表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人形怪奇  作者: 詞記ノ鬼士
第一章 夜ノ月琥珀のその虫は
1/141

001 少女と子供

それは春初めの季節。様々な物が一斉に冬の沈黙を破り目覚めゆく、そんな目まぐるしく変化していく頃にある幼い子供は【変な物】を一人見つめていた。

「アァ……オマエ……ハ、ダレ? 子供……ニンゲンの子供、カ? こっちに、来ない……ノカ? イッショニィ、アソバァナイ……? フフ、フフ……」

その存在は黒いきり、もやの様な塊であったり、ギョロギョロと動く目玉、それが沢山付いているナメクジの様なグニャッ、ドロッとした緑の物体であったりと、姿、形、色などはそれぞれ異なっていた。空を飛び回る物までいて時より人間の言葉を話すのだ。

「アソバナイ……? ヒィ、ぅう、ひぃヒヒヒヒィ……フフフッ、ハハ、ハハ……」

人が立ち寄らない森の中に住むその子供は、いつも外の世界を動き回るそんな【変な物体】を当然の事の様に目に見える物で当たり前としてこの世界に存在している物だと思っていた。外の世界には自分の知らないこんな【変な生物】がいるのだと。興味深く家から見える外の景色をいつも眺めていた。子供は外の世界にずっと憧れていたのだ。

ひっそりと山奥に建てられた和が漂う古くて広い家、それを覆う木々が点々と生えている庭。そんな小さな空間だけが子供が今まで生きてきた世界だった。

「ねぇ、ドウシタ……ノ? あぁアアァ……オイデ、おいで……おいで、よぉ」

「あ……」

黒い塊はその大きな一つ目でこちらをじろりと見つめ、手招く様にそう囁いてくる。

「ねぇ、ドウスル、ノ? アソボ……アソブ? アソボゥ? さあ……サァ……さぁ……」

見え隠れする鋭い爪、人形の様に表情が固まりその奥底が空っぽにも感じられる目、その【黒い闇】に不信感を持ちながらも子供は引き込まれる様にまた一歩と近くへと寄ったのだ。

「僕は……だめだよ……」

「ソレハ……ドウシテ……ダ?」

「僕は、ここから出たらいけないんだ。そう言われているから……だから遊べない!」

言葉なく恨めしそうに目を細めるそれは、皆から【危ない物】だと告げていた物で、しばらくすると隠れていた鋭い牙が見えるほど怪しく微笑んだ。

「マタ、クルよ……ずっと、待ってイルヨ! オマエ、を、必ズ、クイ二くるから、ネェ!」

そんな恐ろしい言葉を囁き、飛び去っていく【一つ目の化け物】に、子供は思わず伸ばしかけた手やさらり踏み込もうとしていた足を急いで引いた。

「僕、怒らせてしまったのかな……? でも、ここから出たらいけないんだよね……」

 ふと左右を見まわし顔を上げ、子供はそこに沢山の目が自分の方に向いている事に気づいた。

その外を自由に動き回る【変な生き物】達は敷地内には決して入ってこない。

いや入れないのだろうか? 庭の周り、家を囲む内側だけがまるで結界の様な物で守もられているかの様に【変な奴ら】を寄せ付けなかった。その光景は子供にとって不思議で何だか少し寂しい気持ちにもさせていた。自分だけが一人ぼっち取り残されているというそんな感覚。

今日も小さな世界を憂い眺め子供は胸の内の願いについて考えた。その願いとは……

「だめだよ、雪ちゃん!」

「ううっ……」

突然とかけられた声に子供は大きく目を開き、制服姿の三つ編みの少女に顔を向けた。

「外に出たら危ないでしょう?」

彼女の声は少し心配している様で、しかしとても優しいものだった。

子供は黙ったまま気づけば踏み込んでいた、このままでは内と外の境界線をもう少しで超えていただろう足をそっと内へと戻した。そして切り返す様に少女の事をちらっと伺いつつ、急いでスタスタと近くの木に身を隠した。その場で縮こまる様にして直線に並ぶ四本程の木をまたいだ先にいる少女の方を探る様に見張っている。

