エピローグに代わる自己分析
エピローグに代わる自己分析
白と黒の垂れ幕の効能は、夏場にもかかわらず汗のかかないことなのか。それとも、すべての色を無くしてしまうことなのか。
突然母を亡くしたという喪失感に打ちひしがれていたように見えたかもしれない。あるいは、年相応の子供がそうであるように、大人だけがわかって勝手に進めている儀式に退屈を感じていただけなのかもしれない。
あるいは幕のパターンが横断歩道のようだとか余計なことを考えてるだけなのかも。
誰もが薄気味悪そうに横目で見ていた。濃い薄いの差はあれど、親族という絆で結ばれているはずの人間たちの中で、少年は白でもなく黒でもなく浮いていた。
母を亡くしたばかりの年端も行かないこどもを見るには異常すぎる悪意と嫌悪と怯懦の視線。なぜ、こんな子供が疎まれなければならないのか。
そう、ここにいるのはどこにでもいる普通の少年なのだ。両腕で包み込むようにした遺影には面差しの良く似た母親がいる。日常から切り離された葬儀場でつかの間の生と死が溶け合う優しい冥府への入り口だ。しかし、小さい体へ絡みつく重たい空気は容易に逃避を許さない。母親の葬式で何を考えているかわからない表情をさせるほどに。
隣にはやはり遺影を――こちらは観音開きの蓋がついていた――抱えた女性が立っていた。一見して少年の姉のような印象を受けるのは、少年とどこか似ているからという以上に、少年の母との遺伝的つながりを濃く表現しているからだろう。
それでも母子ではなく、姉弟のイメージになるのは、実年齢よりも遥かに幼く見える身体的特徴から仕方の無いことだった。
天場果無子は、この場のすべてをぶち壊したい衝動と戦っていた。
いたわりとは程遠い感情から遠巻きに見て甥を檻の中にいる小動物のようにしてしまっている親戚連中の脳みそから臓物から何からぶち撒けたかったのもそうだし、押し着せられたような黒を基調とした服装が象徴する甥を姉の死に立ち会わせるのならばまず服を破ってやりたかったのもそうだし、何より、可愛がっていた甥をこんな状況に追いやったすべての元凶である姉を――そして自分自身を消し去ってやりたかった。
姉が事故死したのはただの見栄っぱりが要因だ。いい年をして女優業へ復帰する。それ自体は悪いことではない。ただ、姉にその力量があったかは甚だ怪しい。売れなくなって適当に美貌を武器に結婚して、ちょっと昔の知り合いから声を掛けられてその気になって、離婚してまで海外へ仕事の拠点を移すために移住した。
その元夫は葬式に顔も出さない。二人の関係が冷え切っていたことを如実に証明している。だからそのままでもいずれ形を変えて悲劇が訪れたのかもしれない。
だが、もう終わってしまったことに、「もっと最悪があった」と思ってもちっとも慰めにはならなかった。
ここを最悪にしてしまうしかない。そして、次はもっと良く、もっと素晴らしくしていくしかないのだ。
口の中で3回言葉を呟いた。お呪いではない。むしろ呪いそのものな、果無子にとっての忌み詞だった。
小学生のような自分の体を見下ろす。
もう成長することはない。すぐに甥にも追い越されるだろう。しかし、これからは自分が、この手が導いてあげなければならないのだ。だから、今一度しっかりと手を握らなければならない。意味のなさそうなことだろうと、きっとそれは必要なことなのだから。
隣の甥へと手を伸ばしかけ、やはりそこで固まってしまう。躊躇いを崩すために何かをしなければならない。だけど何も浮かばない。だから心にあることを言葉にしてみた。
「一郎、あんたは普通に生きれば良いわ。特別良くもなく、特別変わってもなく、特別立派なことをしなくても、特別に悪いことにさえならなければ、そう――」
姉のようにはならなくても――女優に戻るチャンスだと当時の夫の制止も振り切り、慣れない海外生活で神経をすり減らしながらも奔放を気取った挙句、無謀な自動車運転で崖から飛び出し呆気なく死んでしまった姉のように――その言葉はさすがに飲み込んだ。母親が死んで一番悲しいのが誰なのか。それに、止められなかったのは自分も同じなのだし、そのせいで甥には辛い目に遭わせてしまったという負い目もある。
目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出して心を静める。いつも通りの自分で接すれば良いのだと言い聞かせ、
「……ま、テキトーに普通で」
葬儀場の中で唯一人の楽天的な笑みを投げかけた。
それが自分にとっての普通なのだからしようがない。小さいままの自分で、なんとかなるさと諦めて、できるだけのことを全力でやり抜こう。この手をもう離さないように。
手と手を重ね合わせ、自分よりもなお小さい手を包み込む。だが、その手に力が篭められない。とても暖かな掌を感じながらも握り込めない。握ってまた何か大切なものを潰してしまうかもしれないという強迫観念染みた想いに耐えられない。
その迷いを断ち切るようにして動いたのは小さく柔らかな、頼りないはずの少年の指だった。それは思っていたよりもずっと熱く、力強くて、言葉を交わすように一指一指確かめながらぎゅっと握り返してくれた。