表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

62/70

29 楽園①

(ふりだしに戻ったのか……)


 白けた陽光から現れたのは、「森のトンネル」につづく「獣道」だった。


(どっちに進んだって、結果は同じじゃない……)


 何も考えずにもう一度、前に進めというのか。

 フルートは滑稽に思った。

 けれども、グーシャと歩いたその獣道は、あのときと違って様子がずいぶん異なっていた。

 獣道のまわりは邪魔な雑草や低木が刈られ、地面にはところどころ、きれいに石が敷き詰められている。このモリヤマには、あきらかに生活者がいる。


 地面にへたりこんでいたフルートは、ゆっくり立ち上がった。

 彼女は、その変わってしまった獣道の中へ入ると、ひんやりと心地よい感触を肌で感じた。

 雨が降ったあとだった。踏みつけた石の縁に水は染み、あたりの落葉樹林がしずくをしたたらす。


 獣道は、緩やかな石段をのぼるように、じょじょに上へと坂道をつくる。

 途中、薄い青色の花の群生があった。

 その道の脇をとおり抜けると、両側を石垣で高く積まれた切通しが現れる。

 両側の石垣の上には、数軒の家があった。

 しかし、どの家も、屋根から壁からだいぶ傷んでおり、庭も雑草だらけで空き家のようだった。


 人気のない切通しを越え、道は大きく左に折れた。

 だんだんと落葉樹が、杉やヒノキの針葉樹へと姿を変えていく。

 川か沢のせせらぎが聞こえる。

 道は尾根に沿って、のぼって下った。短い丸太の橋が見えた。


(川だ)


