『7番』
『7』
わたしの右手の甲には、数字が刻まれている。
アラビア数字。
黒字。
その数字が意味するものとは···
夏休み。
夏休みは匂いがする。
夏の匂い。
花火の匂い。
湿った空気の中、火薬の匂い。
光と音。
パッと開いて咲いた花は一瞬にして消える。鮮やかだけど、せつない。そのはかなさが夏っぽくて、好き。
スイカ。
カブト虫の匂い?
そう言われるけど、わたしは虫が苦手。
けど、あの匂いは好き。
ということは、カブト虫の匂いが好き?
いや、だから虫は苦手なんだってば。
プール。
消毒の匂い。
水から上がって、水着が乾いてきた時の匂い。
髪の毛も塩素の匂いがする。
割りと好きかも。
そんなことを思うのは、蒸された地面から漂うアスファルトの匂いのせいかな?
真夏日。
カンカン照り。
プールに行くのに理由はいらない。
汗ばんたTシャツからいい匂いがする。
わたしの首から下げた紫色の紐。その先についたものを取り出す。
紫色の御守り。
去年亡くなったおばあちゃんがくれた。
御守りには白い糸で星印。
五芒星が刺繍されていた。
ドーマンセーマンというらしい。
三重県に住んでいたおばあちゃんは、その昔、素潜りの海女漁師をしていた。海女の間で受け継がれた民間伝承に基づいた御守りらしい。
御守りは匂い袋になっていた。常温でも香料が香りを発する。心が落ち着くいい匂い。わたしはクンとその匂いを嗅いで、胸の中に御守りを戻した。
大好きなおばあちゃんが一緒にいてくれる安心感がある。守ってくれている。
エリカちゃんの家に着いた。一戸建てのキレイなお家。門戸をくぐり、インターホンを押す。スピーカーから聞こえてきたのはエリカちゃんの声。何かあわてている。
「すぐ行くね」
現れたエリカちゃん。いつ見ても、キレイなショートボブ。涼しそう。わたしも憧れるけど、髪質的に外巻きになっちゃう。
だから、ずっとロングヘアー。真夏日の今日は特に暑く感じる。
ドタドタドタ。
エリカちゃんの家の中から足音がする。
エリカちゃんが舌打ちした。
「気づかれた」
あからさまにイヤそうな顔してる。
玄関ドアを開いて現れたのは、わたしのアイドル。エリカちゃんの妹、マヒロちゃん。
マヒロちゃんはかわいい。
いつも、エリカちゃんの後をついてくる。
「お姉ちゃん、どこ行くの?」
舌っ足らずの甘えた声。
薄紅色のワンピース。首にはかわいいフリル。
麦わら帽子からはみ出たやわらかそうな髪の毛はゆるくウェーブがかかっている。
5歳の女の子。
麦わら帽子=ついてくる気満々。
わたしは、エリカちゃんと市営プールに行く約束をして、迎えに来たところ。
小学校最後の夏休み。
夏休み明けに小学校で、平泳ぎ25メートルの試験がある。
屋内プールは、競泳コースもあれば、小さな子どもでも入れる浅い水遊び用のプールもある。
「マヒロちゃん、
お姉ちゃんたちと一緒にくる?」
わたしはしゃがんで、マヒロちゃんに視線を合わせて言った。
マヒロちゃんの顔がパ〜っと明るい笑顔になる。
「あたしも行っていいの!」
かわいい。
思わず抱きしめたくなるかわいさ。
エリカちゃんが疲れたように、大きくため息をついた。
「今日はダメ!
お姉ちゃんたちは、ガチで泳ぎに行くんだから。
マヒロはお留守番」
エリカちゃんが頭ごなしに全否定した。
それを聞いて、マヒロちゃんがプンプンな顔に変わる。
「何で〜!
マイちゃんは、一緒に行こって、言ってるのに〜!!」
手足をバタバタして、涙目でマヒロちゃんは抗議している。
一人っ子のわたしには、駄々をこねるマヒロちゃんもかわいく感じる。
「マイ、ちょっと先に行ってて、
すぐ追いつくから」
エリカちゃんにそう言われて、わたしは渋々歩き出した。
わたしは、もう平泳ぎで50メートル完泳できるから、マヒロちゃんと小さいプールで遊んでてもよかったのに。
いいな。
わたしもあんなかわいい妹がほしかったな。
ドンッと急に背中を押された。
びっくりして、思わず声が出た。
「お待たせっ!」
エリカちゃんはひどく息を切らしていた。いつもはそんな人を驚かすことなんてしないのに。
ちょっとテンションが変だなと感じた。
プールから帰り、夕ご飯を食べた。
今日のメニューはカレー。
お母さんのカレーはラム肉を使う。
わたしはお母さんのカレーが世界で1番美味しいと思う。
食後にチョコミントのカップアイスを食べていたとき、お母さんのスマホが鳴った。
エリカちゃんのお母さんからの着信らしい。お母さんが出た。
電話を切ったお母さんの顔は真っ青だった。マヒロちゃんが行方不明になったらしい。
それを聞いて、お父さんが出て行った。わたしも着いていこうとしたら、お母さんに止められた。
エリカちゃんのお家の裏手に流れる大きな川。海へと続く河口に近い川。
その岸辺でマヒロちゃんのピンク色のサンダルが片方見つかったらしい。
小さな女の子がそんなとこに1人で行くかな?
