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5 再会①

 ヘイルハイムの街は、完全に「霧」に埋めつくされてしまった。

 それも、これまでに例を見ないほどの濃霧となり、急遽、街に外出禁止令が出された。

 そのさなか、未曾有の災害をもたらすのではないかと、住民はいたく不安に陥っていた。


 まさに「悪魔の霧」は、今にバケモノを呼び寄せては暴れさせ、誰かを連れ去り、神隠しに遭わせるのではないか。

 怖がりの少女は震えあがっていた。


 予報よりも早く、とつじょとして現れた霧は、街を一気に埋めつくし、逃げ遅れた住民を混乱させた。

 ネコたちと別れてちょうど帰宅途中、少女はアパートを目前にして、この群衆に巻きこまれたのだった。


 うごめく生命魂うみきたちから、放たれる強圧な群集心理は、容赦なく少女へと襲いかかった。

 重い空気感が胸を締めつけ、そこに霧が追い打ちをかけ、彼女の首や背中に嫌というほどまとわりついてきた。


 少女は頭をふり乱し駆けだした。

 群衆にぶつかりながら、横広の洒落たランドセルを揺らし、小脇に旅行鞄トロリーケースを走らせる。

 大通りの交差点を右に曲がり、4つ目の通りを左に行く。

 アパートの駐輪場がかすかに左側に見えた。

 霧はだいぶ濃くなってきている。


 息を切らして少女は、駐輪場の角を左に曲がった。

 アパートのロビーが十数メートルほど先に見えた。

 そこには、大家の狸人たぬきびとのおばさんが、きっと帰りを心配して待っているに違いない。彼女はそう思った。


 とつぜん、曲がり角の先で少女は立ち尽くす。

 ひどく疲れていたのだ。

 彼女は鞄をたずさえ、片手を膝についてかがむ。


 そこは、すでに駆け抜けてきたはずの〈大通り〉だった。


(嘘だ……)


 少女は、震える膝を手で何回も叩いた。

 臆病な心を奮い立て、彼女はふたたび走りだした。

 そしてもう一度、大通りの交差点を右に曲がる。

 気がつけばそこに、逃げ惑う住人たちの影はおろか、物音ひとつすらもなかった。

 あたりは静まりかえり、霧に視界を奪われ、白けた暗闇に建物の影もわからなくなりつつある。


 少女は鞄を鋭角に傾け、4つ目の通りを左に行く。

 霧はもう完全に通りをさえぎっている。

 彼女の気のせいか、誰もいなくなったはずの通りには、黒い影のようなものが、複数うごめいているように感じられてきた。

 それはまた耳鳴りのような、ぎこちない低音をかき鳴らすようで不気味なものだった。


 少女はいつのまにか、その通りに渦巻く負の念と見えない霧の重圧に潰され、旅行鞄を手から放してしまった。

 鞄を忘れ、我を忘れ、見えない何かに頭が揉みくちゃになって、少女は駐輪場の角を左にふたたび曲がる――




 今、少女は、窓から離れたベッドの下でじっとうずくまっている。

 無事に家には着いたが、霧が窓の隙間を縫い、手を伸ばしてきそうで怖いのだった。

 片手にはランタンを携え、誰にも見つからないように、とがめられないように……、彼女は頭まで布団にくるまって、がたがたと震える。


 薄暗い部屋の中は、これでも「おばけ」が嫌って入って来られないよう、すべてのガス灯を全開にしていている。


 地震、雷、火事におばけ……。

 少女は、この手の自然現象や目に見ないものが、大の苦手であった。

 今もおびえる子犬のように、物音ひとつで心臓ごと縮こまってしまう。

 安否確認に来た大家のおばさんにしたって、彼女はおばけだと思いこみ、この世の終わりを連想したのだった。

 特に、大切な「鞄」をなくした今となっては、何かしら天罰が下るのではないかと心配でしかたなかった。宗教には疎いくせに、少女は神様を信じているのだ。


 しだいに落ち着きを取り戻すと、少女はあの手この手と、おばけが来たときの逃げだす方法を頭に何度も巡らせた。

 しかし、つい今しがた、彼女の思考は、はたと止まった。


 窓の外の気配や戸を叩く小さな音を、少女は敏感に感じるようになっていた。

 その不安はやがて、実感へと変わり、目前に現れようとする。

 ベッド付近の窓がガラスの音を鈍く揺らし、ゆっくりと開いていくのである。


 少女は窓の鍵をぜんぶ閉めたはずだった。

 だが、その窓はいともかんたんに開いてしまうと、部屋のほの明るい壁に黒い歪な形が伸びてきた。

 おそらく、その黒い何ものかがぼそぼそと声をかけてくる。誰かいないか――と。


 少女は布団を目いっぱい深くかぶり、頭を隠しなおした。

 同時に、息ひとつ漏らすまいと両手で口を覆うと、誤ってランタンを落としてしまった。

 静まった部屋に乾いた物音が響き渡る。

 薄暗い部屋の中で、転がり落ちたランタンは、ひときわ不気味な明かりを灯していた。


(終わった……)


