるんだって。

その通りだと思った。


俺は、次の日から学校に行かなくなった。


ずっと、馬鹿にされてきたこの性格を、此奴は肯定してくれた。ただそれだけなのに、馬鹿みたいに喜んでる自分がいた。

涙が溢れて止まらなかった。


「‥‥‥君の過去に何があったのかは、私にはわからない。だが、自分自身を改善できないのならば、人に頼ればいいのではないかい? 人は一人では生きていけない。私だって、君に助けられた。だから、君はもっと自信を持て。自分を卑下するのはやめるんだ」


困ったように笑うとアリステアは、俺の涙をそっと拭った。

鏡を見なくてもわかる。俺の今の顔は、幾ら美少女といえども鼻水やら何やらできっと酷いだろう。

それでも、アリステアは嫌な顔ひとつしなかった。


「さて、泣いているところ悪いのだけどね、これからについて話そう」

「ゔっ、ぐすっ‥‥‥これ、から?」

「アンナ。君、これから、何処に住むつもりだい?」

「何処って‥‥‥今までと同じように此処に住むつもり、だけど」

「忘れたいのかい? 君、この家と縁を切られたではないか。皆、意識を失っているから今は大人しいが、意識が戻れば、君はすぐにでもこの家を追い出されるだろうね」

「あっ!」


そうだった、蜘蛛乃助がアリステアに戻る前に、クソ親父から勘当されたんだ!

蜘蛛乃助を助けることに必死で、忘れていたが、俺は引きこもる家を失っちまった!

あまりの衝撃に俺の涙は引っ込んだ。


「そうだった! ゴタゴタしててすっかり忘れてた。俺、またホームレスに逆戻りじゃんか!」

「そんな、君に提案だ。私と結婚する気はないかい?」


はぁっ?


「はぁっ?」

「私と結婚っ──」

「いい、いい。そんなに何回も言わなくても、聞こえてるから」

「そうかい。それで、返事は?」

「ちょっ、ちょっと、待ってくれ‥‥‥お前、知ってるよな? 俺、中身男だぞ」

「私は別に気にしないが?」

「俺は気にするが?」


二人で顔を見合わせて、首を傾げる。

同性愛を否定するわけでは決してない。人それぞれ好きにすればいいと思うし、それを否定する権利は誰にもない。

だが、俺は女性が好きなのだ。体が女だからと言って、急に男は好きになれん!

何でこんな話になるんだ。


「そ、そもそも、お前は第二王子だろう? 俺に第二王子妃なんて無理だ」

「嗚呼、私もそう思うよ。君に王子妃は、荷が重すぎる」


なんか、ごもっともなんだが、腹立つな。


「そ、そうだろう。だから、結婚は無理だ」

「なら、私は王位継承権を返上しよう。元々、王になんて地位に固着しているわけではないのだよ。兄さんが次期王になればいい話だ。私は、何処かの領地を貰い受けて、王室から出るとしよう」

「へっ?」

「そうだな、きっと公爵位を与えられることだろう。ということで、君は公爵夫人だ」

「で、でも、公爵夫人の仕事も、俺には出来る気がしないっ──」

「君は、何もしなくていい」


にっこりと、邪気のない顔でアリステアは笑った。


「な、何も」

「そう、何もだ。強いて言うなら、私の側にいて、偶に私を癒してくれるのが君の仕事だね」


そこまで言うと、アリステアは俺の耳元で、それはそれは良い声で囁いた。


「おまけに三食昼寝付きだ」

「さ、三食昼寝付き‥‥‥」


なんて甘美な響きだろうか。

働かざる者にも食わせてくれるなんて、今後そんな好条件のところはないだろう。


アリステアの雰囲気に飲み込まれそうになり、慌ててぶんぶんと頭を振る。

古来から、上手い話には罠があると決まっている。


「待て、待て待て、話が良すぎる。そもそも、俺と結婚して、お前に何のメリットがあるんだよ」


そうだ、俺の家は、貴族は貴族だが特別な資金力がある訳でもない。アリステアが結婚するメリットが無いのだ。

なんだかんだ良いことだけを言って油断させて、俺を売り飛ばす気かもしれない。アンナの体を貸してもらっている以上、俺にはアンナを守る義務がある!

