12.推しとアリス②
「おかえり」
その声はとても楽しげなサミュエルのものだった。
華の頭の中は真っ赤になって、危険信号が鳴り響いている。
けれども体が全く動かない。
サミュエルが何かした訳ではなく、華は恐怖心からその場に縫い付けられてしまったのである。
「……あ、……ぁ……」
「ふふ、どうしたのかな。喋ることを忘れてしまった?人間の叫び声が最大何dBになるのか計測したかったんだけど。君は驚くと声が出なくなるタイプなんだね。」
正直隙だらけだった。
逃げようと思えば逃げれるはず。
しかし、じわりじわりと近づいてくるサミュエルに、華はパニックになった。
「その口、要らないなら縫い付けてもいいね。お人形みたいに。君たちは幼少期にそれで遊ぶんだろう?僕もお人形遊びしてみたいなぁ。」
そう言いながらサミュエルは華の横を通り過ぎる。
華の視界からサミュエルが消えたが、それを追うために顔を動かすことすらままならなかった。
今目に映っているのは先程入ってきたドアただ1つ。
そこまで走れば開けて外に出られるのに、ただ見つめることしか出来ない。
パチっとなにかスイッチを押すような音が部屋に響いた。
「おいで」
特別強く言われた訳でも、かと言って反抗できそうにもないような絶妙な口調で命令の言葉を口にするサミュエル。
何か言葉を返さなくてはいけないと思うのに、肯定するの憚られ、否定する勇気も華にはない。
「はぁ……。この際返事はしなくてもいいよ。その口もまだ残しておいてあげる。けどその足は動かさないのであれば無くなってもいいよね?」
───嫌だ。やめて動かないで。振り向くな。逃げろ。そのまま前を。外に出て恵ちゃんに、誰かに助けを求めよう。
───ダメだ無理だ。前だって、いつだって外に誰もいなかった。すぐに追いつかれてサミュエルに……
「5」
恐ろしいカウントダウンが始まった。
「4」
サミュエルはどちらでも良かった。
「3」
華が大人しく命令に従っても。
「2」
反抗してこの部屋を出ていこうとも。
「1」
だって結果は同じなのだから。
「うん、いい子だね。やればできるじゃない。足は残しておいてあげるよ。無様に逃げ出そうとする君を見るのも悪くないからね。」
気がつけば、華はサミュエルの前に立っていた。
いつの間に振り返って歩いてきたのか、華にも記憶が無い。
「お腹すいてる?朝ごはんまだ食べてないでしょ?今日は僕が作ってあげるよ。といっても人間が食べるものなんてあまりよく知らないからね。僕でも準備できそうなのは……トーストと目玉焼き?とかかな?トーストはバターとジャムをたっぷり塗ってあげよう。」
要らない。とは言えなかった。
華はサミュエルに席につくよう言われて、大人しくダイニングテーブルへと向かった。
カチャカチャと準備を始めるサミュエル。
なぜこの期に及んで食事を摂らせるのか華には分からなかった。
しばらくして目の前にお皿が並べられる。
普段ならば食欲が湧くトーストの香ばしい匂いも、今はただただ吐き気を催すだけだった。
「はい、どうぞ。」
サミュエルはテーブルに肘を着いて、覗き込むように華を見つめる。
自分は何も食べず、華をただ見ているだけらしい。
───さっき、作っているところをずっと見てたけど特に変なことはしてなかった。大丈夫なはず……
口に含んだ食パンはなんの味もしなかった。
ただただ義務として口を動かし、むりやり水で流し込む。
目玉焼きを口に運ぶ手が震え、少しテーブルが汚れてしまう。
伺うようにサミュエルの顔を見たが、楽しそうにニヤついているだけだった。
「……ご、ちそうさま、でした。」
今にも消え入りそうな声でつぶやく。
サミュエルが口を開いた。
へんなゆめをみた
たくさんの人に囲まれている
次々と伸びてくる腕
触らないで
いつかの夢で見た蜘蛛の糸みたいなものが、上から沢山吊り下がっている
たくさんの腕がその糸を次々と切っていく
やめて
必死に止めようとするが間に合わない
目の前で無惨に切られてしまう
次の糸の所へ向かうもまた間に合わない
あっちへこっちへ走り回る
疲れた
痛い
その場に倒れ込みそうになった時には既に糸がほとんど切られてなくなっていた
次はたくさんの明かり
眩しい
目が開けられない
ひたりと体に何かが触れた
ねっとりとしたナメクジのようなそれは、足から上へ上へ全身に広がっていく
気持ち悪さに背筋が凍った
体から血の気が引いていく
口の中に何かを無理やりねじ込まれる
息ができなくて苦しくて藻掻く
先程食べたものが全部でそうだった
口の中のものを出そうとした両手を掴まれ、床に固定される
腕に何かが刺さった
体からなにかが抜けていく感覚
それの代わりに入ってくる何か
体に力が入らなくなった
体を引き裂かれるような痛み
前後左右に引っ張られて揺さぶられて
また吐き気が込み上げてきて
痛みでそれが引っ込む
いつの間にか口の中のものは無くなっていて
息はできるけれど呼吸の度に喉が、肺が痛んだ
体からヒューヒュー風が吹き抜ける音がする
耳元でキュイーンと機械音がする
今までの夢の中で1番長かった