そんな警戒心を露にする子供の姿に少女はさっと調子を変え微笑みながら動き出す。

「う~ん、雪ちゃんは隠れんぼうでもしたいのかな~?」

「わぁっ、うぅ」

迫る少女に子供は慌てて駆け出した。長い髪と桜色のかわいい着物をなびかせて、また一本の大木へと身を隠す。少女は立ち止まりふわりと頬に絡む亜麻色の髪を耳にかける。

「あっ、もう……そうか~、雪ちゃんは鬼ごっこがしたいのか~」

いたずらな笑みを浮かべて再び彼女は子供を追いかけた。

「雪ちゃ~ん、捕まえちゃうよ~」

「やっ……来るな、来るな!」

背後で手を伸ばす彼女を見て、必死に逃げるまだ幼いその子供の走りはトコトコととても可愛らしいものだった。少女は子供の速さに合わせほんの少しだけ遊んだ。

「あは、はははは!」

甲高い声を出し笑う様になった子供の姿に少女も微笑ましそうにして、腕を大きく広げ全体で子供を抱きしめた。捕まえられた子供はジタバタとその腕から逃れ様とするのだ。

「わぁ! ん、んん~! きゃはは!」

「雪ちゃん、つ~かま~えた。離さないぞ~」

少女は子供が逃げない様に腕でしっかりと押さえ、そのまま子供の体を「よいしょ」と、声をもらし持ち上げた。そしてクルクルと子供の足が少し浮き上がるほど回った。

「うわぁっ、アハハハッ!」

すっかり心を許してくれた様子の子供に少女はさらりと話しかけてみた。

「雪ちゃん、今楽しい?」

「……う、ん……楽しい」

「よかった」

か細い声で頷く子供に少女は嬉しく思いながら子供の体を地面へと下ろす。動き回ったためか、木くずと砂で所々汚れてしまった子供の着物を掃いながら少女は聞いた。

「お姉ちゃんね、雪ちゃんと仲良くなりたいんだ。雪ちゃんは、私と仲良くなるの、いや?」

「いやじゃ、ない、よ……」

「そう? ありがとうね。それじゃあ雪ちゃんとお話ししてもいいかな? お姉ちゃん、雪ちゃんの事いっぱい知りたいなぁ~」

「うん、いいよ!」

少女の温かな顔を覗き込み子供は力強く返事をした。それを確認してから裏にある縁側に二人座り彼女は子供にいろいろ質問した。どんな食べ物が好きなのか嫌いなのか? 何をしている時が楽しいのか? 得意な事は? 一番好きな人は誰か? 

少女の沢山の問いかけに子供はお肉が好きだと、野菜が嫌いだと、お母さんが一緒に遊んでくれる時が楽しいと、お手玉が得意だと、少女に聞かれた事をゆっくり一生懸命答えていった。うんうんと頷く少女は最後に間を置いてからこう問いかける。

「雪ちゃんの願いって、なあに?」

「願い?」

「そう。夢とか自分がああしてみたい、こうしてみたいって思っている事だよ」

「う~ん……僕がしたい事……? えっとね、僕の願いはね! 早く体、良くなって、そして外に出てあの【変なの】触ったりして遊ぶ!」

 五才にならないその子供は、無邪気にそんな事をきらきらとした眼差しで言葉を発した。

「そうなんだ~。なら早く元気にならないとね」

 少女は少し悲しげな表情を見せた後、何事も無かったかの様に微笑んだ。

 それに気づかず子供は顔を上げてその少女――自分の姉となる少女に元気よく返事した。

「うん!」

 曇りのない満面の笑みだった。

ずっと家と自然の景色の中で大事に守る様に育てられてきた子供は、生つき体が弱かった。そんな暮らしの中でまだ何も知らない子供は願う。自分の病気が良くなる事。そしてまだ行った事のない不思議な外の世界へ出る事を。子供の願いはそれだけだった。たったそれだけ……  

だがそんな思いは虚しく一年、二年と日を重ねるごとに子供の体は徐々に弱っていった。

 姉は願った。子供が元気になって自分と二人で出かける未来が来る事を。笑い合う自分達の姿を深刻となる子供の病状の中で強く思い浮かべた。

しかしそんな日はとうとう来る事がなかった。敷かれた布団の中に苦しんでいる子供の姿がある。布団に横になって息ができないと泣きながらもがいている子供の姿がある。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ―――」

