寄り道
ルネに念願のメイド服を着せた俺は、もうやることはないと屋敷へ戻る。
「ハァ、疲れた。汗びっしょりで嫌な感じだな」
久しぶりの運動で汗まみれの体を動かして急ぐ。
風邪を引く前に早く風呂に入って服を着替えてさっぱりしたい。
ちなみに、風呂などのインフラが整えられているのは召喚魔法のおかげである。
この世界の召喚魔法はどんな存在でも呼び出せる可能性が秘められている。
その長い歴史の中には、地球からこの世界に召喚された者もいたらしく、その関係で現代技術や知識が伝わったようだ。
おかげで生活面で困ることはない。
まさに、召喚魔法さまさまだな。
しかし、汗だくの男ほど見苦しいものはないな。
これが汗で服が張り付いた美少女なら眼福ものなのだが……。
その当の本人は普段と変わりない涼しげな表情である。
「どうかしたんですか?」
メイド服に身を包んだルネが首をかしげる。
俺とは違い、汗どころか息一つ乱れていない姿は普段と変わりない。
唯一の違いは頬をほんのり赤らめていることだな。
先ほどの出来事が原因だろう。
赤面の理由が羞恥か興奮のどちらなのか考えていると、何かを思い出したようなルネに慌てた声で呼び止められた。
「あ、待ってください! 剣の稽古の続きはどうするのですか?」
「え? 当初の目的が達成できたからもう十分だよ」
俺は質問してくるルネに「当然だろう」とばかりに言い返す。
どうやら先ほどの出来事で剣の稽古のことをすっかり忘れていたようだ。
しかし、俺としてはすでに稽古をする理由がない。
ルネにメイド服を着せるために頑張ったのだからこれ以上の運動に意味はないのだ。
そもそも、鍛えたところでチートもない俺ではまともな戦いは無理だろう。
これは身体的スペックではなく前世からのメンタルの問題である。
それに納得しないルネが小言を言ってくる。
「フーボ様の身に危険が迫ったらどうするのですか。護身程度の剣術は貴族の嗜みですよ」
「はっはっは。それだけルネやまわりの者を信頼して守ってもらっているってことだよ」
「もうっ、いつもそう言うんですから!」
なんとか話をかわそうとするが、こうなったルネは止まらない。
いつも通り俺に対してあれこれ言い出した。
耳にタコができるほど聞いた話だが、俺の身を案じてのことだから無下にもできない。
まぁ、だからと言って自身の素行を直すつもりもないがな。
どうしたものかと悩でいると、屋敷の方から次男のレンが出てきた。
まだ距離が離れているが特徴的なその赤髪は遠目からもわかりやすい。
まわりを気にしているのかきょろきょろしているが、そのまま屋敷の裏の方に行ってしまった。
どうやらこちらには気づいていないようだ。
「よし。レン兄さんをストーキングするぞ」
「話を逸らさないでくださいっ。……て、待ってください!」
まだ何か言い足りなさそうなルネを置いて、レンの向かった屋敷裏の雑木林に進む。
それを追ってルネも急いでついてくる。
どうにもレンの様子がおかしくて気になったのだ。
将来は竜騎士になると言ってはばからないレンは、動きやすい格好で庭に出て赤竜のムルの世話をするか槍の修業をしているのが常だ。
それなのに身だしなみを整えて庭とは反対の雑木林に向かった。
しかも、いつもは快活なレンが挙動不審だったのがこの上なく怪しい。
何かあるとしか思えない。
早く屋敷に戻りたいが、ルネの小言から逃げるのに都合がよいのでちょっと寄り道でもするかな。