32(最終話)風の行方②
「――いったい何が起きたんだ!!」
犬人の警備兵たちが大勢、つば付き帽子から飛び出た耳を器用にたたみ、しかめっ面をして殴りこんできた。
アポロの塔内は、やかましく金属を叩くベルの鳴動音に騒然としていた。
「霧」の警報とは違う。
それはとつぜん、塔のてっぺんから降るように群がってきたのだった。
塔内にいたものは、いっせいにその音に驚かされ、右往左往としている。
今日はちょうど、「本ノ間の日」であり、今は祈りの行事の最中である。
祈りを捧げるため、中にいた白装束の集団が、きゅうに目でも覚めたかのように、のっぺらな仮面を外して逃げていく。
まっさきに警備兵たちは、塔内の生命魂たちを避難させ、あとから塔をのぼりだした。
「「ああ!! うるさい!!」」
警備兵たちは、慌ただしくつば付き帽子の中に耳をしまい、かぶりなおす。塔の最上階「鏡の間」にたどり着くと、今度は遮光ゴーグルをかけ、その扉をぶちあけた。
そこには、街じゅうの陽光を集積する装置があった。
ところが、そこには満ち満ちた光はなかった。
先頭を切っていった警備兵が、茫然としてゴーグルを帽子のつばの上にやる。
中央のうず高く屋上へと貫く歯車と無数の鏡を使った機械。
薄明りの中、その鏡たちは、すべてあらぬ方向を向いていた。
依然として屋上からは、鼓膜の奥に鳴り響く鋭いベルの音が針のように降りそそぐ――
ときおり、陽光が激しく差しこみ、一瞬、ベルの鋭い音さえも呑みこんだ。
屋上は塔の白い石の色に光がぼやかされ、黄色がかった白昼のまっただ中にある。
そこに、一人のうら若き少女が追われていた。
彼女は、周囲をイラつかせる容赦ない音の群れに、躍起になって立ち向かているのだった。
(『耳をふさげ』とは、そういう!……)
少女がようやく、寝ぼけていた視界を晴らしたときには、すでにこの有様であった。
彼女は、あの笛吹の旅人を苦々しく思いながら、あたりに散らばる目覚まし時計を拾い、アラームを解除しようと躍起になっていた。
おかしなことに、少女は気がつくと「アポロの塔」の屋上にいたのだった。
それも、旅行鞄にもたれながら毛布に包まって眠っていた。
胸の上には、首にさげた「黄色の住民証」ほかに、重ねて「青いパァンの笛」もある。
いったい、どうやってここにたどり着いたのかはわからない。
ただ、誰が用意したのか。
少女は、尋常ではない数の「目覚まし時計」に叩き起こされたのだった。
それも、どうやら目覚まし時計はこの塔内だけでなく、広場周辺にも散らばっているようだった。
「おいっ?! 誰かいるぞ!!」
屋上へとのぼってきた、先頭の警備兵が屋上の天扉を押し上げ、顔を歪めて叫んだ。
ぞろぞろとなだれこむ警備兵。
彼らはみな唖然とした。
「お、おい!! 何だ、これは?!」
音の群れは、その場に出くわしたものたちの頭の中を駆けのぼっていくと、待っていましたとばかりに、次々と音量を上げていった。
「おい……! とにかく確保だ! あいつを確保するぞ!!」
一人の警備兵が指を差して叫ぶと、彼らは多勢に無勢で少女に飛びかかった。
彼女が、この騒動の元凶と見られたのだ。
だが、彼女は気にも止めず、飛びかかる警備兵たちに鳴り止まない目覚まし時計を次から次へと黙って投げ渡していった。
間抜けな警備兵たちは意表を突かれ、慌ててその時計を止めようとしだした。
あたりの警備兵たちも変に空気を読んでか、無数の目覚まし時計に飛びついた。
しかし、飛びついたはいいが、アラームの止め方がわからず、床に叩きつけて黙らせるしかなかった。
しかたなく、他のものもこれにつづく。
最初は逃げ惑っていた、広場の周辺にいた生命魂たちもまた、手に持った棒やら何やらで時計を叩き割りだしていた。
あっという間に街の中心は、暴動でも起こったかのように騒然とした。
けれども、少女は一人冷静でいた。
自ら止めた目覚まし時計を手に持ったまま、神妙な面持ちで顔を上げる。
彼女には、ほかに気になる音が聞こえているのだった。
ようやく、あたりは時計の音も静まりかけていた。
次々と、蛻のガラクタが煩雑に転がり、散らかっていく。
しだいに、不安を打ち消そうとする群衆のざわめきが強まった。
それでも、少女だけは静かに、頭の中からその雑音を追いだしていく。
