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24 故郷②

 フルートとフィオはモリヤマの中を行く。

 ついさっきまで、グーシャといっしょに走っていた同じ道だ。

 森の道は、そのときと何も変わっていなかった。

 森の生みだした自然の道があり、あたりには、新芽の伸びた樫や椎の伐り株がある。


 やがて、沢を挟んで二股の道が現れた。

 山へとつながる右の道は、周辺の雑木ごときれいに整備され、大がかりな工事の準備がなされたままだった。


 フルートは、今度はフィオに手を引かれ、左の道を進んでいった。

 あの幾重にも曲がった道を行き、平らな土地が広がっていった。

 そして、「森のトンネル」へとつづく草むらの手前で、二人はまた左に曲がった。

 大きくそり曲がった坂をのぼりきると、下方に朝陽のあたる木造の家屋の「隠れ家」が現れた。


 そこには十数人ほどの人だかりができていた。

 彼らは家の入り口で怒鳴り声をあげ、何やら揉めている。


 二人は急いだ。

 砂利を蹴り上げ、坂道を下りはじめると視界が薄暗くなった。

 砂利道の両脇には、何十年と遊ばせたままになっている田畑があり、雑草が上に上へと伸び放題になっていた。


 怒号は雑草に隠れ、砂利の摩擦音の上を飛びかう。

 二人は、汗だくになりながら急カーブを曲がり、隠れ家の正面へとたどり着いた。


「んっ?! 誰だ?」


 一人の不愛想な男が口にすると、こぞって男たちがうしろをふり返った。

 フルートとフィオは手を膝につき、肩で大きく息をしていた。

 男たちは大きな紙を片手に、険しい顔つきで二人をにらみつけている。

 彼らはカーモマウジに住む、村人の男たちだった。


 不愛想な男は、また二人に話しかけた。


「なんだフィオか。でも、隣は誰だ? どっかで見たような顔だが……」


 男が問いかけると、隠れ家の縁側から覚束ない杖をついて、顔をのぞかせる一人の老いた男がいた。

 彼は、綿の帽子をかぶり、白髪の髭を伸ばした頬は痩せこけ、初老かそれ以上のよわいに映って見えた。


「おじさま……」


 フィオがそうつぶやくと、初老の男は、二人に目を見開いた。

 いったい誰なのか。

 フルートは、目の前の老いた男が自分の父親であるなど、とうてい思えないのだった。

 頬はげっそりと病的に痩せこけ、髭は伸び放題で、手足の筋肉もずいぶんとれてしまっていた。


 フルートとフィオが戸惑いを見せていると、うしろから、一人遅れて少年が駆けつけてきた。


「フィオ! 来てたのか……で、隣は誰だ?」


 茶色い短髪をした少年は、フルートをまじまじと見た。


「おい……嘘だろ? その黒髪に琥珀色の……まさか『フルート』? 『フルート』なのか! 生きて帰ってきたんだ……。いったい、どこに行ってんだ?! 心配したんだぞ!? 『霧』にのまれたんじゃないかって……」


