13 青目の少女②
「な、何わけのわからないことを言っているんですか? 戻って来てください!」
ギタリの問いかけに、青目の少女の返答はなかった。
彼女は前を向くと、そく丘のほうへ歩いていった。
モヘジは、弱々しい声にならない声を吐露すると、危なっかしい足どりで青目の少女を追いかけようとした。
ギタリは、そんな彼の様子を気にして止めに入った。
「わしが……、わしが、いけなかったんじゃ……。きちんと、『相手』のことを見なかったばかりに……だから鞄も、おまえも……」
ギタリに支えられたモヘジは、三角の獣耳もしっぽもしおれ、喪失感を漂わせて震えていた。
少女には、モヘジが自由を求めてつくった旅行鞄の末路と、またそれを持ち出し、消えていく青目の少女を、自分自身の因果だと責め悔いているように映った。
すると、ギタリは、
「モヘジさんは、ここで待っていてください! 僕がかわりに行きますから」
と、頼もしい顔つきでモヘジに言う。
「私も行くわ!」
少女はそう言って先に駆けだそうとすると、ギタリが彼女の腕を引っぱった。
「お嬢さん! それならこっちです! パスティンルー!」
「ブァーッ!」
パスティンルーはギタリの呼びかけに返事をし、庭の入口から羽を広げて飛んできた。
ギタリは、鞍についたステップを駆けのぼり、颯爽とパスティンルーの背中に飛び乗る。
彼は、自分の身体をフックで固定すると、少女に手を差し伸べた。
一瞬、少女は躊躇した。高いところが苦手だったのだ。
「さあ、はやく! 僕のうしろに乗ってください!」
少女は決意を固め、青いパァンの笛と黄色の住民証をなくさないように、胸の中にしまいこんだ。
そして一度、深呼吸。彼女は、思い切りステップを駆けのぼり、ギタリの手を取った。
ギタリは少女を引き上げ、命綱をその腰にまわす。
彼女はすぐ彼にしがみついた。
「モヘジさん! 家の中の帽子よろしくお願いします! すぐに戻りますから! では、またあとで!……さぁ、行くぞ!」
「ブァーッ! ブァーッ!」
ギタリは両足を器具に引っ掛けて固定し、カーキのゴーグルをかける。
手綱を両手でぎゅっと握り、勢いよく下に叩いた。
パスティンルーは一鳴きし、風を包んで宙に舞った。
みるみるうちに、モヘジの姿は小さくなっていく。
太陽はまだ陰ることもないのに、上空は思いのほか寒く、空気は固く張り詰めていた。
遠くの丘の裾のほうで、青目の少女が空を見上げ、慌てているのが見えた。
彼女は旅行鞄のギアを上げ、走って斜面をのぼりだした。
ギタリはパスティンルーの首に頬をあて、喉を手でさすって詫びを入れていた。
これから、遠くの丘で鞄を引く、青目の少女を飲みこんで捕まえなければならなかったからだ。
低い鳴き声をあげ、彼に快く応じるパスティンルーは喉袋を震わせ、空を滑るように獲物を追った。
「しっかり、つかまっていてくださいよ! 一気にいきます!」
パスティンルーは、丘をのぼりきった獲物を確認すると、上空を旋回し勢いよく急降下した。
「……!」
少女は、舌を噛むまいと口をしっかり閉じ、ギタリにしがみついた。
鋭角に浸入したパスティンルーは、丘の上の地面すれすれのところで低空飛行に入る。
次の瞬間、大きなくちばしを上下に広げた。
草原の大地を滑り、景色を呑みこんでいくように、ふり返る透きとおった青色の瞳が、くちばしに吸いこまれていった。
「ブルルルル……」
パスティンルーは喉を震わせ、上空へ飛び上がると、緩やかに弧を描いて草原に着地した。
青目の少女の騒動は思っていたよりも、あっけない幕切れに終わってしまった。
二人は草原の上に降り立った。
少女は、とりあえず自身の無事に安堵すると、丸呑みにされた青目の少女を少し気の毒に思った。
「あの青目のお嬢さんは、大丈夫なんですか?」
「ええ! ご心配なく……ちょっと乱暴ではありましたが、しかたありません……」
ギタリが肩を大きく落とすと、パスティンルーをやさしく呼んだ。
だが、様子がおかしい。
なぜか、パスティンルーは喉を震わせ、頭を右へ、左へひねり返して落ち着きがない。
「どうした? パスティンルー?」
ギタリはパスティンルーの首をさすり、口をあけるように指示を出した。
けれども、なかなか口をあけようとしない。
パスティンルーは、ブルル、と喉を転がせながら頭を何度もひねりつづける。
少女は心配そうに、パスティンルーを見つめていた。
すると、彼女たちのすぐうしろで若い女の声がした。
「卑怯にもほどがありますよ……」
若い女の声を聞いたパスティンルーが、興奮して鳴き声を上げた。
ギタリはパスティンルーをなだめ、落ち着かせる。
少女はふり返った。
「二人がかりでも卑怯だっていうのに、パスティンルーまで使うなんてあんまりですね。こっちは鞄を持った、幼気な女の子一人ですよ?」
そこにいたのは青目の少女だった。
彼女はキャリーカートの、伸ばした取手に抱きつくようにして鞄にまたがり、こちらを冷ややかに見ている。
(何で? たしかに、くちばしに呑まれていったのに……)
少女は、〈三度目の現実〉に全身をこわばらせていた。
パスティンルーがようやく落ち着くと、ギタリは青目の少女をおそるおそるのぞきこんだ。
「どうして?! 君はいったい? さっきから、とつぜん消えては移動して……」
「……人には、一つくらい〈特技〉があるものなんですよ……。どうですか? 『鞄』はあきらめますか?」
少女はうつむいた。
目の前の現実が本当なら、どう考えても捕まえることは不可能だ。
とつぜん消えては、移動する相手をどうしろというのか。
しかし、だからといってあきらめるわけにはいかなかった。
この鞄は、きちんと持ち主の元へ返らなければならない。
それに少女は、青目の少女を思う、モヘジの気持ちも気がかりでならなかった。
青目の少女をこのまま、好きに放って行かせることは、彼女には許せなかった。
「あきらめるわけにはいきません……! モヘジさんのためにも、あなたのためにも……」
少女は静かに語気を強めた。
青目の少女は、ピクリとも、その冷たい表情を変えない。
「じゃあ、今すぐ鬼ごっこのつづきをします?」
少女は、青目の少女の頬を引っ叩いてやりたい衝動を抑えつけ、無力にも目を伏せる。
隣では、ギタリが肩を落としていた。
このままつづけても、青目の少女を捕まえられないことはわかりきっていた。
「あれ? 『鬼ごっこ』は嫌いでしたか?」
二人は黙りこんでしまった。
「そう。そしたら、『かくれんぼ』なんてどうですか? 私は、『鏡の森』で、大人しく待っていてあげますから」
青目の少女は、自分の手の爪を見ながら、呑気に話しする。
「どうせ見つかりっこないですけど……。ちなみに、森はこの中庭の中央にあります。パスティンルーがいれば、あっという間に着くんじゃないですか? では、早く遊びに来てくださいね……」
青目の少女は言い残すと、すぐさま鞄から飛び降り、少女たちに背を向けて消え去った。
今の少女たちに、なすすべはなかった。




