6 チューズデイ・ワンダーランド①
〈23時53分28秒〉。
時計台の秒針がとおり越していった。
赤、青、黄、緑、橙……。
入場口をくぐり抜けると、灯篭の中の点灯虫が、色鮮やかな光で出迎えてくれた。
光は、真夜中の暗闇を煌々《こうこう》と照らし、きれいなグラデーションをなす。
その下では、トランペット、トロンボーン、ユーホニウム。大小の太鼓に、シンバル、トライアングル。それとバグパイプにピアニカ……。
挙げたら切りがないほどの楽器を抱えた、不思議な楽団が、軽妙でかわいらしい音楽を奏で、踊り歩いている。
近くでは、妖しい化粧をした大道芸人が、見事なジャグリングで人々を魅了する。
奥のほうには、大きなサーカスの見世物小屋が、ひときわ目立ち、そのまわりには土産屋、飲食店が数多く並んでいる。
少女の知っているものは、そんな程度のものだった。
あとは、まったく見たこともない、
大きなレンガ風の建物や乗り物などが、視界のはるか先までを覆い尽くす。
しかし、「ゆーえんち」というものが、「人を楽しませる場所」だということは、十分によくわかった。
それはそうと、こんな巨大なものがいったい、このヘイルハイムの街のどこにあるというのか。
中は信じられないほどの広さで、永遠と奥につながる大通り一つ見ても、一日でまわりきれるようなところではない。
なるほど、あの入り口にいた行列も、あっという間にばらけてしまうのも当然だ。
あたりは想像とは反対に、ゆったりと閑散している。
「ようこそ! 夢の遊園地『チューズデイ・ワンダーランド』へ!」
とつぜん、近くの「木製看板」が大きな口を開いて、少女たちに話しかけてきた。
『wellcome!!』と、大きく書かれた横広のそれは、一本足を地面に突いて器用に飛び跳ね、少女たちの前へと躍り出た。
少女は一人怯んで、パァンの陰に隠れた。
「やぁー! 『かんばん』しゃん! ひしゃしぶりだね!」
にゃーが、「かんばん」に飛びついた。うしろからタイミングを計って、みゅーみゅーも飛びついた。
「あわわわっ?! やめてください! くすぐったいです!」
かんばんは、ネコたちの知り合いで、ここで案内係をしているのだった。
今回、ネコたちに頼まれ、園内を案内してくれるという。
さっそくかんばんは、仕事にとりかかろうと、ネコたちをふり落とすと、その顔を『園内地図』に変えた。
はじめて訪れた少女とパァンに、これから、この遊園地の概要を説明するためである。
「チューズデイ・ワンダーランド」は、ヘイルハイムにありながら、住民でさえ、その存在を知るものは少ない。この所在不明の遊園地は、入場料こそないものの、関係者や常連者に特別に招待されるか、〈ある条件〉を満たしたものだけが入場を許可される。
といっても、その条件とは〈心から楽しめるもの〉。
そんなに、たいしたハードルではない。
けれども、そんな存在自体あやふやな場所に、こうも大勢の生命魂たちが集まるのは不自然な話である。
それに、なぜか遊園地は決まって毎週火曜の夜、〈23時53分28秒〉という実に中途半端な時間に開園されるが、その理由はかんばんにもわからないのだった。
「……なるほど。ここが、『夢の街』にあるっていう、噂の『秘密の遊園地』か」
パァンは口もとに手をやった。
「ねえ? 『遊園地』って場所は、ざっくりとわかったんだけど、その『秘密の――』って、どういうこと?」
「あぁ。密造酒のように秘密裏につくられ、飲み干せば、夢のように楽しく酔いしれるっていう遊園地……。そもそも、この街に来たのは、〈ここ〉を探すため。まさか、そこの「ねぼすけ」に招待されるとは、思ってもみなかったけど」
パァンは、いきなり大小の「鼻ちょうちん」を指で弾いて割った。
宙に浮かんだまま、いつのまにか眠りこけていたネコたちは、驚いて小さな鼻を両手で押さえた。
「ふーん、たしかに。〈秘密〉って感じの妖しさがあるし、幻想的ね。何だか夢みたいに、すぐに忘れてしまいそう……」
少女は、長いスカートをひらりとまわし、あたりを一望した。
手前の土産屋の看板には、かわいらしいピエロの顔の人形が、飴玉のような星型の目を様々な色に変え、奇妙に光らせている。
「えぇ、まさにそのとおりでして。ここに来たもののほとんどは、本当にあったことなのか疑いはじめるほど。加えまして、当園はいっさい、宣伝等をいたしておりませんので、世間では本当に、ここの存在が認知されていないようです」
