記録7 へいわなひび
「お兄さんを殺すことが君の願いって、どういうこと!?」
コロド特有の紫色の空の下、ショックと困惑の想い入り乱れた、鬼灯の震える声がプールに響く。
そんな鬼灯の言葉に鳥花は目を伏せ、一度深呼吸した後、言った。
「..................やだなぁそんな訳無いだろ?鬼灯さん。それはウリエルが勝手に言っていたことで、俺には何の関係もありはしないよ」
鳥花はいつもの優しい表情と明るい声に戻り、鬼灯の手を取り、言葉を続ける
「それとも貴方は、同盟を結んだ俺よりも、ヴァルキリアの者の言葉を信じるのかい?」
語りかけてくる鳥花の顔は形だけは笑顔だった。
口角は上がり、瞳も薄く、笑っているように見える。
しかしその奥に光が無い事を鬼灯は見抜いていた。
「いや、うん。そうだよね、君みたいな優しい人が、ね.........」
「分かってくれたなら良いよ。そしたらほら、早く水仙さんや苺さんを助けよう」
それから鬼灯と鳥花は眠る水仙と既に目を覚まして体育倉庫周辺をうろついていた苺を回収し、コロドから脱出して元の教室に戻った。
「........コロドの中の教室は破壊されていたが、現実に影響は出ないのだな」
教室に戻った苺は自分が開けた穴で使い物にならなくなったコロド内の教室と、現実の傷一つないいつもと変わらぬ教室を頭の中で見比べ、安堵したようにため息を吐いた。
「それにしても水仙が大事にならなくて良かったな」
「えぇ、彼らのお陰ね」
どうやらウリエルは水仙に植物の蔦を通して睡眠毒を注入していたらしく、出血も軽量であったため鬼灯の応急処置で大事には至らなかったのだ。
「それと苺、さっきはごめんなさい。輝血さんの件、私が悪いのに理不尽に貴方に当たってしまって」
人間の義足を付けなおした水仙は椅子から立ち上がり、腰を90度に曲げ、苺に頭を下げた。
「..........最近のお前にしては素直だな」
「何か悪いかしら?」
「いや、憑き物が取れたって感じで最高だぜ!」
一瞬だけ目くじらを立てた水仙に気が付いたのか、苺は大きく笑い、頭を下げる彼女にサムズアップする。
顔を上げた水仙は満面の笑みを浮かべる苺を見て顔を緩める。
そんな水仙の様子を見て額から汗をほろりと流し、小さく「ふぅ」と呟く苺を鳥花は見逃さなかった。
「それと、俺が居ない間に和解したようだがもう良いのか?」
「うん。もう良いの、鳥花、アンタの目を見たら自分が馬鹿らしくなったの」
「........俺、ですか?」
水仙が語りだした、鳥花達を敵対視していた理由。
大まかな所は苺が言っていた理由だったが、彼が語らなかったことが一つ付け加えられていた。
「自分に怒っていたの。私が輝血さんに助けてもらったように、私も誰かを助けたいと思って輝血さんと戦う事を決めたのに、結局自分可愛さにこの義足を外せずに恩人を助けられなかった自分にさ」
そう言って自らの蛸足を封じ込め、外から隠匿する義足を、愛おしくも、悲しそうにさする水仙は言葉を続けた。
「でも鬼灯ちゃんや、苺、ましてや私を助けることしか考えてない君の瞳を見て、年下の子がこんな必死に戦ってるのに、私がこんな事で何悩んでんだって気持ちになって。今更忌み子がどうこう、また差別されるのが怖いからバレたくないなんて言ってる場合じゃないって思ったんだ」
鳥花からすればとにかく水仙に協力して欲しい一心であり、彼女の悩みを解決するつもりなどなかったが、何にも囚われず、無邪気に笑う彼女の姿を見て改めて改めてオカルト研究部に来てよかったと感じていた。
「...........私だけ何もしてないですけど、ありがとうございました!」
水仙と苺の視点だと何もしていない鬼灯は肩身が狭く、鳥花の後ろで縮こまっていたが、水仙はそんな鬼灯の肩を引き、自らの胸に抱きよせ、礼を述べた。
