記録13 新たなる呼び声
街道いっぱいに咲いていた桜も散り賭け、時は5月終わり
高田市郊外、海岸近くのコンビナートでは修復作業が行われていた。
「先輩~、この壊れ様、一体何があったんすかねぇ?」
ヘルメットの隙間から滴る汗を鬱陶しそうに拭う狼の獣人の若者は今年の2月から現場で働くことになった新人だった。
「ボスに聞いてもガス爆発の一点張りでそれ以外何も教えてくれやしねぇよ。ほら、口動かす暇あったら手動かせ!」
「へいへい分かりやしたよ.....」
獣人特有の凄まじい筋力をもってしても手は連日の作業で鉛の様になってしまったがそれでも彼は休むことなく毛皮に汗を滴らせながら瓦礫をどかし続ける。
一見特にこれと言った情熱も持ち合わせていなさそうな彼がこの仕事にこれまで熱心に取り組むのは一重に実家の妹の為だった。
学生時代はその頭と素行の悪さ、極めつけは実家の貧乏故に高校を中退し、そこら辺を当ても無くうろついていただけだったが、自分と違って頭の良い妹が大学に行きたいと言い出し、兄としてその願いを叶える為新造都市の高田市に出稼ぎに出て行っているという訳だった。
「先輩!こっちの瓦礫、どこに運びますか?」
「あぁー....それは、事務所の隣で良いぞ!」
経歴の悪さが祟り、なかなか仕事が決まらず悩んでいた自分を拾ってくれた現場のフクロウの獣人の先輩を彼は尊敬しており、従順に付き従っていた。
勉学が手に付かなかった彼だったが、渋々でもこの仕事にも少しづつ誇りを感じ始めていた。
憂鬱そうにも見える瞳の奥に燃える炎は、果たして妹の為か、それとも拾ってくれた先輩への恩返しか。
仕事も初めて3か月ほど経ち、業務にも慣れ、現場の仲間たちとも絆も深まって順風満帆な日々を送っていた彼を襲ったのは全く想像の付かないものだった。
「なんだ、アレ.....?」
不意に、一人の作業員が漏らした声だった。
その作業員が海岸線の奥に見たのは、何かの黒い影。
見渡す限り空の蒼と海の青しかないその向こうにポツンと現れた黒い一つの点。
最初見間違いかと思って目をこすり、もう一度目を開けたがその黒い点は目をこする前より大きくなっており、見間違えではない事が確信する。
「おい、なんか海の向こうから来てないか?」
「あ?なんだよこんな忙しい時に.....」
現場が少しざわつく、一人の違和感を皮切りにしてその場の作業員たちが次々に手を止め、同じ場所を見る。
「おい!まだ作業の途中だぞ!早く戻れ!」
彼の先輩、現場のリーダ的存在の作業員が声をかけるが海の向こうからやって来る何かに気を取られた彼らは仕事に戻らない。
その様子にただ事ではない事を悟り、自分自身も何があるのだろうと気になった男も海の方へ駆け寄り、日中は上手く働かない目を凝らし、他の作業員と同じく海岸線を見た。
黒い点は何かの形を取り、海上の水を大量に切りながらこちらへ高速飛行してきていた。
「..........皆!今すぐここから離れろ!」
その影がこのコンビナートに突っ込んでくることをいち早く確信した男は周りの作業員たちに急いで避難命令を出す。
その言葉に場がざわつくが、あまりの気迫に作業員たちは各々コンビナートから離れ始めた。
「まて、あいつはどこだ!?」
男も離れようとした時、この前自分が勧誘した狼の獣人族の男がその場にいない事に気づく。
狼の獣人はその勤勉さ故に周りの同僚たちのざわつきに耳を傾けず、一人淡々と仕事をし続けていたのだ。
「ま、まずい!」
男はコンビナートの中に迎えに行こうとするが、既に時は遅すぎた。
「ぐわぁぁぁっぁっ!?!?」
空気を割く轟音が鼓膜を貫き、頭上を過ったのは巨大な影だった。
影は40mはある巨体で、四本足に、トカゲの獣人のような鱗、宙をそのまま覆いつくすほど巨大な翼にに振り払えばビルも簡単に倒してしまえそうな尻尾。
極め付きはその凶悪な牙を生やした頭に生えた2本の角、それは、古代に滅びたとされる伝説の種族が持つ特徴。
「竜、だと?」
