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人形怪奇  作者: 詞記ノ鬼士
第一章 夜ノ月琥珀のその虫は
3/141

003 虫と少女

 「読み終わっていますか?」

「はい、一通り読みました。花月、お前も読めたか?」

「はい。私も読み終わっていますよ」

 雪野の手に持った手紙、それを花月が覗き込む様にして読んでいた。

「その手紙で、今回の任務についてはだいたい理解してください」

雪野と花月の膝上にいるペットの猫二匹もじろっと手紙の方に顔を向けていたのだが、当然猫には字が読めない。例えそれが人の言葉を理解し喋る【化け猫】であっても……

――「なんて書いてあるニャ? なんて書いてあるニャ?」

 雪野に付き添う黒猫、黒野月は目を丸くしてそう質問してきた。

瞬間、それに答える間もなく季流は無視して会話を続けていた。

「緊急の依頼でそのまま適当に手紙を読んで、引き受ける事にしてしまったので、何をするかまではちゃんと考えてないんですよ、まだ」

――「なぁ、なんて書いてあるニャ……」

「まあ、とりあえずその何とか村まで行き、どんな状況なのか確かめてから行動に移りたいと思います。それと、その手紙を書いた方にも会っておかないといけませんね」

――「なぁ雪野、季流、なんて書い……」

「ほんとに適当ですね。お兄さん。もっとちゃんと考えて依頼とか受けてくださいよ!」

――「クロの話きけニャァアアアアアアアア!」

クロが毛を逆立てて怒りを露にするが、季流はやはり構わずに続けるのだ。

「まあいいじゃないですか。私がいる限り何とかなりますので大丈夫ですよ、きっと」

「お兄さんの力量は信用しますけどあなたの言動は信用できません!」

「えーとりあえず、私も軽く読んだだけでしたので二匹にも分かる様に手紙の内容を説明してくれますか? 雪野くん」

 季流はチラッとクロの方を見て後にそう付け加えたのだった。

「はあ、分かりましたよ」

 雪野もクロへと目をやる。そこには完全にふてくされた様に耳をおる黙り込むクロの姿があった。季流のちょっとしたからかいに少し乗っていた雪野は、彼の言葉を聞き何気ない顔を作って手紙を見直した。

「二人とも……」

 困り顔で花月がそう呟くのを確認し、雪野は手紙の内容を主にクロたちに説明した。

「え~と、夜ノ月村って所の神社にある琥珀石という物が、何者かに盗まれ、それから村に大変な異常事態が起こっていると,そういう事で手紙の主はそれをどうにかしてほしいらしい。なぜならある儀式が行われるまでに見つけないと大変なことになるとか。そして村人達に手紙の主は追われているらしく、助けてほしいとも書いてあった。そんな内容でいかにも【変物】が関係していそうです……はい」

 雪野は手紙から目を離し二匹に顔を向ける。

「分かったか? クロとシロ」

「分かりましたニャン」

 花月と同じように丁寧語を話すのが特徴の白猫の白野月が先に返事をし、一方のクロはというと……黙り込んだままプイッとそっぽを向いていた。

「悪かったって、クロ……」

「もう知らないニャ。雪野も季流もいじわるニャ。クロも無視してやるニャ!」

「はは、そう言っている時点で、無視できてないですけど」

「そうですね、お兄さん」

 二人の会話にクロはますます怒る。

「うるさいニャ! いい加減にしろニャー!」

「あ~、帰ったらいくらでも煮干し食わせてやるから、いったん落ち着けって」

「煮干し! いくらでもかニャ?」

一瞬、雪野の言葉に釣られかけたクロだが、そこでハっと、気づく。

「その手には乗らないニャ! そんな事で気持ちが揺らぐ程、クロの意志は弱くないニャ」

「身がいっぱいついた魚の骨をいくらでも」

「クロも馬鹿じゃないニャ。量でつれると思うニャ。それと料理の余り物をたまにというかよく出すのやめてほしいニャ。何だか悲しくなるニャ。ちゃんとしたキャットフードとかも用意してほしいところだニャ! いやクロ達は普通の猫じゃないからそれも遠慮しておくニャ!」