「そんなことないわ、あの姿を見て、開口一番素直にお礼を言ったのは貴方が初めてよ。ちゃんと嬉しかったし、力が出たから胸を張りなさい」
水仙は鬼灯を自らの膝に座らせ、頭を撫でる。
同年代と比べかなり小柄な鬼灯と平均より身長が高い水仙がそんな風にしていると何も知らない人が見たら一見姉妹にも思いかねないその光景は鳥花達とオカルト研究部が打ち解けた証拠そのものだった。
「じゃあ、改めてよろしくな、鳥花”部員”」
「はい、よろしくお願いします.....って『部員』?」
「あぁ、共に肩を並べて戦い、生きて帰って来たのならもうその者たちは皆仲間にして、この部の部員だ!」
腰に両手を当て、得意げに言い張る苺に鳥花も反論する気が失せ、やれやれと手を振り、軽い笑い交じりにもう一度、言った。
「よろしくお願いします、苺”部長”」
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「それにしても良かったね、”仲間”が増えて!」
「まぁ、一人で戦うよりは楽だろうね」
あの後外は等に暗くなっているのに気づいたころにはもう遅く、警備員に学校からつまみ出された一行はその日は解散という事になった。
「その輝血さん?って人を眠らせてる虚使い、まさかウリエルだったとはね......」
水仙が気絶する間際、忍者男を回収していった白衣の女がオカルト研究部を襲った虚使いだと分かり、当面の目的はウリエルを探し出し、倒すこととなった。
それから鳥花と鬼灯は今後の方針を話しながら電車から降り駅を出て、今は二人の家であるカフェ酢束に向かってビルに囲まれる中央道路に沿って伸びる街道を並んで歩いていた。
「.............ねぇ」
鬼灯は、ウリエルと鳥花の会話に関してもう一度掘り下げようとした。
「鬼灯さん、どうかした?.............あ、そうだ。今日の夕食は俺が作ることになってるけど、何か希望とかはある?」
昨日会ったばかりだが、自分や水仙、苺を助けた時と変わらない、優しく笑っている表情だった。
こんな顔をする少年が、鬼灯の慕っていた瑠璃菊飛燕を、実の兄を手にかけるのが願いだなんて、有り得るのだろうか?
本当に彼が言う通り、あれらは全てウリエルの出まかせなのだろうか。
しかし、それにしても彼があれらの発言に動揺していた理由が説明できないし、ヴァルキリア幹部ともあろうものが、少年一人に茶々を入れるためにわざわざあんなところに顔を出す理由が理解できない。
しかし、もしも、兄を、瑠璃菊飛燕を殺すのが彼の願いだとしたら、真実だとするなら、一連の行動に説明が着いてしまう。
それどころか、自分は利用されているのではないかと、恐ろしい思考が鬼灯の脳裏を巡る。
彼が半吸血鬼の自分を拾ったのは高尚なお人好しでも何でもなく、殺したい兄へとつながる貴重なヒントを持つ自分を逃したくなかったからなのでは.........と
「...........大丈夫?何か、小難しい顔をしているようだけど」
「っあ!大丈夫大丈夫!夜ご飯何リクエストしようか考えてただけ!」
心配そうにのぞき込む鳥花の顔を見て、鬼灯は先程のような思考をした自分を恥じる。
会ったばかりの自分をこんなに良くしてくれる鳥花を疑うなんて、助けてもらってる立場からしたら決してしてはいけない事だ。
そんな、彼の心を踏みにじる事をするなんて、それこそ心まで吸血鬼になってしまった人間の行動だ。
「ただいま帰りました!」
今日あんなに激しい戦闘を経たとは思えない程元気な声で帰宅の挨拶をする鳥花の姿は健全な青年そのものだった。
「二人ともお帰りって言いたいところなんだけど、少しだけ手伝ってもらえるかな?」
