第2話
青野の家はいくつかの子会社を抱え、そのほとんどが父親の手によって賄われているのが現状である。
母が生きていた頃には二人掛かりでもっと気楽にいられたのかも知れないけれど、男手一つと言うのはやはり辛いものがあったようで、だからこそ父は使用人とボディーガードを僕や姉に付けて外を走り回っている。
最後に父の顔を見たのはもう二年も前だったろうか、本当に忙しい人みたいで、
「前に頼んでた三者面談の日程、明日までなんだけどもう決まってた?」
と言うメールが、
「来週の月曜で!」
なんて内容で一年後届けられたりする程度には、うん、大変らしい。この来週の月曜、いつから換算しての日取りなんだろう。
まぁそんな家庭事情も相まって、我が家の使用人、人数こそ多くないけれど彼女らとはまるで家族のように絆を深め、住み込み、仲が良い。
何ならいつまで経っても返信のない父に代わり学校行事に参加したことすらある人も中には居るし、それこそこう言うのは僕のボディガード──あぁそうさ、あの暴れん坊将軍が代行を務める機会が多かった。
「ねぇリーゼ、リーゼはどうしてそんなに重火器が大好きなの?」
「嫌ですよご主人様、これは乙女の嗜みでございます。ほら、お花を摘みに行った女性がお化粧ポーチを持って行くあれと一緒ですよ」
「そんな鉛臭い乙女の嗜みがあってたまるか。良いか、次ロケランなんて出してみろ」
「承知しました!」
「変なところで区切るなよ! とにかく、爆発物禁止! ノーモア重火器!」
「ご主人様がそこまで仰るのなら、かしこまりました……差し当たっては明日よりステラを持ち歩くこととします」
「一射で両国に国境を作った宝具を出せる物なら是非とも見てみたいものですなぁ!」
エウスリーゼ・エイプリル、愛称であるリーゼは元々僕の母のボディガードをしていたエスカリーフ・エイプリルの娘らしい。
日本のボディーガード業界(一体どんな物なのか、ロクなものではなさそうだと偏見を持たざるを得ないくらいリーゼと言う存在が僕の中での評価が物語っている)では彼女の名を知らぬ者はおらず、一説によれば百人居るテロリスト集団に単身で乗り込み、母を傷一つなく救った伝説もあるとのことだ。
そんな最強のボディーガードっつーかソルジャーはめでたく寿退社を果たし、それから数年後となる五年前、エスカリーフから一人前だと太鼓判を押してもらったリーゼが僕の前に現れた。
「あなたに向かう死のことごとくを、例えそれが運命だろうと、この私がぶっ殺してみせます!」
敬礼しながらそんなことをのたまい続け五年の月日が経過した今、確かに僕へ向かう死期は彼女の手によって回避を続けていた。
そりゃあさ、数時間おきに死が迫り来る僕を護り続けてくれていることには多謝が拭えない。何においても僕を中心に思案を巡らせ、親代わりに学校に来てくれることも、一度は生きることを諦めた人間にまた生きることへの可能性を示唆してくれたのは言葉じゃ言い表せないくらい思うところはある。
僕は天邪鬼と言うわけではないのだ、その都度これだけの偉業を成し遂げてくれる英雄には日々感謝している。なのにこうして声を荒げなきゃならないのは、その方法にある。
「ハァ……リーゼさ、昔は遠距離から僕のこと護ってくれてたじゃん、あれはもうやらないの?」
頬杖しながら嘆息からの提案を持ちかける。
ボディガードの常識なんて一般ピーポーな僕には理解の埒外だけれど、それでも使用人同様クラシックメイド服を着込んで隣を歩き、硝煙を漂わせるのはいかがなものなのだろう。
普通スーツとかさ、着るものじゃないのかな?
いやそうでなくても、もっと穏便に事を済ませられないのかな?