「どっちだよ。どうせ何も食べなくても生きていけるじゃん」

「それでもニャアア! 雪野にはクロの気持ちなんて分からないニャ!」

「あー分かったって。それじゃ今回は特別に余り物じゃなくちゃんとしたの作ってやるよ」

「ニャ~。帰ったらおいしい魚料理食わせろニャ。分かったかニャ!」

「ああ、分かった分かった」

「それと煮干しもほしいニャ。おやつに食べるのが最高だニャ」

「あ~、うん。結局それも好きなのね……」

「庶民の味、ニャ~」

「それは、猫にとってのか……?」

 と、一件落着しクロの機嫌を戻したところで雪野は再び手紙へと目を向けた。

「って事で、この手紙の内容だけど……」

「雪野さん。その手紙の人、何か訳ありな気がしますね」

「ああ、『私には私にしか分からないある秘密がある』とか、書いてあるしな」

「それに村の人達から逃げているって……その女性の方、大丈夫なのでしょうか?」

「もし村人達に、もう捕まったとしたら殺されはさすがにしてないだろうけど……いや、どうだろう? う~ん? 分からないけど、殺されはしなくても何されるか分からないぞ」

 今まで季流の任務同行で、【変物】などの異形の物が見えたり触れられたりと、それらに色々と影響を受けてきた人達の事を雪野達は見てきている。

彼らは普通の人達――【変物】の存在を認知できず現実の基準で生きてきた人達に、差別的な目で見られ嫌悪の対象とされる。

「そうですね……」

「まぁとりあえず、その依頼人の様子を確かめる為にも、今は一刻も早く村まで行く事にしましょう。儀式の方は明後日に行われるそうなので手紙に書かれている事を踏まえて、その期日までに任務を終わらせる様にします」

「はい、お兄さま」

「では、そうですねぇ、その後は楽しい家族旅行をのんびりと満喫しましょうかー」

「ニャ~!」

「頑張りますニャン!」

 元気よく返事するクロとシロ達とは違い、一方の雪野はこう思っていた。

 これ、家族旅行なの? 旅行とか言いながらの、いつもの俺への修行かなんかだよね!

「雪野くんも、頼みましたよ」

「あ~、はい……」

彼は少しひるみながらそう返し、次に聞いた。

「それにしてもその夜ノ月村ってどこにあるんですか? 村と言うだけに、また……」

 雪野の言葉を最後まで聞かずに季流はこう発していた。

「田舎です」

(やっぱりそうかぁ……)

(やっぱりですか……)

(やっぱりかニャ……)

(やっぱりですかニャン……)

 うん、だいたい予想していたけどねと雪野は心の中でいつも通りの現実を受け流した。

 家を出発して道路や田畑や民家に出た頃には、チラチラ目につき始める黒い影があった。

「あーいるな……」

人の形をしてふらふらと霧のごとく景色をすかす様に蠢いている。人間の様々思い、感情から生まれるというそれは【残像】といい、人の思いが生んだ意思のないただの記憶の残骸だ。そう言った【変物】は人のいる場所ほど数が増す。人の思いが強ければ強いほど増す。

