7 密造酒②
「あの人たち、大丈夫かな?」
「うーん。まあ、はじめて見る光景ですが、ただ上に一周して来るだけですし、平気でしょう!」
かんばんは、特に心配する気配はない。
しかしながら、少女には、どこか怖い場所に連れてかれてしまいそうで、妙な胸騒ぎを感じていた。
ましてや、あの異形が得体の知れないというだけあって、彼女には、霧の中から現れた「おばけ」に思えてならなかった。
「ね、ねえ! あの連れてかれてる生命魂、私の知ってる生命魂なんだけど。やっぱり、助けたほうがよくない?」
少女は、不気味な仮面の異形におよび腰ながら、少しでも勇気をふり絞ろうとした。
「……残念だけど、もう無理だと思う」
胸騒ぎのする少女の肩に、パァンは手をポンと置くと、うしろを指さした。
すぐ背後には、新たな仮面の異形たちが迫ってきている。
和やかだった露天商に、人影は一つもなかった。
「そろそろ、酒をしこむ時間らしい!」
集団は、今までのものと雰囲気が違った。
そいつらは、ばらばらに広がって無秩序に闊歩する。
その光景に、涼しい表情を見せるパァンとは裏腹に、少女たちはたじろぎ、彼のうしろで身を寄せあった。
「か、か、かこまれる!?」
少女の震える声に反応したのか。
仮面の異形たちはいっせいに、彼女のほうに向きなおり、動きを止めた。
静止したその異形たちは、特に何をする気配もなく、じっとこちらをうかがっている。
少女は心の芯から硬直した。
深いオレンジ色の街灯の下で、白い仮面は、西陽のような色に染まる。
「お、お客様! ちょっとお待ちください! 他のものに迷惑をかけた場合は、強制退場とさせていただきますよ!」
かんばんが、意をけして飛び出していった。
しかし、異形たちは変わらず無言のまま、その場に立ち尽くしている。
するととつぜん、静止していたはずの仮面の異形たちが、いっせいに動きだした。
彼らは、ギシギシとぎこちない動きをして、目の前のかんばんを踏み倒していく。
あわわ、と、かんばんは虚を突かれ、もみくちゃになった。
その隙に、今度は背後の物陰から、複数の仮面の異形が、ふらふらと少女に近づいてきた。
間一髪。
悲鳴をあげて少女は、両手でしがみつこうとする、一人の仮面の異形を避けた。
すかしをくらったその異形は、豪快に正面から突っ伏して転んだ。
顔を強く打ちつけたそいつは、うつ伏せのまま、手足をばたつかせてもがいている。
「どうやら、言葉は通じないみたいだ! しかたないけど――」
パァンは、紫水晶の瞳を翡翠色に一変させると、またたく間に目の前の仮面の異形を一人、蹴りではねのけた。
竹を割ったような乾いた音が、鋭く響き渡る。
仮面の異形の顔を目がけて飛んだ蹴りは、その仮面にひびを入れ、風を起こしたかのように身体ごと吹っ飛ばし、周囲の群がる連中を巻きぞえにした。
吹っ飛んだ異形たちは、弓なりにしなって宙を舞う。
風がやむと彼らは、地面に弾むようにして叩きつけられ、頭手足をバラバラにし、かんたんに崩れた。
他の仮面の異形たちは、崩れた仲間を助けようと、群がるようにゆっくり近づいていく。
しかしながら、助けようとする奴らは、バラバラになった頭手足を元に戻すのではなく、頭だけを必死に取りあいはじめた。
そして、仮面のひびや傷を指でなでては気にし、躍起になって取り外しにかかった。
仮面の下の素顔は、ただ、まっ黒で何もなかった。
少女は、ひっ、と声をもらし、一歩うしろに身を引いた。
ネコたちは鼻水を垂らし、しっぽをビビらせている。
やがて、仮面を外されたその異形の頭は、うめき声をあげ、ひどく混乱しはじめた。
助けに入った仲間は、混乱するその顔を手で優しくなだめ、持ちあわせていた新しい仮面を、その顔につけなおそうとしている。
「逃げるぞ!!」
その隙にパァンは、舌を出して伸びているかんばんを拾い、放心する少女に、無理矢理に持たせた。
そのまま彼は、固まって動かない彼女を、腰から掬い上げるように抱きかかえ、爪先で軽やかに地を蹴って走りだした。
「ネコは、俺についてこい!」
パァンは少女を抱きかかえ、仮面の異形の集団を割り裂くように突っこんでいった。
遅れて、ネコたちが、鼻水を水飴のように伸ばし、必死に彼のあとをついていく。
「目をつぶって! 身を縮こませるんだ!」
少女は言われるままに、思い切り目をつぶった。
握り拳に力を入れ、身をできるだけ小さくしようと必死になった。
パァンは、翡翠の瞳にきっと力をこめるようにした。
銀色の髪が、ふわりと上がったかと思えば、彼は風を巻き上げるように跳ねた。
一瞬で、あたりにいる仮面の異形の衆を蹴散らし、その中を物凄い速さで駆け抜けていく。
異形たちは、あっという間に見えなくなった。
まるで、風に乗ってとおり過ぎていくようだった。
潮気を含む夜風はまだ、少女の頬にじとっとした。
綿々《めんめん》と連なる、深いオレンジ色の街灯が、少女の、今は静かに閉じられたまぶたの上で、ねじれた三日月の形をしてぼやぼやとおり過ぎていく。
その光は、透きとおって揺れながらとろけるように甘い。
調子に乗って目の奥深くに、ねじれた三日月の深いオレンジを飲みこんでしまうと、知らないうちに意識が飛びそうになる。
まるで少女は、酒樽の中に無垢な身体を浸し、その素肌と水面のあいだに浮かぶ、ぐにゃぐにゃの三日月を眺めているようだった。
その酒樽はゆっくり、底の縁を暴れさせるようにまわり、揺れる水面のかげんで、光りの深いオレンジをいっそう濃くも淡くもさせる。
酒と無縁な少女でも、これが〈悪酔い〉なのだとはっきりわかった。