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パラノイド・ワーム  作者: 風水ほのお
8/11

8

 刑務所の中は壊れた警報機が鳴り響き、扉が外れ、スプリンクラーも壊れて通路は水浸しという有り様だった。


「うわぁぁぁっ!」


 水に滑りながら這うように逃げる囚人服の男の後ろから、鉄パイプのような物を持って追いかける囚人服の男がいる。

 バシャッと水しぶきを上げ、逃げていた男が滑って転んだ。だが、それはチャンスだった。後ろの感染者は、前の標的しか眼中になく、その隙にFBは眉間を撃ち抜いた。

 転んだまま起き上がれずにいる男に、パラライザーを当てる。


 その後も板切れを持って暴れる者、消火器を噴射する者で、刑務所内はパニックだった。

 その中で、赤い閃光が光る。先に走った隊かと思えば、違った。囚人の一人が、レーザー銃を手にしていた。ワームに侵されても、銃の扱いを知っている。厄介な敵だった。幸い、こちらに気づいていない。FBは眉間を狙い、トリガーをゆっくり引こうとした。


「待ってくれ!」


 FBの横から、腕を押さえた者がいた。同じ囚人服を着ている。


「あれは俺の兄貴なんだ! 撃たないでくれ!」


 一瞬、世界がストップモーションのように止まる。

 FBに嫌な記憶が蘇る。避難所になっていたスタジアムで、ワームに侵された母親を撃たないでくれと懇願した。痛いほど気持ちはわかる。だが、迷っていればこちらが殺される。それに――


「だったら尚更、罪を重ねさせるな」


 ジェフの銃が、狙いを定める。FBは急いでパラライザーで弟を麻痺させた。

 銃が、感染した兄を撃ち抜く。額の穴から細く煙を上げ、兄は倒れた。

 仮死状態の弟を、濡れてない床にそっと横たえる。お互い服役中の犯罪者とはいえ、兄を大切に思っていたのだろう。そんな弟も、FBたちが狙撃するのを止めに入ったが、その懇願が無駄だと知っている。知っていても、体が勝手に動いてしまう。


「俺たちは…嫌な仕事をしているな」


 そう言って、ジェフは水浸しの通路を奥に進んで行った。




 刑務所の暴動は鎮圧した。

 キャンプで夕食を済ませてから、いくつかの部隊はのんびり思い思いにくつろいでいた。故郷に手紙を書く者、酒を飲んで歌う者、カードゲームに興じる者。

 特に第十五部隊は任務の連続だったため、よほどのことがない限り、今夜は出動命令が出ない。


 ダイアンはテントの中のテーブルで、施設宛てにアレックスへの返事を書いている。

 ファルコンは簡易ベッドでウィスキーをひっかけながら、携帯音楽プレイヤーでユーロビートを聴いている。

 ナイトも自分のベッドで、本を読んでいた。

 ジェフの姿が見当たらない。FBはテントの外に出た。

 今日はもう発進しないはずのジープの後部座席に、横になっているジェフがいた。幌はかけていない。FBが顔を覗きこむ。ジェフは目を閉じ、歌を口ずさんでいた。


 “親愛なるマイ・ブラザー あの星が見えるか

 こんなふうに寝転がって眺めた あの日を忘れない”


