16 スパム・ブー・リンボー①
永遠とも思える漆黒の中を、少女たちはどこまでも進みつづけた。
そこに、誰も沈黙を破るものはいなかった。
少女は、自分という存在に自問自答を投げかけていた。
いまだに彼女の心は、この漆黒の永遠のように、どこにも抜けだせず、袋小路のまっただ中にいる。
彼女はもう、頭が空っぽになりかけていた。
「……んっ?! 何か見えるぞ?」
パァンの声に、二匹のネコは、バケモノのことを思い出したのか、ブルルと身震いをして、気の抜けた少女のうしろに隠れた。
だんだんと近づいてくる構造物は、全体的にくすんだオレンジ色をして浮遊する。
それは独楽みたく、むきだしの円盤状の物体の中心に、一本の細い支柱が上に下にどこまでも貫き、八の字の弧を描くようにゆっくり回転している。
貫いた中心の支柱のまわりには、広い螺旋階段が、支柱のあとを追うようにつづく。
ちょうど、惑星をリンゴに見たてて、その芯をくり貫き、長い棒をとおした形をする。
さらに真ん中の大円、いわゆる赤道あたりを残して、球面に沿うように皮を細くつなげてむき、それをまた上下に引き伸ばし、残した赤道部分以外の身を取って、食べてしまったかのようである。
少女たちは、その浮遊体に近づくと、円盤の面に吸い寄せられるように降り立った。
少女は足もとが覚束ない。浮遊体は、彼女たちの身体とは違い、物の感触をしっかりと有し、透明ではない。
やはりここは、物だけが実体を有しているのだろうか。
円盤の上は、舞台のような造りをしていた。
その舞台上には二人の男がいる。
一人は、黒いスーツをかっちりと着た〈痩せでのっぽ〉で、もう一人は、ピエロのような奇妙な格好をした〈デブで小柄〉の男だ。
だが、彼らは身体が透けてはいなく、たしかな実体を持っているようだった。
あたりは香ばしいにおいがする。
ネコたちの言ったとおり、二人は食事の用意をしており、焼きあがったまるまる一羽の鳥を切り分け、テーブルの皿の上に乗せていた。
さっそくネコたちは、少女の背中から指をくわえて飛び出し、食べ物の様子をうかがいに行く。
「お、おうっ?! なんだ……猫か……でも、めずらしい客だな? ん? もう一匹いんのか?」
痩せでのっぽの男が、やさぐれた声を投げかけた。
「あれぃ? お昼どきにお客ぅ? めんどうだなぁ……」
デブの小男が、鼻の詰まったおっとりとした声でしゃべる。
ネコたちは我慢できず頬を緩ませ、鶏肉に涎を垂らしていた。
気づいた痩せの男が、ネコたちに言葉で噛みついた。パァンがかわりに謝っている。
ネコたちは残念そうな顔をして、切り分けられていく鶏の行く末をじっと見守っている。
「……食事どきに申しわけないです。僕たちは、迷宮に遊びに来たものなんですが……」
パァンが痩せの男にたずねた。
「あー、そっちのお客ね。はいはい、ちょっと待ってな……おい! 『スパム』!?」
痩せの男は、かったるそうにすると、デブの男を厳しく呼びだした。
「なぁあにぃ?」
「『なぁあにぃ?』じゃねーよ! 早く『リンボー』を呼んで来い!」
「えぇぇぇえ?! 食べてからじゃあ、ダメなのぅ? 腹ペコで、死んじゃいそうだよぅ……」
デブのスパムはいじけて、その場で足を抱えこんで地べたに座った。
「おい……おめぇ、さっきまで『ポテトフライ』食ってただろう? それも、隠れて大皿にてんこ盛り。腹ペコなわきゃあ、ねぇよな? あれだぞ? リンボーに言ってやってもいいんだぞ? ポテトのこと」
スパムはかっと目を見開き、奥歯をガタガタさせる。
「そ、それは困るよぅ。言わないって約束なのにぃ……」
「じゃあ、早く呼んでこいやっ! デブ!」
「ひ、ひどいよぅ。これでもダイエットしたのにぃ……」
ぶつぶつ文句を言いながら、スパムが奥の舞台袖のほうへと消えていく。
痩せの男はこれを見届けてふり返ると、あきらめの悪いネコたちが、嘱望の眼差しを彼に向け、祈るような面持ちで待っていた。
「……ちっ! しょーがねーなー! 一枚だけだかんな。半分つにして、仲良く分けんだぞ? 喧嘩はダメだかんな!」
食い意地のはったにゃーは、痩せの男の忠告を聞かず、男が指に持った肉をペロリと食べてしまった。
案の定、みゅーみゅーは、にゃーに食ってかかろうとした。
すかさず、男が仲裁に割って入る。
「おいおい! 喧嘩すんなって言ったそばで……あーっ、くそっ!」
