10 迷宮の主②
『three stones,seald, solve《3つの石、封印、解ける》』
ようやく手に入れた、本物の宝箱もまた「旅行鞄」と似た形をし、片言の文字が刻まれていた。
その蓋には、刻まれた文字の上に、横に並んだ三つの穴があけられている。
アルに言われたとおり、穴は、歪な丸い形をしていた。
少女たちは、その小さい宝箱を持ちだし、もう、三つ目の石を手に入れるところまできていた。
一つ目は、あの「赤い部屋」に戻って手にし、次いで「青い部屋」を見つけて、二つ目を手に入れた。
今は、最後の宝石を手に入れようと、黄色の部屋にやってきている。
黄色の部屋は寝室となっていた。
シングルのベッドが一つに、クローゼットと化粧台が一つずつ。女性の寝室のようなわりに、単純な部屋のつくりだった。
「しかし、順調に、ここまでたどり着きましたね! 主の邪魔も入らず!」
アルの言葉は弾んでいた。
少女は彼のうしろで、汚れた顔に、意味深な笑みを浮かべている。
彼はその笑みに気づくこともなく、黙々と作業をつづけた。
二人はもうすでに、最後の宝石を得るために、部屋の仕掛けも解除し、鍵となる形のものを選定している最中であった。
「あっ! これですかね?」
アルは、仕掛けで動かしたクローゼットの、裏の壁に埋まる黄色い宝石を、宝箱の穴と見比べて指でなぞった。
彼はさっき赤い部屋で、拝借したナイフを取り出し、楕円形の石を抉り取ろうと、刃を突き立てた。
すると、とつぜん少女がアルの肩を手でつかんで止めに入った。
彼はいったん突き立てた刃を引っこめ、不思議そうに顔をふり向ける。
「罠は大丈夫? 静電気は? 水道の蛇口は? インクはついたりしてない?」
矢継ぎ早に言葉を放つ少女に、アルはしぶしぶ腰を上げ、備えつけのベッドやクローゼットに、化粧台……そして壁や床、天井まで隈なく見てまわった。
少女も彼のうしろにくっついて、抜かりがないかじっくりと観察する。
「さっきも見てまわりましたが、今度こそは大丈夫です! 『だまし絵』もありませんし、完璧です!」
アルは確認を終えて振り返った。
少女は彼の言葉が信用しきれず、またそわそわとする。
彼女には、彼の自信がいったいどこからくるのかわからないのだった。
そうなるのは無理もない。
これまで少女は、宝箱で電気をくらい、バスタブのあった赤い部屋では、水浸しのびしょ濡れになった。
書斎だった青い部屋では、偽物の宝石が青いインクまみれで、知らずに手や顔にくっつけてしまった。
それもぜんぶ、アルの詰めの甘さを身代りに少女がババを引いたとあって、彼女は猜疑心でいっぱいだった。
「こんどは自分で取りますから、安心してください!」
アルはふたたびナイフを突き立てた。
ナイフが壁をひっかく嫌な音に、たまらず少女は耳を押さえ、目をつぶった。
黄色い楕円の宝石は、壁から剥がれ、彼の掌に転がり落ちた。
彼は、ほらっ、と言って何もないことを態度でほのめかし、いきなり取り出した宝石を少女に放り投げた。
アルの乱暴な扱いに、慌てた少女は、投げられた宝石を丁寧に受け取る。
手もとの黄色の宝石に、特に変わった様子はなかった。
ひと安心した彼女は、アルから宝箱を受け取り、残りの一つの穴にその宝石をあてはめた。
宝石はぴたりと穴に収まる。
やっと、3つそろった赤、青、黄の宝石は、あざやかな閃光を放つとゆっくり宝箱の蓋を押し上げた。
中には、手に余る大きさの「銀の鍵」が入っていた。
「これでさっき見つけた、大きな扉をあければいいのね!」
「はい! そういうことです!」
少女は銀の鍵を取り上げて、アルといっしょに喜びを分かちあった。
少女の喜びも一入に、中庭につづく扉に急ごうと歩きだした。
しかし、部屋の出入り口まで来たとたん、彼女の視界から扉が一瞬にして消え失せた。
鈍い音と共に、少女の足もとが掬われた。
とたんに、彼女の尻や背中に《《柔らかい何か》》が、思いきり向こうから包みこむようにやってきた。
痛みは何もない。
いつのまにか、少女は天井を仰ぎ見ていた。
あたりは羽根のような、綿のような、ふわふわしたものがたくさん浮かぶ。羽毛だ。
その羽毛の敷き詰められた狭い場所の、さらに視界の上からは、棒になったアルの表情がのぞく。なぜか彼は丸い穴の縁からこちらを見ている。どいうことなのか。
彼女は、ぼうっとして何も言い返せなかった。
やがて、少女は我に返ると手足をバタつかせ、あたりに敷き詰められた羽毛を、ありったけに蹴散らした。
kusyunn!!
