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11 陽だまりの宮庭①

 陽の光。

 あたたかい。

 軽い空気。

 草、土のにおい。

 すがすがしい。


 身体を伝わる開放的な感覚は、おく外に間違いなかった。

 少女は、光への順応に戸惑いながら、ようやく目を凝らしはじめた。


 草むらのようなこの場所は、中庭というには少し広すぎるように思える。

 少女のすぐうしろには、すでに扉はなかった。

 ただ、迷宮の外壁なのか、20~30メートルもの高さのある壁があり、どうやら、この空間を円柱のようにして囲っている。


 この高さでは、鳥や翼のある生命魂うみきでもなければ、乗り越えることなどできはしない。


 今は、太陽が少女と向かいあって、足もとを照らしてくれているが、じきに傾けば、この壁の暗闇の餌食となって、身動きもとりづらくなるだろう。

 そくざに彼女は、この場を離れ、中心を目指そうと考えた。


 理由はかんたんだ。ここが円柱のような空間であることと、せめて《《一度は》》人の「手」の入った庭であるという、二つの大きな可能性だ。


(中心には、きっと何かある)


 これが少女の迷宮で学んだ、全体と自分を把握する〈目印〉のつけ方と、その考察の結果というわけだ。


 しかし、少女には一つ疑問があった。

 それは、なぜ外に〈太陽〉が出ているかということだ。

 今はまだ真夜中のはずである。

 彼女がこの遊園地、「チューズデイ・ワンダーランド」を訪れて以来、ずいぶん時間も経つことだが、さすがに夜明けにはまだ早い。


 たとえ、もう夜が明けていたとしても、こんな午後の陽気になっているとは、普通には考えておかしなことである。

 だが少女は、目前の現実を受け入れることを優先した。ぐずぐずしたところで、いいこともなければ、〈あいつら〉にも、遅れを取ってしまう。


 少女はすぐに、草むらからい出ると林の中を進んだ。

 壁の端からずっと、この広い空間の中央を意識し、慎重に進んでいく。

 ようやく林を抜けると、舗装された道路が現れた。

 少女は思わず、よし、と声を出して小さく喜んだ。


 園芸用途を兼ねたと思われる道路は、少し幅が狭く、勾配があり、くねくねした曲道が多い。

 途中、いくつか道路の交差する分岐点には、看板が立てられ、『西の丘 緑ガーデン』なる場所が、太字で強調されていた。

 場所も比較的ここから近い。


 いったん少女は、中庭の中心を後回しにし、手はじめに、そこに向かうことにした。


 標識どおりに進むこと十数分、きゅうな坂道が現れた。

 疲労もあった少女は、のぼるのに少し苦労を強いられた。

 やっとの思いでのぼりきると、道は途切れた。


『西の丘 緑ガーデン』


 頂上の立て看板の先に、西の丘は、若草色の緩やかに下りていく斜面をのぞかせる。

 澄んだ空気が、彼女の肺にしみわたってきた。


「うはーっ! 気持ちいい……」


 疲れなど、一瞬にして吹っ飛んだ少女は、しばらく丘の上の絶景を堪能した。

 丘の上から広がる裾野は、なだらかな黄緑の群生のくぼみに、春の季節らしい黄色やピンクのパステルカラーの絵具ペンキを、バケツでこぼしたように広がっていた。


 手を額にかざし、少女は遠くを見やると、女性らしき生命魂が、花に水をあげるのを目にした。

 人恋しくて、しょうがなかった少女は、嬉しくてすぐに駆けだしていた。

 黄緑の大地を足裏で蹴ると、草がこすれ、渇いた土と去年の枯草が舞う。


日向ひなたのにおいだ)


