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西瓜

作者: 篠伊 奈樹
掲載日:2012/12/17

「買い物に行こう」

 季節に似合った藍色の浴衣を着た男が言う。とはいうものの、季節に関係なくほぼ一年中浴衣を着ているような男なのだが。

「うん」うつ伏せに寝そべって雑誌を読んでいた女が、愛想もなく答える。

「やはり夏は浴衣だな」男は藍色を見せびらかすように、裾を持ちながら両の手を広げてみせる。

「そうだね」同意など露にものせない様子で女が答える。

 男の方には目もくれなかった。鏡の前で茶色の髪を束ねている最中だったからだ。



 数分の後、二人は近所にあるスーパーの青果が並んだ区画にいた。半袖のシャツにホットパンツとラフな格好の女は、何を探すでもなく、買い物カゴを持ったまま浴衣の男の後についてまわった。

 男の格好は、いくら季節とはいえど目を引いた。だがそれに構うこともない様子で、目指す場所へとまっすぐ進んでいく。

「夏は西瓜すいかだ」男は手に西瓜を持ち上げながら、大きさを見繕っている。

「そうだね」やはり女の返事に同意はない。

 大きさの揃った二つの西瓜を買い物カゴに入れると、男は迷うことなくレジに向かい、女もそれについていった。

 店員の若い男は、買い物カゴに入れられた二つの西瓜と、レジに並ぶ若い男女の二人を交互に見て、ふと一人で一個ずつ食べるのかと訝しんだ。けれど客の都合など知ったことではない。後ろには既に他の客が並んでいるのだ。早く会計を済ませてしまおうと、所定の動作をして請求額を告げた。そして精算機の下に入れてあるビニール袋に手を伸ばしたところで男の声がした。

「袋はいりません」

 この球体を裸で持っていこうというのか。それも二つも。

 客の指示であるにしても、さすがに変な客だという印象は最後まで拭えなかった。

 男はカゴに入ったそれらを見つめていた。

「どうすんの、それ」冷静に女が尋ねた。

 男はおもむろに、その二つの球体を懐に入れだした。左右対称に、一つずつだ。

「あっ…」

 先程まで鮮度保存のために冷やされていたので、肌に触れた刺激のせいで男の口から情感のこもった響きがこぼれ、身をよがるような仕草を見せる。

「こんな人目につくところで何をしている…」

 女は右手で額を押さえながら、呆れてうなだれそうになる頭をなんとか支える。

 気づけば周りにいた買い物客の視線は二人に集まっていた。くすくすと笑い声を抑えるものもあれば、眉をひそめるものもいた。

「そんなに羨ましいのか」男は右に入れた方の西瓜を、お前もやるかと言いたげな様子で女に差し出す。

「誰がやるか!」控え目な胸をしていることを突かれたせいか、女は声を荒げて反論する。

「片方だけだとバランスが悪いか」そう言ってもう片方の西瓜を女に差し出す。

「そういう問題じゃないわ!」

 より声を荒げて返すが、男はそれが何を意味するのかわからないといった具合だった。

 結局男は二つの球体を脇に抱えて帰路についていた。さっきの格好をそのままに帰ろうとしたら、女にもうやめてと懇願されたからである。

 さすがの男も上目遣いの女の態度を見て、行動を改めるに至ったようだった。だが反省する様子はなく、悪かったと、思ってもいない言葉を女に投げかけるだけだった。



 家に着くなり、男は浴衣の裾をまくって切り出した。その顔はどこか自信に満ちている。

「西瓜鍋をしよう」

 今買ってきたばかりの西瓜を鍋で煮て食おうというのか。女は想像しただけで吐き気をもよおし、反対する代わりに突き放すような返事をした。

「いいけど、一人で食べてね」

「お前はいらないのか…残念だな」

 少年のような落胆ぶりを見せながら、男はとぼとぼと台所へと向かっていった。



 女は読みかけだった雑誌に手を伸ばし、出て行く前と全く同じ体勢でそれを読み始めた。ちょうど連載小説の読み始めで男に声をかけられたので、続きが気になっていたのだ。背後では冷蔵庫の扉を開け閉めする音が聞こえたが、物語に没頭するとそれも耳に入ってこなくなった。

 主人公が戦場へと向かう場面にうつり、漂う火薬の匂いを喩えた部分を読んでいると、嗅覚にまで訴えかけてくるものがあった。レトリックの凄まじさに感心していると、なんてことはない。臭いの正体は後方からきているものだった。

「か、火事だぁ!!」

 男が慌てて煙とともに台所から出てくる。なるほど、確かに焦げ臭い。しかし不快なものというよりは、さつま芋を焼いたときにするような香ばしいものだった。

 女が台所へはいり、煙の元を見てみると、スーパーで買ってきた西瓜が、コンロの上で黄色い炎をあげながら燃えていた。

 なぜこうなったのかはわからなかったが、とにかく消火をしようと蛇口から水を出し、手ですくって必死でかけた。もちろん気休めにしかならず、火はかえって勢いを増しているようにも見えた。

 女が呆然と炎の前に立ち尽くしていると、風呂場からたっぷりに満たされたバケツをもってきた男が、大量の水をかけて一気に炎を消した。こういう緊急時には機転のきく男なのである。



「まさか燃えるとはなぁ」落ち着き払って男が言う。

「…何したの」当然の疑問を女は口にした。

「何って、西瓜を鍋代わりにしてみた」燃えかすに男が目をやる。黒焦げになった西瓜の上に、白菜それにしめじ、牛肉らしきものが見えた。「燃えるとはなぁ」

「直火で焼くな馬鹿者!!そりゃ火事になるわ!!」男に思うことすべてを浴びせかける。

「すまん」男は申し訳なさそうに肩をすくめて体を小さくする。「だが、具の焼き加減はなかなかよさそうだぞ」

 見ると燃えたのは外側の西瓜だけで、中に入っていた野菜と肉たちは無事なようだった。西瓜の中身をくりぬいて、本当に容器のように使っていたようである。流し台に種があったので、中身は男が食べてしまったのだろう。



 二人の夕食はすき焼きになった。

 醤油と日本酒を入れると、砂糖がなくても甘みは出た。容器のおかげだろう。

「案外いけるね」女が本心でそう言った。

「だろう」

「肉は半生だけど」白菜にも火の通っていないものがあった。

「いい肉だからそれは心配ない」

「そういう問題じゃないでしょ」半ば諦めながら女が言う。

 男が笑いをこぼすと、女も自然と笑顔になってしまった。勿体ないし、ひどく下らない食べ方だと思った。けれど、この男と一緒なら、たまには、ごくたまにはいいかもしれない───。



「今度はちゃんとした鍋で作ってね」これも女の本心だった。

「ああ、任せろ」男は胸を反らした。威張っているつもりらしい。「次は西瓜フォンデュにでも挑戦しようと思っている」

「それだけは、絶対にやめて」これもまた本心だった。

実際にやったことはないので、本当に美味しいかどうかは保証しかねます。暇があればお試しあれ。

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