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惨(むご)い男

作者: アコヤ貝

 生来、というには短い人生、自分は女の子らしさとはほぼ無縁だった。顔は全体に柔らかさのない中性的な顔。少年とそう変わらない低い声。最終的に百七十まで伸びてしまった身長。極めつけに、こんな人間になるとは思わなかった両親から送られた、晶という名前。もの心つくころには、最低限の女扱いしかされない人生だった。だから私には、恋なんて無縁だと思ってた。けれど人間というものは誰でも、恋をするらしい。これは、私がそれを知ってしまった、十七歳の冬の話。案外誰にでもある、青春の話。


 大勢の女性客でにぎやかな喫茶店。店内は女性受けを考えて作られており、内装も非常に可愛らしい。昔は場違いだと感じて入りたくもなかったこんな場所に、今では金さえあれば入り浸るようになったのは、間違いなく目の前にいるこいつのせいだった。


「チョコケーキ二十%オフだって!あ、でもミルフィーユもだ! どうしよう晶!?」

「太るよ」

「ひどい!」

 この食い意地の張った男子高生、薫だ。入学式で知り合い、二年間たった今では大親友。可愛い店めぐりが大好きなこいつに合わせ、放課後やバイト帰りにしょっちゅうこんな感じの店に二人で訪れていた。そんな調子なので、クラスでは付き合っていると思われているが、そんなことはありえない。

「そろそろ声落としたら?流石にほかの人に声聞かれるよ。……で、大事な話って何? 薫ちゃんあと」

 薫は、本当は女、いわゆる性同一性障害者だからだ。


 身体は男で、中身は女。晶は親友だからと告白されたのは二年生に上がる前だった。びっくりして適当に話を合わせていたら、私は薫を受け入れたということになり、今に至る。

「あ、そうだった。あのね、晶」

 しばらくもじもじと口を閉じたりあけたりを繰り返しながら、意を決したように声を上げた。

「私さ……今度デートするんだ!」

 言葉の意味を認識した瞬間、全身の血が止まったかのようだった。

「前に言ったでしょ? 私みたいな人で集まる会合?があってね、そこで会った人なの……」

 動揺した私にいっさい気付かない、薫の話をまとめるとこうだ。薫はいつか本当の女性になるために方法などを調べているうちに、自分のように性別に違和感を持つ者同士が集まるグループを見つけたらしい。そこに通って出会った人と、今度遊びに行くそうだ。

 「でね、遊園地に行くんだけど、服がなくてね。やっぱり初デートはスカートが穿きたいなあって……」

 その人の性別はどっちなのかとか、そもそも今どんな関係なのかとか、薫はその人のことをどう思っているのだとか、気になることは山ほどあったが、キラキラした顔を見たくなくて、私は結論を急いだ。

「わかった。私のでいいなら服一式貸してあげる。でもいいの? 私が持ってるスカート、去年買ったワンピースしかないよ」

 薫の身長は私とほぼ同じ、本人の努力もあり、体型も非常に細い。レディースも難なく入るだろう。しかし、薫にそこは問題ではなかったらしい。

「えー!! あれしかないの!?」

「身を乗り出すな。まず座れ。なんか文句ある?」

 しぶしぶ座ったが、大人しく座るような奴ではない。

「文句あるよ! 女の子でしょ!スカートはかないの?」

「言ったはずよ。私にスカートなんて似合わない。よって穿く必要ない」

「何言ってんの? 似合うに決まってるよ! 晶はすっごい可愛いんだから」

 いつ聞いてもこいつの可愛いほど神経に障るものはない。どう聞いても、本気で言ってくれてるとしか、思えないからだ。

「はいはいそうですね。とにかくあのワンピースでいい?」

「うん。ピンクの花柄でしょ? あれ晶ちゃんにすごい似合ってたよ」

似あっても何の意味もないじゃない。と言わないために、もう一度結論を急いだ。こういうときは薫の言ってほしそうなセリフを言うに限る。

「きっと薫にも似合うよ。あ、髪型とかどうするの? メイクはやってあげてもいいけど、流石にそこまで協力できないよ?」

「ウィッグは文化祭の時に買ったけど……って、いいの そこまで!?」

「いいもなにも、初めからそこまで頼みたかったんでしょ?」

薫の顔は薄い。私以外にはただの地味顔だ。しかしそれはいじりやすいともいえる。

「完全自己流だし、可愛くなるとは限らないけど、それでもいいなら」

「晶……本当にありがとう」

 

 その日はデートの日付などを聞いて店を出た。駅で別れて一人、夕暮れをぼんやりと見上げた。私は、薫のことが好きだ。親友としてではなく、恋愛対象として。そもそも、薫は初めて出会った時からずるかった。入学式が終わり、教室で待たされてる間に、初めて声を掛けてくれたのが薫だった。