戦闘機の様な速さでコンビナート上空を飛行していった竜はその風圧だけで並べていた瓦礫、仮設の事務所、足場を積み木を崩すが如く容易ににばらばらに崩してしまった。
コンビナート内に居なかった作業員は無事だったが、その中に一人取り残された狼の獣人の末路など、想像に足るものでは無かった。
「────おい!大丈夫か!?」
瓦礫に足を潰され、ヘルメットの隙間から血を流す狼の獣人に駆け寄る男だったが、目の前で起こった嵐のような出来事を信じられずにいた。
「.....ぅ、先輩」
うめき声を上げる彼は不幸中の幸いによりこの後全知5か月の怪我で水島病院に入院することとなる。
潰された足の粉砕骨折や頭に接触した瓦礫による頭部の損傷がひどかったが、元が獣人であるがために頑丈で会った事と、忘れずにつけていたヘルメットが彼を大事にたらしめなかったのだ。
しかしそこまで皆で進めていた復旧作業は突然の災害によって無に帰され、辺りには暗い雰囲気が舞いこむこととなった。
「あそこのマスターを頼る時が来たかもな.....」
立ち込めた恐怖と、仲間の無念を晴らす為、男は以前友人が頼ったという何でも屋にこの件を相談することを決意する。
これが後に高田市竜襲撃事件と呼ばれる、絶滅したと思われた種族の復活を世界に知らしめることとなる大事件の最初の一件であり、鳥花達オカルト研究部が改めて取り込むこととなる初めての事件であった。
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「次はこっち行くよ、鳥花くん!」
同時期、ウリエルとの戦いからしばらくし、やっとの事で病院から退院した鳥花はとある理由から早速鬼灯に街を連れまわされていた。
「えぇーっと、服屋の次はクレープか......元気でなによりだな」
不満げにため息を吐き、肩を下ろす鳥花の両手には大量の紙袋。
中には服や雑貨、化粧品など、鬼灯が酢束で月一杯働き、鉄線から貰った給料で買った物々が入っていた。
「ごめん鳥花くん、持たせ過ぎた?やっぱり私少し持つよ」
「いや、別にこれくらい平気だ。それに、今日は貴方の頼みだ、これくらい力にならねば話にならないだろう?」
普段自らの使う武装の研究や、鉄線からの依頼に追われ、殆ど酢束に籠り切りの鳥花がらしくなく街を歩いている、それも鬼灯と一緒に。
それには前回戦いの直後、鳥花が鬼灯に申し出たことが関係していた。
─────曲がりなりにも兄を討てたのは貴方のお陰だ。何か一つ、礼をさせてくれないか?
苺や水仙と再開後、鉄線にも単独で戦った事や、何も報告しなかったことを鬼灯含めこっぴどく絞られた後少し落ち込んでいた鬼灯を鳥花が見かねて申し出たのだ。
そこで鳥花は最初鬼灯の為の武装や、何か欲しいものを買おうと提案したのだが、鬼灯はそれを全て突っぱね、彼の予想外の物を望んだ。
「本当にこんな事で良かったのか?」
「”こんな事”何て言わないでよ!普通に私、同年代の友達と街で遊んでみたかったし.....それに!せっかくなら君にこの町案内してもらいたかったもん!」
鬼灯が望んだもの、それは今度の休暇”一緒に遊びに行く”ことだった。
鳥花も最初は何か思惑があるのかと詮索しようとしたが、彼女のこれまでの言動から鑑みるに、日本に来て鳥花と出会うまで教会の連中と命を懸けた鬼ごっこをし続け、おおよそ年相応の少女としての生活を送って来れなかったのだろうと考え、それを受け入れることにした。
蓋を開けてみれば、服屋で何十分も待たされ、やっと次の目的地に行くと思ったら他の服屋に目を奪われ、また何十分待たされ、といった具合に朝から振り回される羽目になったが、鳥花は案外気を悪くしていなかった。
「貴方がこれで満足するなら構わないが.....」
「あ!クレープ屋見えたよ!鳥花何味にする!?」
「.....俺には味覚が無いから別に───」
「そういう問題じゃないよ!」
鳥花は鬼灯に無理やり手を引かれ、クレープ屋まで走らされる。
クレープ屋のメニュー表には様々なクレープがあった。
スタンダードなチョコクリームバナナや、少し変わったカスタードナッツ、期間限定のティラミス味など、どれも年頃の女子高生の気を惹くには十分な物ばかりだった。