 少女は、緩やかな丘の坂を夢中に滑った。

 息を切らして駆け寄る少女に、ジョーロを持った女の人が手をふっている。

 彼女は、坂の下でいったん立ち止まって手をふり返した。


 そして軽く深呼吸し、息づかいを整え、ゆっくりと歩きなおす。

 土を踏みしめるたびに、大地に根づくような安堵感を覚えた。


 ジョーロを持った女は、光を白く弾くほど美しく、黒色の髪を腰まで伸ばし、青い瞳をしている。背丈も年頃も、少女と同じくらいだった。


 そのうら若き、「青目の少女」のうしろには、立派な二階建ての家が見える。

 煙突のあるその家の中では、誰かが、金属のようなものを打ちつける音が聞こえた。


 まさか迷宮内に、こんな形で生命魂がいるとは思わなかっただけに、少女は身が震えたった。

 高鳴る胸の鼓動は止まらないでいる。


「こんにちは……」

「こんにちは! 遅かったじゃないですか? 『琥珀こはく目のお嬢さん』!」


 青目の少女はジョーロを片手に言った。

 少女は意表を突かれて戸惑った。


「そんなびっくりしないでください! 旅人と二匹の黒猫から聞いたんですよ」


 少女はようやく理解した。


 パァンとネコたちは、だいぶ前に、この中庭を訪れていた。

 少女は、迷宮の主の言葉を思い出しすと、唇を噛んで焦りだす。

 奴の言っていることは正しかったのだ。


「あの、急いでるんですけど! この先、どうしたらいいか、教えてくれたりするんですか?」

「あー、そのことなら安心してください! 『鏡の森』を抜ければ、あと一息です! そこへは、私が案内してあげますから、大丈夫です。ただ、少し待っていただけませんか? お花に水をあげたいので」


 青目の少女は、ジョーロを両手で持ち上げ、屈託のない笑顔を少女に向けた。少女は穏やかに顔がほころんだ。


「あー、そうそう! お仲間さんからの伝言です。『無理をしないで、ゆっくり来てくれてかまわない。かぼちゃん』とのことですよ……『かぼちゃん』っていうのは、いったい何なのでしょうか?」

「アイツら! 人の気も知らないで……」


 さっきまで、綻んでいた少女の顔はむくれてしまった。

 やはり、パァンとネコたちは、自分を小馬鹿にして、おもしろがっていると彼女は思った。


「まあまあ! ここまでずいぶんと苦労されたことがは、見ればわかります。特に顔なんか……」


 少女は何のことかわからず、青目の少女を見返した。


「ほら? 鼻の上の……青いインク? ですかね?」


 少女は鼻の上を擦ると、青いインクが手に着いた。

 ほかにも手足や服が汚れている。

 彼女はいっきに、顔が赤くなった。

 そして、恥ずかしさも頂点に達すると、鼻を手で隠し、ちょこっと舌を出して苦く笑った。


 二人の少女が笑いあっていると、巨大な影が空を横切った。

 それは、太陽を飲みこんでしまうほど、大きな翼を広げ、二人の頭上を旋回していた。

 やがて、その影は弧を描くように、こちらに向かって降りてこようとする。


 少女は、陽の光を手でさえぎりながら、空を見上げていた。


「なんだろう? あの大きな鳥?」

「私にもわかりません」


 青目の少女は、こめかみをトンとひとさし指で叩いた。

 雲一つない青空の上から、はきはきした少年の声が降ってくる。


「こんにちはー! こんにちはー! 『宅配便』です!」


 大きな鳥の背中から身を乗りだし、ういういしい褐色肌の少年が、笑顔でのぞきこんだ。


「ここは、『モヘジ』さんのお家でよろしいでしょうか?」

「そうですよーっ!!」


 青目の少女が口に両手を添え、鳥にまたがる少年に向かって叫んだ。


「よかったー! 実は、ぐうぜん拾った『鞄』のことで、相談が――」


 少年は、群青の帽子を片手で押さえて、鳥をうまく地上に降り立たせた。


「『パスティンルー』! よし!」


 少年は、しゃがんだ大きな鳥の背中から飛び降りた。

 背の小さい彼は、カーキ色のゴーグルを外すと、二人に、ちょこんと丁寧なお辞儀した。


「えっとー……ご姉妹きょうだいか、何かで?……モヘジさんのお孫さんですか?」


 少年は、二人の少女をまじまじと見た。


「いえいえ! こんなきれいな人とそんな……」


 少女は顔を赤くして、身びり手ぶりで否定した。


「フフフッ! そちらのお嬢さんは、『迷宮』に遊びに来られたお客さんです。私はただの居候いそうろうです。いや、どちらかというと介護士ですかね?」


 青目の少女は、とぼけて視線を外した。

 少年は、なぜか吹いて笑いだす。


「あぁ、いやいや!! 違うんです! ごめんなさい……ええと、そのぅ……荷物のことなんですけど……」


 少年は、笑いをごまかすように、大きな鳥の前に行き、やさしく声をかけ、その首を撫でた。

 すると、鳥は立ち上がって前傾姿勢になり、大きな口をあんぐりとあけた。

 少年は、その大きく開いた口の中へと入っていく。


 鳥のくちばしには、大きな袋が垂れさがってくっついており、革のガードで補強されていた。

 たしか「パスティンルー」と呼ばれていたが、この巨大な鳥は、どう見ても「ペリカン」のようだった。


 しばらくして少年は、くちばしの袋の中から、変わった鞄を取り出してきた。

 少女は、その鞄を目にしたとたん、声をあげた。

 少年に引き上げられた鞄は、彼女のよく知っているものだった。


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