7 密造酒①
少女が、こびりつく潮のにおいを気にしだすと、もう海辺はすぐそこだった。
かんばんの案内で園内を循環する馬車に乗り、次のエリアを目指しているときのことだ。
街灯には、深いオレンジ色の点灯虫が等間隔に並び、車内の窓に夜の遊園地の街並みを映し出す。
(どことなく、ヘイルハイムと似ている気がする……)
少女はそう思ったが、街はもうとっくに寝静まっている時間帯のはずだった。
それなのに、園内にある家々の窓はどこも灯りが洩れ、今が深夜であるとはまったく感じられない。
「あれは? あの大きな車輪みたいな……?」
揺れる馬車の窓をあけ、少女は身を乗り出した。
横見に、風でなびく長い黒髪を掻き上げ、前方には、大きな光る車輪がゆっくりまわっている。
「あれは、『観覧車』と言いまして、『ゴンドラ』という、いくつもある小さな部屋に入って、上空からこの遊園地の全貌を、遊覧して楽しむ遊具施設です、はぁい! ちょうど、あの車輪がまわると、ゴンドラが上に吊り上がっていく仕組みでしてね。ただ、しかしですねぇ――」
「へぇー! ちょっと、あれに乗ってみたい!」
少女は、かんばんの説明を最後まで聞かずに立ち上がった。
かんばんは、彼女に追いすがろうとした。
「あぁ! まだ説明が……」
けれども、少女はかんばんを払いのけ、馬車を止めて飛び降りて行ってしまった。
するとネコたちも、何だかおもしろそうだと、そのあとにつづいていく。
遅れてかんばんが、あたふたと一本足を跳ねつきながら馬車から降りた。
パァンもようやく腰を上げる。
少女とネコたちの姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
外は満天の星空だった。
ここは、園内の光の加護から少し外れているのだろう。
外灯も窓灯りもまばらに少なく、心なしか生命魂のいる気配を感じられない。
それでも観覧車へとつづく港道に出れば、その両脇にはところ狭しと露天商が営業し、うまい酒や新鮮な魚介類をオープンテラスでふるまう。
そこでは人も獣人も魚人も、男も女も両生類も、多様な種族が入り乱れてはいるが、小ぎれいな彼らはげらげら笑うでもなく、上品にしっぽりと酒を飲みかわしているのだった。
大切な時間を紡ぐように和やかな空気が流れる。真夜中の遊園地は眠ることを知らない。
港付近の界隈で食事をするものたちは、ほとんどが、園内の上級宿泊施設に泊まりこむ富裕層である。
先ほどまで、馬車でとおってきた道沿いの家々が、その宿泊施設となっており、絶大な人気を博している。
それも何年もそこに泊まりこみ、住みついているものがいるほどである。
彼らは富裕層といっても、その大半は嫌味な権威主義者ではない。
先ほどの様子のとおり、彼らは大人の酒の飲み方を知る分別あるものたちだ。
気取らず、でしゃばらず、背伸びもせず、無駄に豪華な食事をするわけではない。
ただただ彼ら富裕層は、普通の酒をゆっくり飲みかわせば、何の変哲のないスープを一口、また一口噛みしめて飲む。
誰よりも何よりも、虚ろな時間を特別視し、互いに相手と共有しようとしているのだ。
そんな中、少女は追いついたネコたちをたびたび注意した。
ちょっと目を離したすきに、食いしん坊たちは料理目がけて飛びこむからだ。
「おいししょーだね。みゅーみゅー……」
「はんぶんこだよ。にゃーちゃん……」
そうやって二匹は指を咥え、大人な富裕層の優しさにあずかり、調子よくおこぼれをもらおうとする。
だから、そのつど少女は、二つの首根っこをつかんでは連れ戻し、懇切丁重に客に謝りを入れるのだった。
やっとのことで、観覧車を見上げられる付近にまで来ると、その存在は計りしれないものがあった。
巨大な赤い鉄骨で組まれた観覧車は、予想以上に大きく、頭上をはるか見上げるほどの高さだった。
その力に圧倒されたのか、少女と二匹のネコは歩を緩めはじめる。
「予想以上に大きい……」
少女はそうつびやいて、周囲に見渡していると、「怪しい集団」が、観覧車の麓にいるのに気がついた。
怖いものに敏感な彼女は、すぐに危険を察知し、近くの物陰に、二匹のネコを連れ出して隠れた。
しばらく、そこでしゃがんで待つこと、ようやくパァンとかんばんがやってきた。
少女は彼らを目にするなり、血相を変え、必死に手招きをした。