カウンターの奥に建ってフライパンを動かす鉄線は額に汗を流し、店内に居座る大量の客を相手していた。
「俺は全然いけますけど....鬼灯さんは戦い終わりで大丈夫?」
「全然余裕だよ!殆ど力を使ってないし!」
「よし来た!それなら奥に制服をしまっといたから、荷物置いて着替えたら卓上に並んでる料理を運んじゃって!」
鬼灯と鳥花は店の中に駆け込み、バックヤードを抜けて二階に上り荷物を部屋に放り投げる再び一回まで戻り、ロッカーを開ける。
鳥花が慣れた手つきでロッカーを開き、少し粗くハンガーにかけられた黒と薄茶色を基調としたウェイト服を取り、制服の上から被る形で素早く着込んだ。
その様子を見習い鬼灯はロッカーを開ける。
すると中には綺麗にかけられた鬼灯の体のサイズにピッタリ合わされた女性用のウェイト服があり、それを手に取った鬼灯は目を輝かせた。
「これって.....誰か私の前にも女の人が居たの?」
「いや、いなかったね。多分だけど鬼灯さんの為に鉄線さんが急増で仕上げたんだと思う」
鳥花の言葉を聞いた鬼灯はさらに目を輝かせ、感嘆の息を漏らすと急いで服を着る為制服に付いている胸のリボンを外し、第一ボタンに手をかけた時だった。
「ちょ!それ上から羽織るやつだよ!」
「............あ、そうなの。ごめんごめん」
顔を赤らめ、慌てながら自らを制止する鳥花の年相応の反応に鬼灯はくすくすと笑った。
「何か可笑しい事言ったかな?」
「いや、ちょっと安心しただけ。君ってどんな戦いのときも落ち着いてるし、すまし顔以外ほとんど見たことなかったから、そんな君でも普通に照れるんだって安心したの」
笑う鬼灯を見て「はぁ」と小さくため息を吐く鳥花は鬼灯が喋っている間に着替え終え、鬼灯にも早く着替えてくるよう促した。
「鬼灯さん、あまり男性の前で易々と服を脱ごうとするのは辞めた方が良いよ。あなた自身にも、周りの人間にも良くない」
鳥花は素早く言い残すと、踵を返し、のれんをくぐって客席に繰り出て行った。
その姿を見届けた鬼灯も早く行かねばと下のスカートも黒一色の学校の者から、薄茶色を基調としたチェック柄のスカートに履き替え、鳥花の後に続いた。
「おー!よく似合ってるじゃないか!鳥花くんと並ぶと画になるねぇ~」
いつもの白エプロンを付け、片手でフライパンを操り、チャーハンを作る鉄線は口を大きく開け、自らの作った二着の制服を自画自賛する。
「ありがとうございます!これすっごく可愛いし、鉄線さん本当に才能ありますよ!」
鬼灯は満面の笑みで飛び跳ね、口ではありがとうと伝え、全身を使って表現できる最大の感謝を鉄線に伝える。
それを聞いてさらに鼻を伸ばす鉄線に鳥花が呆れながら「さっさと仕事してください」と述べるが、寧ろそんな態度を取る鳥花にも感謝するよう恩着せがましく迫る鉄線だったが、怒りが頂点に達した鳥花が近くに転がっている丸皿の底で頭を叩くと、瞳に涙を浮かべ、黙り込んだ。
「............そんな態度取って大丈夫なの?」
小声で尋ねる鬼灯に鳥花は「はぁ」と再びため息を吐き、鬼灯の方を振り向くと気だるげに言った。
「あの人、直ぐに調子乗るから。定期的にお灸据えないとダメなんだよ、最近とか特に貴方が来て舞い上がってるからさ」
それから鳥花は厨房と直接つながるカウンターの卓上に並んだミートパスタやオムレツ、ビーフシチューを次々手に取り、器用に客席へと運んでいく。
慣れた手つきで仕事をこなす鳥花を追うように鬼灯も持ち前の身体能力で小さな少女の体からは想像できないような量の皿を持ち上げ、次々腹を空かせた客に届けていく。
「君、新人かい?」
両手で8杯のお冷を運んでいた鬼灯に、カウンターに座っていた老人に話しかけられ、足を止める。