 少年は息を切らしながら嗚咽し、涙をためて喜んだ。

 彼は、あのつんつん頭の「セロ」だった。

 他の村人たちもまた、二人の幼少を知っているようで、あたたかく歓迎してくれた。

 どうやらフルートは今まで、こことは違う遠い場所へ出向いていたようだった。

 霧にのまれてしまう危険を冒してまで……。


 だが、初老の男だけは様子が違った。

 彼は、フルートを見るなり、青黒い影を痩せた頬に落とした。

 そして、恐怖に怯えたように震え、その身体は負の感情で委縮しきって見えた。

 しかし、フルートがそう思っていると、今度はとつぜん、彼は前を鋭く見据え、頬を赤く燃え上がらせ、怒りをふり絞るように言葉を吐きだした。


「なぜ……ここにいる? 旅は、どうした?……まだ……終わってないだろう!……」


 初老の男は、かすれた声で苦しそうにしゃべった。

 そして、弓を引くように眼光に力をこめ、ゆっくりと琥珀目を脅迫した。

 フルートは恐れおののき、身をかがめた。気持ちの整理がつかない。

 まるで、命が惜しければ、すぐにここを立ち去れと言わんばかりのもので、あたりのものも耳を疑ったようだった。


「おじさまっ! せっかく帰ってきたのに、どうしてそんなことを……」


 フィオがフルートの前に立った。


「……お前も、なぜ……ここに、連れてきた?……」


 初老の男はぎろりと、フィオをにらみつけた。彼女はセロと目をあわせると、黙ったままうつむいた。

 男はフィオをにらみつけたあと、セロに冷たい視線を張りつづけた。

 乾いた空気があたりを殺伐にした。


 ついに、セロは耐え切れず、目を逸らすと、いよいよ地面にひざまずいてこうべを深く垂れた。


「……す、すみません! 俺です! 俺が、ぜんぶやりました!」


 セロはモリヤマの「伝書鳥」を使い、勝手にフルートを探しつづけていたことを白状した。

 すると、フィオが悲壮な表情で彼をかばった。


「いいえっ! 『セロ』は悪くないんです! 彼が、いろいろと悩んでいて……相談を持ちかけられたときに、私が、彼をそそのかしたんです」


 フィオが今度はセロの前に立った。

 しかしながら、彼は、自分を擁護するフィオをさらに庇おうとした。

 やりとりをずっと見ていた初老の男は、腹のわたが煮えくり返ったように、顔をまっ赤に膨張させた。


「……っくそぉう……!」


 そう言って初老の男は、杖を強く握りこみ、こめかみを筋張らせると大きく咳きこんだ。

 たんが喉にからみ、彼は苦しそうに、口に手をあてて体勢を崩した。


「おい! 『ベーム』! 大丈夫か?」


 村人の一人が、初老の男にかけ寄り、すぐさま彼を抱きかかえ、縁側に座らせた。

 その村人は、ポケットからハンカチを取り出し、痰を吐きだすように促す。

 フルートは状況が飲みこめず、事の成り行きをぼんやりと眺めていた。


 初老の男は、ようやく落ち着きを取り戻した。

 その様子に、みな安心しきると、村人の中の勇ましい顔つきをした男が、泣きそうになって初老の男に訴えた。


「おい! それよりベーム! 何で、あんな心配していた娘に、ひどいことを言う! 生きて帰ってきたんだぞ? 音信不通になって、霧にのまれたんじゃないかって……それが、この大事なときに帰ってきたんだ! こんなことがあるか……」


 勇ましい顔つきの男は、言葉を切れ切れに大粒の涙を流し、フルートのほうを見た。


「もう、2年くらいか? ちょっと見ないうちに……変わるもんだなぁ……。よく見りゃあ、フィオも、セロも……。お前らは幼馴染だもんな……」


 村人は、顔をくしゃくしゃにした。他の村人たちも同じ顔をしていた。

 しかしながら、老いた男だけは、震える手を押さえつけ、あたたまりつつあった、場の雰囲気に抵抗した。


「……こんどは……娘でも……ダシに使う気か……?」


 その言葉に村人たちは、怒りをとおり越し、悲しみをにじませていた。


「どうして……! 俺たちは、そんなこと考えちゃいねぇ……。なぁ、ベーム? 考えなおしてくれよ……このままじゃ、お前は……。娘のフルートだって、この村にいられなくなっちまうぞ……」


 勇ましい顔つきの男は、声を落としてうつむいた。


「ハハハ……そりゃそうだ……村も……山も、森も……ぜんぶ死ぬ……誰もここに……住めやしない……」


 初老の男はほくそ笑んだ。

 村人たちは、一度冷え切った感情を加熱させた。


「また、迷信を言うか! 村はなくならない! 開発が進んだって、村がなくなるわけじゃない! 山や森だって、ぜんぶなくなるわけじゃない!――」



 霧もない、生命魂うみきもいない、遠い過去のこと。

 「マーヴル教神話」が愛され、まだ「モリヤマ」が、「マーヴルの揺りかご」だったころのこと。

 まだ、生命の多くが、その山や森の恩恵にあやかっていた時代があった。


 その時代、山や広大な森は、「マーヴルの腕」と呼ばれる、50メートルをゆうに超す巨木の群生に囲まれていた。

 それは「悪魔の霧」ならぬ、凍てつく風を吹かし、身体を蝕む「悪魔の冬」から身を守ってくれた名残と言われる。


 マーヴルの腕は、きれいな水を豊富に溜めこみ、傷をつければ清水が湧き出た。

 フルートの大おばあちゃんが若いころまでは、巨木の幹に蛇口を取りつけて使っていたという。

 また、山と森の間には、「マーヴルのへそ」と呼ばれる湖があった。


 その湖はとある窪地に、マーヴルの腕から偶然あふれ出た水と地下から湧き出る水とが、混ざりあってできたものだった。


 しかし、悪魔の冬もとうに明け、その役目を果たし終えたのか。

 巨木はフルートの父、ベームの管理する「ご神木」の一本を残し、すべて枯れてしまった。

 同時に、湖も干上がり、植生にも変化が表れた。

 揺りかごでの生活はしだいに不自由になり、そこに住む人の多くは山を下り、森を次々と出ていった。


 今、フルートの訪れるカーモマウジ村は、その時の流れに埋もれ、消えゆく集落にほかならなかった。

 時代はどんどんと文明を発展させると、村は、この国の都心や隣国に遅れを取り、完全に取り残されてしまっていた。


 けれども、その時の止まった村にも、ついに「大貿易道」がとおることで、生まれ変わる絶好の機会が到来する。

 西の果てにつながるという大貿易道は、多様な物資はもちろん、生命魂うみきの往来も活発になって、経済的発展が期待された。


 とりわけ、カーモマウジのあるハインヌゴーシュは、小さな浅海を隔てた東の果てに位置する島国で、人以外には、他の生命魂うみきの数も少ない、閉鎖的な地域であった。

 そのため、開国を推進することで多大な文化と文明が流入し、これまでにない経済的発展を見こめるというものだった。


 もちろん、それはけして、痛みをともなわないものではない。


 ここにいる村人たちは、フルートの父ベームの所有する、広大なモリヤマを明け渡してくれるよう、何度めかの説得を試みに来ていたのだった。

 勇ましい顔つきの男は、その代表者だった。



「――裏切り者は……去れぇ!……」


 ベームは、鬼の形相で喉を絞ると、手に持った杖で地面を殴りつけた。

 代表者の男は、またダメか、と肩を落とすと、申し訳なさそうにフルートたちを見た。


「……わかったよ。でも、また、明日くるからな……まだ、強制執行までには日にちがある。ただ……ただ、これだけは約束してくれ! フルートを、一人娘を、ぞんざいに扱わないでやってくれ……」


 代表者の男は、村人たちに声をかけると、力なく帰っていった。

 フルートとフィオ、セロの三人がその場に残された。


「……お前らは……行かないのか……」


 ベームは縁側に座ったまま、誰とも顔をあわせず、ただ遠く、一点を見つめてつぶやいた。

 三人は黙ったまま、誰しも顔を上げなかった。


「……好きにしろ……」


 ベームは立ち上がり、家の中へと入っていった。


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