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白玉抄  作者: 青児
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涙の裾

 実に珍奇な婚姻である。貴族の婚姻にしてはそう断言して差し支えないほどさっぱりとしたものである。政治的策謀でも、まして、当事者の男女に衝動的に宿った激情に依るものでもない。二人の父親がその友情に基づいて口頭で交わした約束が元々の始まりで、その履行は、最早義理としか言いようがない。

 男は明木白隆(あけぎのしろたか)。父の(とおる)は先代の持毬(じきゅう)女帝を実母とし、今上の実兄でもある。才覚に欠く所はなかったが母の持毬と折り合いが悪かった為、弟が生まれたのを好機とばかりに自ら望んで臣籍に下り明木の姓を賜った。それから持毬女帝が崩御するまでの数年は閑職に甘んじ政治的な華やかさから遠ざかっていたものの、今上は即位に際して彼を右大臣に任じた。一粒種の白隆もその恩恵に少なからず浴し、右近衛府にて少将の官職を得ていた。

 女は津瀬頼定(つせのよりさだ)の末の娘。これも五代ほど家系を遡れば親王の名前が上るので血は高貴な方だが、如何せん頼定が末姫の幼い時分に急死したので経済状態が芳しくない。当世ではこのような場合、金は余っているが家系が今一つの庶民に嫁がせるか、女官の一人として後宮に行かせるという二つの道があるが、有り体に表現すると、売るか棄てるか、だ。傾国の恐れある絶世の美女ならば白隆のような貴人でも悦んで通うだろうが、その場合でも立場は妾の一人で生涯は終わるであろうし、そもそも彼女は現状を引っくり返せるほどの容姿は持っていなかった。

 頼定の死後、硬直状態にあった縁談を図らずも前に進めたのは白隆だった。

 白隆は女に意地汚い訳ではなかった。涼やかな目元を少し流してやれば色めき立つ女官共が宮中には幾らでもいたので、貪欲になる必要もなかった。上流貴族らしく優雅な恋愛遊戯を嗜む程度だったのだが、ある日、白隆が采女(うねめ)の一人と通じているという噂が立った。采女は最下位とは言え名目上は帝の妻である。真実ならば醜聞では済まされない。先例では男女共に官位を剥奪の上、都を追放されている。帝が明木融に一足飛びの昇進を与えて以来、宮中に久々の激震が走った。悪い方の。

 しかし、結果的に白隆は証拠不十分を理由に三ヶ月の謹慎だけで許された。帝は速やかに采女を全員御前に呼び出し、横一列に並べて大笑したのだ。どれも白隆の好みではないと。事実、地方から寄り集まった采女達は差し詰め土の付いたままの芋か大根か、白隆でなくとも食指は動くまいという小娘達だった。噂の出所である女御の父が、融と関係の良くない参議であることも理由の一つであった。

 この、些か寛大過ぎる叔父の処分を白隆は幸運として受けたが、父の融はそう軽く考えられなかった。いつまでもふわふわと独身のままで遊んでいるから在らぬ噂が立つのだ、少し落ち着かせるべきだ、今こそ旧友との約定を果たす時だと判断した。気に掛かるのは己の愚息よりも寧ろ頼定の末娘の方だった。なまじ身分の(無駄に)高い男と結婚してしまって、後から他家のやっかみを買い、彼女が傷付くのではないか。しかし、今を逃せばこの縁談は流れてしまうだろう。融は亡き頼定と、まだ嬰児だった末姫、地に足の着いていない息子を想った。そして、強引は承知で頼定との約束を果たすことを決めた。

 そういう訳で、明木家から津瀬家へ文が行った。その文面も薄情なほど質素なものだったが、返って来た文も負けず劣らず―――ただ、「承りました」とだけ。

 とまれ、白隆は頼定の娘の元へ通うことになったのだった。


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