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14 鏡の檻①

 少女たちは、パスティンルーの背中に乗って、中庭の中央を目指した。

 西の丘から東へ東へ、広い中庭の上空を一直線に飛ぶ。


(モヘジさんは、大丈夫だろうか……)


 あのあといったん、モヘジの家へ戻った少女とギタリは、庭先でむせび泣いていた彼を寝室に連れて行き、身体を休めるよう伝えた。

 あの旅行鞄と、孫のようにかわいがっていた青目の少女が、モヘジにとってとても大切な存在だったと、少女はあらためて痛感した。


(だからこそ、取り戻さないと!……)


 しばらくして、少女たちは、周囲の景色と同化した奇妙な場所を見つけた。

 そこは、一帯の光や景色を反射させ、角度によって表情をさまざまに変える。

 しかし、あたりには鳥やら虫やら、生きもののいる気配は感じられず、森というにはあまりに無機質すぎていた。


 少女は、小石のように細かな光に、ときおり目をつぶった。

 ギタリは、カーキのゴーグルのダイヤルを回し、遮光グラスへと変え、着陸する場所を探していた。


「ところどころ、光が反射して、まぶしいですね。〈鏡〉の名を冠するだけはある、ということですか」


 ギタリの風に擦れる声に、少女は、彼の背中にしがみついて顔をしかめ、きゅう屈に返事をするのでせいいっぱいだった。


「でも、おかしいですね……そろそろ、が少しずつ陰りだしてもいい頃だと思うのですが」


 たしかに、モヘジの工房に厄介になったのが、正午過ぎのことで、ここに至るまでに、少なくとも、小一時間は経過していておかしくないはずなのだ。

 だが、太陽は相変わらず、燦々《さんさん》と照り、むしろ、真上に昇り返しているようにも思われた。


「入口は、どこなのかわかりませんね……まあ、森というぐらいですから、どこから入っても同じでしょうか? とりあえず、日蔭になっている場所に降りましょう!」


 ギタリは適当な日蔭を見つけると、パスティンルーをゆっくり降下させた。

 近くには沢が流れる。

 彼は、そのほとりにパスティンルーを不時着させ、そこで待つように指示した。


 「鏡の森」は、鏡を全身にまとった、大きな木々に囲まれていた。

 「鏡の木」は、幹から枝葉まで、すべて〈鏡〉でできていて、植物特有のにおいがない。

 といっても、葉はざらりと毛羽立ち、葉脈の溝も感じられる。

 幹の肌も植物そのもので、ごつごつした表皮に生々しさが手に伝わる。


 鏡の性質を持った植物の根もとは、手前の雑草を大きく映しだすと、反対側の木に向かって永遠と小さくしつづけた。

 地面に太く張り出された根が、少女の靴底にかちあたった。


「ちょっ?! 根っこで、スカートの隙間から中が見えちゃうじゃない!」


 少女はきびすめで、根っこを蹴って退く。

 そして神経質に、キュロットスカートの裾の広がりを束ね、太腿ももを閉じると、ギタリをにらみつけた。

 彼は顔をまっ赤にして、疑惑の否定に終始した。


 森の奥は鬱蒼うっそうとしていた。

 手入れのされてない枝が四方に張り、隣同士で絡まり干渉している。

 先が見えづらく、近くを慎重に手で触り、枝を折るなどして進むしかなかった。


 樹上の葉の間からは陽光が差しこむ。

 ところどころその光が、鏡の反射を利用して侵入してきた。

 うっかりしていると、その眩しさに目を暗まされてしまう。


 小枝の踏む音が冷たく弾けた。

 土草のにおいだけがそこにあった。

 ギタリの顔が葉の丸みに映りこみ、少女の前で引き伸ばされるように動いた。


「ギタリさん? 本当に青目のお嬢さんは、ここにいるんでしょうか?」


 ふり向いたギタリは、落ち着いた声で返事をした。


「おそらく……。ちょっと声を出して呼んでみましょうか?」


 ギタリは何度か声をあげ、青目の少女を呼んでみたが、何も反応は返ってこなかった。