荒い息が響き渡る。着々と確実に死が目の前まで迫ってきていた。

子供のそんな姿を見るたびに姉は思う。いっそ死んでしまった方がこの子は楽になるのではないかと。子供は苦しさに何日も耐え続けていた。いや生まれてからずっと子供はこの呪われた家系の奇病と戦っていた。

自分にできる事がないかと子供が救われる方法が何かないのかと考え続けるが、それでも悪い方へと進んでいく現実の中、自分には祈る事しかできず姉は悔やんだ。

「痛い苦しいよ。僕死ぬの、死ぬの、嫌だ、そんなの嫌だ、嫌だ……ヤダヤダヤダ、怖い!」

 子供は自分の中にあるあらゆる不安、恐怖を吐き出す様に泣き叫び続けた。

「大丈夫、大丈夫だから」

「雪ちゃん、がんばれ」

 母親と姉に抱きしめられると子供はそれで安心するのか、こちらに心配させない様にしているのか『大丈夫』『がんばる』と、痛みに耐えながらも決まって弱弱しく笑うのだ。

 そんな姿を見て姉は余計に悲しくなった。母親が先に耐えきれなくなり泣き出した。

それに子供は困った様なそれでいて悲しそうな曖昧な顔をしていた。

その日を境に子供の笑顔は病状が悪化していくのと並行して薄れていく。母親に抱きしめられながらも諦めた様に……まるで死を待つ様に悲嘆にくれた目でどこか遠くを見つめる子供の姿があった。やがて変わらず続く耐え切れぬ痛み苦しみな中で子供はいつもの様に泣き叫んだ。 

繰り返し、繰り返し……

「嫌だ、嫌だ、苦しいよ。もう嫌だ―――」

 もう笑えない子供にはそんな感情しか残っていない。だけどそれは子供の最後に残された生きようするあがきの様で意思の様で、姉はまだ諦めてはいけないと強く思い、抱きしめながら子供に言葉をかけ続けていた。そして……今日も一日を繋いでくれたらと祈った。

「大丈夫だよ、雪ちゃん。雪ちゃんは死なないよ。絶対、死なないから頑張ろう。体が良くなったら外に出るんだよね。今、頑張ったら絶対いけるから。お姉ちゃんが一緒にいってあげるから。楽しい場所に連れて行くから。だから、がんばって生き……」

 その時、姉の言葉は途中で子供の苦しげな声によって止められた。

「うっ……げほっ、ごほっ、うあぁハァッハァッハァッ――――」

 そして、大量の血を咳と一緒に吐きだしたそのまま意識を閉ざす子供の姿があった。

「雪ちゃん? 大丈夫、雪ちゃん? 雪ちゃん――」

 半日ほど経ち辺りが暗くなり始めた頃、子供は僅かな話し声を聞きそっと目を覚ます。ぼんやりと周りを堅く沈み込む様な父や母、祖父母の姿が見え、すぐ左横の姉の辛そうな表情がしっかり映された。何かを口々に発し、母親が誰よりも顔を不安で歪めていた。

「これは最初から、決まっていたこの子の定め。これ以上はもう……私は見ていられん」

「では……そろそろ、覚悟しておかねばいけないという事ですね」

「この家に生まれた以上、決して死を免れる事はできぬ。雪野は長く生きた方だ。だが、もうおしまいじゃ。仕方がない、これは仕方がないのじゃ……なあ、鈴奈」

「そんな、だめ。雪野は! 雪野は……私の雪野は……本当に、もうだめなの……うぅっ」

「お母さん……」

顔に手を当て嘆く母親の肩に手をかけ励ましている姉の姿が目に入り子供はぽそり呟いた。

「どうし、たの? お母さん、みんな……おねぇ、ちゃん……」

「雪ちゃん!」

 姉は子供が目覚めた事に気づき声をあげ、家族もその声で一斉に子供の方に目をやる。

「なに? 雪ちゃん。 大丈夫? 苦しくない?」

 子供は姉の言葉に、何かを言いたげに、あ……あぁ……と口を動かす。

 その時、子供は母が漏らした言葉を聞き自分がもう死んでしまうのだと悟った。でもそれでは姉との約束を破ってしまうと思い、それでも母の言葉を聞いて安堵した自分がいて、死への恐怖と共にずっと言えなかった気持ちが溢れかえってくる。子供は混乱しながらもそんな気持ちを吐きだしそうになるのを抑えようとした。