耳を澄ませ、あたりを見まわし、しばらく空を見上げた。
そして〈音の正体〉を確信した。とたん、持っていた目覚まし時計を無造作に放り投げた。
「お、おい! おまえ!……」
気がついて止めにかかる警備兵たちを、少女はふり切った。
彼女は勢いよく走りまわると、あたりに転がる無数のガラクタを拾っては、塔の上から広場へと放り投げた。
「ワアァァァア!!」
少女は大きな声を発しては、体いっぱいに飛び跳ね、周囲の注意を引こうとした。
塔のすぐ下でどよめきが起こった。だが、広場に落ちるかと思われたガラクタは、煙となって次々と消えていく。
塔の上のガラクタも、警備兵たちの持つガラクタも……。
あまりに突飛な出来事に、警備兵たちも群衆も、あっけにとられてしまった。
腰が抜けて、その場でへたりこむものもいた。
しかし、煙をかき消すように少女は、塔の屋上の塀に身を乗りだし、もう一度何かを叫びだした。
「……!!」
「おいっ?! おまえぇ! さっきから……何わけのわかんねえこと言ってんだ!」
少女は身をよじって、一人の警備兵に答える。
「『風』よ!! 『風』が吹いてる!!」
「いいかげんに……!!」
一人の警備兵はそう言いかけて黙りこんだ。
彼は、ようやく聞きとれた少女の言葉に、気を奪われた格好になった。
「そうよ!! いいかげんにしなさい!!」
少女はその警備兵を軽くあしらうと、まだ鳴り止んでいない近くの目覚まし時計を拾い、塔からせりだすモニュメントに向かって走っていった。
「何をする気だ?! まさか……おい! 取り押さえろ!!」
へたりこんでいた警備兵たちが、慌てて立ち上がった。
煙が晴れると少女は、すでに塀から顔をのぞかせていた。
そして助走をつけなおし、下に落ちんばかりに身を乗り出した。
「あぁ!!……」
警備兵たちはみな顔を背けた。
塔の麓にいた生命魂たちもまた、頭を抱え、もしくは目を覆うなどして顔を伏せた。
あたりは静かになった。
てっきり、少女が身を投げたものと思ったのだ。
しかし、一人また一人と、塔を囲う生命魂たちは鎮痛の思いで目をあけていく。
彼らは自ずと、放物線を描き、時計回りに、光をかちかちと散らす物体を追いかけているのだった。
固唾を飲んだその目は、コマ送りするように、夢中になって光る物体を捉えつづけている。
陽光は、少し眩しい。
塔の上からのぞく少女の、ざんばらと少し癖のある黒髪が、いっきに下から舞い上がる。
投げられたのは、あの「耳触りな時計」だった。
そのうるさく鳴り響く時計の行方は、この街に生きる、すべてのものの想像を大きく裏切っていった。
それは希望を芽吹かせ、どこまでも空高く舞い上がって、やがて煙とともに消える。
ずっと眠っていた、生命の鼓動を掻き立てるように余韻を残す……
Zilililililili......
少女は黄色の住民証を首から外し、親指で書かれた名前をなぞると、ポケットの中へしまいこんだ。
そして、胸もとに残った青いパァンの笛を見つめ、おもむろに手に取って吹いてみる。
笛はかすれ、音はうまく出ない。
たまらず少女は、クスッと笑い、首にぶら下げたまま笛を手放した。
風に笛は踊り、流れだす音々……。
それはつい今しがたの記憶をたどり、少女の「私」と一つに重なりあった――
少女はふり返った。
そこには、喜びあう警備兵の犬人たちをよそに、旅行鞄が一つ、ぽつんとたたずんでいる。
それも彼女の琥珀目には、見えないはずのしっぽをふり、まるで主人の帰りを待ち侘びる健気で愛しい犬のように映って見えた。
やがて、強くなりはじめた陽光は、鞄を乗せたキャリーカートの、大きな後輪の縁に集まって輝きだした。
鞄はその光に包まれると、また新しい微睡みを纏おうとする。
微睡みは性懲りもなく、きゅうに訪れては鞄の輪郭線をはぐらかし、塔からの街並を、あの「霧」のように不明瞭にさせる。
そのくせ、甘い蜜みたいな幻覚を醸成し、心を惑わそうと厄介を働いてくる。
(……『白昼夢』?……油断ならないな……)
少女は肺に深く空気を吸いこむと、すぼめた唇から力強く風を吹いてみる。
Hooooo!!
朗らかに笑みをこぼすと、少女は胸の青いパァンの笛を握りしめ、迷うことなく、旅行鞄のもとへと歩きだす――
時刻はとうに、「傾斜の刻」の終わりを告げている。




