時を超える
たった今、三体(SF小説)を読み終えて、不思議な達成感とどこか脱力した感覚に包まれている。脱帽である。私のイメージ、思想、価値観を遥かに超える想像力の塊がまるで万華鏡のように次々と頭に入ってくる。登山の時に山頂から眺める景色が広く美しいように、自分自身がいかに小さなスケールでものを見て、聞いて、考えているのかを実感した。そう、私は心地よい敗北感のプールに浸っているのだ。
例えば400年後に宇宙人が攻めてくるとして、人類はどうなるのか、技術力を高めて交戦するのか、それとも逃げるのか、そういう思考実験が本書のテーマである。中国のSF作品がこのタイミングでヒットするのに、中国経済の成長が起因しているのは間違いない。ファーウェイ、アリババなどがアメリカ一辺倒であったITに殴り込みをかけ、世界を席巻している昨今で、中国人がSFという作品で未来を予見しようとするのは、そして、それらを世界が注目することは、あるいは必然なのかも知れない。中国が未来を予想する、これ以上想像力を働かせ、納得感のあるワードがあるだろうか?少なくとも、私は思い当たらない。本作は中国の人民解放軍の性質、イスラム原理主義者の自爆精神、日本の特攻精神、アメリカの技術力など現代の現象と照らし合わせた上で大胆にアレンジして物語が進む。科学的描写はリアリティがあり、読むものに新しい世界観へと誘う。高度文化の異星人が侵略するとして、どういう形で攻めてくるのか、そして人類は集結できるのか?コロナワクチン対策で各国が足並み揃わないように、人類の危機に瀕した場合、国連がどう機能するのかというのは当然、気になるところではある。混乱のなかであるいは一つになるのだろうか?それとも分断が進み、やがて世界は崩壊するのか。本作において1番の敵は未確認生命体ではなく、地球に住む人類そのものである。人は人を裏切り、必ずしも合理的に行動するものではない。そのことを改めて突きつけられる作品であった。宇宙人という脅威が迫った時、皆が手を取り合うと誰が保証できるであろうか?そう、そんな保証などどこにもありはしないのだ。