5 再会②
「やっぱり、あなたでしたか。まさか、こんなところでまた会うとは」
とつぜん旅人は、革の帽子のつばをもたげて言うと、少し驚いた顔をくだけさせた。
少し間を置いて少女も驚くと、張りつめていた不安と緊張の糸がほどけ、わなわなと地面にへたりこんでいく。
同時に、彼女は顔を青ざめさせ、旅人に見られまいと下をうつむいた。
旅人は笑い、少女に手を差し伸べて引き上げようとした。
彼女は視線をあわせずに、その手を取るとゆっくり立ち上がった。かなり動揺していた。
「ど、どうして、ここに?」
少女は目を泳がせ、おしりの埃を軽く叩いて落とし、乱れた黒い髪を手櫛で整えなおした。
「実は、あのあと。偶然、そこのネコたちに声をかけられて……」
「しょう! 『ふえふきん』とも、おともだちになったから、さしょったよ!」
「さしょった!」
ネコたちが会話に割って入るなり、不思議な言葉を発した。
少女は、聞き慣れないその言葉に、きょとんとして首を傾げる。
「『ふえふきん』?」
「笛を吹いてみせたら、いつのまにか、つけられた名前です……」
少女はそれを聞いて、思わず笑いを堪えた。
「ふえふきん」とやらは、そんな少女の態度に、紫水晶の目を細めて怪訝そうにし、鋭い仕返しをしてきた。
「そうそう! ネコたちの呼んだもう一人の友人て、この〈青い笛〉をよく知ってる『お嬢さん』だって言うもんだから、きっと、『かぼちゃん』のことだろうってね!」
旅人は、首にかけた〈青い笛〉を手に持ち、少女に見せると悪戯に笑った。
少女は胸の前の笛に目をやると顔を赤くさせ、すかさず、ネコたちのほうを見やった。
(ちょっと、腹立たしい……)
ネコたちは素知らぬ顔で、楽しそうに少女にもらった小さな青いパァンの笛を替わりばんこに吹きあい、ランタンをふりまわしている。
少女はいよいよ頬を膨らませ、ネコたちに悪戯でもしてやろうと追いかけようとした。
察しのいいネコたちは、すぐに気づいて慌てて逃げだすと、わざと旅人のまわりを飛びまわり、彼を巻きぞえにした。
少女も、彼のまわりを駆けまわる。旅人は困った。
「ちょっと、『パァン』も手伝ってよ!」
「おいおい! 俺の周りをまわっておいて、無理言うなよ!」
少女とパァンは、ネコたちを挟んですっかり打ち解けていった。
駆けまわっていた少女とネコたちは、ほとほと疲れ切って地べたに座りこんだ。
少女は肩で息をし、ネコたちは仰向けでぐったりしている。
パァンは呆れた顔で腰に手をあてた。
「しっかしまあ。俺のと大きさまでそっくりな笛を、いったいどこで?」
一息ついて、パァンは座りこむ少女の胸もとを指さした。
「ええ。これは、この街の青色区っていうところで、やさしい『おばあちゃん』にもらったの」
「んっ? それってまさか、俺の会った老婆?」
「ううん。パァンが会ったおばあさんとは違う人」
「ふーん。そっかー」
目つきを鋭くさせるパァンは、見当が外れたせいなのか、少し納得いかない様子だった。
「でも、そのおばあちゃんは、ほら、あれっ! たぶんパァンの言ってた『東の国』、『セパン』の出身で、この笛も、その人がつくったものだって! もしかして、あなたの持ってる笛は、その人からもらったものだったりして」
「そうそう! 『セパン』だ! 『セパン』。けど、俺に笛をくれた人は、たしか、『髭の男』とやさしそうな『女性』の二人だったかな……それにしても、『老婆』といい、『鞄』といい、この『笛』もそう。今日は、不思議なことだらけだ。おまけに宿もとれないし、さんざんだよ」
パァンは、ポンサックを足元に置いて少女の隣に座る。
彼は穏やかな顔つきで、遠くを眺めた。
少女は《《まずいこと》》を思い出し、また顔が青ざめた。
「さすがに、鞄の件は悪かった……あれは強引だったよな」
「え、あ……うん」
少女はうつむいた。
ネコたちが、きゅうにむくりと起き上がった。
「あひゃ? あの、べんりな、かばんの『わんわん』?」
「『わんわん』? あれは、にゃーがみつけるよ! しょして、もちぬしに、おれいしてもらうよ!」
「『わんわん』? ハハッ!! 飼い犬みたいに、脇に引き連れてるからか?」