パァンたちはそれに気づくと、あわてて彼女のもとへ駆けつけて行った。
「静かに! 隠れて!」
少女はひとさし指を口もとに添え、小さく力の籠った声で言うと、かんばんの足を片手でぐいと抱きこみ、もう片方でパァンの腕を強く引き寄せた。
ようやく物陰に落ち着くと、少女は観覧車のほうをのぞくようにして、かんばんにささやくようにたずねた。
「ねぇ……あの気味の悪い、お面をつけた変な集団は何ですか?」
少女はおそるおそる指を差す。
その指のまわして示す方向には、まっ白な仮面をつけた異様な黒い集団がいた。
その「仮面の異形」たちは、観覧車乗り場できれいに整列し、静かに順番を待っている。
そいつらはみな、全身が黒く、小さくてずんぐりとした体型をする。
また、白い仮面は、目、鼻などの型どりがなく、のっぺらとしており、とかく不気味なものであった。
かんばんは、少女の調子にあわせて小声で答えた。
「えぇ。実は最近、あの、お面をつけた変な集団が、ちょこちょこ増えておりまして。ちょうど、あの観覧車に入り浸っているんですよ、はぁい」
「えーっ! それを早く言ってもらわないと!」
少女は、泣きそうに小声をふり絞った。
「ですからっ! 説明しようとしたら、お嬢さんが、きゅうに走りだすものですから」
「あぁ、ごめんなさい」
少女は口を押えて真顔になった。
思わず、大声を出したかんばんは、まわりをきょろきょろして狼狽えた。
あたりに、自分の声が聞こえてないことを確認すると、彼は小さく咳払いして、声の調子をもとに戻した。
「まぁ、あの変な集団は、特に危害を加えることもないみたいですから。ただ、困ったことに、なぜか観覧車にだけ集まるので、気味悪がって、他の客が寄りつかなくなっているのです、はぁい」
「それって、営業妨害とかにならないんですか?」
「ええ。特に、悪さもしてないですし……。そもそも、ここのルールは、〈自由〉が基本ですから。見てのとおり、お金もいりませんし、よっぽどのことがないかぎり、対処はいたしませんね」
「えーっ?! それで運営なんてできるんですか?」
「今のところ、まったく問題なしです、はぁい!」
少女は、物陰から出て観覧車を眺めた。
悠然と大きくまわる車輪は、仮面の異形を次々とゴンドラに乗せ、真夜中の空を高く昇っていく。
さっきまで満天だった星空も、近くの街灯の明るさに負け、うっすらとも見えなくなっていた。
とつぜん少女は、自分の光が消えていくような、奇妙で不安な感覚に襲われる。
「あー。あれに混ざって乗るのは、ちょっとなぁ……」
少女が言った。
「みゅーみゅーも、にがて……」
「しょうしょう。あいつら、しゃべんないし、ぶきみだよ」
みゅーみゅーの言葉に、にゃーが同調する。
「えっ? ネコたち知ってるの?」
ネコたちは少女を見上げ、ふんふんと首を縦にふった。
「私も、観覧車だけは、あまりお勧めできませんねぇー。あの集団には、無理に関わらなくてもよいかと。『触らぬ神に祟りなし』とも言いますからねえ、はぁい!」
ところが、楽観的なかんばんをよそに、仮面の異形は減るどころか、羽蟻が湧くように増えていく。
観覧車はまた、あんなにも大勢の異形たちを乗せているというのに、どういうわけか、いっこうに誰も降りてこない。
そこには、多くのゴンドラがついているとはいえ、そろそろ、ひと回りしてきてもおかしくないはずだった。
そうこうしているうちに、また新たな仮面の異形たちが、奥の方からやってきた。
今度は、少し様相が違って、何人か生命魂の姿も混じっている。
相変わらず、黙々と歩く集団の中で、生命魂たちもまた無表情であった。
だが、よく見ると、集団に紛れて歩く生命魂には、少女の知ったような顔がいる。
少女は、はっとした。
そこにいるのは、大家の狸人のおばさんに、学生の翼人のおにいさんに、……
(どうしてここに?)
偶然なのか、無表情に集団の中を歩く生命魂には、同じヘイルハイムの「黄色の住民証」をぶらさげた、近所の住民ばかりいる。
彼らは、蛻の殻のようにふらふらと歩き、仮面の異形たちに導かれるようについていく。
集団が観覧車の入り口に到着すると、仮面の異形たちは、あの不気味な仮面を順番に、無表情な生命魂たちにつけていった。
仮面をつけられた彼らは、観覧車を待つ列に並ばされ、一人、また一人とゴンドラの中へと消えていく。
フルートはとかく心配になった。