第7話
気恥ずかしさを胸に、昨日来られなかった学校へ登校途中。
車で登校するのはそこはかとなく目立つし、酔ってしまうためこうして自分の足で歩いて行くのが日課なのだが、そのことに関してリーゼはしたり顔でこう言う。
「健康的で素晴らしいご判断です!」
別にそんな殊勝な目的の下徒歩を選択したわけではないのだが、何だか自分が偉いのではないかと思い込み満足気に鵜呑みにしていたりする。
そんな今日の天気は肌寒く、雪でも降るんじゃないかと言う程曇り空が広がっていた。暑いのも寒いのも嫌いな我儘ボディには少々刺激が強く、パーカーのポケットに手を突っ込み、急遽用意してもらったホッカイロを中で弄びながら冷風に晒されて細くなった目で前を見つめる。
「寒過ぎワロタンバリンシャンシャン……」
鳥肌総立ちだよ、もっと厚着するかヒートテックを着込めば良かったと後悔してる。
「いけませんよご主人様、こんな気温で弱気になっていては! 子供はハゼの子と言うではありませんか!」
「風邪ね。急に魚類になってたまるか」
と言うかさ……。
「かく言うお前、もっと着込んだ方良くね?」
いつもと変わらぬメイド服だから、見ててこっちが寒くなってくるよ、目の毒とはこのことか。
きっとその下は下着だけなのだろう、去年の今頃そんなことを言っていたように思う。良くもまぁそれで風邪引いたことないよね、ハゼの子なのかな?
「ご心配には及びません、私はあらゆる環境に適応するため、いかに暑かろうといかに寒かろうと、通常駆動出来るよう鍛えておりますので!」
「あらそう……」
若干吐いた息が真白だった、冬はもうすぐ側まで来てるってことか。今より厳しい未来の寒気に震えながら、にしても元気に胸を叩くリーゼを見上げる。
隣に立つ彼女を親かと誤認されたこともあるくらいだ、僕らはそんなに仲良く見えるのだろうか。
「ん、どうされましたか? 私の顔に薬莢でも付いてましたか?」
「現実味のある付き方だね……いやさ、元気だなぁと」
顔をペタペタと触って何事かと思うリーゼは、僕の嫌味を物ともせずパァッと輝く笑顔を向ける。
「それもそのはず! ご主人様を護ると言う大義を私などの若輩者が任されているのですから、気分も高揚するってものですよ!」
そんなに嬉しかったのか、実際リーゼみたいなボンバーガールが増えるのを危惧した部分もないことはないのだけれど、本人のやる気に繋がったのなら黙っていよう。
それに嘘偽りない事実だしね、リーゼを心から信用しているのはさ。
姉上の危機感のない発言にはちくりと刺さるものもあったが、あれで姉上も心配してくれているんだ、ならリーゼと言う存在はそれだけ安心材料足り得ると思うし、間違ったことは言ってないと自負している。
何よりこれまでの彼女の功績を否定することは、出来ない。したくない。
「しかし、本当に寒いなぁ……このままじゃ凍死しかねないぞ……」
何てね、今までそう言う死に瀕したことないから分からないけれど、少し僕に関しての皮肉が過ぎたかな。
と、リーゼが立ち止まってる。目を見開いて僕を見る目には信じられない何かを見つけたような、そんな感情を覚える。
「どうしたの? 僕の顔にハゼでも付いてた?」
「……ご主人、様」
もしかしてさっきの冗談、本気に取られた?