一、二……三と、人の行き交う場所へと向かうにつれ徐々に増えていく【黒い人影】は、ゆらゆらと周りの景色に溶け込み、それはもう今はもう存在しない過去の光景なのだ。

だからどこか悲壮感の様なしみじみとした感覚に雪野はかられるのだ。

「……」

その後も続くクロを中心とした賑やかな会話に雪野は度々心の中でクロ達の会話に混じりながら、一人ぼーっと外の景色を暇そうに眺めていた。

「あー暇だぁ……ん?」

 その時、林の中で何かが蠢いた気がして雪野は窓に顔を近づけて目を凝らしてみた。徐々にゾワゾワ、ザワザワと黒い霧や煙のように何かがこちらへ向かって来ていて……

「あれ? なんか……」

 やがて、それはさらに距離を詰めまるで沢山の点が集まって出来ている様なもので、

「ちょちょ、ちょっといいですか、お兄さん!」

「ん、どうかしたんですか? 何か慌てた様子で?」

「とにかく外みて、外!」

「お兄さま! 何かの塊が飛んで来て……」

「虫……? じゃない! お兄さんこれは……」

「分かっています。これは明らかに【変物】ですね――」

 季流の言葉をかき消す様にその時にはもう【変物】の大群はブブン、ブンブブブブン――

と、【虫】特有の不快な音を出しながら車にドババガンッと体当たりしていた。その迫力はすさましく姿、形はそれぞれ微細に違い奇怪な生き物が混合した物の様であった。

「うおぉっ!」

 雪野は目を見開き、その不気味な姿と飛びぶつかって来る勢いに思わず仰け反る。

たちまち【虫】達は周りを完全に覆い尽くしてしまい車内からの姿はとても……

「気持ち悪いです!」

雪野が思った事を代弁して花月が呟いた。

 季流は黙ったまま車を既に止め、【虫】達の様子を険しい顔で身ながら考え込んでいた。

「うおお……」

【虫】達の体当たりは終わりを見せずまだまだ続きそうな勢いで、その衝撃でクロとシロも飛び起きてシャーと毛並みを逆立てていた。

「ニャァアアアアア! 怖いニャ怖いニャ怖いニャ。何だニャこれは⁉ グロ怖いニャ!」

 大声を出して騒ぎ立てるクロ。一方のシロはというと……

「……ニャン……何か悪い夢でも見ているようですニャン。もう一度、寝直しますニャン」

「シロ、これ夢じゃない。現実だから」

 しばらく緊張をはりつめ無言のまま現実逃避する様に、そのまま寝ようとするシロ。それに雪野は、冷静真面目にツッコミを入れていた。

「ンニャ! ニャンですとー! ニャニャニャニャニャニャア~!」

「怖いニャ怖いニャこれどうなってニャ、これからどうするニャ、逃げられないかニャ!」

 かなり二匹はパ二ックになっている様子で……

「いいから落ち着け……てかクロ、あんまりくっつくな! 爪たてるな、痛い!」

 雪野にしがみつく形で爪を立てる、そんなクロを落ち着かせてから彼は季流に伺う。

「で、これからどうすればいいでしょうか? お兄さん!」

「お兄さま、どうしましょう?」

「これは【(がい)(ちゅう)(れい)】? じゃない、【(こん)(ごう)(がい)(ちゅう)(れい)】というまぎれもない【変物】ですね」

「お兄さん、それって……」

「【害虫霊】とは、虫の死骸から生まれた物であり、対して【混合害虫霊】とは、その【害虫霊】が沢山集まって一つの個体をなした物を指したものです。普通の【害虫霊】とは違って【混合害虫霊】は、とても攻撃性が強いので危険です。放っておくと……」

 バリッ! と、へばりついた【虫】の一匹が口元の鋭い牙を使って、車体を噛み砕こうとしていた。それは雪野のすぐ左の窓からで――バリッ……バリッ、バリリッ!