 そう悟った少女は、ありったけの叫び声で布団を放り投げた。

 運よくおばけは、放り出された布団の餌食えじきとなり、中で絡まって身動きがとれなくなっていた。


 外に逃げるのも怖かった少女は、とっさに布団を丸めにかかる。

 おばけは必死でもがき、何か窮屈な声を発している。少女も必死に抑えにかかる。

 どうやら、おばけは二体いるようだ。

 それは思った以上に小さい。小さい……



「ごめんね」


 二匹のネコは、テーブルの上で鼻水を垂らして泣いている。

 少女は二匹の涙をハンカチでぬぐい、鼻をふいてあげると、手を自分の顔の前であわせて謝った。


 ネコたちは鼻水を垂らしてまだ泣いている。

 そうとう怖い思いをしたのだろう。

 彼女も、まさかこのタイミングで彼らが来るとは思わなかった。


 結局、少女は、ネコたちと「ゆーえんち」に行く約束を断ることができなかった。

 明日は仕事があるし、霧も出ているから無理だと言っても、彼らはへーき、へーきとどこ吹く風なのだ。


 おまけにネコたちはあのとき、一方的に少女をまくし立て、用事があるからと、あの場所をさっさと飛び去っていったのだった。それも、夜の22時頃に、家に迎えに来ると言っておいて、20時過ぎにやってきた。

 何でも彼らは、用事を早くすませたぶん、少女と遊びたかったのだという。


 まあ、さすがに、少女としても、あの乱暴な扱いは不憫ではあった。

 それに、ネコたちが得意の鼻を利かせて、彼女の家を見つけたのだ。

 そこはとにかく、褒めてあげなければと、彼女はネコたちに、お詫びを入れることにした。


「じゃあ、とっておきのココアを今、入れてきてあげる!」

「「はーい!!」」


 さっきまで泣いていたはずのネコたちは、まんべんの笑みで声をそろえた。



 「めりーごーらんど」に「じぇっとこーすたー」、「ぴかぴかぱれーど」に「めいぷるぽっぷこーん」……。


 ネコたちと仲良くココアをすすりあう少女は、はじめて聞かされる「ゆーえんち」にまつわる単語にほっと心を温め、はやる好奇心を止められないでいた。

 そうやって、ネコたちの口車にうまいこと乗せられ、少女は勢いよくアパートを飛び出してみたが、霧の中は、やはり怖いのだった。


 少女は、案内するネコたちのうしろをくっついては、ときどき不安になって、ぐにゃぐにゃのしっぽをつかんでいる。

 そのたびにネコたちは、それぞれ手に持った小さなランタンをふり乱してふり返り、唾を飛ばすように嫌がっていた。


 もう、十分ほど歩いたか。

 けれども、少女には倍以上の時間に思える。

 ランタンを持つ彼女の手は小刻みに震え、腰は完全に引けている。

 その顔は今にも泣きそうだ。


「ねぇ?……まだ、つかないのぅ?」

「もうしゅぐだよ!」

「しゅぐだよ!」


 小声でおそるおそる話しかける少女に、ネコたちはあっさりと答えた。


 夢のような遊び場だという「ゆーえんち」。

 それは火曜日の今夜、特別に開くというが、何も知らない少女には、そこがどんなものかも想像できない。


「あのさぁ……もう一度、あの鞄のことなんだけど。もし見つけたら教えてね?」

「「いいよー!!」」


 少女は、置いてけぼりにしてしまった旅行鞄をずっと気にかけていた。

 非常時とはいえ、どうしてあのとき手を放してしまったのか。

 彼女は今さらひどく後悔をしていた。


 パァンやあのやさしい老婆の顔がよぎるたび、少女はせめて、この霧の中を歩かなければと心に鞭打つのだった。


(もしかしたら、見つかるかもしれない……)


 きゅうに、ネコたちがいっせいに飛び出していった。

 前方に何か見つけたようだ。

 冷や汗をかいて慌てた少女は、足をもつれさせ、そのあとを追おうと必死で走った。


 やがて、霧の薄れたもやから、光が洩れ出でるのが見えてきた。

 二つほどのかすかな光である。

 一つは小さい光、もう一つはそれよりも大きな光。

 だんだん霧が晴れ、その光が鮮明になると、とつじょ、巨大なアーチ形の門が現れた。


 門には大きな看板が、派手なネオンを点滅させ、浮かびあがるように、奇妙な形体で文字を並べている。


【Tuesday Wonder Landチューズデイ・ワンダーランド


 門の前には、ぞろぞろと生命魂たちが、長蛇の列をなして並んでいる。

 門の遥か先には、巨大な城のような建物も見え、こちらも派手にネオンを光らせている。


 少女は圧倒された。

 この街に、こんな場所があるとは夢にも思わなかった。


 どうやら光の主は、ネコたちと大きなランタンを持った旅人のようだ。

 ネコたちが、ここに来る前に言っていた、もう一人の「招待人」のことだろう。


 少女は、あてが外れて肩を落とした。

 ところが――


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