君の一挙手一投足には普段温厚だと自負する僕も、何だかなぁだよ。
「確かにお恥ずかしながら自己主張させて頂ければ、遠距離狙撃は得意分野ではございます」
「だよね、一・五キロ先の的にど真ん中ストレート決めてたの見せてもらったことあるし。なら、その特技を生かしてくれるって言う手も無くもないんじゃないの?」
注いでもらった紅茶に口を付ける。味なんて分からないけど、うちの人は基本僕を子供舌だと思っているらしくジュースしか出してくれない。
しかしいつも身の回りの世話をしてくれている方々にそんな恩知らずは実行したくないので、そこはかとなく遠回しに他の、大人の嗜みを申し出たら紅茶が提供されたのだ。
割とコーヒー好きなんだけどなぁ、微糖派だけど。
午後の木漏れ日に当てられながら足を組み、隣に立つその姿だけは楚々(そそ)としていて、けれど外国の血を引くため金色にたなびく長い髪だけは異質で。
「しかしそうなると今日のようなトラックなどの対応は可能でも、悪漢への対処に遅れが生じてしまいます。やはり手っ取り早いのはお側に仕えることかと恐れながら進言致します」
まぁ確かに、距離が空けば空くほど突然の動きに反応出来ないって意見は分かるよ。宇宙から見た僕らはもしかすれば産まれてすらいない可能性がある、距離が開けば情報伝達もその分遅くなる。
まんまと言いくるめられてしまったちょろい僕は、誤魔化すためにまた味の分からない紅茶を口に付ける。
「それよりもご主人様、明日からまた学校となりますがご用意の方は整っておいでですか?」
「ん、問題ないよ。そこら辺は抜かりない」
悲しいのか何なのやら、リーゼを「こう言う面」で信用しているため、本来諦めようと思っていた日常に目を向けざるを得なくなったわけで。
つい先日僕の中学校は文化祭を終えたばかりで、今日はその代休である。
文化祭の準備期間中嫌いだった勉強からそれとなく距離を置いていただけに、リーゼからの指摘はそれはそれは鬱屈な気分にさせた。
「ねぇリーゼ、僕明日の朝お腹が痛くなる予定なんだけど、今から学校に休みの手配をお願いして良いかな?」
「良いわけないでしょう、このすっとこどっこい」
背後からの声に反応するより早く頭を叩かれる。どことなくハスキーな声は左に逸れて行き、僕の座る椅子と同じものに腰を据えて頬杖を突き、ジト目で僕を見る。
「おはようございます、お嬢様」
「ん、おはようリーゼ。それより朋也? 朝からお馬鹿な発言で場を賑わす私の愛しくて可愛い弟? 一体何を食べたらそんな大それた未来予想図を口に出来るのかしら?」
心底かったるそうに空いた手でうざったそうにウェーブのかかった亜麻色の髪を掻き上げ、僕から目を離そうとしない姉上に言う。
「同じ物を食べてるはずだよ、姉上。それと、今はもう午後三時、おはようと言うには適切な時間じゃないように思うけど?」
「良いのよ私は。午後三時とか、何? 私にとっては朝でしかないわ」
「流石廃人。言うことが違うね、そこに痺れもしなければ憧れもしないよ」
こんな昼夜逆転ガールでも、父の仕事を手伝う有能っぷりを持ってるのが甚だ疑問だ。高校には進学せず、即座に職を手にして少ないながらも会社を経営する敏腕を持っている人とは思えない体たらくだ。
寝癖が酷くて所々重力に逆らって空を目指してるし、長髪からのウェーブだから尚更目立つ。
「時間なんて瑣末な問題よ。懸念すべきはその時々ですべきこと、これさえ間違えなければ世の中なんて存外どうにかなるものよ。覚えておきなさい、愚弟」
掻き上げた髪はさらに揉みくちゃになり、僕を指差す。人を指差しちゃいけないって父親から習わなかったのかなぁ。
「時は金なりとも言うよう、姉上。寝ている間にも経済は右往左往する、適当な場面で適切な行動を起こしたって、どうにもならないことなんて山程あるよ」
ソースは僕ね。
どれだけ免れたとしても僕は死ぬ運命から逃れられない、リーゼのおかげで延命しているだけで、普通に生きていれば本来ならとっくの昔にお陀仏だ。
梅雨でもないのに湿気の多い目で見つめる姉上はリーゼに紅茶を注文してから言う。
「時は金なりなんて、限りある時間でどう行動したかで初めて成り立つ計算式の解よ。式さえ間違っていなければ、答えなんて一つなのだから」