 『そのヘアピン可愛いね。どこで買ったの?』

 人に言ったら笑われるだろうが、私はこの言葉で恋に落ちた。始めてだったのだ。男の子に女の子扱いされたのは。それからも薫は私を女の子として扱った。普通の女の子にはわからないかもしれないが、私にとってそれは非常に甘くて幸せで、おかしくなりそうだった。……実際は少々意味合いが異なっていたという事実を去年知らされたときは、また違う意味でおかしくなりそうだったが、それでも私は薫が好きだった。だがそれも、もう終わりにしないといけない。はたから見るとちょうどいいチャンスが来たようにしか見えないかもしれないが、私の頭の中はただ、絶望で染まっていた。何故か私はまだ、薫を好きでいたかった。

 

 当日のメイクはうちに来てもらうことにした。両親とも、泊りの仕事で家にいなかった。

「お邪魔します! うわー、お部屋可愛い!!」

「時間ないでしょ? 着替えは風呂場でお願い」

 そう言って、その辺に置いたワンピースを投げつける。

「あ、ごめん」

 笑いながらそそくさと薫は風呂場まで急いだ。デートの待ち合わせは十時。ここから一時間はかかる場所だ。現在八時。余計なことを考えるのは嫌で、ぎりぎりの時間にしてもらった。はやばやと着替え終わった薫を、用意した椅子に座らせる。その横にメイク道具をおき、私は薫の近くに立つ。

「はい、ヘアバンド」

「ありがとう。うわあ、ドキドキする!」


輝くような薫を無視してまずは化粧下地を手にたらし、薫の肌へ、丁寧に伸ばしていく。適当にやってやろうと思っていたのに、いざ塗り始めると私の手はまるで、壊れ物を扱うかのように優しかった。触り方だけで想いがばれてしまいそうだ。

「肌綺麗ね。むかつく」

「ありがとう、そりゃ毎日きちんとお手入れしてるからね。いやあ、男性用でも結構何とかなるもんだよ」

「へえ」

出来るだけ興味を持ってやるように聞いた。薫の性別は両親にも内緒にしてあるらしく、よくそんな苦労話を聞かされる。こんな話でも、私だけにしかできないと言われてしまえば大変気持ちが良かった。

「ふふ」

「くすぐったい?」

「ううん。晶いつも『私なんかおっさんだから』なんて言ってて、心配してたけど、ちゃんとメイクもしてるし、もっと自分に自信持てばいいのに」

 そのおっさんを女にしたのは誰か知ってる? とは、流石に言えなかった。すべてぶちまけてしまいたかった。あんたが着てるワンピースも、今私が手に持ってる化粧品も、すべて、あなたを好きになったから買ったんだよ。いつだって薫の『可愛い』は、私を女の子にする。

「塗り終わったよ」


その後、ファンデーション、コンシーラと塗り進めた。もともと薄い顔立ちの所為か、この時点でぎりぎり女性に見えなくもない。これじゃやっぱり無理だったなんて言い訳が聞かない。覚悟を決めて、私はアイメイクに取り掛かる。

 眉毛とアイラインは茶色で柔らかく入れる。まつ毛は短いのが本人のコンプレックスなのでしっかりと伸ばしてやり、最近流行の涙袋もつくる。たれ目の可愛らしい目の完成だ。頬には淡いバラ色を丸くいれる。薫のなりたい女の子に関しては、嫌という程熟知している私だ。完璧である。

「手際いいね。」

手際がいいのではない。必死なのだ。薫の肌に触れている事実を考えていたら気が狂いそうだった。それでも、一番考えたくないことはやってくる……。

「はい、後は口紅だけ。色どうする?」

「いつも晶ちゃんが使ってる、ローズピンクのやつ」

 そう、口紅だ。ここまでがっつり化粧をしといて、口紅を塗らないのはありえない。でも、薫の唇に触れるのは怖かった。想像だけで私自身が壊れそうだった。でも、口紅だけやってと頼んだところで、薫が使うのは私の口紅だ。どちらにしても同じなら、私は、自分自身で色を入れたかった。この日一番の覚悟を決めて、私は口紅の蓋をあけた。


 それを指にとって、少しずつ薫の唇に塗っていく。本当は筆でも使ったほうがいいのかもしれないが、その筆を今後まともに使っていく自信は私にはなかった。……見た目は薄そうだが、案外ハリと弾力があり、温かく柔らかだ。この人の唇を知りたいと思ったことは何度もあったが、こんな形で知る日が来るとは思わなかった。思いたくもなかった。こんなことに喜び感じるのも嫌だった。より女性らしく見えるよう、この唇が薫のものだと忘れるために、色を下唇に多めにつける。そういえばこの口紅は、一年の遠足で買ったものだ。何となく手に取っていたら薫が近くに来て、似合うよって、言われて買ったのだ。思い出したくもない、あの時は薫の性別をまだわかっていなくて、いつか付き合える日を夢想して……おかしい、私は今日、何を思ってここにいるのだろう?


