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エピローグ~あとがきの物語 カタリベとコドモたちとワタシ

 ひとーつ。

 ふたーつ。


 青白いもやに、見え隠れする二つの光が、じょじょにこちらへと近づいてくる。


 ここはどこで、どういった世界であるのか。

 現実の事象なのか夢なのか、はたまた、何らかの過去や記憶であるのか。

 いや、そもそもこの事象が、自分や他人のことなのかも、はっきりとわからない。


 ちょうど、吹雪は弱まっていた。

 だが、信じがたいほどに冷えきったこの世界は、ただ、ただ重く、暗く、その色彩はおろか、ときに雪の白ささえ判別できなくなる。


 ふいに、一つの光がこつ然と消える。

 と、すぐに、もう一つの光も、つられて消える。

 ほんの数秒間だったろうか。

 あたりには静寂が芽生えていた。

 するとまた……


 ひとーつ。

 ふたーつ。


 青白い靄に、見え隠れする二つの光が、じょじょにこちらへと近づいてくる――



***



「拍手っ!!」



 何もこんなところで、誰かが〈拍手〉を求めたわけではない。

 ただ、文字の想起を誤っただけであるが、このほうが、表現としてよいのではないかと思った。


 今、「コドモ」たちを取り囲む空気には、さっきまでの不安や恐れを主体とした、何かを一心に待ちわびる期待感はない。

 それは、ふと我に返ったというか、夢から覚めて現実に戻ったというか。


 少し前までこの丘の上の広場が、冷淡なオーロラをまとって見えたのは、気のせいだったのか。

 たしかに、「ひとーつ。ふたーつ。……」の件は、覚えている限りを想い起こしてみても、あの時のように寒く、暗く、不安な感じはあまりしない。

 やはりこれは、「カタリベ」の〈見事な語り〉によるものではないか。

 そうに違いない。


 コドモたちだけでなく、近くの風に揺れる木々や草花も、鳥や小さな虫たちも、いや、私の視界に納まる風景そのすべてが、カタリベの語らいに聞き耳を立てているようだった。

 そして近くの木のうしろで、こっそりとその様子をのぞいている「ワタシ」も、そんな一人であった。


 ワタシは、それに気づくと、何度も、何度も、冷静になろうと試みた。

 しかしながら、その試みは、ことごとく失敗に終わったのだった。


 もっとも、この刻々と脈打つ、期待感をどうにもできないことは、最初からわかっていた……


 「ワタシ」は、この物語を〈傍観し、思考するもの〉。

 あくまで〈ありのままを見て、思索にふけるもの〉であって、〈語り紡ぐもの〉ではない。

 また、〈記し表すもの〉でもない。


 きっと、今これを読んでいる方々は、あまりにとつぜんの告白に、いたく混乱していることだろう。

 なんせ、いつもなら、ほとんど、物語に埋もれているはずの「ワタシ」が、あまりに自分勝手にしゃべりだしたのだから。


 とはいえ、〈記し表すもの〉の便宜を図ってもらわなければ、ここでのふるまいも、どうにも立ち行かない身でもある。

 というのも、ワタシには、手がない、足がない。

 顔がない……身体がない――


 一人のコドモがくしゃみをすると、いっせいに、友人たちの視線を集めた。

 彼は、「ダージリン」。

 ひょんなことから、丘の上の主役に抜擢された彼は、少し申しわけなさそうに照れ笑いすると、弁明の余地を欲しがった。


「ん? どうした? こんなにいい天気であたたかいっていうのに。風邪かい? それとも、誰かが君の噂でもしたのかな?」


 カタリベは、持っていた小さなハープを静かに置く。

 ハープは、芝を擦るようにかすかな音を出すと、草の匂いを運んだ。


 カタリベは、不思議な色の瞳で、くしゃみのぬしをまっすぐ見て、悪戯いたずらにに微笑む。

 ダージリンは、カタリベと目があったとたん、頬をいっきに淡い紅色に染めた。

 そして彼は、きゅうに立ち上がり、恥ずかしいのを誤魔化そうと、左右に大きく頭をふるのだった。


「カ、カゼじゃないよぅっ! だってさむくないもの! さっき、お兄ちゃんが、本当のことみたく話をするから、きゅうにさむくなったんだ。でもぅ……」


 そう口をつぐませると、とつぜん、無邪気に慌てるダージリンは、どこかに消えてしまった。

 消えたばかりか、彼の表情はみるみるうち、大人びたものへと変わり、カタリベの瞳をじっと見つめ、冷静な分析をしてみせたのである。


「でも、ドキドキするんだ。話に引きこまれている僕を見ていると。その僕が、寒さに両腕を抱え、身震いしながら、『くしゃみ』をしたんだ。でも、見ている僕は、ドキドキしてる。まるで、手拍子を打って招き入れるかのように、話の中の僕を、いつも待ち侘びてるんだ。次はどうなるんだ? って……」