「知られてないわりには、ずいぶん多くの人が来てるような……」
あたりは広く閑散としていても、すでにうしろの入場口には、生命魂たちの交錯する話し声が無数の塊となって、激しい波打ち際のように押し寄せている。
入場のチェックに時間はかかるものの、生命魂たちは、ひっきりなしに来場してはまたたく間に園内へと散らばっていく。
臨時の入場口を含めて係のものは、すでにぐったりとした表情で対応に追われていた。
その係員たちは、白色に光る点灯虫を片手に矢継ぎ早の質問攻めをし、ひと通り終わると、入場者を一人一人、光で照らして何かチェックしている。
青や緑、赤……点灯虫に照らされる入場者は、さまざまな色のついた影を落とす。
その色の判別で、最終的な入場の可否でも決めているかのようだった。
「ええ、ええ! お嬢さんのおっしゃるとおりで! この大盛況ぶりには、正直、我々も驚いているのですが……詳しい理由は、今のところわかりません。まぁ、そもそも、それくらい楽しいというのが、この遊園地の自慢ですから、はぁい!」
かんばんは足をその場で突いて、得意気にそり返った。
たしかに、あの家族も、あの恋人たちも、あの友達同士も……。
このだだっ広い園内を、悠々と歩く生命魂たちは、どこか夢見心地な顔をしている。
だがその様子は、はじめて夜更かしした子供のはしゃぐようでもあり、この幻想的で巨大な空間は、ここに訪れるものを外から隠し、秘密を守っているかのようだった。
真夜中の秘密をけして洩らさないように、人知れずの楽しみをけして洩らさないように……。
派手な灯りは園内を照らし、光の生える夜までも遠くへ追いやる。
そうやって夜を追い出し、外からの光を追い出すかわりに、ここにいるものたちはどこか心のうちで、暗黙に互いの秘密をぼんやり共有している。
「まぁ、とにかく体験してみないことには! ささっ! 楽しんでいきましょう!」
かんばんは、一本足をばねのようにしてジグザグに飛び跳ね、少女たちを連れ出した。
***
少女は夜の風を切った。
霧に囲まれたヘイルハイムの中だというのに、ここは月夜に淡く照らされている。
残念ながら、他の星々は、遊園地の眩い光に掻き消されてしまったが、少女はこんなにも長く、静寂な夜空を眺めていたことはないだろうと思った。
天井のない、深い月夜の中を木馬はまわる。
少女はその上から、あたりのネオンが星屑となって、オルゴールの音に溶けていくのを見た。
本気で〈走る〉なんて、いつ以来のことだったか。
腕をふり、足を弾ませ、風が頬にあたる。こんなに疲れるものだったか。
渇いた呼吸が荒くなっても、少女は、何度も空をまわるブランコに飛びつき、ネコたちといっしょに駆けまわった。
仕事上は、迷惑な海賊船も、ここではユニークなものだ。
大きな波に船が揺られれば、パァンやネコたち、人相の悪い船員たちも、少女といっしょに、くすぐったいお腹を抱えて笑ってばかりだった。
fufufu……hahaha……
kalakala……kelakela……
まわり、まわり。めぐり、めぐり。
まるで、ヘイルハイムに訪れなかった春の嵐が、ここに留まっていたかのように、少女は、気に入った遊具施設は思いっきりはしゃぎ、飽きるまで何度も乗った。
無我夢中だった。
時間を、我を、自然と忘却し、それでも失われているものは、何一つないように感じられていた。
さいそう、ヘイルハイムの大きな娯楽といえば、演劇やサーカス、マジックショーなどの見世物がほとんどだ。
あとは公園で遊んだり、乗馬や水浴びをしたりする程度だ。
少女は、こんな大がかりな機械仕掛けの遊具など夢にも見たことがない。
しかも、今日知りあったばかりだというのに、お互いをまだよく知らない生命魂たちと、真夜中にこっそり遊び歩いている。
こんな夜更かしが一番危なくて、厄介なことを少女は知っている。
しかしながら、普段と違う夜の風は、実に新鮮で鼻抜けがよく、また遠く……なぜだか懐かしい味わいがする。
ときおり少女は、この不思議な世界を駆けずりながら、火曜日《今日》という日をぼんやりとふり返っていた。
本当に、「夢の世界」に来たのではないかと。
(ここは……『夢』……?)
少女の鼓動は、静寂な耳奥で強く反芻し、幾度となく目に映る時の流れを止めるようだった。