鬼灯に言われ渋々吟味する鳥花だったが、その途中、鬼灯が瞳にしわを寄せ、メニュー表と睨めっこしていた事に気が付いた。
「どうしたんだ?」
「あ!いや、この苺のやつ、美味しそうかも....なんて」
メニューをもう一度見るとそれは真っ赤な旬の苺とクリームがたっぷり使われたクレープだった。
値段票を見て何かを察した鳥花はニヤリと笑うと、手を突き出し店員に言った。
「この『ぜいたくイチゴ生クリーム』と『チョコバナナ』を一つずつください。あ、会計は現金で」
「でぇっ!?鳥花くん!?」
驚く鬼灯を尻目に鳥花は財布を取り出し、会計を終えると、苺のクレープを戸惑う鬼灯に手渡した。
「良かったの?これ高かったのに......」
「良いんだよこれくらい。それに、驚く貴方を見れたからな」
「君がそう言うなら.....」
最初は少し遠慮していたが、色鮮やかな苺たっぷりのクレープを目の当たりにするとその深紅の瞳をキラキラ輝かせ、我慢が利かなくなったのか、正面から思い切り齧り付いた。
「鳥花くんこれすっごく美味しいよ!ありがとう!」
「喜んでもらえて何よりだ」
口の端にクリームをつけ、満面の笑みを浮かべる鬼灯を直接見れることに鳥花は確かな胸の温かみを感じる一方、脳裏には暗い声が響いていた。
─────どうしてまだ生きてる?
以前、ウリエルを倒したあの日。
鬼灯に言われて過去の約束を改めて思い出すまで、ずっと頭の奥で響いていた「兄を殺せ」という声と同じ声だった。
声が聞こえるたびに脳裏に浮かぶのは今まで兄に近づく為と言い張って傷つけてきた虚使いと兄の顔、そして、金髪の─────
「どうしたの?」
浮かびかけた顔は、下から心配そうにのぞき込む鬼灯に上書きされる形で消え去った。
「いや、貴方の顔に見惚れていた」
また、嘘を吐く。
「..........えぇっ!わ、私の事口説こうとかしてる!?」
「そういうんじゃないから安心しな」
以前、兄の件で助けてもらった事は確かに感謝していた。
しかし、鳥花の心の奥底では、未だ考え続けていた。
本当にあの日、自分は目の前の少女の手を取るべきだったのか、自分は、今も、生きる目的も無く、ただ漠然と、あても無くこの世界で呼吸をしていて良いのかを。
「次は商店街に行くんだろ?ほら、行くぞ」
「安心したようななんだか落ち込むような....」
鳥花はチョコバナナクレープをほお張りながら、考えていた。
兄を殺すという目標を失い、それを終えたら死ぬべきだと考えていた、そんな自分が生きている理由を。
今すぐにでも剣で自らの喉を貫くことが出来る自分が、それをせずに目の前の少女の買い物に付き合い、共に街を歩いていられる理由を。
兄と共に歩いた街道の桜は散りかけており、季節の変わり目を意識させるその日、鳥花の手を引く人間はもう、いなかった。
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「待ってたぜ、鳥花部員!」
あの後鬼灯に商店街を連れまわされ、コロッケやたい焼きを買わされ、口に突っ込まれた後。
鳥花は町のカラオケになぜか連れてこられ、困惑しながらもそこに入ると鳥花と同じくついこの前やっと退院したオカルト研究部の円凧水仙と冬木苺が居た。
「何故貴方達がここに?」
「そりゃ、お前、決まってるだろ!俺達が当初想像してた形からはかなりかけ離れたものになったが、犠牲者一人出さずウリエルを討伐したんだぜ!?俺達の悲願である輝血さんを救ったんだから打ち上げの一つや二つするに決まってるだろ!」
そういえばそうだったと鳥花は手をポンと叩いた。
元々は”全知の逸れ者”と呼ばれた『木五倍子輝血』ならば『瑠璃菊飛燕』を見つけることが出来るかもしれないという事でオカルト研究部に押し掛けたのだ。
結局輝血の手を借りずとも瑠璃菊飛燕は見つかり、成り行きでトドメを刺したのだが。
「それでカラオケですか?」
「そ、私は回らないお寿司行きたかったんだけどねー。苺が金持ってなかったから急遽カラオケに変更ってワケ」