「えっ! ちょっとぉおお~! お兄さん?」

「なんか、ヤバイ気がするニャ~!」

「とても、嫌な予感がしますニャ~ン!」

 雪野同様、クロとシロも怯えて声が震えておりそして花月も困ったように兄を見る。

「お兄さま……」

 振り返る季流は、いつも以上の真顔、そしていつも通りの淡々とした声音でこう伝えた。

「はい、こうなるんですよ。木でも鉄でも何でも食い破ってくるので五分もたたないうちにこの中は終わりですね」

「どうするんですか? お兄さんなら何とかできますよね? 大丈夫ですよね?」

 この中で一番危険なのは雪野だ。なぜなら窓に一番近くて危険という事もあるが……

「俺、普通の人間と変わらないんですから、あんな【虫】入ってきたら絶対、死ぬぅ!」

「では、花月は念のため結界で自分の身とシロとクロを守ってください」

 花月と二匹の安全はこれで問題ない。結界を張った彼女は二匹をしっかり抱きかかえる。

 一方の雪野に向けた季流の指示は……こうだった。

「あと雪野くんは……自分でなんとかしてください」

「ええっ!? あのう……」

「すみません。雪野さん。私がもっとこの力に慣れていれば、結界の範囲を広げる事ができるのに。今はクロとシロの分で精一杯です」

 そこで季流はまだまだ余裕ですと言うような顔に戻り言い直した。

「雪野くん、安心してください。さっきのは、冗談です。でないと私も危険なので。念の為に一応覚悟しておいてくださいという事ですよ」

「あ、はい。そういう事ですか……よかった……」

 それでもやはり心配だ……

 バリ、バリバリバリ――と車の周り全体に音が聞こえだす。一匹の【虫】に同調して今、他の【虫】も一斉に牙をむき出し始め、全体に広がるまでには時間がかからなかった。

 破壊される震動。それをほんの数秒聞いていた時だった。ガリッとガラスにヒビが入る。

「うっ! 本当に大丈夫ですよね!」

「まあ、見ていてください。これだけ数が多いとうんざりしますが、《霊繰畏》の力で何とか出来ます。私は夏川家でも一番の使い手ですからね」

 季流は笑みを浮かべ軽口をたたきつつその顔は真剣でもあった。

「いきますよ」

『はい!』

 目を閉じて全身に力を入れる様に手を合わせて、そのまま……発する。

「ハァッ!」

 それは爆発的といってもいい程の衝撃だった。力を込めながら息を瞬時に吐ききる事で、その威力は突き抜ける高速の矢のごとく高まり、波紋の様に高範囲まで広がっていく。

雪野たちにもその圧力は間近で伝わり、彼は思わず手で顔を覆った。体はその力を避ける様に自然と丸くうずくまる。目をつぶりながら雪野は全身に鳥肌が立つのを感じた。

「うぅっ……」

 それは《破気》という季流が持つ《霊繰畏》の特性を生かした力で、体全体から気を放ち、相手の動きを麻痺させるのに有効な力だ。霊力が強い人の中にはその《破気》が出来る者もそれなりにいる。普通だと一メートル範囲の敵に衝撃を加える程度にしかならないが《霊繰畏》という独自の能力を持っている季流だからこそ、今この瞬間……

 ザワワワワワワワワヮヮヮ――――圧倒的な威力で奇怪音が消えていく。暗い場所に光が差し込むかの様に、【虫】達がなぎ払われ明るさが増す。

「まあ、簡単でしたね。これを使うと一時的に体がだるくなるので、あまり使いたくないんですが。それに、対象を選べないので周りにも影響が出ますし……」

 一般的な《破気》を使い手は、その一撃だけで急激に体力を消耗するものだが、季流はそう呟きながらも、振り返った時にはまだまだ余裕の表情を見せてきた。

「でも……よかった、ですよ。こうでもしないと、もっとヤバイ事……なってたから……」

 一方、重苦しげに体と声を震わせながらやっとのこと喋る雪野の姿がそこにはあった。

「大丈夫ですか、雪野さん……?」

「ほとんど雪野くんの自業自得、みたいなものなんですがね」

心配する花月に対して季流は呆れた様に肩をすくめた。

「あはは、そうですか、ね……」

 それというのも初めてこの力を受ける人はこうまではならない。【変物】や虫、小動物には効いても人間にはあまり影響はないものなのだ。しかしこの《破気》というものは繰り返し与える事で重みが増す。だから雪野はこうなっている……

「そうでしょう? 毎回の任務で逃げようとしなければ、私の力を受けずに済むはずですが?」

「それを言う、なら……お兄さんが任務に、俺たち、を、連れて行かなければ……こうはなって……はい、すみません。何でもありません!」

 言葉の途中、季流が振り返りその真顔から嫌な予感がした雪野はすぐ謝った。

「雪野くんはアレですが、花月は大丈夫ですね?」

「はい、お兄さま。私達は大丈夫です」

 自分も含めて何とかみんな無事だった事にはよかったのだが……まだ安心はできない。

「それにしても……さっきの【虫】はなんだったんですかね? 中に入ってくるかと思ってヒヤヒヤしましたよー。もしかしてあれが村人を襲っている物の正体だったりして……」

「……そうかもしれませんね」

「先程の【虫】が頭から離れませんニャン。ニャアアアアア~」

「また来たりしないかニャ? どうだニャ? どうだニャ? 季流~」

「というか、車がボロボロに、されちゃってますけど……動かないって事ないです、よね?」

 その言葉の後、季流は車を少し動かして見せてこう述べた。

「どうやらその心配はなさそうですが、先程の【虫】は明らかに私達を狙って飛んできていました。何か目的があるのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。分からないので一応、最悪な状況を生まない様食い止めとこうと思います」

「え、それって……」

「もしあの【虫】が我々を追ってくる様ならこのまま村に持ち込むのは、村人達を危険に巻き込む事になるのでもう一度【虫】が来ないかを見張ります。しばらくして何事もないようだったらそのまま村へいきましょう」

 手紙に書かれている様に、一般人にも【変物】が影響している事を考慮してか、季流は慎重で雪野も納得しつつも、自分の最大の心配事を無視する事は出来なかった。

「分かりましたけど……もし、また来たらお兄さんはまた《破気》使うわけですか?」

「そうなりますね。二度も力をくらえばもう動く事は出来ないでしょう。次で仕留めます」

「ハア……」

「仕方ないですよ、雪野さん。その時は……我慢です!」

そんな分かりきっている無責任な励ましはいらない! 

