4 空を駆けるネコ②
あんなに大きかったパフェは、あっという間になくなってしまった。
信じられないのは、ネコたちが、自分の身長よりも大きなパフェを、たんとたいらげてしまったことである。
しかも、かぼちゃのアイスの一つおまけつきだ。
二匹のお腹はポッコリ膨れているが、大丈夫なのだろうか。
別腹の少女も、さすがに、今日の夕飯は控えめにしようかと、頭の片隅で考えはじめていた。
しばらく、手持ち無沙汰になった少女は、ネコたちにもらった大きな硬貨を指でいじって眺めた。
そのうち彼女は、その硬貨を指で弾いてまわしだした。
球体の像を描く金色の硬貨。
そのテーブルの地つづきには、ぽっこりお腹を空に向け、夢見心地の二匹のネコがいる。
ふいに少女は、ネコたちが風邪をひいてしまわないかと、ランドセルからタオルを取り出した。
そして、そのタオルをかけようと席を立ったところ、二匹のネコは、寝ぼけ眼でむくりと起き上がった。
「ごめん! 起こしちゃった? もう少し寝ていても平気だよ」
ところが、あんなに眠そうにしていたネコたちは、ちっとも眠るそぶりを見せない。
むしろ、彼らの目はぱっちりと冴え、またあの狩人のように少女をじっと見てくるのだった。
すぐに彼女は、ネコたちの〈次なる狙い〉を勘繰った。
けして、相手の目から逸らさないよう、少女は慎重に、二匹の視線の先をそれとなく手で探ると、胸もとのごつごつした感触に行き着いた。
「『青い笛』かぁ~……でも、これはあげられないよ!」
少女が口をむっと結んで言うと、二匹のネコは顔を見あわせて、目をぱちくりさせる。
すると、にゃーが彼女に話しかけてきた。
「ねぇね? その『あおいふえ』、かっこいいとおもう」
「みゅーみゅーも、しょれ、しゅき」
「え? あぁ……そう?……そうかなぁ!」
少女はまんざらでもなく、首にかけた青い笛を手に持って感慨深く見つめた。
さっきまでの出来事が、またたく間に脳裏に浮かんできていた。
「えへへ。これはね。さっきもらった大切なものなの……」
老婆との邂逅を思い出す少女に、ネコたちはうらやましそうな眼差しを向けつづける。
少女は気づかないふりをするつもりだったが、逃げきれそうになかった。
「ちょ、ちょっと貸すくらいなら、いいけど……?」
たまらず少女は譲歩した。しかしながら、ネコたちはまばたきもせず、目をさらに宝石のようにして一歩も譲ろうとしない。
さすがに彼女も、この笛をあげることはできなかった。
ついに、彼女は困りに困ってしまった。
「……じゃ、じゃあ、そうだ!……代わりにこれをあげるわ。ていっても、これも大切なものなんだけどな……」
少女は、胸の中にしまっていた、小さいほうの「青いパァンの笛」を取り出した。
今日、せっかく知りはじめたばかりの「青いパァンの笛」。
それも小さなそれは、おそらくずっと少女が身につけていたもので、名残惜しい気持ちがなかったわけではない。
けれども、ネコたちがこれを機に、自分の家に出入りでもしてくれれば、それはそれでいいかと、彼女はそう思ったのだった。
ネコたちは、ぺこりとお辞儀をして笛を受け取ると、互いに手に取って嬉しそうに眺めている。
今度は、大きいのがいいなどと駄々はこねなかった。
さっそく、みゅーみゅーが笛に息を吹きこむと、かすかにきれいな音が出た。
少女は表情を一変させた。
もう一度、みゅーみゅーが笛を吹いた。
小さな青葦にあたる、かわいらしい風の音がした。
にゃーがその音を聞いて、嬉しそうに口笛でまねをする。
どうやら、ちょうどいいようだ。
少女は、楽しそうに吹くネコたちをしばらく見ていた。
自由気ままに、想いのまま笛を吹くネコたち。
彼女は、どこかその様子に、自分には足りないものを感じていた。
「よーし! 決めた! ただし、条件があるわ! これからもずっと、この笛を持って私のところに遊びに来てくれること! いい?」
「いいよ! あしょんであげる! わーい!」
「わーい!」
ネコたち二匹は、得意げに鼻を鳴らすわりに、飛び上がってはしゃいでいる。
喜びのあまり彼らは、少女のまわりをぐるぐるまわっては身体にくっつき、その鼻を少女の鼻にこすりつけてくる。
どうも、ネコ特有の親しみをこめたあいさつらしい。
少女は、はしゃぐネコにじゃれては嬉しくも恥ずかしがった。
「そうだ! この笛は、かぼちゃんとのお友達のしるしね!」
「「おともだち!」」
二匹は、嬉しそうに尻尾をくにゃりとうねらせた。
すると、にゃーが思い出したように、一枚の紙を袋の中から取り出した。
彼は小さな両手で、その紙を少女に渡した。
小さく四つ折りにされた紙はつるつるして、彼女の知っているものとはずいぶん違った材質だった。
(硬貨といい……この紙といい……)
少女は不思議に思いながら、その紙を広げてみた。
そこには、色とりどりの建物の絵に、何やらかわいらしい文字が、躍るように書かれている。
【Tueseday Wonder Land Premium invitation ticket (チューズデイ・ワンダーランド プレミアム招待チケット)】
その内容に、まるで見当がつかない少女は、チケットを片手に難しい顔をした。
にゃーは嬉しそうに説明をする。
「きょうのよる、このまちで、ひみつの、〈ゆーえんち〉があるよ! そこに、かぼちゃんをしょーたいしゅる!」
隣で、にゃーの提案を聞いていたみゅーみゅーが、大乗り気で賛成した。
少女は目を何度もしばたかせ、状況が呑みこめないでいる。
「秘密の……〈ゆーえんち〉?」
そのとき、鐘の音が穏やかな雰囲気を切り裂いた。
アポロの塔のそれではない。
とっさに少女は、二匹のネコとお金の入った袋を両手で強引に束ねた。
彼らを胸に抱きかかえ、鞄のチェーンを取り外すと、彼女は近くの建物に急いで退避した。
「霧」を知らせる警報である。
この世界ではどこもかしこも、不思議な「霧」がとつじょ現れては、とつじょとして消え、多くの生命を脅かす。
この霧は、たんに視界を遮るばかりか、方位磁石を狂わせ、迷子にする。
おまけに、無数の異界とつながっては、多様なものを気まぐれに飲みこみ、ところかしこ無責任に吐き出す――生命魂の元凶――のだった。
比較的安全と言われるヘイルハイムでも、年に何度か突発的な霧に見舞われ、皮肉にも生命魂たちの生活を妨げる。
巷では、「悪魔の霧」などと呼ばれ、慣れたものといえども、ときどき不安になることがあった。
少女もまた、いまだに落ち着くことができず、緊急を知らせる鐘の音の聞き分けも苦手だった。
だが、ひとたび霧が発生すれば、命を落とす危険もある。
だから、警報が鳴ったらすみやかに退避する。
それが彼女の定石であった。
とりあえず少女は、避難した先で状況を見て、できるかぎり帰宅しようと考えた。
ネコたちには悪いが、「ゆーえんち」とやらも、またの機会にするしかない。
そう思うと、きゅうに少女の肩はがっくりと落ち、さっきのネコみたく、しょんぼりとしょげ返るのだった。