「はい!今日から働かせてもらってます!」
「元気があって良いねぇ」
客ともコミュニケーションを交わし、早くも店の雰囲気に馴染む鬼灯の様子を見て、鉄線は料理を作る手を止め、微笑んでいた。
「今日は忙しいわりに機嫌が良いですね、鉄線さん」
「気づいてるかい鳥花君?」
「何にですか?」
「客たちは勿論、君自身も自覚してるか分からないけれど、笑顔が増えてる。昨日の朝までは友人とかどうでも良いとか研究が大事とか言ってたけどさ、君自身なんやかんや今を楽しんでるんじゃないのかい?」
鉄線の優しい語りかけに鳥花は顎に手を当て、長考する。
まだ鬼灯と出会って二日しか経っていないが、鳥花はこの短期間に確かな充足感を感じていた。
二日間共に過ごした日々を回想し、改めて目の前の情景を見たその時、鳥花の脳裏に一瞬だけ一つの考えが過った。
─────こんな日々が続けばいいのに
しかしそのような考えは、嫌らしく歯茎を見せ、ニヤリと笑う青い瞳の男への殺意に塗りつぶされた。
「...........それは、俺には許されないだろ」
一瞬でも愚かで傲慢な思考を浮かべた自分に怒りを覚え、拳を強く握りしめ、爪が突き刺さった部分から微かに血が流れる。
鳥花は心の中で自分を責める。
未来の事を一瞬でも考えた愚かな自分に傷を付け、自分を自分で罰する。
鳥花は鬼灯に会うよりもずっと前から、10年前、実の兄に全てを奪われたその時から、一度たりとも未来を望みはしなかった。
否、自分は未来を求めてはいけないと、そう覚悟を決めていた。
これからの迎えるいつかの未来、自らを愛し、育ててくれた兄を憎悪の泥にまみれたこの手にかけた後、そんな自分がこの世界をのうのうと生きるなど、ありえないのだから。
「─────おーい、ボーっとしてるようだけど、どうかした?というか、さっき何か言ったかい?」
鉄線の呑気な声に鳥花は我を取り戻し、薄く笑って言った。
「いえ、すこし鬼灯さんに見惚れていただけです」
「........も~、君も年頃の男の子らしいとこあるじゃん!お兄さん安心した!」
鉄線はちいさく「なーんだ」と呟くと嬉しそうにニヤニヤ笑いながら厨房に引っ込んでいった。
「すみません、少し手が汚れたので洗ってきます」
そう言って鳥花は握りしめた手に付いた血を洗い流し、仕事に戻った。
その後もしばらく客足は収まる事は無く、鉄線が作る料理を鬼灯が運び、鳥花がオーダーを取り続けるという形で3人の連携で店を回していると、時計の針は8を指していた。
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「いやはや、二人ともお疲れ様!」
客が皆帰り、酢束には鳥花達3人だけが残されていた。
鉄線はレジのお金を数えた後、鳥花と一緒に鬼灯が後からリクエストしたオムライスを作り、振舞った。
「........!おいしい!これすっごく美味しいよ鳥花くん!」
「アハハ、鬼灯さんの口にあって良かったよ」
深紅の瞳をキラキラと輝かせ、好物を出された子供の様に一心不乱にかきこむ鬼灯の姿を見て鳥花は優しく微笑み、鉄線は隙あらばそんな鳥花に茶々を入れては今度はフライパンで頭を叩かれ黙らせられていた。
「ごちそうさま!」
「味、濃くなかったかな?俺そこらへん鈍感でさ、教えてくれると嬉しいかな」
メモを構える鳥花に鬼灯は「最高!」と笑顔でサムズアップしたが、鉄線は顎に手を当て考えた後、「もう少しケチャップを減らした方が良い」と答え、それを素早く書き込んだ。
「僕は食材の発注があるから、後はヨロシク~」
「じゃあ、お皿は私が洗うよ!」
「俺はお風呂の準備をしてくるよ」
それぞれがそれぞれの役割を果たす為、二階のリビングから散って行った。