「……雪ちゃん?」

姉や家族の心配そうな顔を見て子供は「大丈夫」だと、「生きるよ」と言わなければと思って無理やり笑おうとした。しかしそれさえも彼にはもうできなくて、もう何かが終わりなのだという感覚が子供を襲った。すると、黒くて重い感覚が波の様に心の中を勢いよく襲い掛かり、うぅ……とこぼれ出す声の後、子供はぽろぽろと涙を流し始めた。

 姉はそっと子供の手を握る。そしてしっかり子供を見つめ声をかけた。

「どうしたの? やっぱりどこか苦しいの?」

 苦しくないわけがない、それは分かっている。だけど子供が前の様にまた大丈夫と返してくれるのを期待していた。言葉にしなくてもそう思っていてくれる事を期待していた。

 子供はそんな思いを持つ姉へと疲れ切った顔をむけこう呟いた。

「もう、苦しいの……いや、だよ……は、やく―――――」

吐きだされたその言葉を家族全員が聞いていた。

誰もが思っただろう。『はやく』の後に続いたその『死にたい』という、訴えるような子供の嘆きを聞いてもう楽にしてやりたいと。

「雪ちゃん……」

 姉は子供のその言葉を聞いてとても悲しくなった。子供はずっと願っていたのに。いつか体が良くなって外の世界へ出る事を望んでいたのに……

彼女も子供が元気になり一緒に外に出かける日が来る事をずっと願っていた。そう約束した。

しかし子供の願いはもう『死にたい』に変わっていた。そしてそれは姉の願いも……胸の中にある僅かな希望もその時、失ったという事になる。

「お姉ちゃん、約束……守れなかった。守りたかったのに、でも……ごめんね、ううぅ」

息を切らして必死にそう伝えてきた子供の言葉を聞いて姉はふと思った。

もしかすると子供は自分との約束を守るために今まで生きようとしてきたのではないかと、本当はずっと楽になる事を望んでいたのかもしれないかと……

「そんな……」

生きてほしいという願いは自分の願いだったから。子供はその自分の願いに縛られ、ただそれだけの為に言ってしまいたい本心も吐けず頑張り続けていたのかもしれない。

もしそうだとしたら……自分は……

そこまで思考を巡らせ、姉は罪悪感に沈み込みしばらく何も言えなかった。

家族もこんな救いのない残酷な状況に、その運命に、何も言葉をかけられなかった。

みな、とうの昔に子供が生きられる望みがない事は分かっていた。もうどうしようもないと、この木崎家に生まれた男子が育つ事はできないのだと、最初から知っていたのだ。

それでも、姉は何とかしたかった。子供を救ってあげたかった。だが、それはもう無理なのだと悟り、悔しく、悲しく、辛く、姉は惜しみながら諦めようと歯をかみしめた。

「雪、ちゃん……」

やっとの思いで子供の顔を見て、その今にも色を失いそうな瞳を見つめて呟いた。

「うん、分かった……こちらこそ、ごめんね。こんなに頑張らせて……ごめん……もう辛いよね、苦しいよね。雪ちゃんは、よく頑張ったね……ちゃんと見てきて分かっているよ」

 姉は目に涙を浮かべながら子供の手を強く握りしめながら次に告げた。

それは子供を苦しみから開放する言葉だ。

「雪ちゃん……だから楽になって……最後まで私がそばにいるから、付いていてあげるから。だから、もう……頑張らなくてもいいんだよ。今までありがとう」

彼女の言葉を聞いて子供は安心した顔を見せ、泣いている彼女へと手を伸ばし必死に笑いかけ様とした。それは数秒だけ見せた子供の最後の姿で刹那、途切れる意識と共に腕は地へと落ちまだ九歳に満たなかった子供はこうして穏やかな表情で深い眠りについた。

姉は力なく地に垂れた子供の手を握りしめてただ静かに泣き続けた。強まる蝉の鳴き声は、まるで彼女の後悔や悲痛の叫びの代わりにその場に轟いていたのだった――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