警戒したようにアリステアを見ると、彼はぽかんと間抜けな顔をしていた。


「そんな顔して、油断を誘ったって、騙されないからな!」

「アンナ、‥‥‥ぷっ」


突然、アリステアは、顔を逸らして体を震わせた。なんだ、その奇妙な動きは? もしかして、怒りで震えてるのか?

俺は、更に警戒を強めると、アリステアは漸く顔を上げた。

その顔は、ほんのりと赤い。


「はぁー、こんなに笑うのは、久しぶりだよ」

「えっ、今笑ってたのか」

「ふふっ‥‥‥アンナ、君は本当に鈍感だね」

「むっ、そんなこと言われたことねぇぞ」


まぁ、言ってくれる友人もいなかったが、俺はそこまで鈍感ではないつもりだ。


「いいや、鈍感だね。ここまで態度で表していると言うのに、全く気がつかないのだから。幾ら私でも、好意のない相手に結婚など申し込まないよ」

「こ、こうい?」


更衣、高位、行為、厚意?


「相手を愛おしいと思う意味の、好意だよ」


好意!


「お、お前、馬鹿。俺は、男だぞ。それに、今はアンナの体を借りているから、こんなに美しいが、俺の本来の姿はお世辞にも美しいとは言えなくてだな、その、」

「それは当たり前だよ。私以上に美しい者など、この世には存在しないのだから。この世に顔の種類は、私か私以外しかないのだよ。だから、私は自分の顔以外、別に気にしたことはないが?」


何こいつ? めっちゃ自分の顔好きじゃん。


「だから、何も気にする必要はない。アンナであろうと、憑依前の男である君であろうと、等しく私以外という括りだよ」


はぁ〜? 確かに元の俺は醜いかもしれないけど、アンナはお前に負けず劣らずの美しさですけどぉぉ〜。

俺とアンナを同じ括りにしないでもらえますかぁ?

そんな風に心の中で悪態をついていると、再びアリステアが耳元で囁いた。


「君と言う個体に惚れた」


情欲を感じさせる、その艶やかな声に思わず耳を押さえる。


「ほれっ、惚れたって、お前、ほれっ──!」

「それだけでは理由にならないか?」


さっきとは打って変わって、照れたように頬を赤らめた表情に俺は耳から手を離して、今度は顔を押さえた。




その日、俺は初めて男に対して赤面した。








───────────────────





ガチャンと誰かが入ってきた音で、俺は目を覚ました。


「おはよう、アンナ。よく眠れたかい?」

「嗚呼、このベッド、程よく硬くてすっげぇ寝やすいよ」


にっこりと笑いながら、ベッドに腰掛けたのは、ここ何週間かで見慣れたアリステアだった。





さてさて、あのプロポーズの後の話を少ししよう。

アリステアは、俺と話した後すぐに王宮へ帰り、その日は国中大騒ぎとなった。二年も行方不明で、こう言ってはなんだが、もう亡くなっているかもしれないと思われた第二王子が帰ってきたのだ。

それから一週間は、国を挙げて祝い、国中でお祭りが開催されたらしい。俺は話を聞いただけだから、よく知らんが。

そんなアリステアだが、その日のうちに宣言通り、公爵位を貰い受けた。そして、俺はといえば結局、アリステアの婚約者として彼の邸宅に住まわせてもらってる。


決して、惚れたとかそう言うことではない。本当に顔が整っていて、男の俺でも赤面するくらいで、偶に腹立つことも言われるが、こんな俺を肯定してくれて側に置いてくれたからって、惚れたりなんてしてない。

断じて、断じて、惚れたりなんてしていない!


