24 故郷①
太陽に見放されて文明は廃れ、人は、生命は途方に暮れた。
そんな生命を救ってくれるのは結局、大地であり自然であった。
生命は生きるために、もう一度、自然に忠誠を誓った。
けれども、愚かで哀れな生命は、しかたのない宿命とはいえ、同じ過ちを自らの手でまた繰り返していく。
旧態依然。
文明開化。
時代錯誤。
歴史には、古い文明文化と新しい文明文化がせめぎあう混迷期がある。
よく、時代の転換点などと呼ばれたりもするが、そこには、得るものと失うものを同時にやってのける、荒治療が、かならず待ち受けているものだ。
この世界にも、いっときそんな混迷期があった。
滅びかけた世界が救われ、偶然につながった異界の影響とともに、復興を果たして間もない時代。
そこには、かつての誓いを忘れずに生きるものもいれば、すでに忘れたものも、知らないものもいた。
不思議な「霧」に囲まれ、異界の影響をはじめ、文明、文化、宗教の入り乱れたその世界は、私たちの生きる遠い「未来」、それとも「過去」、もしかしたら、「今」かもしれない――
***
父の名前は「ベーム」。
母の名前は「ヴィオラ」。
フルートは彼らの一人娘だ。
彼女は、父母と三人で、〈遠い東の国〉を意味する「カイン・ハインヌゴーシュ」という国の「カーモマウジ村」に暮らしていた。
父ベームは、木管楽器の「フルート」を専門にする楽器職人。
手先が器用で、繊細な笛をつくると地元では言われている。
楽器づくりは曾祖母である、大おばあちゃんの代からつづく家業で、ベームで三代目だ。
ベームは、ほかにも家を建てたり、細かな生活用具をつくったりもする。
幼少の頃から、長い山や森での暮らしており、野外での処世術に長けた人だった。
でも、こんなに器用なのに、不思議と料理や裁縫は、いまいち駄目な人でもある。
母ヴィオラは、同じ「カーモマウジ村」に住んでいたベームの幼馴染。
学生時代に、彼とつきあいだして結婚したらしい。
彼女もまた手先が器用で、ベームとは違って、料理と裁縫はお手のものだった。
特に、ヴィオラのつくった赤かぼちゃのスープは、フルートの大好物だった。
ヴィオラはまた、常に物事をわきまえ、無理な背伸びをけっしてしない。
とてもやさしく、いつもベームを脇から支えて励まし、ときには引っぱっていく気高き女性だった。
フルートは将来、父ベームのような楽器職人になり、母ヴィオラのように人を支え、導ける気高き人になって、二人を手助けしたいと思っていた。
それが彼女の憧れ、願い。傍からすれば小さくも、自分にとっては、それは大きな「夢」であった。
今、霧のトンネルを越え、ふたたびフルートは、故郷に戻ってきていた。
「やっぱり、痛いか」
フルートは頬をつねってみた。
夢から覚めたのか、少しぼうっとして、ときどき欠伸が出る。
ここにたどり着くまで、彼女はいろいろと記憶を取り戻した。
まだ、隙間の空いたあいまいな箇所もいくつかあるが、それは寝ぼけているせいだろうか。
ログハウス風の実家の庭先から、やや遠くにそびえる山々の稜線が、朝陽に朱く焼かれていた。
その一つの山の裾野には、朝焼けの森が広がる。
あの、秘密の隠れ家のある森だ。
フルートは、その森から山につづく一帯を「モリヤマ」と呼んでいた。
そのモリヤマを感慨に眺め、フルートは故郷を噛みしめていた。
そこは、強い想い入れのある彼女の庭だった。家族が彼女の〈心〉を育んだのなら、モリヤマは丈夫な〈身体〉を育んでくれた大切な場所。
モリヤマに種子が落ちれば、たちまち新芽が出る。
すぐに背は伸び、幹は太くなり、よく葉を生い茂らせ、大きな実をつけさせてくれる。
よく肥えた土地なのか、モリヤマには自然に群生する山菜や木の実、果物も数多く、農作物を植えるとよく収穫できた。
フルートをはじめ、この村に生きるものは、そこでできた豊富な作物と、その恩恵にあずかる家畜を食べ、すくすくと育ってきた。
それは昔から変わらない。
かつて、モリヤマが「マーヴルの揺りかご」と呼ばれ、多くの生命に、慣れ親しまれていたころからの営みである。
食物を食べ、はじめて生命は身体を構成する。
その源泉であるモリヤマ。
そこは生命にとって、〈身体〉そのものだった。
