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白玉抄  作者: 青児
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 結婚などというものは書面に婚姻に至った理由を書き当事者が署名捺印すれば済む。上流貴族の場合は認許の証として御璽の押印を必要とするが、これは形式的なものであって帝が直に内容を審査することはない。

 それは兎も角として、貴人は押し並べて仰々しいものを好む生き物であるから、正式な招婿となれば行列を組んで妻の家へ向かい、これまた仰々しい口上が両家で交わされ寝所に入ることになる。この時、寝所に灯りは一切なく、夫婦は互いの顔を見ることが出来ない。習わしとして三日続けて夫は暗闇の中を妻の元へ通い、三日目の夜が明けた時、初めて顔を合わせる。親族への披露を兼ねた宴会もこの日に行われる。白隆は頼定の娘を正妻とするに当たって、これらの慣例一切を行わないことを条件とした。父の融は渋い顔をして猛反対したが、結局折れた。

 白隆は従者の一人も付けず、先触れの文だけ出して初夜に臨むことになった。

 一夜目は謹慎が解けたその日の晩が選ばれた。凶日ではないから良かろうと、白隆は暦の縁起も無視した。夜明け前に出仕していつもより真面目に仕事をこなし、右大臣からの使いの者に急き立てられ帰路に着いた。流石に粗末な(くろ)の官衣では礼儀に欠くかと着物を替え、ついでに酒などを少々舐めて津瀬の屋敷に赴いた。道中の心中は沈鬱であった。

 頼定の娘には一度会ったことがある。しかしそれは十年以上前の話であり、彼女はまだぷよぷよした手足をばたばたさせるだけの小猿だった。お前の未来の妻だと父が朗らかに言った時、十かそこらの童子白隆は愕然とした。

 あの小猿が十数年のうちにどのような成長を遂げたか知らないが、歳は良くて十八か。今年二十九になる白隆にとっては子供であることに違いはない。

 小娘には好い思い出がない。先の采女の一件が去来する。女御の広めた噂は確かに大嘘で白隆は采女に指一本触れていない。が、ある一人から恋文を押し付けられ、言い寄られる形になっていたのは事実である。穏やかにあしらっていたが、まさかそこを付け入られようとは。そしてあろうことか、父に古い縁談話を強行される事態になろうとは。

 そのようなことを考えながら大路を下り、右京の紫床(ししょう)と呼ばれる一画に入った。津瀬の屋敷は没落したとは言え、やはりそれなりに広大である。しかし出迎えたのは年若い女房一人きりだった。邸内の灯りは彼女が持つ蝋燭の一つで、これが恐ろしく寂しい。

 まるで道ならぬ恋の手引きをさせているようではないかと白隆は思いながらも、女房の後を大人しくついて東の対屋に進んだ。蔀戸(しとみど)は上がって御簾が下ろされていた。女房は頭を下げ、灯りを持ったまま元来た道を帰った。

 白隆は夜風に当たってひんやりと冷たい廊に腰を下ろし、御簾に向かって言った。

「津瀬頼定殿の三の姫でいらっしゃるか」

 一瞬の沈黙の後、是と細い返答があった。

「私は右近衛府少将の明木白隆と申します。我が父、明木融と御父上との約定を果たしに参りました。御簾の内に入ることをお許し頂けるだろうか」

 類例のない素っ気なさと言える。普通、男が正攻法で女の寝所に入る時は、もう少し気の利いた言い回しをするものである。一往復で直ぐに「御簾の中へ入れろ」とはまず言わない。蔀をこじ開けて褥に忍び込む場合は別だが、それにしても二言三言口説き文句を添えるだろう。

 少々淡白過ぎるかと白隆は思ったが、

「どうぞ、いらっしゃいませ」

 娘は滑らかに言った。

 白隆は御簾を下から捲り上げ、中に入った。半月の光が彼の影を床板に映した。明木の三条殿ならばそこは廂の間で、更に一段上がった場所に御簾に囲まれた寝床があるのだが、この対屋は全く雰囲気が異なった。御簾が取り外され、几帳が少ないせいか、だだっ広かった。

「待って」

 するりと身体を滑り込ませた右近の少将は、間抜けにも床板に手をついた状態のまま静止した。

「少しだけ御簾を上げて下さい。―――もう少し」

 白隆は立ち上がり、言われるまま御簾を半分巻き上げていた。暫くしてしゅ、と擦る音がして小さな火が灯った。燐寸(マッチ)だ。火は蝋燭に移され、その燭台の優美な脚や薄布の几帳、部屋の主を闇に浮かべた。

「有り難うございます。(しの)が三日夜の明けまでは床で灯りは厳禁だと言って、燐寸を全部持っていってしまったものですから。取りこぼしがあって助かりました」

 白隆は唖然としたが、貴公子らしく直ぐに態勢を整えた。

「失礼した。驚きました。貴女のように、奔放な女性は初めてですよ」

「自ら顔を晒したことですか? それとも、この格好のことでしょうか?」

「どちらもですよ」

 女は齢十八。身の丈は白隆よりも頭半分低いくらいなので女にしては長身だ。着物は詰め襟の上着と幅にゆとりの少ない袴だった。丈は足首までしかなく、白いくるぶしが覗いていた。何れも布は粗い。髪は断髪。揺れる光を反射して流れる黒は首の所でばっさりと切ってあった。扇で隠す気もない娘は、白隆に完全に面を晒している。

 対する少将の君は当然、絹織りの直衣と、癖のある髪をきっちりと後頭部で結った格好だった。

 そんな二人の間で凡そ新婚夫婦のものとは思えぬ苛烈な値踏みの視線が交差し、時折火花を出した。結婚に不満を抱いていたのは白隆だけではなかった。ただ、頼定の娘の方には不満を口に出せる家の力がなかっただけの話だ。

 夫婦関係に於いては女の方辛抱強いものだと世間は言うので、ならば心を押し殺し、いつか隙を見て矜持をばっきばきにしてやろうと決心したが、先触れの文からにおい立つ御曹司の傲慢さに早くも忍耐が挫けた。娘が盛装することなく白隆を迎え、あまつさえ自ら顔を出したのはそういう由である。言い加えると、采女と彼の一件は既に娘の耳に入っている。実物を見て更に娘の嫌悪感は増した。

(この女顔が私の夫か)

(この餓鬼が私の妻か)

 全力で粗探しをした結果、互いは相手をそう評価した。

 白隆がもう少し誠実さを目に見易くすれば、妻は「女顔」と内心で評した切れ長の双眸と優美な鼻梁に今よりは娘らしい反応を示したかもしれない。又、頼定の娘がもう少し儚げで慎みのある振る舞いをすれば、夫は紫の上の話を思い出し将来に期待を持てたかもしれない。

 現実は斯くの如し。上手くは廻らないものである。


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