空気の読めない羽はくすぐったく、彼女に小さなくしゃみを誘発させ、しっかり落としどころをつけてくれた。
穴から引き上げられてもなお、納得のいかない少女はぶつぶつと文句を言う。
アルはこれ以上、彼女に刺激を与えないよう、むやみな私語を慎み、神経をすり減らして歩いているようだった。
ようやく、中庭につづく扉へたどり着くと、機嫌の悪い少女は、銀の鍵で扉の施錠をさっさと解いた。
彼女は、機嫌を取ろうと声をかけるアルを無視し、そのまま重い扉を両手で押す。
隙間からいきなり鋭い陽光が差しこみ、彼女の視界を少しずつ奪っていく。
目をつぶり、扉を何とかあけたまではよかったが、あまりの眩しさに少女は背を向け、光に慣れるまでしばらく待とうとした。
そのちょうど、少女のふり返った先には、アルがぼうっと突っ立っていた。
だが、彼は今までと様子が違く、出口の扉からだいぶ離れた場所におり、濁った眼を落とす。
その姿は、静かに揺れる蝋燭の炎のようで、今にも消えてしまいそうだった。
「……アル?……どうしたの?」
気になった少女はアルに話しかけた。
彼はしばらく黙って何も答えない。
「……『付き添い《エスコート》』も、ここまでかな……」
ようやっとアルは、重い口をあけ、奥歯に物の詰まったような顔をした。
そのうち彼は、激しい歯ぎしりをさせ、顔をしかめて表情を豹変させた。
少女は彼の様子が心配になった。
「ハハッ! お気に召されましたか? 我が『迷宮』は。ここからは、自分の力で行ったほうがいい。あまりズルばかりしていると、お仲間に怒られそうだからな」
あどけなく、純粋な印象を持っていたアルの顔は、少年のまま鋭くぎらついた目つきにさせ、どこか老獪な印象を帯びて変貌した。
少女は戸惑った。
きゅうにどうしたのか。変な笑い声までして、迷宮の主に何かされたのだろうか。
少女は疑問を次々と巡らせる。何かの冗談だろうと思ったが、時は経てども、眼の前のアルはずっと、怪しい笑みを浮かべたままだった。
「そうそう。旅人も、ネコたちも無事だ。安心しろ。もう、お前よりも、ずいぶんと先に進んでしまったようだが、じきに会える」
「何よ? その口ぶり……それじゃあまるで、この迷宮の……?!」
少女はようやく理解した。
「迷宮の主」とは「アル」のことだったのだ。そう理解が及ぶと、きゅうに怒りとも、悲しみともとれる入り乱れた感情が、彼女の胸にこみ上げてきた。
彼女は、煮え切らない感情を琥珀目に映し、アルへとぶつけた。
「あなだったの……『迷宮の主』は……」
アルは不気味な笑いを止め、お道化てみせる。
「いや……俺はたしかに、『迷宮の主』だ。だが、『アル』こと、『アルフレッド=パーカー』でもあって、正確には彼ではない」
少女は、どういうことなのか困惑した。アルは不敵な笑いをまたはじめる。
「『変装』さ! 俺の特技は、精巧な『だまし絵』だからな! 変装もお手のもんなのさ!」
まるで狼のように歪んだ声に、少女は大きな衝撃と失望を覚えた。彼女には受け入れがたかった。
「でも、だって……あなたちゃんと影が……」
たしかに、アルの顔は点灯虫の光にちかちかと、深い影を浮き沈みさせていた。
ところが、その表情はまったく崩れなかった。
彼は、影の演出もお手のものだと言わんばかりに、冷笑な視線を少女に送りつけた。