 フルートは橋を渡って日なたに出た。

 朝靄もやの光を受け、色とりどりの果樹畑が段々に、下へと向かって全開していた。

 同時に、キーンと、頭のてっぺんに響く、聞いたこともない音が反芻すうした。


 どこから聞こえてくるのか。

 首をふりつづけて探していると、甲高くうなる音は、下の方向からやってくるのがわかった。


 胸が高鳴りだす。

 フルートは、全速力で果樹畑を川に沿って下っていった。

 やがて、横たわるように伸びる、砂利の舗装された道路に面した。

 そこは彼女のよく知った風景だった。

 目下には、懐かしい麦畑が、水をはった水田と並んである。

 その先に木造の「隠れ家」はあった。


 フルートは息を飲んだ。

 ただ、すべてが同じというわけではない。

 すぐうしろの斜面には、見知らぬ川が岩場を駆け落ち、清らかな音をすすがせる。

 隣の斜面にはまた、段々になった色とりどりの果樹畑がある。


 水田では、「何もの」かが、馬車のような不思議な乗り物を、馬もなしで動かしている。

 乗り物は、うしろにオルゴールの円筒シリンダーのようなものを引かせ、黙々と土を耕していた。

 ゆっくり近づくと、見たこともない変てこな、おそらく生命魂うみきであろうものが、その乗り物を器用に操っていた。


 そいつは顔なのか身体なのか、大きなツギハギでできた彩色の缶詰みたいな寸胴ずんどうに、黄色い星形の目を2つつけ、服のボタンのような口を1つつける。

 頭には、赤い大きな三角帽子をかぶり、ピエロみたいな風貌ぼうをする。

 その両脇には、手か腕なのか、大きさの非対称なスパナのようなものをたずさえる。


 下半身は骨盤も、ももや膝すらもなく、ワニの顔のように見える大きな木靴を履くというよりか、例の寸胴に直接くっついている様子だ。

 おまけに、背中からは細長い煙突のような筒がのぞく。

 まるで「太ったブリキの人形」だ。


 ブリキのそいつは御者のように、乗り物の席にどっかり座って、何をするでもなく、星型の目をぴかぴかさせる。

 ただ、乗り物はなぜか、勝手に動きまわり、例のでこぼこの円筒で田を耕しつづけている。


 ようやくフルートに気づくと、そいつは、目の星をくるくる回転させ、乗り物を止めたようだった。

 あたりは、風が麦穂の隙間をくぐり抜け、長閑のどかになった。


「……コンニチハ……」


 ブリキの人形は、フルートを見るなり、律儀にあいさつをしてきた。

 ずいぶんとかすれた変に高い声で、片言なしゃべりをする。


「こ、こんにちは……」


 まさか、目前のそいつがしゃべるとは思わず、フルートはおろおろした。


「オキャク、サマ……?」

「あ、え、えぇ。ここの家に用事が……」


 するとブリキの人形は、ふるーとをのぞきこみ、やがて星型の目をハートにして回転させ、


「OK!! ヨウコソ、ヨウコソ! ナカヘ、ドウゾ!」


 と言って、ピンク色に発光させた。

 どうやら喜んでいるようだ。

 彼はやる気が出たのか、背中の煙突から白い煙を吐くと、ふたたび、あの甲高い唸りを響かせ、残りの作業にとりかかった。


 フルートは、そのブリキの人形のような生命魂に、不格好なお辞儀をした。

 彼女は不思議に思いながら、彼を横目にとおり過ぎ、隠れ家の正面へと向かった。


 隠れ家は、よく手入れの行き届いたたたずまいをしていた。

 誰かがここに住んでいることは明らかだった。

 縁側の窓はあけられ、網戸が敷かれていた。

 離れの工房もまた、焼けた跡が一つもなく、昔の雰囲気のままであった。

 まるで、山火事で焼けたことが嘘であったかのように、家は修復されていた。


 フルートは玄関の鈴を鳴らし、おずおずと口を開いた。


「ごめん……ください……?」


 しばらく黙って様子をうかがっていると、奥から返事が聞こえてきた。


「はぁい? 誰か、そこにいらっしゃるの?」


 歳を重ねた品のある女性の声だった。

 フルートはもう一度、声をかけた。


「あら? お客さまなんてめずらしい。ちょっと待ってらして……」


 老年らしき女性はそう言うと、ゆっくりと扉を押しあけた。


「あら? あなた……」


 老年らしき女性は上品に口を押え、フルートを驚いたようにのぞきこんだ。

 フルートもまた口を押え、目を丸くしていた。


 それもそのはず。

 そこにいたのは、青色区ケルレムで出会った、あの「老婆」だった。


「おばあちゃん?! どうして?」

「ンフフフッ! それは、こっちのセリフよ!」


 老婆は独特な笑いで、フルートを出迎えると、すぐに中へと招き入れてくれた。

 家の中は、フルートの知っている、隠れ家の間取りとはまったく違っていた。

 玄関を入ってすぐ、足下は灰色っぽい土で固められ、家の床と大きな段差がある。

 中に入るには、靴を脱がなければならなかった。


 床に上がると、リビングがすぐ目の前に広がる。

 そこには、父が最期に使っていた簡易ベッドもなければ、ソファーもない。

 中央には、煮炊きをする四角い炉があり、それを囲うように平べったいクッションが床に敷かれていた。


 ほかにも、見たこともない古めかしい道具が多く目立つ。


「あれから、どうしたかしらって。ずっと、あなたのこと気にしてたのよ?」


 足が少し悪い老婆は、杖をたどたどしくつきながら、麦茶をお盆に乗せて持ってきた。


「あーッ!! おばあちゃん! 手伝うよ!」


 フルートは慌てて立ち上がって、お盆を受け取りに出向く。


 板床の上に藍色の布のコースター。

 淡い緑色の水玉模様の小さな丸いグラス。

 ガラスを浸す薄い麦色から、麦の香ばしいにおいがした。


「そういえば鞄。持ち主は見つかった?」


 いつか触れられるとは思っていたが、いざとなるとフルートは困窮した。


「えぇと……何とか……持ち主の知りあいというかたがいて……」

「それはよかった! きっと喜んでいるでしょうね!」


 フルートは、それとなく相槌あいづちを打ってごまかしたが、うしろめたさでいっぱいだった。


「例のカフェは、どうだったの?」

「ええと。あのあと、無事にカフェにもありつけて……そう! 『サンドウィッチ』、おいしかったぁー! ありがとう」

「あぁ! いいの、いいの!」


 老婆はお盆をさげ、台所へ向かおうとした。

 すると、ちょうど作業を終えた、太ったブリキの生命魂うみきが家に帰ってきた。


「あら、『ろぽ』! ごくろうさま! いつもありがとう」


 老婆にそう呼ばれたブリキの生命魂は、星型の目をまわし、ぴかぴか光らせた。

 彼はそのまま、腕のスパナをぐるぐるまわし、背中の煙突から煙をくと、玄関先の床に座った。

 ろぽは、靴裏を見せるように寸胴の底を乗せ、動かなくなった。相変わらず、変てこなやつである。


 フルートは麦茶をいっき飲みした。

 喉がからからに乾いて干からびそうだった。

 身体も熱く火照っていた。彼女は少し、暑そうに手で首もとを仰いでいると、どこからか心地よい風が入ってきた。窓ぎわの鈴が涼しい音を奏でる。


 風の正体は「ろぽ」だった。

 彼は、服のボタンのような口を風車のようにまわし、風を送っていた。

 それも、足の向きと身体の向きが180度反対で、不気味な姿勢をとる。フルートは身構えた。


 しかしながら、ろぽは表情一つ変えず、健気にやさしい風を送りつづけている。


「ノミモノ、オモチ、シマショウカ?」

「えっ?! えーと……じゃあ、いただこうかしら……」

「OK!!」


 ろぽは、星形の目を回転させ、身体も回転させて立ち上がると、老婆のいる台所へトタトタ消えていった。

 悪いやつではないようだ。

 ただ、フルートが慣れるには、もう少し時間がかかりそうだ。


「今日は、朝採れた苺がたくさんあるのよ!」


 老婆が、ろぽといっしょに台所から戻ってきた。

 ろぽの抱える大きなお盆の上には、いっぱいのまっ赤な苺が盛られた器に、麦茶の入ったガラス瓶とミルクの入った器があった。


 「三角苺」と呼ばれるその苺は、粒が大きく、不思議なことに角ばった三角錐の形をする。

 尖った見た目とは裏腹に、甘くて柔らかく、ミルクにつけると香りがいっそう引き立った。


 その甘い香りに引き寄せられてか、せわしく玄関の鈴を鳴らし、新たな客人が外からやってきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