9.推しとの接近イベ
へんなゆめをみた
ここは満員電車かな
うしろへまえへ
ひだりえみぎへ
ぎゅうぎゅうと体が押される
「���駅に到着しました。降りる方に道をお譲り下さい」
アナウンスが流れても誰も降りない
もう誰一人入れないのに
ホームから人が押し入ってくる
「次の電車もあわせてご利用下さい」
一人また一人電車に乗り込む
「お荷物強くお引き下さい」
もう入れないよ
押さないで
ドアに挟まれる人
それを押す駅員さん
肺が潰れそうなほど押される
やっとドアが閉まって電車が発車した
息がしにくい
脳に酸素が回らない状態で電車に揺られ
次第に吐き気が襲ってきた
頭も痛い
人と汗が混じった匂い?
いや違う
生ゴミの腐ったような匂いが漂ってくる
耐えられない
酸っぱいものが喉元までせり上がってくる
弾ける寸前で意識が別の所へ
痛い
誰かの硬いカバンが腕に当たってきた
ちょうど角になっている部分が突き刺さる
痛い
かなりキツめのカーブを曲がる車体
人々が遠心力で片側に押し込められる
鞄の角がよりいっそう深く突き刺さる
痛い
もう出たい
こんな電車から降りたい
タクシーに乗ろう
歩いたっていい
降りたいのに一向に次の駅につかない
「あれ?華ちゃんそれ……」
「え、何?」
「袖口から見えるその黒いの」
恵に言われて華は自身の手首を見る。
確かに右手首に黒いものが。
袖をまくり、二人は息を飲んだ。
「これ、痣?」
「そうみたい……いつの間に……」
右手首から肘の辺りまで所々に丸い痣が複数浮かび上がっていた。
そして肘窩には小さな穴がいくつか。
ちょうど採血で注射針を刺すところだ。
「……もしかしてサミュエルに何かされてるの?」
「いや、そんな……。私には興味無さそうで、いつも変な実験ばかりやってるし。それにさすがにこんな痣がつくようなことされてたら、さすがに気づくよ私。」
思い返してみても、サミュエルにこんなことをされた記憶はない。
「変に記憶が飛んじゃってる時間とかない?」
「うん、無いよ。」
「なんか違和感があった出来事とか……」
「うーん……そういえば最近やたら眠い、かも」
「それじゃない!?寝てる間になんか変なことされてるんだよ。サミュエルのとこ、帰らない方がいいって……。ノアに言ってあげるから、今日からは私のところへ泊まりにおいで。」
「ありがとう……!」
───確かに。知らない間になにか変なことされているんだったら怖すぎる。ありがたく、恵ちゃんの所に泊まらせてもらおう。
ノアが会議室から出てくる。
ヴォイドと話しながら。
恵が華を連れてノアの元へ行ってくれたため、華にとっては久しぶりの推しとの接近イベント。
いつもはガン見しているくせに、心臓が高なって、今日はまともに顔を見れなかった。
自分は今日、変な格好じゃなかったか。
前髪を直す。
その時に目に入った痣を左手で隠しながら下ろす。
「話してるところごめん、ノアにお願いがあるの。今日からさ、華ちゃんもノアの部屋に止めさせてくれないかな?」
「華を?いや、そりゃ別に……俺は問題ないけど……」
ノアはヴォイドを伺い見る。
ヴォイドはノアを見て、そして華を見ながら口を開く。
「特に問題は無い。ソル様は確かに自分が攫ってきたものを責任もって世話するように俺たちに命令した。だが、他人の捕虜を世話するのを禁止してはいない。害するようなことがなければいいだろう。」
推しから明確に視線を貰い、華の体は硬直した。
顔が火照るのを感じる。
思わず1歩後ずさった。
恵の後ろに隠れそうになるのは何とかこらえる。
ソル様の次に権力のあるヴォイドからの言葉に、ノアは安心した。
「ソル様に許可を取れるような状況じゃないが、ヴォイドに言われたら大丈夫だ。よし、華も着いてこい!サミュエルにも一応言っておくか。」
「やったね華ちゃん!あ、2人とも先行ってて!後で追いつくから。」
恵はそう言うと、ヴォイドの方へ向き直る。
その目は甘くとろけていた。
「ヴォイド、この間はありがとう。これ返すね。」
「ああ、気にするな。」
恵から黒くて金の刺繍が入ったハンカチを受け取るヴォイド。
ポケットに手を突っ込んでいることが多い彼の、レアな手を出すシーン。
細く筋張った綺麗な指に華は見とれた。
2人の間に何があったのか気になる華だったが、ノアに置いていかれそうになり、慌ててノアの背中を追いかける。
「ああ、別に構わないよ。あの女の子とは友達なんだろう?お泊まり会楽しんでおいで。」
会議室から出てきたサミュエルを捕まえて、ノアと共に華はノアのところへ泊まりに行ってもいいか尋ねる。
渋られるかと思っていたのに、案外あっさりと外泊の許可が出た。
───普段外に出るのは許してくれないのに。
でもまぁ良かったぁと胸を撫で下ろす華。
それに対してノアは訝しむような顔をしていた。
「なんだいその顔は?」
「いや、……お前にしてはやけに……いやいい。じゃあ連れていくな。」
「どうぞ」
あの気持ちの悪い笑顔を浮かべながら、ばいばーいと手を振るサミュエルに、華は浅くお辞儀をしてノアとその場をあとにした。
「最後の夜をどうぞ楽しんで。」
サミュエルがボソリと呟いた言葉を聞くものはいなかった。




