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フードコートと放置の子

作者: 若槻風亜

これは善意の搾取と悪意の温床の物語



 それはうららかな昼下がり。人はまばらだが子連れが多いため喧噪に包まれるフードコートで、『岸 恵理子』は注文したサンドイッチをひとり優雅にぱくりぱくりと摘まんでいた。中年の女がひとりで食事をしていても誰にも奇異な目で見られなくなったのだから、いい時代になったものだ。お洒落な装いであれば更に信用度が上がるのも素晴らしい。世の中が『違和感』に優しくなってくれて何よりだ。


 端からひとつ空けたテーブルに着いたため、周囲の席は空いている。「混んでいない限りは椅子でも机でも一つ空けて座る」というマナーが根付いている日本人ならではの光景だろう、と好みのカスタマイズをしたサンドイッチを咀嚼しながら恵理子はそんなことを考えた。


 そして、それをありがたいと()()思っている。そもそも何故恵理子が端ではなく端のひとつ隣に座ったかというと――。


 最後の一口を飲み込んだサンドイッチを更に落とし込むためコーヒーに口を付けていると、小さな子供を二人連れた若い母親が早足で近付いてくる。きょろきょろと辺りを見回していた母親は、恵理子に気が付くとすぐにこちらにやって来た。


「じゃあママ買い物行ってくるから。しばらくここで待ってて」


 言うが早いか、まだ小学生にも上がっていなそうなお兄ちゃんと妹を置いて、母親は来た時よりも早足でフードコートから出て行ってしまう。少し色のついたレンズが入った太めの縁の眼鏡を上げつつその背中を見送っていると、今度は両手にお盆を持った30代ほどの女性がそっと近付いてきた。


「あの、すみません。その席離れられた方がいいですよ。あのお母さん、よくこのフードコートに子供置いてくんです。奥さんみたいな親切そうとか上品そうな感じの人に押し付けてくんですよ。子供の面倒見てくれるだろーって。それで面倒見てくれた人もいたんですけど、ちょっと服が汚れたってことで帰ってきた時すっごく文句言ってたことあったんで。巻き込まれる前に離れた方がいいですよ」


 常連らしい女性は、母親の常習犯ぶりを親切心で教えてくれたようだ。だが恵理子は、申し訳なさそうに微笑む。移動するなどとんでもない。()()()()()()()()()()


「ご親切にありがとうお嬢さん。それとごめんなさいね。あの子、姪っ子なのよ。そういうことをしてて問題になって、あの子の親にも怒られて。それでも買い物ぐらい自由にしたいっていうから、今日は子守りを買って出たの。……何か一言くらいあっても良かったんだけどねぇ」


 困ったわ、と頬に手を当てわざとらしくため息をつくと、女性は「余計なことを言ってすみません」と謝ってから、恵理子の苦労を慰めて少し遠くの席に座った。話しかけたからと言って変に気を遣って近くに座るような人物でなくてよかった、と胸を撫で下ろし、恵理子は自分を見てくる子供たちに視線を向ける。


「二人とも大きくなったねぇ。最後にあったのはずいぶん前だからおばちゃんのことは覚えてないかな? ふたりのばあばの妹の恵理子おばちゃんです。さ、ふたりともお名前と何歳になったのか上手に言えるかしら? 上手に言えたらジュースとクッキー買ってあげるわね」


 体ごと傾き子供たちを覗き込むように顔を向け恵理子が笑って問いかけると、これまでにもこの場所で多くの大人に構われてきた子供たちは怖じることなく元気よく手を挙げた。


「はいっ、けーくんは こが けいた です! 5さいです!」


「えっとね、えっとね、みーちゃんはね、みーちゃん です! 3さい!」


「みーちゃんは こが みかちゃんだよ……です!」


 敬語を注意されたことがあるのか勉強中なのか、『けーくん』は思い出したように語尾を変える。上手く出来たでしょ、というキラキラした目をする二人にくすりと笑って、恵理子はマスクを着け服には少し合わない大き目なリュックを背負い食べ終わった自分のお盆を持って立ち上がった。