「ほんとにもう来ないでほしい……って、あれ? なんか……なんかもう、きたぁああ!」

 切実にそう願ったのも束の間、さっそく木々の中から【虫】がお出ましなのである。

「言った傍からですね。では、さっさと終らせてしまいましょう」

「お兄さん、やるの? やっちゃうの~?」

「はい、やります」

「やっぱり、まだ本当にしんどいっていうかもう一度は無理! 絶対無理、死ぬよマジ!」

「このまま何もしないほうが死にますけどいいんですか? 雪野くんだけ、死んじゃいますよ。この世から、完全におさらばですよ」

「怖いこと言わないでくださいよ! お兄さん!」

「それは大変です! 雪野さん、ここはやっぱり我慢……」

 と、花月の役に立たないアドバイスは放っておいて……

「ですから他に方法はないんですか? お兄さん!」

「ないです!」

 そのきっぱりした言葉を聞いて雪野は嘆いたのだった。

「あぁ……お兄さんの、薄情ものぉおおおおお~!」

「あったらやっていますし、そもそも私も疲れているんですからね! もう仕方がないって感じで我慢してください!」

「我慢って、花月と言っていること同じだぁ! もう!」

「そんなに嫌なら車の外に出て、私の力が届かない所へ避難すればいいでしょ。さあ降りてください。私から離れれば影響もないでしょう?」

「それもなんか……【虫】、俺の方にきたりしませんか?」

「知りませんよ。花月、雪野くんを外に出しなさい」

「え、でも……」

「お兄さん! それ、ちょっと待……」

「いいから早く、このさい雪野くんのそのヘタレ根性を叩き直してさしあげましょう」

「そんな……」

「お兄さま……」

「これも雪野くんのためなんです。私が一度でも嘘を言った事がありますか? 花月?」

 季流が花月に向ける眼差しはそれっぽく真剣そのもので……

「ありません、お兄さま」

 そして、それにまんまと騙されるのがおバカな花月がいた。

「言葉と雰囲気に惑わされるんじゃねぇよ、花月! よく考えてみろ!」

「はっ! いえ、あります。いっぱいありますよ、お兄さま!」

「今回は本当です。というわけで兄の命令として、雪野くんを成長させてあげましょう。さあ、花月、雪野くんを外へ放り出しなさい」

 季流はニコっと微笑んだ。さすがの花月も強引な兄には逆らえないようで……諦めた。

「雪野さん、ごめんなさい……」

「おい、花月、やめ、やめてぇええええええ!」

 パタンッ、ポイッ、パタンッと雪野はまるでゴミ出しの様にあっさりと捨てられた。

直後、車は動き出し始め、雪野が追いかけても離れる一方で、その間にも【虫】は接近しつつあり雪野は慌てながらも選択した。急いで車から離れその反対の方へ遠ざかろうと動き出すが、その瞬間から運悪く【虫】の大群は彼めがけ一直線に向かってくるのだ。

「う、嘘だろぉおうわぁあああ。ちょ、ちょっとぉおおおお! なんでこっちにぃいいいい! お、お兄さーん! 花月でもクロでもシロでも誰でもいいから、助けてぇえええええ!」

という事で現在にいたるわけである。

(もう、じゅうぶん走った。走り続けたよ、自分……いやでも……しかし、まだ……

全力疾走、十分経過……だからもう十分……)

彼はもう叫ぶ事が出来ない程の限界に達しており意識が朦朧し途切れる寸前であった。

(ああ……もういいよ。俺はもうダメだ、ダメなんだ! ほんともう限界なんだよ……だからもういい、楽になってもいいんだ。俺は頑張った、よ~く頑張った。そうだよね? だからもういいよね? ね?)

雪野は【虫の化け物】の姿をそっと確認する度、足を止めてしまう勇気が持てずにいた。

「あぁ、あぁあああああ! もう! このヤロォオオオオオ!」

だが、(もう……どうでもいい……もう疲れたんだよ! いい加減走るの、疲れましたぁ! という事で俺死にまーす! さよなら……あ、お兄さん、花月みんな……絶対呪ってやる! 枕元で呪ってやるぅうううううう!)