ときおり薫の唇のすき間から温かい息がこぼれ、私のつたない覚悟を小指から攻撃する。それなのに、その目は閉じているにも関わらず、私への信頼を伝えていた。

「ねえ、晶ちゃん。私今可愛い?」

ぽつりと薫がつぶやいた。切なそうに顔が少し歪んでいた。

「私のこと信じてないの?」

「そうじゃない! そうじゃないのよ! あのね……」

真っ赤にうつむきながら、薫は言った。

「浩一郎さんといつかキスとか出来るのかなあって…」

 顔を赤く染めうつむく薫は、とても素敵な女の子だった。…………ああそうだ、薫は女だ。何をいまさらという話かもしれない。でも気づきたくなかった。ずっと蓋をしていた。分かりたくなかった。薫が女であることも、私にとっては男であることも。私は最低だ。薫が性同一性障害だと知ったあの日からずっと、私はそのことをずっと避けて通ってきた。ネットで検索もしなかったし、テレビにそういう人が出たら極力見ないようにしてきた。調べたら認めるしかないからだ。自分の恋が間違っていることに。でも、その間違いは今日で終わりにしなければならない。薫は女で、私の親友だ。その幸せに協力できないほど、私は馬鹿じゃない。

「大丈夫だよ。ほら、最後の仕上げするから口閉じて」

私は最後のリップグロスを手に取った。さんざん男扱いされてきたせいか、私は感情を表に出さないことは大の得意だ。

「はーい!」

 もう終わりなんだな。そう思えば思う程、私の心臓は痛み出した。今更ながら、この恋は本当に報われることがないのだと気づく。どんなに薫を想って、薫のためにつくしてもだ。それなのにどうして、薫が私を好きになってくれることなんてないのに、ばれてしまえば薫も私も傷つくだけなのに、なんでまだ薫が好きなんだろう?


 存外、その答えは早くに出た。頭の中でどんなに余計なことを考えていても、私の理性はきちんと仕事をしていたらしく、気付いたらグロスも塗り終わり、目の前にはウィッグを付けている途中の薫がいた。…………うん。少々ごつい気もするが、完璧に女の子だ。

「よーし、できた! えーと鏡、鏡…」

「姿見ならあんたのすぐ横」

「あ、本当だ。どれどれ……うわー凄い! ちゃんと女の子だ!」

しかも結構美人だ。いったい今日のデート相手がどんな奴かは聞かないようにしていたが、そんな奴にこの姿を見せるのは非常に惜しいような、なんだかよくわからない複雑な気持ちだった。

「あーでもこうなると本当に喉仏邪魔よねえ。こればっかりはしょうがないか」

至極悲しそうに俯いた。

「そういうと思った。はいこれ」

「え?」

ここまでの流れを予感していた私は、有無を言わせぬうちに、薫の首にマフラーを巻く。

「学校で返してくれればいいから。……うん。綺麗だよ、薫。きっとその人もびっくりするよ。今日一日楽しんでおいで」

「晶…」

「ほら、もう時間ないよ。直してる時間ないんだから、さっさといきな」

無理矢理荷物を持たせ、玄関まで押し出した。靴も私のものを貸した。それを履き終りドアを開ける直前。薫は振り向き、改まった顔つきで口を開いた。

「晶」

「何? 忘れ物?」


「私ね、夢があるの」

唐突に、物語でも語るかのように、薫は話し始めた。

「いつかきちんと女の子になったら、思いっきりおしゃれして、街を歩きたいの。可愛い服のお店入って、お洋服選んだり、人気のスイーツ店に入って、スイーツ食べながら恋バナして……そういうことしたいの。その時は、晶と一緒に行きたいな。ううん。晶とじゃないとだめなの」

 薫の語る姿はまるでお姫様のようだった。

「私、晶ちゃんのこと初めて見たとき、本当にきれいだなって思ったの、私と同じくらい身長高くて、ショートカットで、背筋がピシッとしてて、それなのに制服を綺麗に着こなしてるからかなあ」

 どこの女の話だろう?

「思い切って話しかけてみたらさあ、ぱあって、花が咲いたみたいに笑って、びっくりしちゃった。すごい可愛くて、羨ましいなあって思ったの」

 何を言っているのかよくわからなかった。

「私その頃自分の性別に気づいたばっかでさあ、毎日に絶望してたの。両親にこんなこと言えない。一生このことは隠して生きていかないといけないって」

 徐々に薫の感情は高まっていった。

「でもね、晶に会えてから、毎日が本当に楽しくなったの。晶はいつも、私を知ろうとしてくれて、私の思いに気づこうとしてくれた。そんな晶だから、思い切って性別の話もしたのよ。大正解だったよ。晶はそれからも、私を私として見てくれたもんね」

 私に語りかける目は、本当に美しかった。

「あれから一生懸命、努力したよ。両親には隠さなきゃいけなかったから大変だったけど、晶がいつも助けてくれたから、ここまでこれたんだ。ありがとう晶。いつも私を私として扱ってくれて。大好きだよ。いつかきっと、二人で遊びに行こうね、約束だよ」 


 奇妙なほど冷静に、私の心はすとんと落ちた。薫はとても素敵な人だ。私を女の子としてみてくれて、いいところを見てくれて、認めてくれる。そんな人、好きにならない方がおかしいのだ。そしてなぜか、それは薫の方も同じ思いらしい。なにこれ。これじゃまるで……「はは、私も大好きだよ、薫」


どうやら私たちは両想いだった。こりゃしばらく好きでいるしかないなと、私は女々しくそう思った。




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