「よく出来ました。けーくんもみーちゃんもお上手ね。さ、ジュースとクッキーを買いに行きましょうか」


 やったー! とけーくんは元気に立ち上がり、『みーちゃん』は恵理子が抱えて下ろしてやる。最初は二人にロング丈の上着の裾を掴んでもらい、お盆を返したら今度は二人とそれぞれ手をつないだ。嬉しそうに掴み返してくる子供たちに恵理子は「いい子ねぇ。楽でいいわぁ」とニコニコする。






 ジュースをジュース屋で、クッキーをパン屋で買って、三人は先程の席ではなくパン屋の近くの席に座った。色々持って遠くの席まで戻るのが大変、というのもあるが、()()()()()()()()()()()のだ。


「おばちゃん、まどのそばじゃダメ? けーくんお外見たい」


「あらごめんね? おばちゃん明るいのダメなのよぉ」


 おめめ痛くなっちゃうの、と説明すると、優しい少年は分かったと素直に頷く。彼らの母親は躾らしい躾を彼らにしていないのだが、うるさくしたり気に食わなかったりすると怒鳴り散らすので、母親を怒らせないために彼らはダメと言われたことには素直に従う性格になっているようだった。まったく、()()()()()()()()()()()()


 怒られないかとちらちらとこちらを見てくるけーくんに、恵理子は優しく笑って軽く頭を撫でてやる。


「分かってくれてありがとう。けーくんは優しいいい子だね」


 褒めてやれば、けーくんは嬉しそうに笑って「うん!」と元気よく返事をした。その様子を見ていて羨ましがったみーちゃんの頭も撫でてやり、三人はジュースとクッキーが終わるまで喋り続ける。


 食べて喋ってを繰り返している内に時間は1時間が経過した。母親が帰ってくる様子はまだない。


「ちょっとママに連絡してみましょうか」


 恵理子はスマホを慣れた手つきでいじって何度か画面を撫でた。メッセージを送り終わったスマホを置こうと裏返した状態で机に近付けた時、狙いすましたようにスマホが通知音と共に震える。すぐにひっくり返して画面を確認すれば、そこには予想通りのメッセージが。


「――ママまだ帰ってこないみたいね。ふたりともどうする? ここでママのこと待つ? それともおこさま広場に遊びに行く?」


 おこさま広場は子供向けのバルーン遊具やボールプールなどが設置された場所で、このモールで小さい子供が一番楽しみにする場所と言っても過言ではない。


 けーくんとみーちゃんも例外ではないようで、歓声のような声を上げ「行くー!」と元気よく返事をした。そんな彼らに、恵理子は人差し指を立てて「しー」と注意する。


「騒いじゃいけない所で騒ぐ悪い子は連れてけないわ。いい子に出来る?」


 注意され、けーくんとみーちゃんはそれぞれ自分の口を塞いでこくこくと頷き、お互いの顔を見合って「しー」と人差し指を立て合った。


「はい、二人ともいい子ね。じゃあ、ゴミを捨てたらちーちーしてから行きましょうか」


 子供たちが食べたゴミを近くのゴミ箱に手早く捨てて、恵理子は座ったままの二人を立たせる。


「あ、二人ともそうだわ。おばちゃんのお洋服にかくれんぼしながら行きましょう?」


 長い上着を前で合わせてカーテンのようにひらひらさせると、好奇心を刺激された二人は「するー!」と恵理子の前に並んだ。その二人をまとめて上着で隠し、「隙間から前を見てね」と注意してから、三人は「いっちにーいっちにー」と小さな声を合わせて歩き出す。どこから見ても可愛らしい祖母と孫の光景に、すれ違った女子高生たちは「かわいー」と笑い合っていた。


 トイレに入って子供たちに用を足させてから、恵理子は化粧コーナーの奥に入ってリュックを据え付けの机に置いてリュックを開く。


「はい、二人とも。おばちゃんからプレゼントよ」


 取り出された物に、二人は目を輝かせた。一枚は今子供たちに大人気の変身ヒーローがプリントされたパーカー、もう一枚は大人にも子供にも大人気な動物キャラクターの耳付きパーカー。大興奮でその場で足踏みするが、先程注意されたので歓声を上げるのは二人とも我慢しているようだ。