 友人らは、口をあんぐりとあけて、大人びたダージリンを見上げている。

 視線の先は、柔らかな陽に淡く微睡まどろんでいた。

 やがて、光が薄い雲に陰り、しだいに彼の目鼻立ちは、鮮明に、どんどんと色濃さを増していく。


 いよいよ、顔が露わになると、当の主役は、また思い出したかのように慌てて、照れを隠せなくなった。


「えぇっとぅ……ぼくのウワサって、なんだろぅ?」



 kalakalakala……



 広場は、たちまち笑い声でにぎわいはじめた。


「おまえの〈奥さん〉とのことじゃねーの?」


 お調子者の「キーマン」が、誰かを真似してからかった。

 隣で「ディンブラ」が、顔をまっ赤にしてまで、これを静止しようとする。


「ち、ちがう。ちがう! なんで私なのよ!」


 ディンブラは、しどろもどろになると、親友の「キャンディ」が助け舟を出した。


「そう、そう! 『キャッスルトン先生』でしょ! ほーら、だってダージリンはさ!……『おっちょこちょいのあわてんぼう! やることなすことヒーヤヒヤ! せーんせーの指先はー! いつでもどこでもダージリン!』」


 キャンディが歌うと、広場のみんなが、いっせいに声をそろえて歌いだした。


 ディンブラは胸をなでおろす。

 だが、勝気な彼女は、ここで止めておけばいいものの、


「まーた、何かやったんでしょー? 先生の『方位磁石コンパス』も、いちいちたいへんよね」


 と、学校での話題を蒸し返しながら、得意気に笑って見せるのだった。


 いだしっぺのキャンディは、この様子を見て、必死で笑いを堪えている。

 すると、近くでこれを見ていた「カンニャム」が、方位磁石の指す北の方向と、あたふたするダージリンを何度も目で往復させ、その頭の針を狂わせていた。


 いよいよ、コドモたちのおしゃべりは、はしゃぎかう言葉の群れをなしていく。

 主役のダージリンは、その群れを右に、左に追い掛けてはまた、無邪気に慌てはじめた。


 やがて放たれた言葉の群れは、互いに小さな交流を深めながら、他愛もない話へとくっついては弾け、くっついては弾け……そうやって広場は、にぎやかなパーティーへと変わっていった。


