プロローグに代わる自己紹介
推理ジャンルですが、まともに推理してわかるというものではありません。
気軽に登場人物達の苦労を楽しんでください。
プロローグに代わる自己紹介
天場一郎はいたって普通な人間だ。
俺はそう自己評価している。名前からして普通だ。
『一郎』。
現代の新生児たちにどれだけこの名前が使われているのか知ったことじゃないが、いかにも日本的スタンダードさを感じさせるだろう。次男なのにイチローなどという捻りを利かせていたりするわけでもない。もちろんミドルネームも持っていない。平凡を絵に描いたような文字の羅列だ。
ただ、天場という姓は少少珍しいのかもしれない。鈴木だとか田中だとかであれば本望であったが、なに、そんなもの些細な問題だ。例えれば、ひっそりと国民の祝日として存在している建国記念日のようなものだ。学校の創立記念日なんかでも良い。思い返してほしいのだが、そういう特別だけどなんの感情も沸かない、ただ休めるだけの日を殊更お祝いしたことはあるだろうか?
たまたま国民の休日ともなった正月や、個人にとって特別な日となっている誕生日、俺は経験してないが結婚記念日などとは訳が違うということだ。
普通に生を受けたら、たまたま天場という家に生まれたに過ぎない。
一郎という名づけも似たようなものじゃないかという意見も多少あることだろう。ただし、これは誰よりも普通な思考を持つ俺が考えていることだ。つまり、こんなことを言うと俺の普通さに疑念を持たれるかもしれないところをあえて言わせてもらえれば、理解できない方が異常なのだ。
まあそんなわけで、名前を出しても出さなくても構わないような普通の町で、高校名を言っても特に記憶を呼び起こされない普通の高校に通っている、平均的身長平均的体重平均的容姿を持ち合わせた極極普通の日本男児である俺は、大型連休の初日、普通に日本晴れして、普通に暑い日に、普通に初夏らしい薄着で歩いていた。
特段目的もなく、コンビニで立ち読みでもしようかな、でも連休中だから新しい号は入ってないな、ゲーセンでも行こうかな、などと平凡な考え事をしつつ普通のペースで歩いていたのだが、我が身に降りかかる突発的出来事にまで普通であることは求められないものだ。
たったったと軽快なテンポで近づいてきた足音は、首元まで届くと元気の良い少女の声へと変化した。
「一郎ちゃん、どっか行こう?」
ふわっとした髪を片側で結んだ少女が、柔らかな笑顔とふくよかな胸を揺らして俺の手を取る。
阿佐島緒未は単なる同級生を超えた親密度を、体全体で表現するようにそのまま腕を巻き込み、平均的女子高生よりは遥かに大きい乳房を押し付けるようにしてくる。物理的にも心理的にも、自分の恋人である天場一郎をがっちりホールドしたオミが、まあ、平均より多少短いスカートをフリフリとさせて遠ざかる。
俺はそれを手を振るでもなく見送った。
そこへ、反対側からも声が飛んでくる。オミの桜色の声とはまるで違う、流氷のように硬く冷たい。普通の恋人同士にはそぐわな過ぎるその声で徒舟小古流だとすぐにわかる。
「天場、ちょっとこい!」
そう言って、なぜか怒っているような顔の少女が俺の手をぐいっとつかんだ。短く切った髪も逆立っているかに感じる。コロは恋人である天場一郎に対しても――というか天場一郎に対しては特に棘を向けてくる。
困った奴だ、あの調子で二人きりになったら居心地の悪いことだろうと思いつつ、すっきりとした尻をズボンで包んだコロが、つかつかと音が聞こえそうな早足で、というまるでカップルらしからぬ態で去って行く。
小さくなり行く二人を俺は見守った。
それにしてもどこで待ち伏せしてたのかというタイミングだったが、高校生同士という狭い人間関係だし、普通過ぎる俺の行動範囲など筒抜けなのだろう。などと考えている傍からまた現れた。
音もなく近寄ってきたリムジン、縦の長さが普通の乗用車の2倍はある。普通に庶民的な町で高級外車を乗り回す俺の知り合いなんて細愛空しかいない。
「一郎さん、お迎えに上がりました」
思った通りの清らかな風を車の窓の内側から吹きつけてきた少女は、いつの間に出てきたのか黒服の男が開けたドアの向こうから俺の手へとそっと自分の手を重ねる。恋人との逢瀬を果たし、メガネの目元をほんのり赤らめる少女は普通を自認する俺でなくてもびっくりするほど金持ちのお嬢様だ。そんな身分違いなんて塵とも気にせずに。車は俺を乗せ流れるように再び走り出した。着物を着てたし、自宅でお茶会でもするのだろうか。
走る別世界が遠ざかるのを俺は目で追った。
それにしてもあんな人たちはパックのお茶なんて飲まないのだろうなあなどと考えていると、逆に茶葉で入れるお茶ってなんなの? とでもノタマイそうな経済的な意味で庶民の代表が常識ハズレの大声を上げてやってきた。こちらも別な意味で一人しかいない知り合いだ。1人なら偶然だ。2人なら必然で、3人なら運命だろう。となると、4人目は犯罪なのだろうか。まあ、普通に愛とでもしておきたい。しかし、婁宿都波までくるなんて、こいつらどこで俺を見張ってたんだと怖くもなってくるが。
「テンちゃーん、待ったぁー!?」
タタタッタと軽妙な靴音を鳴らして大柄な少女が駆け寄ってきた。近づくにつれ視線が上向きにせざるを得なくなってくる。
繰り返すが、俺は同年代では普通くらいの背丈だ。
その俺よりもトナはでかい。顔は小さいくせに。でも、手はでかい。その大きな手で俺の頭を包む。いや、そこは手を包めよ、と思いつつもなでなでとされるがままにしておく。これは恋人的というよりは姉のような感じなのではないだろうか。トナは年下なんだけどなあ。とはいえ俺に姉はいないのではあるが。もちろん出生率の減少している現代日本では一人っ子は多数派であろう。姉は希少価値がある。
ついでに言えば、トナを待ってたという事実はない。今も俺はコンビニかゲーセンかで迷ってる最中だ。
そして来た時とまったく同じスピードで、彼女は駆け抜けていった。身体能力に劣る彼氏がその手に繋がれていることなど気にしないかのように。
遠ざかっていく俺の背中に何か声をかけてやることもせず、俺は元通り歩き出す。
嵐のように過ぎ去った少女たち。彼女たちは俺と付き合っている。つまり、普通……というと特定の層の男子から反発を食らうかもしれないが、普通の男子高校生として恋人もいるわけだ。
まったくもって普通な人間なのだ、天場一郎すなわち俺は。
ただちょっと、特定の人物に手を引かれると分身してしまうことが変わっていると言えないこともない。
この世界でそんな人間が俺一人だったのだとしても、人と変わってるのはそれだけだ。
なくて七癖。
俺の変わっているところなんて数え上げてもひとつきりなわけだし、たいした問題ではないだろう。