水仙が辛辣な眼で苺を小突く。
そんな水仙に先程まで興奮気味だった苺もバツが悪そうに眉を顰めると、急いで端末を取って曲を入れた。
「鳥花は部員は何を歌う!?あ、鬼灯部員も遠慮なく言えよ1」
「あ、じゃあ私は国歌でお願いします!」
「国家!?ネタで歌おうとするやつは見たことあるがマジなのは初めてだな......」
鬼灯の奇行に苺が再び顔を歪める中、鳥花は独り部屋を抜け出し、ジュースを取りに行った。
意外と種類の多いジュースに迷っていると、後ろから肩を叩かれた。
振り向くとそこには燃えるような赤髪に気だるげな目つきが特徴的な蛸の半亜人、円凧水仙が居た。
「ジュース、迷ってるならジンジャーエールとすっきり白ブドウのミックスがおススメよ」
「ご教授感謝します」
ドリンクバーのボタンを押し続ける間、鳥花は気になっていた事が胸の中を渦巻いていたが、隣でウキウキとカフェモカを注ぐ水仙を見ると聞く気が失せてしまい、結局無言で氷を入れていたが、その様子を見て水仙が何かを察したのか、砂糖を入れる手を止め、鳥花の方を見ると口を開いた。
「輝血さんが居ない事、気になってるでしょ」
「...........えぇ、あれほど喜んでいた物なので、こんな機会を設ける前に会いに行くものかと思っていました」
「そうね、なんなら苺の事だし、アンタたちに真っ先に紹介したでしょうね。会えたら、だけど」
「まだ、目覚めていないのですか?」
「それがそういう訳じゃないのよ.....」
水仙曰く、ウリエルを倒してから病院に運ばれ、苺と二人そろって丸一日気を失っていたそうで、起きてからすぐに輝血の病室に駆け込んだそうなのだが、そこに眠っていた筈の輝血の姿は影も形も無く、もぬけの殻だったそうなのだ。
「連絡は当たり前の様につかないし、学校にも聞いたんだけど、まだ復学してないって話で、やっとウリエルを倒した矢先にこれで苺も少し落ち込んでるのよ」
どうやら今日の打ち上げは落ち込む苺を元気づける意味もあっての寿司屋からカラオケの変更だったらしい。
「そういう水仙さんは落ち込んでいないのですか?」
「ん~、私は、正直あの人その内帰ってくると思ってる節があるからかな~。まぁ、それこそアンタに言われていろいろ吹っ切れたからね」
部屋まで我慢しきれず、カフェモカを少し口に含んだ水仙は柔らかく鳥花に微笑んだ。
そんな水仙と共に廊下を歩き、部屋の扉を開けた瞬間、水仙が露骨に顔をしかめた。
何事かと部屋をのぞくと楽しそうにマイク片手に歌う鬼灯の傍らに、白目を剥きながら泡を吹く苺の姿があった。
「これは.....悪いけど酷い歌声ね」
鳥花は耳が無い故分からなかったが、どうやら鬼灯の歌声はウリエルの攻撃に耐えきった苺に白目を剥かせるほど恐ろしいらしい。
しかめっ面の水仙もいつの間にか義足を外し、二本の手で耳を塞ぎ、残った足で器用にカップを掴み、カフェモカを飲んでいた。
苺は相変わらずピクリピクリと眉を動かし、口から泡を吹き続けていたが、水仙は気にもかけず、頼みの鳥花も聴覚が無いのをいいことに鬼灯の隣で呑気に手拍子を打っていた為、助けの手を差し伸べる人間は誰も居なかった。
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夕日が沈みかけ、宙が青と赤のグラデーションに染まる頃、丁度良い時間という事で解散することとなった。
「────それじゃあ今日はこれで解散ね。次の活動は追って連絡するとして、苺は.....」
水仙がバツが悪そうに目を向けたベンチには眼をかっぴらき、両耳に赤く染まったティッシュを詰めた苺がブツブツ何かを呟いて座っていた。
「ハシビロコウの鳴き声かよ........俺の耳、壊れた、壊れた、コワレタ........」
「まぁ明日には元通りになってるわよ。多分」
しばらく放置するが、苺はどこか焦点の合わない眼で虚空を見つめ、呟き続けていた。
そんな苺に追い打ちをかけるように笑顔の鬼灯が飛び跳ねながら嬉々として話し出した。