死に際の言葉を心の中で言い切った雪野は、これで終わりにしようと動きを止め――

「あの、大丈夫ですか?」

「え……」

 不意に声が聞こえ足を止めず斜め横に目を向けると、長い巻き髪を一つ縛りしたのが特徴の少女が崖を挟んだ先に走り寄って来ていた。

「すみません。今、助け……」

 声をかけられた時、雪野の足はズルッと緩みバランスを崩し前のめりに倒れかける。

「お、うわぁ!」

「えっ!」

「おっと、ととととととと! 危ないぃいいいいい!」

持ち直そうと踏ん張るもののさらに地面に生えている木の根っこに足をひっかけ雪野は結局こけた。刹那、彼が自分の腰の帯につけていた黒い袋がヒュンッと投げ出されるのを捉え、彼は手を伸ばすもののそれは手に触れをもせず虚しく崖底へと落ちていったのだ。こうして最後には地面にへばり付いた状態で固まる雪野の姿が映っていた。

「ああっ、ノ~!」

そして、彼には今そんな事を気にしている暇はない。なぜなら後ろには、まだ……

ブンブン、ブブンブブブブブン―――【虫】が迫る!

「う、嘘だろ……ああ……」

 雪野が言えたのはそれだけだった。

意識が途絶える寸前まで聞こえたのは、彼を覆う【虫】の奇怪音だけ……


ハァッハァッハァッハァッ――――――

暗闇の中の荒い息。それは幼い子供の苦しさを含む、死に対しての不安を秘めた嘆き。

「死にたくない……」

 ずっとそう願う日々だった……

ふと縁側で一人座る自分の姿が映し出され、その手にはある物が握られている。

「お姉ちゃん……」

 姉が亡くなってから突然と手にした和人形。父は言っていた、これは――

「雪野。これは木崎家に伝わる大事な人形だ。この家の呪いだ。お前が選ばれた以上は決して逃れられない。人形からは逃げられない……」

その後に続く言葉はこうだった。

「そしてお前は、もういない者なのだ……私達はこれで一切、お前と関わらない。関われない。それを受け入れろ。全て受け入れろ、雪野……」

 宣告。幼い子供には理解しがたい現実が、人形を手にした時から待っていた。

 母も笑ってくれない。誰も自分を見てくれない。答えてくれない。

「お父さん、お母さん? やだ、無視しないで。みんな無視しないで……」

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い――嫌だ。不安、一人、孤独、寂しい、恐怖……そんな負の気持ちを訴えても誰も聞いてくれない。誰も近くに来てくれない。傍にあるのはいつも不気味な和人形だけだった。そして次第に思う。悟る……

「一人にしないで……嫌だ、嫌だよ! 誰か助けて! 助けて、助けて――」

ただ理解しきれないその異様な現状に救いを求めても、もう……

「助けてよ、どうして……どうして……どうしてこんな事……なんで? もう嫌だ!」

そう嘆いたって、どうせ……もう……

「無駄な事だ……」

 そう呟いたのは今の自分だった。だが子供の自分はそれでも叫んでいる、叫び続けている。

「助けて、助けて、助けて――」

 無駄なのにいつまでも……いつまでも……諦めきれず、疲れるだけなのに……

 結局、意味がなかったかった事なのに……

「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」

そこで、ふと誰かの声が聞こえた。誰だろうと思いつつ次第に世界がぼやけていく――

これは、夢か……?

