庭師と木々花
冬のあいだ、わたしはほとんど死んでいた。
光は届かず、土は固く、風だけが通り過ぎる。
自分がここにいる意味なんて、どこにも見つからなかった。
上には大きな木があって、その枝葉が空を覆っている。
あの木は、春になるときっとたくさんの光を浴びるのだろう。
わたしには、その一片も届かない。
踏まれることもあった。
通りすがりの誰かの靴底が、わたしの上を何度も通っていった。
痛い、と思うことすら、途中でやめた。
どうせ、抜かれる。
春になれば、この庭には剪定が入る。
そのとき、わたしのようなものが残るはずがない。
だから、もういい。
わたしの心は花から冷たい石になった。
*
ある朝、土がゆるんだ。
誰かが触れている。
冷え切っていた地面が、少しだけ動く。
あの人だった。
大きな木の根元を掘り、枝を見上げ、光の入り方を確かめている。
手は迷いなく動き、ためらいなく枝を落とした。
乾いた音がして、影の形が変わる。
光が差した。
ひどく懐かしくて、久しぶりに浴びた命の光。
眩しくて、痛いほど降り注ぐ光の塊。
わたしはそれを、はじめて″あたたかい″と思った。
*
その日から、あの人は何度も来た。
水が流れ込む。
土が柔らかくなる。
周りの草は、ひとつ、またひとつと抜かれていった。
ああ、次はわたしだ、と思った。
根を掴まれ、引き抜かれ、ここから消える。
それが当然だと、ずっと思っていた。
けれど——
あの人の手は、わたしのすぐそばで止まった。
ほんの一瞬だけ、触れるように土を押し、
そして、そのまま離れていった。
抜かれなかった。
どうして、と思ったそのときに気づいた。
わたしには、小さな蕾がついていた。
自分でも気づかなかったほど、かすかなもの。
心は冷たい石だった。何も感じず、生きることを諦めたから、蕾の存在も見えなくなっていた。
けれど、そこにあった。
見ようとしていなかった、次の命が芽吹いていた。
だからか、とわたしは思った。
*
それから、わたしはあの人を待つようになった。
水が来るたび、嬉しかった。
土が動くたび、自分が生きていると感じた。
太陽の光は温かく、石になっていたわたしを溶かして柔らかくしてくれた。
だけど大きな木の枝を切るあの人の表情もまた、お日様の光で見えなかった。
そのことが少し残念だと、少し柔らかくなった心で思った。
……変なの。日が当たるようになったから、今のわたしが在るのにね。
*
春の日差しよりずっと、世界に光が溢れていた。
日差しの限られている庭の片隅。
わたしはけっして世界の中心の花じゃなかった。
だけど、生まれてきてよかったと思った。
お日様も土も空気もあたたかで、春風は柔らかく木々と花を揺らしていた。
春の終わりに、わたしは咲いた。
小さく、控えめで、誰の目にも留まらないかもしれない。
だけど思い切り花弁を空に向けてわたしは咲いた。
あの人は、その日も庭にいた。
上ばかりを見て、枝の形を整えて、大きな木の影を計っていた。
わたしの方は、見なかった。
立ち止まりもしなかった。
分かっていた。
彼が見るのは木々だけだ。
だけどどうやら、
わたしは立派に咲いたわたしを、どうやら彼に見て欲しかったらしい。
あの人の手が触れた土で、
あの人が整えた庭の中で、
あの人が切り開いた光の路で。
(あなたがくれた光で、わたしはちゃんと咲けたんだよ)
そう伝えたいのに、伝えるための声をわたしは持っていなかった。
あの人に気づいてもらう術がない。
(ねえ、わたしはここにいるよ。
わたし、花をつけられた!)
声にならない声だった。
それでも叫ばずにはいられなかった。
当たり前だと分かっていた。
だってわたしは庭の片隅に咲く小さな花にすぎないのだから。
それでも、光をくれたのはあの人だった。
それは、確かにわたしの生だった。
*
風が吹いて、花びらが揺れる。
もう長くはないと、わかっている。
けれど、不思議と怖くはなかった。
あの人がいなくても、
わたしは、もう咲いている。
名前も呼ばれない花だった。
愛されて生き残ったわけじゃない。
ただのあの人の気まぐれだ。
それでも、わたしはここで生きている。
花はやがて種になる。
わたしの種は来年も命を繋いで芽吹いていける。
あの人は、今日も上を見ている。
高木を切った枝と一緒に、春の日差しが落ちてきた。
その足元で、わたしは静かに揺れている。
誰かに誉めそやされるためにわたしは咲いてない。そんなもののためにわたしは生まれてない。
名もなき花は、強くなければ生きられない。
だから別に、見られなくてもいい。
だけど本当は、見て欲しかった。
*
……それでも、わたしは。
わたしは、上を向いて咲いてあげる。
いつかあなたが地面を見たとき。
あなたが救った花は確かに咲いていると、下を向いたあなたが思えるように。
あの人からもらった光を返せるほど眩しい、
小さくても真っ白な花を、翼のように広げながら。