「おばちゃん、けーくんこれ着る! 今着る!」


「みーちゃんも! みーちゃんもきたい!」


「はいはい、じゃあ、2枚着るのは暑いから今着ているお洋服脱いじゃいましょうか」


 言うが早いか、けーくんは自分で脱ぎ始め、みーちゃんは恵理子に大人しく脱がしてもらう。そしてそれぞれパーカーを着用すると、嬉しそうにフードまで被った。恵理子はその様子を写真に撮り、「可愛いわぁ」と満足げに笑う。


「折角だからおばちゃんもさっき買ったお洋服にしてお洒落しちゃいましょ」


 言うが早いか長い上着を脱ぎ、同じくリュックから取り出した黒っぽい短い上着を着用し、上品にまとめていた髪を解く。マスクを外してかけていたメガネを色味の薄めのサングラスに替えれば、その印象は完全に真逆になった。


「どう? おばちゃんかっこいいかしら?」


 ポーズを取って冗談めかして尋ねれば、素直な子供たちは「おばちゃんかっこいー!」と声を合わせる。仲良しな様子に、化粧コーナーの入り口付近で化粧直ししていた女性は去り際にくすりと笑いをこぼした。


「じゃあそろそろ行きましょうか……あら? あらやだ、リュックの底穴空いちゃってるわ。ちょっと待ってね二人とも、ちょっとリュックの荷物移しちゃうから」


 言うが早いか、恵理子は手慣れた様子でリュックから大き目の紙袋を取り出し、その中に二人が脱いだ服、自分が脱いだ服、そしてリュックを丸めて入れ込んだ。


「はいお待たせ。じゃあ行きましょうか。けーくん、おばちゃん荷物で片手塞がっちゃうから、みーちゃんの隣でもいいかしら?」


「うん、大丈夫だよ。けーくんいつもみーちゃんとおててつないでるから!」


 元気よく返事したけーくんに優しく頷いてから、恵理子はみーちゃんと手をつなぎ、みーちゃんの逆側の手をけーくんがつなぐ。






 そうして並んで目的地まで辿り着き、二人は約一時間他の子供達も含めて大いに遊びつくした。テンションが上がりすぎている二人に声をかけ、恵理子は買っておいたスポーツドリンクを二人に飲ませる。ストローはサービスで自販機の隣に置かれていたので助かった。流石キッズスペース。


 休憩を兼ねてどれだけ楽しかったかを喋り続けるけーくんとみーちゃん。その内に、その頭が前後左右に揺れ出す。


「おばちゃぁん……みーちゃんねむぅい……」


「けーくんもぉ……」


「あらあら。そうよねぇ、いっぱい遊んだもんねぇ。うーん、どうしようかしらね。ママにさっき連絡したら『まだって言ってるじゃん』って返ってきちゃったのよね……でもおねむだもんねぇ……」


 うーん、と悩み、少し考えてから 恵理子は結論を出した。


「うん。おばちゃんのおうち近いからおばちゃんのおうち行きましょうか。ママにはそっちに迎えに来て貰いましょ。今おじちゃんにもお迎え来てって連絡するからちょっと待っててね」


 手から落ちそうになっている二人のスポーツドリンクを回収してから、恵理子はスマホを操作し始める。それから二、三度通知が来て、さらに十分ほどで柔和な表情をした中年の男性がやってきた。


「お待たせ。ふたりともすっかり寝ちゃったな」


「疲れちゃったのね。お父さんけーくんお願い出来る? 私はみーちゃん抱っこしていくから」


「うん。ああ、荷物も僕が持ってくよ」


 紙袋を肩にかけ、男性はすっかり寝入ってしまったけーくんを抱え上げる。


「ふふ、可愛いヒーローだ」


 ぱさりとフードをかけてやる男性に、恵理子もみーちゃんにフードを被せてから抱え上げる。


「そうでしょう? ほら、こっちは可愛いマスコットよ」


「ああ、本当だ。可愛いね」


 にこにこと穏やかな会話をする夫婦に、周囲の親たちはほっこりとした笑みを浮かべていた。恵理子たちは上品にそんな周囲に頭を下げてキッズスペースを後にし、特段急ぐことなく駐車場へと向かう。頭上では迷子の放送が流れているようだった。この広いモールでいなくなった子供を探すのは、大層大変なことだろう。()()()()()()()()()()()()()