ネコたちの不思議な会話に、パァンが笑う。少女は少し冷や汗をかいた。
「ほんと。持ち主が見つかればいいんだけど、さ……?」
パァンがちらりと少女に視線をやった。
「う、うん。見つかると、いいよね……」
少女はどうしても切りだせなかった。
喉には格子状の棒が突っぱって、彼女の勇気を邪魔していた。
しかし、もとはといえば、パァンが無理に押しつけたことである。
彼にだって落ち度はある。
そう少女は言い聞かせて、やりすごそうとした。
隣で座るパァンは、澄んだ紫水晶の瞳で遠くを見つづけていた。
少女は妙に意識が固くなった。
そしてゆっくりと、沈黙した時間の流れに、しだいに少女の唇は緩んでいくと、たどたどしく動きはじめる。
「あ、あのさ……鞄のことなんだけれど」
「あぁ……」
パァンは静かに答えた――せき止められた後悔と自責の念が、少女の心からいっきにあふれ出ていく。
「ごめんなさい!!」
少女の頬は紅潮し、琥珀目は湿っぽくなった。
「私、鞄をなくしちゃって……とつぜんの『霧』で怖くなって、不安で、鞄を置いて逃げだしたの! 大切な預かりものなのに! きっと、持ち主は困っているはずなのに! 私は無責任に放りだして、逃げて来ちゃったの……」
パァンは澄んだまま変わらない、薄い紫色の目で少女を見ていた。彼女は逆に、目を痛いくらいにつぶって下を向いた。
「……そういうことか。なーんか暗ーい、変な感じがしたから、何かあったんじゃないかって? まぁ、君は無事でよかったじゃないか。あんな霧じゃあ、誰だって怖いだろう? 行く先がまるで見えないんだから……もっとも、もとをたどれば、俺に責任はあるんだ。ごめん……」
少女は顔を上げた。
パァンの横顔は悲しげだった。
「鞄は、霧が晴れたら探せばいい! きっと見つかる!」
パァンは気を取りなおすように、声に力をこめた。
「あの鞄には、〈青い笛〉の加護がある。例え、霧にまかれて、本当の持ち主と離れ離れになったとしたって、きっと「風」がその笛を見つけて、持ち主のところへ運んでくれる。偶然とはいえ、青い笛を介して巡り会った俺たちのように……。きっと、鞄の持ち主だって持っているよ、〈青い笛〉を。そいつを見つけて、「風」がきちんと鞄を届けてくれるさ!」
少女は首もとの青い笛に手で触れた。
「それに、鞄が君の手もとを離れたのは、その鞄がきちんと、持ち主に届くための過程なのかもしれない。そもそも、持ち主を見つけるのが、俺らの役目じゃないんじゃないのか?……今は、そういうことにしておこう……」
少女は、何だか気持ちがすうっととおるようだった。
でも、その奥には、まんべんの笑みを浮かべる「ずるい少女」がいた。
パァンが怒らないだろうことは、何となくわかっていた。
すぐに謝ってしまえば楽になると、彼女はどこかで知っていた。
「んー! にしても、隣の一般ゲートはどうなってるんだ? まぁ、俺らには関係ないことだけど」
隣の行列をわざとらしく見て、パァンは、頭を手で掻きながら眉を顰めた。
少女は、今はパァンの好意に甘えることしかできなかった。
「しょろしょろ、かいえんだよー!」
何でも一番が好きなにゃーは、きゅうに起き上がり、時計台を丸い手でさし、入場口へと飛び立った。
そのあとをみゅーみゅーが黙ってついていく。
あんなにへばっていた彼らは、すっかり元気を取り戻している。
どうやら、はじめに見た行列は一般入場の列らしい。
まだまだ生命魂は増えつづけ、留まることを知らない。
遠くで係員が、臨時の入場口を設けようと動きだしている。
それでも、今ごろ並ぶものは、中に入れるまでに何時間も待つことになりそうだ。
おまけに、ここの一般入場には、独特の審査が課され、一定の基準に満たなければ、門前払いもあると聞くから恐ろしい。
だが、ネコたちのおかげで、プレミアの「招待チケット」を持つ少女たちは、すべてフリーパスで、がらんとした専用レーンをとおって中に入れる。
ネコには、大いに感謝しないといけない。
「かぼちゃん! ふえふきん! はやくー!」
「はやくー!」
「さあ! あいつらも呼んでることだし……行こう!」
パァンは、ポンサックを担いで先に立ち上がり、少女に手を差し伸べた。