それから鬼灯は皿を洗い終え、鳥花と軽い雑談を交わしながら店内を軽く掃除した後、風呂を済ませ、寝床に付いた。
「おやすみー」
「あぁ、おやすみ」
鬼灯にとってはいつぶりか分からない寝る直前に他人と交わす挨拶。
鳥花にとってはどうという事は無かったが、一人河川敷で寝食を過ごしてきた彼女にとってそれは非常に新鮮だった。
鳥花とあいさつを交わした後、鬼灯は自分の部屋へと足を進め、扉の前まで来ると先に他の部屋で寝ている鉄線を起こさないようドアノブにゆっくりと手をかけ、開けた。
鬼灯の部屋は酢束の二階の居住区、その端の元は物置として使われていた部屋を掃除して使っている。
急遽整えた部屋なだけあり、まだ中には物が少なく、同年代の少女の様に好きなアイドルの雑誌や写真が飾っているわけでも、ぬいぐるみが寝ているわけでもない質素な部屋だった。
鬼灯はそんな部屋の端に置かれた古ぼけたベッドに身を投げ、部屋にカギをかけているのを確認した後、後ろ髪を結っているリボンを外した。
「結局、聞けなかったな...........」
鬼灯はしばらく目を閉じていても眠れず、体を寝かせたまま瞳を開けるとベッドの隣に付いた窓からのぞく夜闇に包まれた高田市と、それを優しく照らす月明りを眺めていた。
「いや、聞かなきゃいけないのかな?」
きっぱりと否定した鳥花を信じ、このままこの話題を忘れ、彼と日々を過ごすのが正解なのだろうか。
きっとこのままオカルト研究部と一緒に行動を続ければウリエルには辿り着き、仮に倒すことが出来れば瑠璃菊飛燕にたどり着き、鬼灯は人間に戻る手掛かりを得ることが出来るだろう。
しかし、それで良いのだろうか?
もしも鳥花とウリエルの会話が全て本当だとしたら、鳥花は飛燕を殺そうとしている。
というか、そもそもの話、飛燕が彼の兄だったとして名前を出した時点で何故自分には黙っていたのか、何故殺そうとしているのか、謎が謎を呼び、思考を必死に巡らせている内に鬼灯はリボンをカバンに直し忘れ、手に握ったまま眠りに落ちてしまった。
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鬼灯が目を覚ますとそこは桜降る街道、酢束の近くにどことなく似ていたが、周りのビルは全て建設途中で現在の高田市に比べるとずっと静かな場所だった。
歩道の黒いコンクリートは桜の花びら桃色一色に染め上げられ、桜のカーペットの間から唯一覗くのは黄色の点字ブロックだけで、それが無ければ歩道と分からぬほどに桜が舞っていた。
「待ってよ、兄ちゃん!」
そんな桜の道を拙い足付きで走る一人の少年が居た。
見た所4,5歳ほどのかなり幼く、本来なら親が手をつないでいなければいけない年だが、少年の周りには親に当たるような人物はおらず、唯一歩道の先に少年に似た青年が立っているだけだった。
「僕は先に行かないから、安心しなよ、”鳥花”」
歩道の先に一人立っていた、少年に兄ちゃんと呼ばれた青い瞳の青年は走る少年に、優しく語りかけるように言った。
しかし鬼灯にとってそこは重要では無かった。
重要なのは青年が推定4歳程度の少年を”鳥花”と呼んだ事.....だけでは無い、本当に重要なのはその青年が鬼灯の見覚えのある人物だったことだ。
それは記憶の中の人物よりも若く、目の下のクマも少ない。
地下深く、狭い牢獄に押し込められた鬼灯に救いの糸を垂らした恩人にして、吸血鬼から人間に戻る鍵を握るであろう人物”瑠璃菊 飛燕”その人だったのだ。
「─────!..........─────!?」
鬼灯は長い事探し求めていた人物が突然現れた為に思わず悲鳴に近い叫び声を上げたが、喉から声は出ず、それを疑問に思う言葉も出なかった為、何かおかしいと思い、自らの口がある部分を手で触って確認しようとしたが、その手すらなく、それどころか自分の体がこの空間に存在せず、視点だけの存在であることに気が付いた。