 車に辿り着き、恵美子と男性は車の後部座席に用意していたチャイルドシートに子供たちを座らせ、シートベルトを着けて扉を閉める。チャイルドロックは忘れない。


「さ、帰りましょうか」


 にこりと笑い合いふたりは運転席と助手席に乗り込む。車は走りだし、他人が違和感を持つことのない普通の速度でモールの駐車場からも出て行った。


 そうして車道に出てから数分後、突然恵理子が堪えきれないように笑いだす。


「ふ、ふ、ふふ、ふ。本当に、いい時代よね。子供を何時間も放置する親なんて昔の方が多かったけど、今は人が人に無関心。自分と自分の周りの人間に関わらないことなら『見ないふり』が当たり前。昔なら『おかしい』と思われてたことも誰も気にしなくなって、室内でサングラスをかけていようがマスクをつけていようが『そういうもの』。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。――ああ本当に、いい時代だわ」


 体を小刻みに震わせ、恵理子は楽しそうに楽しそうに笑った。


 そう、恵理子がショッピングモールに行ったのは、フードコートに行ったのは、『けーくん』と『みーちゃん』という放置子を()()するためだ。もちろん彼らとは親戚でも何でもない。母親はいつも通り「面倒を見てくれそうな女性」にターゲットを定めて恵理子の隣に子供を置いていっただけ。


 そして、彼女の普段の行動をモールで何度も見張り、彼女の性格を見極めて、モールの防犯カメラの位置と写る範囲を計算し席を選び、恵理子たちは今日ついに誘拐の決行に至ったのだ。恵理子は上品なマダムといった装いで子供を放置しやすいように隣の席を空け、母親が子供を連れてくるのを待ち、相棒の男はその間母親の様子を見張った。子供たちはたっぷり遊ばせた後に睡眠薬入りのジュースで眠らせ、後はあたかも孫のように連れ去るだけ。


 そして計画通り、恵理子たちは見事子供たちの誘拐に成功する。目的はもちろん身代金――ではない。


「これで十人か。放置親様々だな。おかげで俺たちの懐が潤うってもんだ」


 恵理子たちは親に子供を返そうなどとは一切思っていない。もちろん殺す気も一切ない。恵理子たちは子供を攫うだけ。その先は、また別の人間の采配だ。運がよければ自分の失った子供の代わりが欲しいだけの人間に買われ、運が悪ければ変態の玩具か国外出荷。さらに運が悪ければ臓器の提供元か、実験体か、薬の材料か、あるいは食糧。これまで攫った子供たちの結末は知らない。何せ興味がない。恵理子たちが欲しいのは金だけだ。子供というのは金になる。優しく優しく接するのは、そうしたら攫いやすいというのもあるが、何より彼らが恵理子たちに大金をもたらしてくれる天使だから。最後に楽しい思いをさせてやろうという、利己心と自分勝手な仏心故の行動。


「さあ、次はどこに行きましょうかね」


 まるで夢を見るような瞳で、恵理子は暮れていく夕日を見つめた。


 日本全国にあるフードコートが、遊園地が、動物園が、水族館が、子供を連れていける場所が、街角が、彼女『たち』の狩場。親になり切れない親がいる限り、彼女『たち』の狩りは終わらない。


 今日もどこかで、親の目を離れた子供は静かに攫われる。







フードコートでご飯食べてたら突然親(祖父母)が子供連れてきて

「ここで待ってて」と子供を放置していった


という話を数年前からニュースやらXやらで見ていましたが、

最近もあんまり変わってないようだったので、「どんどん

治安が悪化している日本でよく怖くないな……」と思って

思いついたお話です。


悪い人なんてどこにでもいるし、組織犯罪だって

見えない所で起こってますよね……。


お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃん。

子供は放置しないで上げてくださいね。

けーくんとみーちゃんと同じ道をたどって

しまうかもしれませんから……

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