痩せの男は少し、いらいらしながら、ナイフで肉をもう一枚切り分けた。
「ほれっ! もう一枚やるよ! でも、いいか? これはチビすけのだかんな!」
男はにゃーを叱りつけて、みゅーみゅーに肉を食べさせた。
「おい、そっちのでかいの! 仲良くやるんだぞ?」
「……はぁーい。ごめんなしゃい……」
痩せの男は、きゅうにしゃべりだした、にゃーにおろおろし、ぎすぎすした頬をかわいく緩めた。
奥の舞台袖で、大きな物音がしたのはその直後だった。
女の怒号も交えて聞こえてくると、ほどなくして、スパムが飛び出してきた。
彼は、とんでもなく情けない声をまき散らし、駆け足でテーブルの下に隠れた。
それも泣きじゃくって、片方の頬をまっ赤に腫らしている。
すると、そのすぐうしろから、女が鬼の形相で勇み足に歩いて出てきた。
「はぁあ?! お前、わかってて、わざとやっているんだろう!!」
女は長い髪をうしろで束ね、持ち上げて結い、毛先をくしゅくしゅ遊ばせる。
その女は、スパムが隠れて食べていた「ポテトフライ」を咎めていた。
馬鹿なことに、事の発覚は、油っぽい手のままで、眠っていた彼女の肩を叩いたことだった。
みごとに、女の着る純白のドレスの肩には、薄黒い油染みが目立っている。
「ちぃ、ちがうよぅ! わざとじゃないんだぁ、『リンボー』! ほんとうにぃ、ごめんよぅ……」
「何度も、何度も! おまえ反省してないだろ? このままだと、また私は『ご主人様』に怒られるんだぞ!」
リンボーと呼ばれた女は、何かしらの理由で、『ご主人様』とやらに、スパムのダイエットを監督するよう命令されていた。
だが、スパムは、毎度のごとくダイエットに失敗しており、今度もそうとなると、リンボーはひどいお叱りを、その『ご主人様』から受ける約束となっていた。
「おい! 『ブー』! お前もだぞ! 私の処遇を知っておいて、協力してくれないんじゃねぇ?」
「い、いや……俺も見つけちゃあ、止めてたんだけど、今回のは、俺の見てないうちにな……」
「嘘おっしゃい! お前、私に処罰がくだるのを、ずいぶん楽しみにしてたらしいじゃないか? なぁ、スパム?」
痩せ男のブーは、口もとが引きつっていた。
「お、おめぇ……しゃべったのかぁ……」
スパムは猫背になっておどおどし、両手で股間を抑えて唇を青くする。
「フフッ! まあ、いいわ。ちょうどお客が来てることだし、うさはそこで晴らして、あんたらのことは、あとの祭りにでも取っておこうじゃない?」
リンボーが、こびりつく声で不気味にせせら笑うと、スパムとブーは、戦慄が走ったように凍りついた。
彼女は、次に少女たちを冷たく見た。
しばらく寸劇を見せられた彼女らは、元気のない少女を除き、だいぶ待ちくたびれていた。
「……『悟り人』に『快楽主義の猫』……って! ちょっとぉ! 何よ、この人選」
リンボーは、片手で顔を覆って落胆した。
「まあでも、うしろの小娘は、ちょっとおもしろそうねぇ……」
そう言うと、リンボーの氷のような麗しい小顔が、少女をひたりと捉えた。
少女は寒気を感じた。
なぶるようでいて、蛇のように鋭い視線は、人を石にしてしまいそうな妖しい気を放つ。
少女は背筋に緊張を走らせ、ずいぶんと萎れてしまっていたが、わずかな活力をもって、琥珀目を潤ませた。
「お前ら? どうかしら?」
リンボーが、スパムとブーに呼びかける。
二人は間抜けな面をして、ぼうっと突っ立っていた。
両者とも、顔に薄紅色を浮かべ、潤ませた琥珀目にのぼせているようだった。
すぐさまリンボーは、蔑んだ表情で、二人に平手をくれた。
彼女は相当、虫の居所が悪かったらしい。
「……すまなかったわねぇ、客人のかたがた。こんな程度の低いところを見せてしまって……」
あらためて謝るリンボーン隣で、空気の読めないスパムの腹が豪快に鳴った。
彼を除く二人が、思いきりため息をついた。
「……私らは、これから夕飯にしようと思っていたの。どうかしら? ごいっしょに食事でも? そこの黒猫も、ずいぶん食べたそうにしていることだし」
パァンの瞳に、ネコたちの恍惚が光って映りこんだ。
彼はたまらず、片手で顔を覆う。
そして、
「……まぁ、僕らはそれで構いませんが、あなたがたの都合にあわせます」
と、リンボーに応じた。
「では、『ここ』の話は、そのときにしましょう……」