「兄ちゃんばっかり早く行って、ずるいよ!」
「ごめんごめん鳥花、信号機のボタンを先に押そうと思っただけだよ」
鬼灯が現在の状況に困惑している内に鳥花と呼ばれた少年はむすっとした顔つきで青年に追いつき、青年も必死に弁解するが少年の機嫌は治らず、あたふた慌てふためくが、しばらくした後何かいいことを思いついたのか、笑って言った。
「手、繋ごうよ。鳥花、僕と手繋ぐの好きだろ?」
少年は笑顔で差し出された手をしばらくじっと見つめた後、無言でその手を掴み、共に歩き出した。
繋いだ最初はまだむすっとした表情だった鳥花も繋いだ手を揺らしながら横断歩道を歩くにつれ、表情は和らいでいき、最終的には無邪気にキャッキャと笑いながら軽やかにスキップをしていた。
「俺、兄ちゃんの手、好きだ。あったかいし、でかくて安心する......だから、今度の日の出の時も、繋いでね」
少年の言葉に青年は明るい顔つきで街道の先にある鬼灯の知る高田市には無い山を見据え、言った。
「あぁ、構わないよ。来週の4月28日、一緒に最高の暁を見に行こう、僕とお前の約束だ」
「ありがとう!兄ちゃん!」
満面の笑みで飛び跳ねる少年に、青年は山から弟へ視線を移し、小さく微笑んで、誰にも聞こえないような囁く声で頷きながら呟いた。
「僕からもありがとう鳥花。僕の、たった一人の大切な弟」
その言葉を皮切りに周りの情景は塗られた直後のペンキの様に垂れて行くように崩れていくと、鬼灯の視界も歪んで、意識も虚空の中へと吸い込まれていった。
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「─────鬼灯さん!起きてる!?遅刻しちゃうよ!?」
鳥花がドアを強く叩く音で目を覚ました鬼灯は彼の声の他にプスプス何かが焼ける音に気付いた。
「キャーッ!?」
音が聞こえた方を見ると窓から差し込んだ陽光が煙を出して真っ白な手の甲を焼いていた。
「鬼灯さん!?大丈夫!?もうドア壊して突っ込むよ!」
鳥花の問いかけに答えを返すほどの余裕は鬼灯に無く、遅れてやってきた痛みに思わずベッドから転がり落ち、地面とキスをしてしまい、その痛みでまたもや悲鳴を上げるという滑稽な姿を晒していると扉の奥の鳥花は鳥を出現させ、ドア突っ込ませる準備をしていた。
「あ、別に大丈夫だから!ちょ、待っ─────
やっとの事で平静を取り戻した鬼灯の制止虚しく、飛び出した鳥は止まる事を知らずドアを突き破り、寝起き直後で髪がぼさぼさかつ鼻から血を流しているというおおよそ女子が同い年の同級生の男子に晒して良い姿ではない鬼灯が居る部屋へと招き入れた。
「凄い音したし、鼻血出てるけど..........大丈夫?」
虚空を見つめ、その場にへたり込み、呆然とする鬼灯の鼻血を鳥花は気まずそうにポケットから取り出したハンカチで拭ってあげた。
「鳥花くん......その、あんまり見ないでいただけると、助かるというか、なんと言いますか.............」
いくら家から飛び出してしばらく河川敷生活を送って来た鬼灯にも、最低限の羞恥心はある。
寝坊し、勝手にベッドから転げ落ちた末、ましてやそれで出た鼻血を同い年の男子に拭ってもらうという一連の流れは客観的に見れば滑稽としか言いようが無く、鬼灯は自らのどんくささを鳥花に見られたことに対し、胸の中で悲鳴を上げていた。
「ァー.....ごめん、取り敢えずご飯できてるから、急いで着替えてサッと食べな。このままだと電車乗り過ごしちゃうから」
両手で顔を覆い隠し、それでもわかる程に顔を赤く染めた鬼灯を見て鳥花も察したのか当たり障りのない声かけをし、吹っ飛ばした扉を付けなおしてから颯爽と部屋から出て行った。