 少女も、あとにつづいて呼んでみたが、なんら変わりなかった。


「自力でどうにかしろってことですかね……」


 ギタリはそう言って立ち止まると、腰に手をあてた。


「ただ、不思議ですね。森というのに、動物どころか、植物すらないなんて」

「え? ちょっと待ってください! 動物や虫は確かに見あたりませんけど、この鏡でできてるような植物は、触った感じ、本物のように思いますけど?」


 少女は近くの枝葉を引き寄せた。

 ギタリもまた、近くの枝葉に触れた。

 彼は、もの悲しい目をその葉の表面に映しこむと、とつとつと自分のことを語りだした。


「……信じてくれないかもしれませんが、僕には聞こえるんです。動物や植物の自然の声が。でも、ここはまったく声がしないのです。いつもなら、語りかけてくれたりするのに」


 少女は耳を疑った。

 ギタリは、自然と会話ができるとでもいうのか。

 おまけに彼は、モヘジと同じように百年以上も生きながら、なおかつ若々しいままでいる。


「ギタリさん……あなたはいったい?……」


 少女は、ギタリをまじまじと見た。

 彼は顔をまっ赤にして伏せ、少し照れ笑いする。


「いえ、その……実はこう見えて、僕、翼人つばさびとなんです。わけあって、背中の翼はありませんけど……。ちなみに、僕が長生きで若々しくいられるのも、その理由からです」


 ギタリは少女から顔を背けた。


 たしかに、翼人は非常に長生きで、若年期が長いことで知られる。

 だから、ギタリがずっと、少年のままでいられるのも、少女はすぐに理解できた。

 ただ、彼が翼を失くした理由はわからない。


 けれども少女は、翼人には、その翼にまつわる不遇の歴史があるのを少しだけ知っていた。

 彼らがこの世界に現れたころ、その翼は、不老長寿の薬材と一部で噂され、その薬を得ようと高額で取引されたことがあった。

 そのため、翼をもがれて殺される事件が相次ぎ、身を守ろうと翼を捨てて人間に紛れたものが大勢いたと聞く。


 少女はギタリの背中を見つめていた。

 もちろん、ギタリは彼女の憶測とは違うかもしれない。

 でも、その翼のない小さな背中は、木洩れ日の鏡による反射で、些細な影がつくられ、彼女の何倍もの大きな過去を背負っているように思えた。


 少女は、うしろめたくなった。


「あの……ごめんなさい。そういうことを聞くつもりじゃなかったんですけど……」

「いえいえ! 僕こそ、何だか気分を落ちこませてしまったようで、申しわけないです……例え、翼はなくとも、僕には『パスティンルー』という翼がいますから!」


 ギタリは持ち前の笑顔で答えた。


「……大事な相棒なんですね。パスティンルーは……でも、それと自然の声が聞こえることとに、どういう関係が?」

「ええ……正直、とつぜんに備わった能力なので、僕にも詳しいことはわからないのですが……ただ翼人は、大昔に自然の中で生き、自然と対話していた言われていて、もしかしたら、その能力がたまたま、僕の中で蘇ったのかもしれません」

「じゃあ、パスティンルーの声も?」

「ええ……。パスティンルーは、僕がはじめて対話した動物なんです。もしかしたら、『彼女』が、この能力をプレゼントしてくれたのかもしれません」

「『彼女』?」

「え? ええ、パスティンルーは、その……雄ではないと言いますか、立派な女性ですから……えっと、あの……まさか……?」


 少女は、笑ってごまかそうとした。

 ギタリは、くれぐれもパスティンルーの前で、男性の、それも雄の扱いをしないように釘を刺した。

 彼女は繊細な乙女なようで、もし、傷つきでもしたら、ギタリもいろいろと困るのであった。


「……それはさておいて。とにかく青目のお嬢さんを見つけて、説得しないと。おそらく、それしか方法はないです」


 ギタリの提案に、少女は同意した。


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