あの川は大きくて危ないし、エリカちゃんもいつも、マヒロちゃんにあそこに近づいちゃいけないと注意してたのに。
1週間後、近くを航行する漁船がマヒロちゃんの遺体を発見した。
お葬式から帰ってきて、着替えてベッドに入った。
お葬式はみんな泣いていた。
エリカちゃんもずっとふさぎ込むように泣いていた。
わたしも体の水分が無くなっちゃうくらいに泣いた。
ベッドに入り、マヒロちゃんの笑顔を思い出して、また泣いた。
哀しみと疲れでウトウトしてるときにふと部屋の中に気配を感じた。
わたしの部屋。
わたし以外いない···はず。
声が聞こえた。
「···行くの?」
女の子の声だった。小さな女の子の。
潮の匂いがする。
潮風のようなさわやかな匂いじゃない。
重い潮の匂い。
イヤな匂い。
眠れずに暗い部屋で横になっていたので、暗闇に目が慣れていた。
ベッドの前にソレはいた。
床が濡れている。
フローリングの床が水たまりになっている。
びしょ濡れの小さな女の子。
薄紅色のワンピースはまるで違った色に見える。
麦わら帽子はかぶっていない。
濡れた髪の毛が顔にかかっている。床に雫がしたたっている。
「···お姉ちゃん、どこ行くの?」
か細い小さな声だったけれど、それは間違いなくマヒロちゃんの声だった。
「···お姉ちゃん、どこ行くの?」
マヒロちゃんが繰り返す。
この世のものではない者の声。
わたしは思わず、寝る時でも、肌見放さずつけていたおばあちゃんの御守りをパジャマの上から握りしめた。
哀しみと恐怖で、胸がギュッと締めつけられる。
「わたし、お姉ちゃんじゃないよ」
涙声でそう答えた。
「知ってるよ」
マヒロちゃんではない低く重い声が答えた。
少女ではない声。
重い念のこもった声。
1人ではない多くの人の声、多くの念がこもっているように感じた。
その声を聞き、わたしの体は金縛りにあったように動かなくなった。
そして、また、か細いマヒロちゃんの声に戻った。
「あたし、7番がイヤだった。
だから、お姉ちゃんに代わってもらった。
お姉ちゃんがあたしを川に落としたんだから、当たり前だよね。
でも、お姉ちゃんも7番イヤだって。
だから、マイちゃん。
あなたが7番になって」
マヒロちゃんの右手の甲に数字が刻まれていた。
アラビア数字。
黒字。
『6』
マヒロちゃんの後ろに人影が現れた。
6人の人影。
全員がずぶ濡れ。
人影がわたしに迫ってくる。
ベッドの上に登る。
ずぶ濡れの無数の手がわたしに触れる。おそろしく冷たい。
声が聞こえるくぐもった小さな声。
温かい、温かい。
冷たい手にわたしの体温が奪われる。
身動きは取れなかったけど、わたしは御守りをギュッと握りしめた。
おばあちゃん、助けて。
おばあちゃん、助けて。
必死にそう念じた。
すると、耳元で囁かれた。
「そんなことしても、無駄だよ」
その声に全身が凍りついた。
わたしの顔に迫る右手。
その甲には『7』の数字。
7の右手の持ち主がわたしに迫る。右手で頬を撫でられた。氷のように冷たい感触がした。
迫る顔。
エリカだった。
無表情。目の焦点も合ってない。
「代わろ」
エリカはそう口走り、冷たくいやらしく笑った。
七人ミサキ。
高知県を始めとする四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊。
特に海で溺死した人間の死霊。
その名の通り常に7人組で、主に海や川などの水辺に現れる。
七人ミサキに遭った人間は高熱に見舞われ、死んでしまう。
1人を取り殺すと七人ミサキの内の霊の1人が成仏し、替わって取り殺された者が七人ミサキの内の1人となる。
そのために七人ミサキの人数は常に7人組で、増減することはない。
安土桃山時代にはすでにこの伝承があった。
七人ミサキは、1人、1人が1つの思いを持って行動している。
誰かを呪い殺し、いつか自分が成仏する。
その『念』はおそろしく、強い。
了