部屋に残された鬼灯は急いで顔を洗い、リボンを付け、人間の姿に戻ると夢の内容を思い返していた。
「何であんな夢見たんだろう?というかあの夢が本当ならやっぱり鳥花くんと飛燕兄は兄弟だったって事だよね.......」
しかし鬼灯は一つ引っかかる事があった。
それを改めて確かめる為、素早く寝巻を脱ぎ、時間も無いのでベッドに放り投げた後、急いで制服に着替え、一階に降りて鳥花の顔を見に行った。
「ごめん、俺の顔に何かついてる?」
急に2階から降りて来て自らの顔をじっと見つめる鬼灯に鳥花は眉を八の字に曲げ、少し困った様子を見せた。
「.............いや、何でもない」
朝から何か様子のおかしい鬼灯に鳥花は皿に困惑しつつも、彼女が起きる前に作っておいたスクランブルエッグたっぷりのトーストサンドを口に突っ込み、バッグを持たせた。
「はひはほお、ほひはなふん」
「お礼は食べてからでいいよ、鬼灯さん」
鳥花は鬼灯の食べっぷりに満足しつつ、呆れて溜息を吐くが、鬼灯はそんな彼の瞳をじっと見ていた。
鬼灯の引っかかる事とは、夢の中で見た飛燕に鳥花と呼ばれた少年の瞳は兄であろう飛燕と同じ快晴の空の様に透き通った蒼色だったのだ。
決して今のような黒曜石の様に底の見えない漆黒では無かったのだ。
「起きるの遅れてごめん、じゃあ出発しよう!」
「三日連続遅刻はごめんだからね」
鬼灯の中で夢の内容を鳥花に話そうか、どうか迷っていたが、心の中で話さない事を決めた。
ここまでの鳥花の発言や態度からすればきっと今の鳥花に話してもはぐらかされるだけなのは火を見るよりも明らかだったからだ。
そうして駅に向かって酢束から出た二人が走る街道は夢とは違い桜で埋められておらず、黒のコンクリートと桃色半々だった。
そんな街道を走る彼の手をつなぐ相手は居なくなり、いつかの日にあの場所で暁を見ようと約束を結んだ遠い山も開発され、今では巨大なコンビナートとなった。
全ては変わり果て、最早自分は永遠に幸せになどなれないと心の中で確信していた彼が何気なく隣で走ってくれる少女の存在の大きさに気づくのはもう少し後である。
そうして互いに異なる思いを秘めた二人は確認していた電車の時刻が昨日の物だったことに気づき、遅刻した。
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時は流れ、二週間後の4月27日、酢束や学校の生活にも慣れ、オカルト研究部での活動を重ねた上で新しい友達も出来た頃、鬼灯突然鳥花を校舎裏に呼びつけた。
「急に呼び出してどうしたの?鬼灯さん」
鳥花はいつもと変わらない穏やかな顔つきで鬼灯に語りかける。
そんな鳥花とは対照的に険しい顔付きで待っていた鬼灯は1度深呼吸を挟んだ後、覚悟を決めたように口を開いた。
「その、笑わないで聞いて欲しいんだけど、先々週に夢を見たの」
「そんなこと言わなくったって別に笑わないよ、わざわざ貴方が俺を呼び出して話してるんだから冗談じゃないことぐらい分かるさ」
「ありがとう、それで夢の話なんだけど………」
鬼灯はそうして鳥花に自らが見た夢の内容を話した。
最初こそ笑顔だった鳥花だったが、飛燕の名が出たのを皮切りに少しずつ口角が下がっていき、鬼灯の話が終わる頃にはすっかりしかめ顔になっていた。
「…………面白い夢だね、君のお兄さんと、幼い俺が仲良くしてるなんて」
「その、それでさ、鉄線さんに聞いたんだけど、強いブレイズが籠ったものは稀に持ち主に夢としてそのブレイズを出した人間の記憶を見せることがあるって」
「………何が言いたいんだい?」
既に鳥花の当初の態度は跡形もなく消え去り、開かれた漆黒の瞳は一切揺らがず、じっと鬼灯を見つめていた。
