20 夢の街③
地下鉄に乗ってからというもの、青目の女の子は、首にぶら下げた首飾りをずっと眺めている。
フルートと横がけの長いすに並んで座って、その横顔は、花びらの開ききったように喜びをふりまいていた。
「ありがとう! フルート! 私、こんなことはじめて!」
女の子は、青目に艶やかな涙を滴らせていた。
生まれてはじめて、もらったプレゼントが、よほど嬉しかったのだろう。
小さな首飾りは、本物の青いパァンの笛だった。
虎人の男が、やっとのことで仕入れた代物だそうだ。
彼は、定価5000エンでも安いところを、3000エンまでまけてくれた。
だが、女の子の持ちあわせは、2000エンしかなかった。
そこでフルートは、せっかくまけてくれたのだからと、母に多めにもらった小遣いで、女の子にプレゼントしたのだった。
でも、まさかそのプレゼントが、フルートのよく知っているものと同じだとは思いもよらなかった。
もっとも、彼女のそれは、ネコたちにあげてしまったから、手もとにはもうないものだった。
今あるのは、老婆にもらった大きな青いパァンの笛だけである。
フルートは胸の上から自分の笛をさわった。
やはり、彼女のしていたあの小さな青いパァンの笛は、ヘイルハイムの街で見つけたものなのだろうか。
彼女はますます、わからなくなった。
二人は赤色区の北駅で降りると、先頭で列車を引っぱるハナモグラにお礼を言う。
彼は、歯をカタカタならして巨体を震わせ、前足を掻いて出発していった。
女の子の家は、駅から歩いて5分ほどの一軒家だった。
よく見たことのある家だ。
赤い屋根に赤い扉、ついでに赤い窓枠は、赤色区のほとんどの家の特徴だ。
しかし、この一軒だけは他と違う。
小さな庭があり、背の高い木が一本埋まっている。
木は、二階の手前の部屋からせりだし、テラスをゆうに超え、西陽で小蔭をつくっていた。
「ただいまぁー!」
女の子は庭の門をあけてくぐり、勢いよく扉をあけた。
玄関先から、二人の夫婦が弾むように出てきた。
フルートは、門の前でそそくさと下をうつむき、絶対に顔を上げようとはしなかった。
女の子が母親に飛びついた。
傍らで父親が、女の子の頭をうしろからなでた。
フルートはいったい今、何が起きているのか整理がつかなかった。
なぜなら、頭を上げればその先で、「ニセナ夫妻」が女の子を抱擁しているのだった。
「おかえり! 『グーシャ』!」
女の子は名前を呼ばれると、屈託のない笑顔で答えた。
「ただいま!」
フルートは頭が凍りついたようだった。
「おっ! そこにいるのは、お友達かな?」
「ウフフ! そうよ! 前に言っていた、私のお友達!」
女の子は、門の前でうつむいたままのフルートに駆け寄った。
心配そうにのぞきこむ彼女に、フルートは、平気だ、と言って顔を上げた。
門の先では、ニセナ夫妻が仲良く横に並んで、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「そうかぁ、君がグーシャのお友達の……ようこそ! ずっと、この日を待っていたんだよ!」
コップスは、眼鏡を外して目頭を押さえた。
「まぁ?! かわいらしい子! グーシャと並んでいると、まるで双子の姉妹だわ……」
ジーニは長い金色の髪をなびかせ、二人に駆け寄っていった。
彼女は膝を折り、二人の小さな背丈にあわせてしゃがむと、熟れた果実のような目をし、二つの頭と頬をやさしくなでた。
そして、彼女の両頬に引きこむように肩を抱きよせた。
長いこと二人を抱擁すると、ジーニはフルートに向きなおった。
「私は『ジーニ』。はじめまして。あなたのお名前は?」
「……フルー……ト……」
フルートはおずおずとしゃべった。
「そう! 『フルート』ちゃんっていうの! きれいな響きのお名前ね!」
ジーニは笑うと、フルートの知っている笑窪に八重歯を見せる。
玄関ではどういうわけか、コップスが感動のあまり、嗚咽して泣いている。
「フフフ、あの眼鏡の泣き虫さんは、『コップス』って言うの。変なおじさんでしょ?」
コップスはようやく立ち上がると、眼鏡をかけ直してフルートの前にやってきた。
相変わらずの苺っ鼻は、泣くといつも鼻がまっ赤になるからだ。