「いつから、だましてたの……」
「はじめっからさ! 言ってしまえば、この迷宮の改修が決まってから。アルに扮して働いて、はじめて招待した客を驚かそうと思ってたのさ! そこで選ばれたのが『お前』! いやー、久々に楽しかった! 感謝するよ!」
楽しそうに笑う主。
この主とやらは、少女やここに関わる生命魂たちをさんざんにからかってきたのだ。ただ、自分が楽しくありたいがために……。
少女の怒りは腹に重く沈み落ち、しかし、胸はなぜか、ぽっかり隙間が空いて浮いた。
「どうして、こんなことを……」
主は何も答えなかった。
彼は、ただぼんやりとその場に立ち、少女を見ている。
彼女の琥珀目は、みるみるうちに真紅を帯びて血走った。
とたんに主は、顔を片手で覆い、少し恐れおののく。
「お、おいおい! 怒るなって! そんなに楽しくなかったか?」
さらに少女は、きっ、と主をにらみつける。
驚いた表情の彼は、荒げた言葉を吐くくせに、ちっとも怖くなかった。
(思ったとおりの『ふぬけな奴』!!)
少女のあからさまな態度に、それでも主は、ふたたび余裕を取り戻して言う。
「フフッ、フハハッ! そうか、そうかーっ! それじゃあ、しょうがないよな……。まあ、でも、まだまだこの迷宮も半分だ! ぜひ、ぜんぶ終わってからの感想を聞かせてもらおうかな?」
「……どういうこと? ここが真実じゃないって言うの?」
不意を突かれて、少女はきょとんとする。
「んなわけねーだろー? ここは通過点だ。こっからが本番だっつーの!」
主は、少女を小馬鹿にするように吐き捨てた。
少女はたまらず手に力を入れ、一歩前に足を踏み出した。
その顔は鋭く、表情を変えず、まっすぐと主を捉える。彼女は、主の頬を思いっきり張り倒してやるつもりだった。
主はとっさに手を前に出し、彼女の接近を拒む。
「おぉっと! ぶたれるのは嫌なんでね! 特に、『女』にぶたれるのはな……」
あたりの景色がぐにゃぐにゃに歪んだ。
石の壁も床も、アルに扮した主の姿形も、すべてが点灯虫のちかちかした青い光と混ざりあい、空間に渦をつくりだしていくようだった。
それはまた、けたましい連続した叫びのように、何重もの雑音を屈折させ、少女の鼓膜から脳髄へと窪みこんでいく。
触れることのできなくなった風が、渦を巻くように……。
少女は平衡感覚を失い、姿勢を崩して倒れた。
「早く出口に向かわないと、呑みこまれるぞ?……俺のゆ――」
主の声はそこで途切れ、聞こえなくなった。景色とともに歪んでいく彼の表情は、まるで判別もできないのに、不思議と悲しそうだった。
少女は、ぽっかりと空いた、自分の胸の隙間の意味が何となくわかった。
(何となく……)
それはどこかで覚えた、無数の幻の中に押し潰され、自分がわからなくなっていく感覚……。
胸の青い笛を握りしめ、少女は力強く起き上がった。
出口の光を背から受け、青みがかる琥珀目は、歪んで崩れていく主を穏やかにじっと見つづけた。
彼の本当の素顔とは、いったいどんなものだったのだろうか――
少女は、中庭につづく扉の出口へとふり返る。
【お前には〈目印〉が必要だ。『自分』が『自分』であるために……】
脳に刻みつけられるように、主の最後の言葉が頭に浮かんだ。
少女はその言葉を背に、何も見えない光の突き差すほうへ、足を高く蹴って飛びこんだ。