「私のリボン、飛燕兄が作ったならさ、飛燕兄と鳥花くんが仲良くしてた記憶は飛燕兄の物だよね、なら君はウリエルの言ってた通り君は飛燕兄の────
最後まで言いかけた鬼灯の口を閉じたのはいつの間にか喉に突きつけられた鳥花の真実を告げる剣だった。
「そこまで辿り着いたなんて残念だよ、鬼灯さん。貴方とは平和な関係でいたかったのに………」
鳥花は呆気に取られた鬼灯を素早く地面に組み伏せた。
リボンを結んだ状態の鬼灯は見た目通りの純人間の少女の力しか出せず、男子の鳥花には力で勝てなかった。
「いきなりっ………何のつもり!?」
突然わけも分からず剣を喉に突きつけられ、地面に組み伏せられた鬼灯は当然の権利として鳥花に抗議しようと、必死に頭を上げ、鳥花の顔を見た
「言わなくても分かってんだろ?」
そこにはいつもの優しい鳥花は居らず、ウリエルや敵と相対する時の鋭く、冷たい瞳の鳥花が居た。
「俺にバレてないと本気で思ってんならそれはお花畑が過ぎるよ、鬼灯さん」
「バレてないって……何が」
重く、頭の奥にズシリと引っかかるような冷たい声で語る鳥花は眉をひそめ、言った。
「俺の兄殺しを止めるつもりなんだろ?」
「……………」
「俺を諭しに来たのか、明日のウリエルとの約束に出むくなと言いに来たのかは知らないけどお人好しのアンタだ、どうせそんなとこだろ?」
皮肉混じり言い捨てる鳥花がポケットから取り出したのは蒼剣と同じ色をした小型のナイフだった。
「俺は俺の虚の正体知らないって行ったけど、アレ嘘なんだ」
「いきなり何の話?」
「俺の『虚像回想』の真価は虚構の記憶を物に刻みつける虚構回想にある。いつも飛ばしてる鳥とかはその延長線上、物に刻んだ記憶を投影してるに過ぎない」
クルクルとナイフを手元で回しながら鳥花は言葉を続けた。
「そして人間の脳に虚構の記憶を刻み込んだ場合、その人間の記憶を俺は好きなように改竄出来る」
そこまで聞いて鬼灯はとうとう今から自分が何をされるか悟り、顔からみるみる血の気が引いていった。
「別に痛いのは一瞬だから安心して、またこれまで通り、"仲良く"して行こう」
最後の最後にいつもと変わらない慈しむような笑顔を浮かべ、組み伏せてる鬼灯の脳天に優しくナイフを突き刺した。
「あぁっ゛!?」
直後鬼灯は脳内の血管に熱湯を直接流し込まれたような激しい痛みに襲われる。
目から涙が止まらなくなり、視界がぐにゃりと歪む。
そんな絶え間のない苦しみの中で、鬼灯は震えた声を上げた。
「こんなの.....間違ってるよ.......うぅっ゛」
「勘違いしないでくれ、別に鬼灯さんの事が嫌いなわけじゃない、寧ろ気に入ってるくらいだ。だけど俺の復讐を妨げるのなら.....俺にとっちゃウリエルや操舌と変わらない”敵”だ」
冷たく、突き刺すような視線を鬼灯に向けた鳥花は「はぁ」とため息を吐くと、やっと鬼灯の拘束を解いて立ち上がった。
「違うよ.....なんでそんなお兄さんを殺そうとするの?君はそんなことする人じゃ......!」
鳥花は再び鬼灯が言葉を全て言い終える前に、胸ぐらをつかみ上げ、校舎の壁に叩きつけた。
「勘違いすんなよ、俺は正義の味方でも、アンタが思い描くような善人でも何でもない。俺は10年前に兄に殺された哀れで愚かな復讐者だよ」
鬼灯は何か言い返そうとしたが、鬼気迫る鳥花の勢いと憎悪を孕ませた彼の瞳が相まって、何も言えなくなり、腰が抜けてその場にしりもちをついてしまった。
「どうせ消える記憶だ。この際アンタに話してやるよ、瑠璃菊飛燕が、クソ兄貴が俺に何をしたか」
そうして黄昏時の校舎裏、角から差し込んだ逆光によって顔が見えなくなった鳥花は何人にも隠してきた兄と、愚かな自分の物語を語り始めた。




