12 モヘジの鞄と運び屋の想い①
家の一階は広く、工房とリビングとが一体になったような空間だった。
工房には、何枚も重ねられた鞣し革の独特なにおいがあり、できあがった鞄が、いくつか棚に並んでいた。
広い机の上には、足踏みのミシン、針山に刺さる縫い針、金槌や菱目打などの工具類が、長年使いこまれた深い味わいを醸し出していた。
部屋の奥にとおされた少女とギタリは、テーブルを囲い椅子に腰かけていた。
身体の大きいパスティンルーは、外で大人しく待っている。
「ただいまー!」
残りの花に水をやっていた、青目の少女が帰ってきた。
「んん? ずいぶん、早かったのぅ?」
「やっつけ仕事よ! フフフッ!」
モヘジは、やれやれ、と三角の獣耳を折りたたみ、両手を肩らへんまで上げて、首を横にふる。
「あー。お腹空いたな……」
青目の少女はお腹を手でさすった。
少女はそれを見て、青色区で買ったお土産を思い出した。
彼女は席を立ち上がり、うしろに置いた鞄の上から紙袋を引き抜き、紙袋をいくつか取り出す。
「あのぅ……『フィナンシェ』とかはお好きですか? 『スコーン』もありますよ!? 男の人は、やっぱり『ラスク』ですかね?! みなさん、どれでもお好きなのをどうぞ!」
青目の少女が歓喜の声をあげた。
興奮冷めやまない彼女は、指をくわえ、すぐにでも紙袋に手を入れて食べてしまいそうである。
「ギタリさんは、もしよろしかったら余分にお一つ、お土産にでも!」
少女は、ギタリへの感謝と、不甲斐ない自分へのお詫びの気持ちで極まっていた。
これをどうにか伝えなければと、彼女は必死になった。
「いえいえ、ここにあるお菓子で、お礼は十分ですから」
ギタリはそれとなく遠慮し、気遣いしないように口添えした。
部屋の奥でケトルの笛が鳴り響いた。青目の少女が、モヘジに頼んでおいた、紅茶を入れる湯が沸いたのだ。
彼女は、嬉しそうに台所へ跳ねていった。
あけられた窓には、レースのカーテンが引かれ、合間の光が少女の顔をかすめる。
テーブルの上には、紅茶がティーポットで用意され、茶葉の抽出を今かと待たれていた。
「そういえば、今は何時なんでしょうか?」
少女は部屋を見渡して時計を探した。
彼女が中庭に来て以来、ずっと疑問に思っていたことだった。
「今? うーん……午後の12時……5分過ぎですかね」
青目の少女が、棚の上にある、秒針のない置き時計を指さして言った。
少女はその時計を見るなり、嫌な予感がした。
「まさか……今日って『水曜日』だったりしますか?」
「いいえ? 今日は『火曜日』ですよ、フフッ」
テーブルの上に両肘を立て、青目の少女は手にあごをもたれさせて、意味深な笑みを浮かべる。
「実は……この中庭は、同じ迷宮内でも、昼夜が〈反転〉しているんですよ。だから今は、真昼が過ぎ。安心してください」
「どおりで! 僕もずっと不思議に思ってました。そんな場所があるんですね」
ギタリが驚いた表情で言った。
向かい側で、少女はほっと息をついた。
時計の砂山が綺麗に積み終わった。
青目の少女は立ち上がると、少女のカップに紅茶をそそいだ。
我慢できなかったのか、彼女は、いつのまにかラスクを一枚、片手で口に突っこんでいる。
「あのぅ……何度もあれなんですけど、本当にありがとうございました。お風呂ばかりか、服と靴まで貸していただいて……」
「いいんです! いいんです! 汚れたまんまじゃ、女の子は嫌ですもの。お礼だって、もう、ちゃんといただいてるんですから、気にしないでください!」
青目の少女は、すかさずフィナンシェを頬張りつつ、ギタリのカップに紅茶をそそぐ。
彼はぺこりとお辞儀した。
にこやかに笑った青目の少女は、入れ終わったティーポットの蓋をあけた。
中をのぞきこむと ケトルを持ち、新しい湯をそそぎ入れた。
白く滑らかな陶器の底に、やわらかく薄紅の湯が浸っていく。
適度に冷めた湯は、開いた茶葉を押し上げた。
冷めないうちに蓋を閉めると、品のよい垂れ口から、和やかな湯煙が吹く。
「あの、そういえば、あったかい風が出る道具? どんな仕掛けかわかりませんけど、便利ですね! あっというまに髪の毛が乾いちゃうなんて!」
少女は艶のある黒髪を手でつかんで、さらさら流した。
「あー、『ドライヤー』のことですね! 私も、よくわからないんですけど、ほんと便利ですよね!」
「風を吸いこむ機械もあれば、あったかい風を吹きだす機械まで……迷宮はつくづく不思議なところです」
少女はしみじみと思い返した。
「そうそう! 洗濯しておいた服と靴は、今日の天気ならすぐに乾くと思います! それはそうと、私の服、大きさ大丈夫ですか?」
「はい! ぴったりです! しかも、こんなに可愛い服!?」
上は、アンティークホワイトの、丈の短い丸襟のブラウスに、綿編み生地とペルーブラウンの革を組みあわせた、薄手の軽いジャケット。
下は、長いドラブオリーブのキュロットスカートに、これまた軽くて歩きやすい、薄茶の革のショートブーツ……。
「えへへ! それぜんぶ、モヘジがつくってくれたんですよ。そうだ! あとで服と靴が乾いたら、傷んでいる箇所を直してもらいましょう! モヘジは、ちょちょいのちょいで、あっという間に直しちゃうんですから!?」
「えっ?! モヘジさんは服や靴もつくるんですか?」
「……まぁ、いろいろとつくることはあるんじゃが……」
ちょうどモヘジが、分厚い「綴じこみ帳」を脇に抱え、工房から帰ってきた。
彼は帰ってくるなり、お菓子を欲張って頬に詰めこむ、青目の少女をたしなめた。
そして、一つ咳払いすると、綴じこみ帳をテーブルに置いて、丁寧にページを捲りはじめた。
「……あった。これじゃ。この右側の……」
モヘジは、少女の前に綴じこみ帳を開いて置いた。
その紙面の右側には、『La silva』と記されている。
「ラ=……シルファ……?」
モヘジは目をつぶってうなずいた。青目の少女は指を舐めつつ、綴じこみ帳をのぞいて難しい顔をする。
「『森』を意味する。わしが、この鞄につけた名前じゃ」
少女は、綴じこみ帳の紙を一枚めくった。
日付も、依頼主の名前もない注文書が現れた。
鞄の種類すら指定はなく、備考欄には、彼女に読めそうで、読めない文字が記されていた。
「見たことあるような、ないような文字……。でも、『世界共通語《ニェルシグ語》』とはぜんぜん違いますね。それに、日付や名前の欄に何も書かれていないって、どういうことですか?」
モヘジが笑った。ギタリが何かを思い出したように顔を上げた。
「モヘジさん? それってまさか?!」
「あぁ……あれはぜんぶ、『夢』だと思っていたんじゃが……」
モヘジは目尻の皺をよせ、遠い目をした――