 いつのまにかダージリンも、その雰囲気に強く腕を引かれ、みんなと楽しく、談笑しているのだった。



 あの、ダージリンとかいうコドモ。

 ただ、からかわれているというだけでなく、どこかみんなに、したわれているというか、愛されているというか……。

 彼に向きなおるコドモたちは、ずっと、笑顔が絶えないでいる。


 それは、方位磁石の示す方向というよりも、むしろ、一目で分かる北極星のように、道に迷った生命を〈幸福〉へと向かわす、〈道標〉に映らないでもない。


 幸福。

 そもそも、この〈幸福〉とやらはいったい何なのか。

 笑顔と幸福とが、何の脈絡もないことはないだろうが、これらが必ずしも合致しているわけでもない。

 その笑顔は、ただの愛想笑いかもしれないし、笑わされ過ぎて、本当は苦しいだけかもしれない。

 けれども、幸福には〈あたたかさ〉といった感じはありそうだ。

 それは、どんな〈あたたかさ〉なのだろうか……


 ワタシは、しばらくコドモたちを眺めていた。

 コドモたちは、どっからどう見ても、十歳を過ぎた程度の「子供」に違いなかった。

 だが、あのダージリンという、コドモの変貌を見たからか。

 ときおり、子供であるはずの彼らが大人の姿に見えるのである。


 ワタシの錯覚なのか。

 だが、無邪気にたわむれるコドモたちは、一人、また一人、ぼんやりと子供から大人へと変わっていく。

 それも青年だったり、老婆だったりと、実に不思議な現象を引き起こす。


 それだけではない。

 大人になったはずのコドモたちは、今度は反対に、元の姿よりも、もっと幼い子供に変わったりもする。

 しまいには、年甲斐もなくはしゃぐ老婆が、幼い少年や、大人びた少女の手を取って、いっしょに踊っているありさまとなった。


 夢でも見ているのだろうか。

 でも、ワタシの意識ははっきりとしている。


 あぁ、ついにワタシはおかしくなってしまったのか――夢とも現実とも、区別できないほどに。


 しかし、もしこれが、現実であると肯定するにして、あの〈コドモ〉たちは、いったい何ものなのだろうか。

 カタリベについてもそうだ。

 彼らはいったい……。

 そもそもワタシはいったい……。



 ワタシは、この世界に存在するときから、身体というものがない。

 また、いつ生まれたのかもわからなければ、いつ死ぬのかもわからない。

 もしかしたら、死なないのかもしれない。


 ただワタシは、おもしろいことだけを探して漂い、傍観し、思考し、記憶し、眠ることだけを繰り返してきた。

 そのためか、ワタシは時間の概念に無頓着だ。

 記憶の時系列がいくつも交錯し、あとのことか、先のことかもよくわからなくなる。


 それに、誰にも気づかれない存在なものだから、ワタシが、何ものかを知る必要も生じはしない。


 でも、「カタリベ」は違った。


 ワタシとカタリベとの出会いは古い。

 いつのことだったか定かではないが、ワタシは、カタリベと出会ったその日からずっと、彼のうしろをくっついてまわっては、勝手に旅を共にしてきた。


 おそらくカタリベは、ワタシのことを知らない。

 そもそも、知るすべなどあるはずがない。

だが、どうしてなのか。カタリベは旅を通じ、ワタシにもわからない、自分の欲している〈何か〉を理解し、探し、見つけてくれる。

 そして、次々と目の前の現実に、その〈何か〉を〈語り紡ぐ〉のだ。

 まるで、ワタシか誰かの、「夢」を現実にしていくかのように。


 ワタシはそれ以来、ワタシの「私」を強く探し求めている……


 そうやって、どうでもいいような疑問符の連鎖は、周囲の風景を霧巻き、じょじょに消し去らせると、ついに、ワタシの思考を独占しようとしていた。

 しかしながら、その企ては、いっときの風が吹きこんだことで、きっかけを失ったのだった。


 そこまで強い風ではなかった。

 けれども、それはすべての注目を、邪念を、根も葉もないおしゃべりを、かっさらうがごとくとおり抜けていく。


 吹き抜けた風は、まるで遊んでいるかのように、向こう側で何度も跳ねまわり、彼方へと消えていった。


 いずれにしても、いつか、このくだらない思考の牢獄は、永久にワタシを閉じこめる腹積もりなのである。

 それでもワタシは、風の吹いていった方向を、ちょっとでも向いてみたくなった――


 風の行く末を見定めていると、いつのまにか、カタリベはハープを手に持ち、その弦を優しく指の甲でなぞっては腹で返している。


「話のつづき、どうしようか。また明日にする? 僕は、いつでもかまわないよ」

「ちょっとまって! 明日だなんて、まだ、はじまったばっかりよ! まだ、お家には帰らないんだから!」


 キャンディが間髪いれずに言う。

 すると、そうだ、そうだと、コドモたちがいっせいに不満を投げ返してきた。


「あぁ、悪かった、悪かったよ!」


 カタリベは、カラカラと笑って見せた。


「さあ、どうしよう。もう一度、はじめっからにしようか?」


 多くのコドモが、右に左に首を大きくふるなか、一人は、慌てて口を両手でおおった。

「ハハハッ! 大丈夫! 話のつづきは、ちょうど大きな〈くしゃみ〉で、場面が変わるところさっ!」


 クスクスと笑うその先で、一人が身を縮こませた。

 カタリベは、仕切りなおしてハープを遊ばせた。

「さーて、話のつづきを……おっと。まだ、物語の名前を言っていなかったね。今日は、『夢』のお話さ。それも、『旅行鞄トロリーケースの中の夢』のお話……」


 傾きはじめた太陽の光は、コドモたちの背中を、カタリベの長い髪を、金にも銀にも輝かせる。


 あたりはまた、あたたかい陽光に包まれていった。



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