ひとりでそんなことを考えていると、アリステアは俺を抱き寄せ首にキスを落とした。


「朝ごはんを一緒に食べよう。待っているから、着替えて早く来なさい」


置いていかれた俺の顔は、鏡で確認せずとも予想できた。









朝食が用意されているであろう部屋へ行くと、そこにはパンとベーコン、それからスクランブルエッグが並べられていた。


「ふふっ、君はごはんと聞くと寝起きがいいね」

「あっ! 意地汚いって言いたいのか? お前って、本当に偶にむかつくよな」

「素直で可愛いという意味だよ」


憑依前にドラマとか漫画でよく見た、あの矢鱈と長い机にアリステアと隣り合って座った。

彼は本来当主が座るであろうお誕生日席に座らず、何故だかいつも俺の隣に座っている。

二人で「いただきます」と手を合わせて、俺はベーコンに齧り付いた。

美味い、美味すぎる! 残飯も美味いと思っていたが、やっぱり残飯になる前の方が何倍も美味い!


「本当に君は、幸せそうに食べるよね」

「幸せだからな」

「‥‥‥こんな時に言うことではないかもしれないけど、君の元婚約者ウールの生家である侯爵家の取り潰しが決まったよ」

「‥‥‥あっ、そう」

「君のお母上は、よほど男を見る目が無いらしい。ウールの家は、無許可で闇カジノを運営していたのだよ。きっと、余罪がまだまだ出てくるだろうね」

「そうか‥‥‥ユリリンは、どうしてる?」

「‥‥‥さぁね、元々君の家は没落寸前と言われるほどに家計は火の車だった。なのに、生活レベルを落とさないから、借金も相当あったようだね。ウールとの結婚で、借金をチャラにしようと企んでいたらしいが、その目論見も今回のことで途絶えた」


そんなやばい状況だなんて、全然気が付かなかった。俺は食べるのをやめて、アリステアに向き直る。


「そもそも、侯爵家がどうして何の得にもならないユリリンとの結婚を進めていたのかが気になる。

きっと、君の生家である伯爵家にも、調査の手が及ぶだろう。その後のことは、私が考えることでは無いよ」

「そう、か」

「ユリリンが心配かい?」

「いや、酷いことばっかりされたんだ。俺だって、そこまでお人好しじゃねぇよ‥‥‥ただ」

「ただ?」

「アンナだったら、心配するだろうなって」


アンナは優しい人だ。ユリリンにどれだけ酷いことをされたって、きっと心配するに決まってる。


物思いにふけっていると、突然口に何かが当てられる。俺は、反射的に口を開けると、卵特有の濃厚な味が口一杯に広がった。


「美味い‥‥‥」

「それは、よかった」

「本当に美味い! お前も俺に食わせてないで、自分でも食べてみろよ!」


すると、アリステアはにっこりと何か企みを思いついたような顔をして、自分の口元をとんとんと叩いた。


「‥‥‥? なんだ?」

「食べさせてはくれないのかい?」

「な、なに、馬鹿なこと言ってんだよ!」

「あの頃は、食べさせてくれたじゃないか?」


あの頃というのが、此奴が蜘蛛になっている頃のことというのはすぐにわかった。


「馬鹿っ、お前、あん時は、お前がひとりじゃ食えなさそうだったから、手伝ってたんだろう。いまはひとりで食えるんだから、自分で食えよ」

「ふふっ、寂しいねぇ。これでは、蜘蛛のままの方が良かったかもしれない」

「あっ、そう」


完全におふざけモードになっている此奴を相手にするのは、めんどくさい。俺はそっぽを向いて食事を再開させた。と、その時、顎を掴まれて無理矢理アリステアの方を向かされた。


「だが、こうしてアンナに触れられるのは、人間の特権だね。矢張り、人間に戻ってよかった」

「し、」

「し?」

「食事中に遊ぶなぁ〜!!!!」


俺のでかい声は部屋中に響き渡り、アリステアはけらけらと笑いながらも、俺の顔を優しい目をして見つめる。


嗚呼、もう! いまの俺の顔を見るな。

鏡を見なくたって、顔の熱さでわかる。


いいか、アリステア、お前の顔が良いからって、俺は断じてお前に惚れてなんてないからな!


俺は断じて、俺は断じて、まだお前に惚れたりなんてしていないんだからな!

こういうグダグダする二人を書くのが好きです。



この後、毎日連載しております「シマキ様は悪役令嬢!?〜悪魔の寵妃と呼ばれた御令嬢の専属メイドになりました〜」を八時ごろ投稿する予定ですので、そちらもよろしくお願いいたします!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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