「誰か助けてぇ……うぅ」

唸り声が響く。雪野は草の上に横になった状態で苦しそうに手を伸ばしていた。そしてサッと目が覚めた。自分の目に映し出された景色は先程と変わらない森の中で、ふと、

「気づかれましたか?」

雪野を覗き見ている女性……先ほど目にした自分の後を追ってきていた少女だった。

「あ、あなたは……?」

「雪野さん!」

そう呟いた時、花月がすぐ近くにいた様でいきなりの大声に雪野は上体を起こす。

「うわあっ! びっくりしたぁ……花月いたの? って、お兄さんもみんないる!?」

「いました、雪野さんが目覚めるまで待っていたんです!」

見知らぬ少女の背の後ろには季流と猫二匹の姿もあった。そしていつもの事だが自分達を囲む様に森に住む奴らの視線もあり気づかないふりも出来ない。

「【アレ】がいる中、眠っていればどうなっていたか分かりませんからね」

二人がいなければ自分は意識を失っているうちにあの沢山の【化け物】達に食べられていたかもしれないという事だ。そう考えるとゾッとするが……それよりも……

「それにしても雪野くん、よかった。ちゃんと目が覚めましたね」

「俺、そういえば、どうして……」

 ハッとして、意識を閉ざす寸前の【虫】に囲まれた自分の状況が頭の中に展開し、雪野は自分の腕、体を探り出す。腕をめくり上半身、着物をはだけさせ――

「雪野さん!? いきなり何をして……」

 花月は彼の突然の行動に、慌てふためく。

「何もない。刺されていないのか……?」

「むむ?」

「よかったぁ~。生きてるぅ~」

「死ななくてよかったですねー雪野くん」

「はい、ほんと……ん?」

さらっと流すように呟いた季流の言葉に雪野は一瞬、言葉を止めた。

「って、本当にあれマジ死にかけたんですけどぉおおお、お兄さん! ちょっとぉおおお!」

「だから、死ななくてよかったじゃないですか?」

「よくありませんって! 酷くない? ずっと走っていたんですよ! 叫んでも誰も来ないし、もう死ぬ気で……」

「すみません。私のせいです。私が虫達に頼んだから……」

「え?」

唐突に少女は謝罪してきて雪野はどういう事だろうと戸惑いつつ少女の方に意識を向けた。

「え~っと……そういえばあなたは?」

「あ、雪野さん。この人はあの手紙を書いた本人ですよ」

「そうなの?」

「はい。小羽……夜ノ月小羽といいます」

 見ると彼女はどこか緊張している面持ちで、手がわずかに震えているのが分かった。

 なるほど彼女は、俺達と合流しようとしていたのか……

「でも、よかったです。本当に虫達を使って人を襲ってしまったと思いましたから……あの、雪野さん、は本当に大丈夫ですか? 何だか辛そうにうなされていましたが……」

「別に【虫】達は、雪野くんを刺したりしていないのでしょう? それなら彼がうなされていたのはまた別の問題にすぎません。よくある事なので心配しなくてもいいですよ」

 小羽を安心させる様にそう言葉をかけた季流は喋り終わりにちらりと雪野を見据える。

「えーっと……そんなにうなされていました? 自分……」

「はい。困っているところで季流さんと花月さんにも合流できたのでよかったです」

「そういえば、お兄さん達どうやってここが分かったの? 俺、適当に山の中、走り回ってた気がするんですけど……もう必死で……」

 思い出すと二人への不満や怒り、奇怪な【虫】などへのトラウマとかで不快さきわまりないので、雪野はなるべく思い出さない様にしながら彼女にも聞いた。

「小羽ちゃんもどうやって……?」

「私は虫達の案内と、あなたの騒ぎ声で……」

「あははー、そうなんですかぁ……」

 俺、カッコ悪くない?

 雪野がそう心の中で呟いた時、それを代弁したかの様な声が聞こえてきた。

「ニャはは、雪野カッコ悪いニャ……」

 その瞬間、近くにいた季流は、その声を発した者の口を慌てて抑えた。

「クロ! 喋らないでください」

 季流は聞こえないよう、小声でクロに注意する。

 この、言葉を話す猫の事はなるべく秘密なのである。いろいろややこしい事態になりかねないのと、説明するのも面倒になるので。

小羽は上体をひねり季流達の方を見て、それから二匹の黒と白の猫を……見つめる。

「あれ今……なんかニャーって……」

「気のせいですよ」

 雪野が小羽にごまかすようにそう返す。その後、花月も……余計な言葉をこう返す。

「そうです。猫は喋りません!」

「え? 猫……」

 その結果、猫二匹に向ける視線を強めた小羽がいて雪野は花月を睨みつけて訴えた。

っておい、花月! その一言はいらないから! もう余計なこと何も言うな!

「あー、えーっと喋ったのは……そう【精霊】、私達をここまで案内してくれた[JHSA]で管理している【使霊精霊】です」

「あーそれでお兄さん達ここが分かったんですね。なるほど!」

「【使霊精霊】?」

 興味深めに声を漏らす小羽がいて季流はそんな彼女に説明した。

「あー【使霊精霊】とはですね……」

それは人に使役された【精霊】の事で、の姿は不愛想だがとても可愛らしく愛嬌あるミニ生物。形も色も微妙に違いがあるという。

「あなたの元にメッセージカードや手紙などいつの間にか置かれていませんでした? そして、いつの間にか消えていたり……」

「はい、ありました。もしかして……それは【精霊】が?」

「ええ、それが彼らの役割です。【変物】に関する問題や自身の体質による悩みを持つ者、助けを求める者達を見つける為、主に自然がある所を動き回り人を観察していく。そしてターゲットを発見次第その助船舟として[JHSA]にいる〈精霊使い〉に報告をする」