 皮肉なことに始終曇ったような空は、粒子フィルターのせいで星など見えない。

 ジェフはふと目を開け、バツが悪そうに起き上がる。


「なんだFBか。俺の下手クソな歌を聞かれちまったな」


 ジェフは背もたれに体を預ける。いつもは頼もしく思えるジェフが、やけに小さく見える。FBはエンジンフードに腰かけた。


「…俺には弟がいたんだが、ガキのころに交通事故で死んだんだ」


 今日の刑務所の一件で、ジェフは弟を思い出したようだった。


「このワームの暴動を知らずに死んだのは、不幸中の幸いだったんだな」


 生きていても、この暴動で死ぬか、ワームに脳を侵されていたかもしれない。ワームに侵されれば、ジェフの手で処分されたかもしれない。


「俺は弟を殺さずに済んだが――女房を殺した」


 FBは息を呑んだ。ダイアンが、この第十五部隊はみんな、同じ思いをしていると言っていた。隊長のジェフもまた然り、だ。


「俺はな、元少佐だったんだ」


 またしても驚きの事実だ。本来なら、佐官とこんなふうに気軽に話せない。刑務所前にいた兵士たちは、ジェフのことを元少佐だと知っていたのだろうか。ならばあの驚きようも理解できる。


「このデトロイトで、俺は大兵団の主席幕僚をしていた。ある日休暇で、久しぶりに家に帰ったんだ。すると…」


 家の前の開きっぱなしになっていた納屋が、壁や扉まで血の跡がついていた。玄関前で、ペットの犬が血まみれで動かなかった。嫌な予感に家に入ると、斧を手にした妻がいた。妻はワームに侵され、納屋から斧を持ち出し、ペットの犬を殺した。


「俺は護身用の拳銃を女房に向けた。だが、撃つまでにいろいろと考えたよ」


 子供はいなかったが、夫婦仲は良かった。花が好きで、誕生日や結婚記念日には宝石や服よりも、花束のプレゼントを喜んだ。休暇にはご馳走を作って待っていてくれた。ワームの暴動で心配だった。こまめに手紙を送っていた。


「だが、女房はもう助からない。せめて…せめてこれ以上、罪を重ねないようにと」


 ジェフはトリガーを引いた。愛する妻に。妻を人殺しにする前に、自分が人殺しになることを選んだ。


「手厚く葬ってやったが、それで気が晴れるわけじゃない」


 この暴動で、毎日のように死者が出る。軍は重なる暴動の鎮圧に手を焼き、ほとんど機能できない警察も、死者に構ってられないのが現状だ。教会も無人になってしまった所が多い。遺体は身元もわからないまま、まとめて埋葬されるか焼却される。

 ジェフの妻は、墓に埋葬されただけ幸せだろう。


「俺は大佐に申し出た。分隊を率いて、この手で片付けたいとな。ついでに階級も曹長に下げてほしいと願い出たが、さすがにそこまでは聞いてもらえず、一等准尉止まりになったんだ」


 少佐であれば、現場で感染者やエイリアンを処分することはない。ジェフはこの惨状を、見下ろすだけではいられなかった。


「大佐に“責任を投げ出すのか”と、散々言われたがな」


 目元にシワを作り、口ひげを撫でる。そんなふうに軽く話すが、実際はいろいろと葛藤があったに違いない。大佐だけでなく、その上の将官にも説得されただろう。だが、ジェフが選んだのは分隊を率いることだ。

 FBが第十五部隊に配属された日、ジェフは“将官の椅子でも空きゃいいのにな”と言っていたが、それはジョークだった。むしろ、准尉より下の曹長を希望していたのだ。


「本当、俺たちは嫌な仕事をしているな…。FB、お前に嫌な仕事を押しつける。万が一、俺がワームに侵されれば、迷わず撃て。これは命令だ」


「ジェフ、僕は――」


 あなたを撃てない、そうは言えなかった。軍人として、やらなければいけない仕事だ。ジェフだけではない。ファルコンもダイアンもナイトも、もしもワームに侵されれば撃ち殺さないといけない。

 あるいは、FB自身がワームに侵されるかもしれない。


 ジェフは後部座席から一度ジープを降りた。“よっこらせ”と、エンジンフードのFBの隣に移動した。


「もしもな、この暴動が終わって――お前さんが21歳になっていれば、いっしょに酒でも飲むか」


 ジェフの分厚い手が、FBの肩を叩く。その手は妻を殺し、多くの感染者を殺したものではなく、優しく頼もしい手だった。

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