「今日のカラオケ、すっごく楽しかったです!また私、先輩たちと行きたいです!もちろん鳥花くんも一緒に!」
卑怯な水仙は返事をせず静かに笑うだけで断固として首を縦に振らない。
かくいう苺は体をびくびくと震わせるだけで、少しだが首を横に振り続けていた。
「............まぁ、また行くなら、苺と練習してから行きましょう?鬼灯ちゃん今日60点しか取れなかったでしょう?」
水仙の悪魔の言葉に苺は震えるのをやめ、口をあんぐりと開け、絶句する。
「おい、水仙、待─────」
「ああ見えても苺は暇だからいくらでも連れて行きなさい」
苺が頭を抱える様子を笑い交じりに見ていた鳥花のポケットが突然震えた。
振動の主はスマホであり、画面を開くと、鉄線からの連絡だった。
「すみません、俺この後鉄線さんと約束があるので先に帰ります」
「鉄線.....あ、あのカフェのマスターね、分かったわ。ほら苺、私たちも帰るわよ」
そう言って抜け殻の様になってしまった苺の襟首を掴み、引きずりながら帰る水仙と苺を見送った後、鳥花は鬼灯に先に酢束に帰るよう伝え、自分は一人鉄線との約束の場所、片丘未来空港へと向かった。
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「今日は楽しかったけど.....鳥花くん、少しは元気だしてくれたかな?」
鳥花と別れ、一人両手に紙袋を携え、酢束にたどり着いた鬼灯はカウンター席の机に突っ伏していた。
そのまましばらく机に突っ伏し、うめき声を上げた後、首を90度曲げ、入り口から見える夕日を見つめた。
「やっぱり、約束とはいえ飛燕兄を殺したこと、気に病んでないわけないよね.......」
鬼灯の視線の先、ガラス張りの扉の向こうではスーツを着た犬の獣人や、空を飛んではしゃぎまわる私服の小学生、今にも踏みつぶされそうなおしゃれをしたネズミの獣人のカップルなど、生き生きとした人々が街道を行き交う。
その光景を見て脳裏に浮かんだのは近頃の、正確にはウリエルとの戦いを経てからの鳥花だった。
ずっと兄を殺して自らの命を絶とうとしていた鳥花に無理やり手を取らせたあの日から彼はぼんやりと遠くを見つめることが増えた。
以前と違って景色を映すようになった筈のその蒼の瞳は一見輝いているようにも見える、しかし、鳥花の心境をある程度知っている鬼灯からはどうしてもどこか濁っている様に見えて、不安だった。
それはまるで、生を一切感じない無い様な、悪く言えば、虚空を見つめる、死人の目だった。
「何か好きな物の一つでも出来たらいいんだけどなぁ」
手を取れと言った物としての責任が自分にはあると思っていた鬼灯は、どうすれば鳥花が元気を出し、前を向いてくれるのだろうと考え、その結果として思いついたのが今日の遊びだったという訳だったのだ。
「なんか鳥花くんの好きな物の一つや二つ、知ってる人が居ればなぁ~」
いくら考えても思いつかず、おもむろに頭を掻きむしっても漫画の登場人物の様に都合よく答えが出るはずも無く、諦めて憂鬱そうに机を人差し指でポリポリと掻いていると、閉まっている筈の酢束で鳴る筈の無い来客を示すベルが鳴った。
「あれ、鳥花くん?随分と早くない?」
ベルが鳴った方を見ると、差し込む夕日の逆光で顔こそ見えなかったが、おおよそ鳥花の物でも、鉄線の物でもないシルエットが仁王立ちしていた。
「.........お客さん、ですか?」
シルエットの背は低く、だいたい150cm程、小学5年生ぐらいだろうか、それくらいの子供が大量の荷物を背負い、しばらく黙ったまま、鬼灯の方を見つめていた。
「いいえ、お客さんではありませんわ」
声は少し幼さの残る少女の物だった。
「え?じゃあ何者ですか?」
突然の来客にして、自らを客ではないと名乗る謎の少女に鬼灯も困惑しつつ、席を立ちあがり、少女の方に歩み寄った。
「私は蕪野 菜依、蕪野鳥花の妹ですわ」
夕日の逆光を抜け、現れたのは漆黒の瞳を携え、ベレー帽を深くかぶり込み深緑の髪を後ろで二つのお団子にした鳥花の妹を名乗る可憐な少女だった。