「その〈精霊使い〉というのは?」

「【使霊精霊】を管理し、それを使役する者の事です」

「そんな人がいるのですか?」

「はい。そういえばあなたと虫の関係は、その者達と【精霊】の関係に近いですね」

「そうですね、私もそう思いました……」

「あなたはその事で今まで辛い思いをしてきたと思いますが心配しなくていいですよ。あなたと同じ境遇の人は他にもいます」

 その言葉に小羽は季流をまじまじと見つめ反応をしめしていた。

「それを知ったとしてあなたの抱える根本的な問題はそう簡単に無くなるものではないと思います。ですがまず私たちを信じ今、起きている問題について詳しく聞かせてください」

 季流のその物言いは彼が数多くの任務を今まで経験してきた、プロである事を実感させられる。異なる人同士がお互いに理解し合う事が難しいと彼はよく知っている。

普通に生きている人達でさえ色々と面倒な人間関係を築いているのだ。だがどんな関係でもお互いに知らなければ、伝えあわなければ何も始まらない。分かり合う事なんていつまでも出来ないのだ。だから依頼を受ける側として彼女を理解するうえでもまず小羽の事を聞く必要があった。彼女が何に困っているのか。自分達に何をしてほしいのか。

「そして、あなたの気持ちも……何でも話してください。できる限りの事をします。私達はあなたの力になりに来たんです」

小羽は信頼できる人間か確認しているのか雪野達の顔をじっくり見つめた後、やがて静かに息を吐き、何かを決心した顔を見せた。

「よろしくお願いします。皆さん……」

依頼の授諾を確定し、皆は季流の言葉により動き出す。

「それではいつまでも立ち止まっているのもなんですから、とりあえず車まで戻りましょう」

『はい』

 その後、雪野達は森を出て見るも無残になった車で村へと向かう事になったのだが……

「あの……すみません。車をこんな風にしてしまって……」

「いえ、大丈夫ですよ。[JHSA]の偉い人が、きっと後で新しい車を支給してくれますから大丈夫ですよ。新しくなるので逆にラッキーです」

そんな会話が漏れる中、雪野は何か大切な事を忘れている気がしてならなかった。

「う~ん……?」

既に車は出発していて、外を眺めながら先程の森での映像が頭の中で流れ瞬間、黒い袋が落ちたあの光景へと辿り着く。

「あっ、あれ?」

「どうしたんですか、雪野さん?」

「ない!」

 花月の質問にも答えないまま、雪野は何やら焦った様子で自分の腰、着物の帯部分を手探りながら言葉を漏らした。

「ヤバイ……袋、落としたんだった……」

 季流はすぐに車を止めその際、小羽に付いてきていた【虫】達も一斉に停止する。

「雪野くん、落としたんですか? あんな大事な物を……」

 ジロリと冷たい眼差しを向けてきた季流を見てビクッとしながら彼は言い訳を垂れた。

「だ、だってあれは仕方がない! 走り疲れていたし、転んでさえいなければ今頃、小羽ちゃんが助けてくれていただろうから気絶せず、すぐ村に行けたはず。というか元々お兄さんが俺を車から放り出さなければこんな事にはなっていないわけで、だから……すみません」

「あ、あの、私のせいで……」

「ああ、俺の心配はしなくて大丈夫だよ、小羽ちゃん。あの袋は一応、何とかなるから」

「本当ですか? その、皆さんの様子だと何か大事な物が入っていたのでは?」

「大事っていったら大事な物なんだろうけど……本当にそこは大丈夫。ただ問題は……」

「あれですねぇ」

「私達はもう慣れていますけど、小羽さんがあれを見てしまうとなると……」

 小羽を抜いた全員が深刻な雰囲気となり、その状況に彼女は戸惑った表情を浮かべていた。

「……皆さん、どうしたのですか?」

小羽が雪野の方へと顔をずらした瞬間だった。

「きゃあ!」

そこには和人形の姿が……赤い着物に長い髪をしていて一般的な型をしているその和人形は花月の膝上に乗っかっていた。異様にあやしく不気味さを放つそれをよく見ると帯には短剣が差し込まれている事に気づくだろう。

「むむ……なんで今回は私の上に……」

 小羽の悲鳴を聞いてブンブンブンブン―――と、荒々しく羽音を動かしていた。

「おわぁ!?」

「なに、いきなりどこから……?」

「小羽さん、見ての通りです。雪野くんは呪われているんです、その和人形に」

「そういう事……あ、小羽ちゃん。人形には触らないようにね」

 平然とした雪野や季流、花月の態度に小羽はただ黙り込んでいた。

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