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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

春に別れたあの子の話

作者: 蒔庭噤

 




 泣いたってしょうがない。しょうがないのだ。どうしたってあの子は帰ってこない。遺品になってしまった部屋の荷物をあらかた片付け後日ダンボールにつめやすいようにかためた。涙を流すのも疲れてしまった。自分よりも、伯父さん伯母さんの苦しみのほうが強いに違いない。百花は、従姉妹の繭果と三年暮らしたこの部屋を出るつもりだ。居続けるには余りにも辛い思い出があるし、犯人が見つからないこの現状ではここにいるのは危険であろうと身内の判断だ。ピンポーンと少し間延びしたチャイムが鳴る。親だろうか。はーいと返事一つドアを開けた。

「オッス」

 ぼさぼさの頭をした繭果が元気に片手をあげて笑っていた。なんとか尻餅をつくのを百花は回避した。



 繭果が使っていたカップを取り出して前に百花にプレゼントしてくれた紅茶を淹れて繭果の前に置いた。

「サンキュー」

 嬉しそうにカップに口をつけて、おっさんみたいなため息を吐いた。対面に座って頬杖をついてそんな変わらないおっさん臭を漂わす繭果に、百花は気絶しなかった自分を褒め称えつつ疑り深く繭果を見つめる。

「ねえ」

「うん?」

「あんた死んだんじゃなかったの?」

「死んだよ。モモちゃん知ってるじゃん」

「知ってる、けど。だってこの状況どうなってんのよ。あんた帰ってきちゃってるじゃん」

「最後に優しい従姉妹の姉ちゃんに挨拶しにきたんじゃない。三年も同じ釜の飯食った仲なんだし」

 土気色一歩手前の両手のひらでカップを包み込むように持ち、辺りを見回す。

「引っ越すのモモちゃん?」

「……ああいう事あったあとだしね。うちの親もマユの両親もいないほうがいいって。でもあたしはいてもいいんだけどさ」

「止めておきな。まだ犯人捕まってないんだから、モモちゃんがここにいるってなったら来るかもしれないし」

「親達もそう言ってた。ていうか、あんた幽霊なの?」

「うーん、まあそんな感じかな。おお結構あたしの荷物も片付いちゃったね」

 小さなダイニングから二人共同で使っていたリビングを振り返った繭果の後頭部は暴れまくる髪の毛とそれより崩れた肉と骨が血にまみれて露わになっていた。ひいっと息を吸い悲鳴を飲み込む。

「ちょっとあんた。頭どうなってるのよ」

「ん? ああ、なによ忘れたの? あたし頭殴られて死んだんじゃん」髪を落ち着かせるようになでつけ百花が好きな照れた時の笑顔を浮かべた。

「治せないの?」

「なんか残留思念なのかな。最後の体の記憶っていうの? それが残っちゃってるみたいでさ。治んないんだよねこれが」

 案外荷物多いねとリビングを見る繭果にどうしても聞きたいことがあって、百花は苦々しく声をだした。

「ねえ」

「なに?」

「あんた……誰に殺されたの」

 語尾まで力が入らない。思い出す。警察で再会した繭果を。顔は綺麗なのに眠ってはいないという事だけは分かった。体の水分を少しなくした彼女はしぼんでいるようだった。

「知らなくていいよ」と繭果は言った。その声はあまりに冷え切っていた。

「繭果」

「知ってどうするの。犯人追いかけるの? まだ証拠もなにも挙がってないのに、モモちゃんが先走っちゃってもみんなに迷惑かけるだけだよ」

「でも」

「いいの。いいから」

 繭果は生きてる時と変わらずお茶を飲んで自分と話して笑いかけてくれてるのに、彼女の体は火に焼かれて空気に溶けてしまった。今目の前にいる彼女は幽霊というか幻なのではないかと思う。止まっていた涙がつんと鼻を刺激する。

「あ、もうこんな時間。帰らなきゃ」

「帰る、て、どこへ」

「どっか。あ、ほらそろそろ朝になるんじゃない」

 空白んできたよ、と言う声にキッチンの窓を見れば、確かに朝焼け前の青い景色が広がっていた。

「マユ」

「うん」

「また、会える?」

「どうかな。あたし四十九日終わったらちゃんと成仏しようと思ってるから」

「そっか。……そうだよね。それがいいよ」

「うん。まあお盆にはちゃんと帰ってくるし。その時はこうして話すことないと思うけど、ちゃんといるからさ。モモちゃん寂しがらなくていいよ」

「……うん」

 きっちり玄関から帰ろうとしている繭果に、待ってと言って、繭果の部屋から一つの帽子を持ってきた。

「あ、それ」

「覚えてる? 去年のあんたの誕生日にあげた帽子。頭ひどいから、これ被ってきなさい」

 後頭部がきっちり隠れるように繭果の頭に被せてやる。

「ありがとう。モモちゃん」

「あんたがどこにいようと、あんたの事ずっと大事に思ってるからね」

「うん。……ありがとう」

 ドアを開け、繭果はじゃあ、と短いお別れを言うと、階段を降りていく途中で朝にまぎれるように消えた。もう何も見えなくなった階段をしばらく眺めてから、百花は部屋に戻る。テーブルには二人分のカップがあった。流しに持っていって簡単に洗うと、百花はリビングの真ん中で腰を下ろした。ぼんやりと、畳の傷を見る。二人ぶんの生活の痕跡がその傷の一つ一つに入り込んでいる気がした。百花はふいに玄関のほうを振り向いた。じいっと見ていれば、また何か非現実なことが起こりそうで。

「ずっと、大事に思ってるよ」

 どこかで上がった朝日のせいであがっていく温度。その温度を感じながら百花は笑い、たまらなくなって涙を流した。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章が読みやすく、構成がしっかりしていて、いい短編だと思いました。月並みですが、二人がそれぞれの道で幸せに過ごせたらと思いました。
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