フルートは玄関の扉をあけた。
呼び鈴が揺れ、もの悲しい音がした。
家の中はがらんどうだった。
ベームの姿もヴィオラの姿もない。
彼女は旅行鞄をその場に置き、あたりを探しまわった。
どこかへ出かけたにしては、様子がおかしかった。
部屋は薄暗く、埃っぽく、少し湿った嫌な空気の臭いがした。
テーブルの上には何もなく、戸棚も長く使われていた形跡がなく、手入れの行き届いていない様子だった。
胸騒ぎがした。
フルートは、とてもよくないことが、自分の知らないところで起きているように感じられた。
とはいえ、二人を探してみないことにはわからない。
彼女は二階へと上がった。
「とうさんっ?! かあさんっ?!」
返事はない。
二階の部屋も隈なく探してみたが、誰もいなかった。
どこの部屋もカーテンが閉めきられ、光の浸入を拒んでいた。
フルートは階下に降りた。もう一度、両親の名を呼んでみた。
一階は、変わらず静かで陰気なままだった。
フルートはリビングへと移り、ソファーを見た。
いつもなら、縫いかけの服やら、布きれやらが、端っこに置かれていたりするのだが、そこには何もなかった。
それどころか、裁縫道具も見あたらない。
どこかにしまってしまったのだろうか。
リビングの奥側には、「ミタマヤ」と呼ばれる、神様を祀る小さな祭壇がある。
祭壇は、村の伝統で各家に必ず一つある。
その祭壇には、先祖を供養する「レイジ」が置かれる。
レイジとは、故人の魂が宿るとされる、白木の牌のことである。
ベームとヴィオラは、いつもその祭壇をきれいにして、レイジを大切にしていたのだが、檀上は、うっすら埃がかぶっていた。
これだけで、もういく日も、この家をあけているのが容易に想像できた。
しかし、もっと重大なことがあった。
壇上に置かれているはずのレイジが、一つもないのだ。
そこには、祖父母と曽祖父母のレイジが、それぞれ一つずつあったはずなのに、一つも置かれていない。
父と母が持ちだしたのだろうか。
あれを持ちだすということは、寺院のお堂に供養しに行ったか、そうでなければ……この家を放棄したかだ。
「おじさまっ! おじさまっ!」
きゅうに玄関の戸を叩く、若い女の叫ぶ声がした。
フルートは、その女の切迫した声に、並々ならぬ焦りと不安を感じ、呼吸がうまくできないでいた。
彼女は、急いで玄関までおもむくと、戸を叩く女に、誰なのかたずねた。
女は少し驚いたふうにして、すぐに叫ぶのを止めた。
「えっ? もしかして、フルート?……私よ! 『フィオ』! 幼馴染の『フィオ』よ!」
フルートもまた驚くと、すぐさま玄関の扉をあけた。
勢いよくあけられた玄関口には、背のすらっとした、美しい浅黒い肌の少女が息を切らし、フルートを見下ろした。
その少女は涙をため、
「生きていてくれたんだ……」
と言い、ひとまわり大きな腕で、フルートを抱きしめた。
「何? フィオ? どういうこと?」
フルートは、とつぜん抱きついてきたフィオに混乱した。
まるでフルートは、〈死んでしまった〉かのような扱いだった。
少しのあいだ、抱きついて鼻をすするなどしていたフィオは、いったんフルートから離れると、手で顔を荒っぽくぬぐい、今度は緊張した表情で口を走らせた。
「そんなことより、おじさまはどこ?」
「え? 父さんのこと? 父さんなら、ここにはいない」
「それじゃあ、モリヤマの隠れ家ね! 行くよフルート!」
フィオは、強引にフルートの手を取って走りだそうとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ? 隠れ家なんかに行ってどうするの?」
フィオは立ち止まり、目を丸くしてふり返った。
「どうするって、あんた、『手紙』読んだんでしょう? だから、ここに帰ってきて……」
フルートは、「手紙」のことなど知りもしない。
もちろん、その内容などもってのほかだ。
フィオは、状況を飲みこめないフルートに痺れを切らした。
「あぁ! 説明はあとあと! とにかく来て!」
そう言うとフィオは、また強引にフルートの手を取りなおした。
「あぁ! 鞄!」
「そんなの、今は置いてきなさい!」




