6 チューズデイ・ワンダーランド②
ほとほと歩き疲れた少女は、ネコたちとベンチに座った。
彼女の膝の上には、名物の「メイプルポップコーン」が抱えられている。
少女とネコたちは、甘い樹液のしみたポップコーンを口いっぱいに幸せの有頂天を噛みしめた。その両頬は甘くしみて、とろけ落ちそうになっている。
「気楽な御三方」とは反対に、姿の見えないパァンとかんばんは、これからはじまるパレードの場所取りのため、遠くに見える人混みの中に追いやられていた。
「『じぇっとこーすたー』は?」
みゅーみゅーは、ポップコーンを口でもごもごさせながら、少女にお伺い立てをする。
出かける前に、何度もネコに聞かされた、楽しそうなその言葉も、実物を前にした彼女にとっては、もう、恐怖そのものでしかなかった。
「ぜぇーったい、嫌! あんな高いところから落ちるなんて、私には無理! ネコだけで行ってくればいいじゃない?」
「どうして? いっしょにのるって、やくしょくしたでしょ?」
にゃーは無い眉をひそめ、口をポップコーンでべたべたにしながらしゃべった。
みゅーみゅーは黙って膨れ、不服そうに少女を見上げる。
しだいに、彼は小さな涙を溜めはじめ、鼻をすすりだした。
普段は澄ました顔のみゅーみゅーも、よっぽど、少女といっしょに乗りたかったようなのだった。
だが少女は、あの落下してまわり狂う、悲惨な光景を思い浮かべるだけで背筋が凍りついた。
「やっぱり無理っ! 無理なものは、無理っ!」
少女は頭を抱えて横にふった。
「へんっ! うしょつき!」
「へんっ! いいもん! あんなの、のらなくていいもん!」
ネコたちは、ペッペッ、と唾を吐き捨てるように不貞腐れ、ベンチを飛び立った。
少女は困り果てた。
ちょうど、うしろで大きな花火が上がった。
夜空に広がる閃光は、二匹の黒い猫のシルエットをつくりだす。
中央の巨大噴水場で、にぎやかな「パレード」がはじまったのだ。
パレードの進行ルートには、すでにロープが張り巡らされ、警備員が中に入りこまないように注意喚起している。
閑散としていたあたりも、このパレード見たさに大勢の生命魂がぞろぞろと押し寄せていた。
遠い混雑の中から、パァンがぴかぴかと目立つ「かんばん」を手に、大きく横にふる。
少女たちに合図を送っているのだ。
「ねえねえ! ほーら、ネコさん! 『ぴかぴかぱれーど』だよー!」
起死回生を狙って、少女はベンチから勢いよく立ち上がった。
パレードの先頭は、おもちゃの鼓笛隊がラッパや、太鼓を鳴らして行進する。
うしろから着ぐるみたちが、馬に引かせた荷台に乗って観客に愛想をふりまく。
そのまわりを妖精たちが羽をはためかせ、光り輝く鱗粉で軌跡を残し、踊っている。
ネコたちはかわいらしい妖精につられ、上機嫌に飛び出していった。
真夜中の空に、また花火が打ち上がる。
観客はその迫力に口々に感嘆を洩らした。
そこは、日中に見たヘイルハイムの中央広場とは、どこか対照的な印象であった。
昼間の熱気のこもったあの勢いにかまけた生命力とは違い、夜の遊園地は、心を揺さぶっては無機質な儚さをほのかに残す。
やっと大切なものを見つけたのに、(つかめない)というような……。
次々に打ち上げられる花火は、木霊となり、あたりをしばらく彷徨っていた。
「あのぅ、かんばんさん? こんなに派手にやってて、本当に、この街の住民にも、ほとんど知られてないんでしょうか?」
「ええ。これが本当のことでありまして……。毎回のごとく、ド派手にやらせていただいていますが、これが不思議と、世間に知れ渡らないもので……あっても噂話の類で終わるのですよ。先ほどもお話ししましたが、この盛況ぶりは、私共にもよくわからないのです。おまけに、開催するたびに、来場者数がうなぎ登りでありまして、ビックリなのですよ! はぁい……」
少女は、上唇を鼻に引き寄せように口をすぼめ、こめかみをひとさし指でトンと叩く。
「うーん……。よくわからないなぁ。いつまでも秘密を共有するって、さすがに限度がありますよね? 私だったら、こんな楽しいこと、すぐにしゃべっちゃう」
かんばんもまた、自分にもわからない、と看板の顔を左右にひねると、『I’m sorry.』と残念な気持ちを表すのだった。
「なぁ? ここに住んでいる君だって、今まで噂すら聞いたこともなかったんだろ?」
「うん。まぁ……」
ずっと静かにしていたパァンが、口を挟んだ。
「どんな美味しい酒だって、飲まれてしまえば、ただの水だろ? 酩酊しちゃって肝心な記憶もパー! ってことさ! まして、ここが密造酒のようなら、記憶をすっ飛ばしてでも、もう一度訪れたくなるような依存性でもあるんじゃないか? 知らないうちに足を運んでしまう、みたいな?」
「さすがにそれは……だって何だか、みーんな中毒者みたいじゃない。やっぱり、本当は知ってても教えない、かたーい絆みたいのがあるんじゃない?」
「ハハッ! 『密造酒』だけにね! でもまぁ、とりあえずそこが、この遊園地の謎なんだよ――」
パァンは難しい顔をした。
酒は、神からの一番の賜物だ。
自然と酔い痴れれば、楽しくなり、嫌なことは忘れられる。
飢餓、病、自然災害、戦争……古の時代で「死」は、鼻にこびりついて異臭を放つほど、すぐそこに存在し、言い知れない恐怖を与えつづけてきた。
そのたびに、人も、他の生命魂も同じように、祭りをし、宴を広げ、酒の力を借りる。
楽しいからやるのではない。
楽しくなりたい、そうありたいからやるのだ。
今もまた、霧を介して異界とつながり、多様な生命魂を交えた時代を迎え、混乱や不安が何もないわけではない。
だが、暮らしは以前と比べて数段とよくなり、鼻先の死臭を嗅ぐことは少なくなった。
とりわけ、物的幸福に恵まれたヘイルハイムに、死はおろか、これにかわる深刻な悩みを持つものなど、おそらくいないに等しい。
少なからず、あの昼下がりのまっただ中には見あたらなかった。
なのに、ここに集まる生命魂たちは、この秘密の共有場で、いったい何を求めるというのか。
理由なんて特にない。
ただ、楽しいほうがいいに決まっているから、ここを訪れるのだろう。
時代はついに成熟し、変わったのだ。
そして、今宵も生命魂たちは、何の臭いも、違和感もない鼻先をしきりに指で掻きながら、夜明けまで楽しく笑い、酔いに酔いつぶれていくのだろう……。
パレードが、佳境を迎えようとする中、生命魂たちのざわめきは熱く、いっそう密度を増していった。
「もしや、この大盛況も、ネコの営業力のおかげなのか?」
「えーっ?! ないない!」
少女は、ネコたちを見るなり、吹き出して否定した。
二匹のネコは、パレードの閃光が点滅するたびに、黒いうしろ姿を露わにし、まだ、あのポップコーンをふたり占めしている。
「わ、私たちは、何だか悪いことでも、斡旋しているのでしょうか?……」
二人の会話を聞いていたかんばんは、嫌な汗でもかいたように、たじたじになって言った。
「いやいや! 楽しいことは何よりさ! ただ、飲めても無理に飲ませるな。飲んでも知らずに飲まれるな……物事の匙加減ていうのは、お互いに大切かもね」
パァンはやさしく笑った。