「フルートちゃん! グーシャのこと、いつもありがとう。この子は、ワガママなところもあるけど、これからも仲良くしてあげてね」
そこには、フルートの知っている知らない人たちがいた。
目の前には、コップスというおじさんに、ジーニというおばさん。
隣にはグーシャと呼ばれる女の子。
(私はいったい……)
少女は「フルート」であって、「グーシャ」ではなかったのか。
少女の「グーシャ」とは、いったい誰だったというのか。
フルートは、過去の「私」を手にして、今ある「私」を失った気がした。
フルートはなじみ深い庭門をくぐり、家の中に招かれていく。
ふと、来た道をふり返ってみた。
家の前の通りには、今日も仕事を終え、ひとっ風呂浴びて来ただろう生命魂たちが、とぼとぼ歩いていく。
いつもは陽気で騒がしい彼らなのに、なぜか今日は黙って、明後日の方向を見ている。
夕暮れどきの空は、朱い陽光を尻切れに交錯させる。
地面の稜線を複雑に分割していくようで、あたりの世界が複雑に見えた。
(この街は、いつも知ってるヘイルハイムと、どこか違う……)
ジーニは、台所の棚の上に小瓶を二つ置いた。
フルートの母が持たせた、お土産の木苺のジャムだ。
ジーニは、その小瓶を眺めて、幸せそうに思惟にふける。
「ねぇ、ママ? ママってば?!」
近くで、グーシャの呼びかけに気づいていても、ジーニは妄想を止めない。
「……明日は、みんなでクッキーを焼こうかしら? それともクレープのほうがいいかしら? フルートちゃんにも聞いてみないと……」
ジーニは、グーシャの肩をつかんでうしろに向かせ、リビングへと彼女を押すように歩いた。
グーシャは頬を膨らませ、納得できない表情だった。
「ねぇ! フルートちゃん! クッキーとクレープはどっちが好き?」
夕飯を食べ終え、フルートとコップスは向かいあってソファーに座っていた。
フルートは食後の紅茶をもらい、コップスはとうに紅茶を飲み干して、大好きな晩酌《リンゴ酒》をはじめていた。
「え、えーと。どちらも好きですけど……」
「ふーん。じゃあ、明日は、両方やっちゃおうか! 時間は、たっぷりあるしね」
コップスが慌てて、グラスのリンゴ酒を一気に飲みほす。
「ちょっと待った! 明日は、俺と緑色区の公園で遊ぶんじゃなかったっけか?」
悲壮な顔をするコップスに、ジーニが困った顔をする。
「じゃあ、こうしましょう? あなたは、二人を公園に連れて遊びに行く。私はその間にクッキーを焼いて、お昼までに公園に持っていくわ。お昼は、公園のバーベキューを借りたらいいじゃない? そうすれば、私はクレープの材料も持っていくから、そこでみんなで焼くのはどう?」
コップスは、ほろ酔いの赤らんだ顔を崩し、満更でもないふうに無精髭をいじる。
グーシャは風見鶏になって、明日の風向きを見定めると二人の会話に割って入った。
「……じゃあ、明日の予定はこれで決まりね! それはそうと、今夜のことなんだけど……」
「いけません!」
ジーニは、何も聞かずにグーシャを叱責した。
「まだ、何も言ってないじゃない!」
グーシャはジーニと顔をつきあわせず、ソファーの角を手で乱暴にいじった。
「どうせ、『後夜祭』に行きたいって言うんでしょ? いくらヘイルハイムが、治安もいいからって、子供はダメに決まってるじゃない。夜は危ないのよ」
グーシャは、しっかりとジーニに見透かされていた。
彼女は、気まずい顔をしてもなお、頬を風船のように膨らませ、駄々をこねて食い下がる。
困ったジーニは、コップスにも言って聞かせるよう促す。
彼はしぶしぶグーシャに顔を向けた。
するとグーシャは、反対に目をいっそう輝かせて、コップスに期待を投げかけるのだった。
けれども、娘にめっぽう甘い彼でさえ、たちまち険しい顔をしていた。
「ママの言うとおりだよ……まして夜は、昼と違って何があるかわからないんだから。それに、警報を聞かなかったか? 今日は、これから『霧』が出るんだよ……あの『悪魔の霧』が……」
「霧」の言葉を聞いたとたん、グーシャはしゅんと静まり返った。
見かねたフルートが、やさしく声をかけた。
「私も行きたかったけど、『霧』じゃあ、しかたないよ……」
「そうね……。じゃあ! 早くお風呂に入って、お部屋でおしゃべりしましょ?!」
ようやくあきらめたグーシャは、早くも気持ちを切りかえていた。