そりゃ僕を護ってくれてる恩人の前で言うことじゃないかもしれないけれど、たまにはこう言うジョークを交えながら話すことだってあるさ。
ブラックが過ぎるかも知れないけれど、それだけリーゼを信頼していると言うか、死ぬはずないって思ってる証拠のつもりも兼ねていたんだけど──
「伏せて下さい!」
リーゼはそんな些細なことは気にも留めず、短い距離を上り坂を上がるかのような全力疾走で僕目掛けて走り出した。
一瞬何を言っているのか、何をしているのか理解が追いつかなかったけれど、彼女は僕を赤子を抱くように抱き締めてその身をコンクリートに投げ出した。
しっかり僕が上になるように、リーゼが下敷きになって衝撃を掻き消してくれたのは良いけれど、それ絶対とんでもないダメージになってるよ。
「ちょっ、リーゼ! 大丈夫なの!?」
リーゼの顔が近い。だから焦りに満ちた目と悔しそうな口元、荒い鼻息がしっかりと僕の五感に伝わった。
少し目を逸らせば、リーゼの肩口が曇り空の中薄い朝焼けに照らされ濡れていることに気付き、初めて僕は理解した。
──また、死にかけた。
「リーゼ! 肩、肩が!」
「問題ありません、それより、お怪我は!」
冷静さを欠いたリーゼと言うのを初めてお目にかかった。
痛みを堪えているのか歯を食いしばりながらその隙間から、まるで肺の空気を全て吐き出すように息を追い出しては吸っている。
乱れた呼吸のまま肩口には手を当てず、変わらず僕を抱き締めたままのリーゼは起き上がり、僕らの進行方向を睨むその先には、住宅街とたまに寄り道する昔懐かしい駄菓子屋。
その少し先には街中に位置するビル群が立ち並び、リーゼはそのうちの一つに狙いを絞って射殺す目でいる。
「ぼ、僕は平気だけど……」
「では早くここを移動しましょう! 出来るだけ屋根と遮蔽物のある、あちら側から姿の見えない中へ!」
起立したリーゼはさらに苦悩の表情を浮かべる。擦った背中はボロボロで、スカートを軽く叩いて持ち上げて、ガーターベルトをチラ見せしながらホルダーから愛機を取り出し構える。
僕の手を取り走り出したその速度は百メートルを十秒弱で走り抜けるものではなく、それは決して僕に合わせたものではないのだろうと悟る。
丸く空いた風穴は鮮血によって塞がれ、グロテスクな肩口となっている。
「私が遠距離狙撃に気付くのが遅れるなんて……けど、防弾チョッキを突き抜けるだけの距離にまだ居るはず……! クソッ! 私としたことが!」
どこまでも苦々しい、恨みつらみのこもった声で語られる独り言に耐え切れず、極力先程まで親の仇のように睨んでいたビルから死角になるように住宅の塀を盾にして走る中、僕は聞く。
「何があったの!? と言うかリーゼ、その傷塞がないと……病院に行かなきゃ!」
エウスリーゼ ・エイプリルは、僕の代わりに訪れる死のことごとくを打ち破って来た猛者であり、唯の一度も傷付いたことが無かった勇者でもある。
だからそんな彼女がこうも疲弊して血を流している光景を前にして、僕は案の定言葉も思考もまとまらず、思いつく限りの意見を述べた。
「私は問題ありません! それより厄介です、恐らく手練れの誰かが意図してご主人様を狙っております!」
「なっ……! それって!」
「はい! 恐らく、昨日の連中の仲間でしょう! 組織的犯行の恐れは危惧しておりましたが、まさかこんな方法を取るだなんて……失態です!」
撃たれたってこと?
あのリーゼが?
僕の護衛を強化するために、恐らく対人用に防弾チョッキを仕込んでいたのだろう。それすらも貫くなんて……。
何よりも、リーゼがここまで冷静さを欠いたことがあっただろうか。いつも必死に全力で死期を撃ち殺して来た彼女だが、ここまであからさまなピンチを迎えたのは初めてだ。
それだけの相手が僕を狙っている。
何のために……青野では無能な僕なんか殺しても何の得にもならないってのに。
何より僕のために、リーゼが傷ついてしまった。
「今の手持ちでは狙撃手を狙えません、追おうにも、恐らくもう別のポイントに移動しているはず……このままでは奴の思うツボです!」
──僕がリーゼを、傷付けてしまった?
「とにかく今は逃げながら近場の駅構内に行きましょう! あそこには長距離狙撃に備えて狙撃銃を隠してあります!」
──危機感が足りない。自分のこと、分かってるはずよね?
脳裏に浮かぶ姉上の注意。
余裕を持っていたつもりはなかった。
そんなことが出来るような人生を歩んで来たつもりはない、だからリーゼに頼っていたんだ。
けれど、その結果がこれだ。
僕を護ってくれるボディガードにして、家族を傷付けたのは誰だ。
甘い考えで大切な人をも危険に晒したのは、どこの阿呆だ?