行動が式ってわけか。言い得て妙だがどうしてだろう、この姉上を見ていると意地になってでも否定したくなるのは。
本当に僕の姉上なのだろうかと疑いたくなるくらい偏屈で理論家で、尚且つもっともらしい屁理屈で僕の言葉のありとあらゆるを避け続ける姉との口論は無為だと悟り、溜息を吐く。
テーブルでかちゃかちゃと音を立てていたリーゼが紅茶を淹れ終え、姉上の側にティーカップを置く。湯気が立ち上り、ありがとうと礼を交わすのと同時に一口。
「それで? 相変わらずなのかしら?」
相変わらず、と言うのは僕の能力のことを指すのだろう。
このことを知っているのは我が家でも父親と姉上、それとリーゼに合わせて使用人のうち数人だけだ。
別に話したって減るものじゃないし、かと言って死期が視えるこの能力が消えるわけでもないので積極的に伝えることもしていない。クラスメートに至っては誰も知らないし、知ったところでどうと言うこともないしね。
「今日は何回?」
「三回。今朝ゲオに向かう途中で横幅のある花瓶が真上から落ちて来て、解体屋の使ってたバールが飛んで来て、ついさっきトラックに轢かれそうになって、それで三回」
「ふーん、そう。しかしあなたも勇者よね、そんな特異体質なのに外へ出たがるとか、何? 死へ勇猛邁進ってこと?」
「そんな何の得にもならなそうなポスターの売り文句みたいなつもりはないけれど、怖がってたら何も出来ないだろ? それに、基本的には当たり前の日常を過ごしたいと思ってるから行動自体は制限するつもりはないよ?」
「それが死亡フラグを立ててるって自覚が足りてないって言ってるのよ。死にたがりと家族とか、何? その毒にも薬にもならないような繋がりは」
姉上が二口目の紅茶に口を付けた所で僕ももう一口飲む。もうとっくに冷めているため、美味しくも不味くもないがどことなく最初の方が良かったなと少量の後悔。
「何かに準じて死にたいとか、別にそんな枢木スザクみたいな生き様を見せつけたいわけじゃないよ。死に急いでるつもりもないし、今はもう死にたいだなんて思ってないしさ」
「……なんですって?」
しまった、僕としたことが口を滑らせた。鬼を殺さん勢いで睨まれ、陶器のぶつかる音がはっきり聞こえるくらいの強さでカップをソーサーに置く姉上が語気を強める。
「今は、もう? 何? あなた死にたいなんて思っていた時期があるっての?」
「忘れて? 本当、微かに思ったことがあるってだけ。生きるのに疲れていた時期があるって言う、ただそれだけだから」
嘘は言っていない。生きることに疲れて、死んだ方がマシだと思っていた矢先にリーゼがそれらを吹き飛ばしてくれたから、今となっては何とも思っていない。
ただ、分かって欲しい。
これだけ死を間近に感じていたら、それくらいのことが脳裏を過ることを、知って欲しい。
まぁ、叶わぬ願いなのは承知の上だけどさ。
「二度とそんな馬鹿げたこと言うんじゃないわよ。私はともかく、お父様がそんなこと聞いた日には明日から世界の条例の一つや二つ、変わるレベルで暴れるわよ」
「本当に出来そうだから恐ろしいよね……」
あと、姉上は別に何とも思わないんだね。別に良いけどさ。
「さて、と。私は寝直そうかしら」
紅茶を飲み干して立ち上がり、言いたいことは言い終えたのだろう、いつも通りの真顔で体を伸ばしてまたこの上寝ようと試みるようだ。
寝過ぎると馬鹿になるって聞くけど、どうなんだろう。下手したらさっきまで寝てたことすら忘れてはいそうだけれど。
去り際にリーゼの肩を叩き、部屋の扉に手をかけたところで何故か開かずそのまま立ち尽くす姉に目を配ったまま僕まで動けなくなってしまった。
どうしたの、そう声をかけるより早く。
「何かあったら話しなさい。あんたの戯言を聞いてあげられるのは、多分この世に私くらいしかいないだろうし、お父様はお忙しい身の上だし、これくらいの匙でお手を煩わさせるようなことはないように、ね」
どこか鼻声に聞こえたのは気のせいだろうか、ありがとうと言う間もなく姉上は乱暴に扉の開け閉めを行なってその場を後にした。
残されたのは僕とリーゼ、そして中身が空になったティーカップだけで、僕はそれをただ見つめることしか出来なかった。